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いずれ、また逢いましょう。
その日が何時に成るか、何処で逢えるか分からないけれども。
けれど、私には分かります。
必ず、また逢えると。
だからこそ、笑顔を忘れないでください。
この暗雲が晴れ、澄んだ青空が蘇るまで……。
ヒュー・チャールズ(Hughie Charles)作詞 1939年発表"We'll Meet Again"より引用
第2話 時代
大戦終結後、世界は東西に分断された。冷戦と呼ばれた時代の始まりである……。
統一暦1924年から始まった世界大戦は、シュベルテン帝国の惨敗によってその幕を閉じた。
終戦時において、大きな損害を被っていた近隣の戦勝諸国には次の戦争を行うだけの余力は無かった。
その一方で戦力を持ち合わせていた二大大国、「クリスチナ合州国」と「ルーシー評議社会主義共和国連邦」。次なる時代の主役は彼等に委ねられており、共通の敵を失った両者はイデオロギーの対立を表面化させていた。
クリスチナを中心とする資本・民主主義の西側陣営と、ルーシーを中心とする共産・社会主義の東側陣営の対立構造の確立。大戦末期に実用化された核兵器によって、全世界の崩壊という危機感を煽った上での、核抑止力による全面戦争を回避した不安定な平和が始まる。
1950年、最初の東西両陣営の代理戦争と成った、極東の「高麗戦争」。
1955年、20年に亘る泥沼の戦いと化した「ザンゼイ戦争」の始まり。
1962年、合州国の裏庭と呼ばれたクバナカン共和国における核ミサイル配備により、全面核戦争の危機に陥った「クバナカン危機」。
時代の変容と次世代の軍拡競争に伴い、世界大戦において常識だった戦闘は、既にその影すらも失っていた。
誰もが、安心して眠れる夜を欲していた……。
一方で1964年、核開発競争と宇宙開発競争に並ぶ、新世代型戦闘兵器が産声を上げていた。
初のオリンピックに歓喜する極東の秋津島で、防衛庁の要望で「功機兵」の名で開発されたそれは、世界各国に衝撃を与えた。史上初の人型二足歩行機動兵器「魔導機人」の誕生である。
戦闘機がレシプロエンジンから圧倒的高速のジェットエンジンへ移行し、更に重武装の施された戦闘ヘリコプターの実用化に伴い、かつて戦場の王者と成っていた航空魔導師達はその優位性を失い、王座からは既に引き摺り下ろされていた。
だが、装甲車と航空戦力の中間に位置する兵器の優位性に気付いた一部勢力が、魔術と最新科学技術を融合させることで、新たなる王座を実現させたのだった。
当初こそは「器用貧乏」と評されたものの、中東での民族紛争や、旧植民地における独立戦争においてその実用性が証明され、各国はこぞって開発競争に乗り出した。ザンゼイ戦争においても、数と技術で圧倒的に勝る西側連合軍に対し、北ザンゼイ軍はルーシー・大秦華双方から供与された魔導機人と、地の利を活かしたゲリラ戦法でこれを翻弄し、敗北を知らないクリスチナ合州国内は初めて反戦感情を露わにする敗北を期している。
未だ、魔導師達は戦場の主役だった。
さらにその一方で、1950年代後半から東洋の大国「大秦華人民共和国」は、ルーシー連邦との対立を表面化していた。
1953年にルーシー連邦共産党第二代書記長ヨセフ・ジュガシヴィリが死去。彼の後を継いで書記長の任に座ったニコライ・フレストフは、自身の権力基盤を確かな物とする為に「ジュガシヴィリ批判」を行った。ジュガシヴィリが自ら行った個人崇拝から本来の科学的社会主義への回帰を謳い、集団指導体制を掲げた。西側諸国との平和共存路線を進める一方、集団指導体制を無視した自らへの権力の集中、同志に対する叱責や暴言、変革運動に対する武力弾圧、外国での粗野な振る舞いは党内部から多くの反発を招き、最終的には後任となるラザール・ブルドコフスキーらにより、フレストフは1964年に失脚する。
フレストフが残した禍根は大きく、大秦華共産党員の多くは彼を「修正主義者」あるいは「似非共産主義者」と強く非難した。フレストフの失脚後も、ブルドコフスキー書記長やアリョーシャ・コサレフ首相らとの会談が首都モスコーで行われるものの、国交回復の進展とは成らなかった。
政治家達の努力も虚しく、両国の留学生らによる双方の大使館襲撃事件等の暴動が相次ぎ、留学生達の休学が執り行われ、国交は事実上断絶してしまっていた。モスコーで発生した暴動事件において、顔面痣だらけの大秦華留学生から取り上げられた「人民の書」が大秦華の国旗と林主席や初代主席ら「建国の5人組」の顔写真と共に焼き捨てられた光景の写真は、多くの国々の新聞に大きく掲載された。
1968年にはレヒト社会主義共和国連邦で「プラーグの春」と呼ばれる、民主化を求めた変革運動が発生する。決して社会主義の否定を目的としたものではなく、社会主義の中での国民の政治参加や表現の自由等を求めたものだった。が、ブルドコフスキーはルーシー連邦軍率いるラドム条約機構軍によって、これを武力で制圧した。無論、これも大秦華の怒りを買った。
そして今……統一暦1969年3月2日。両国の国境線と成っている霊亀江/ウザーラ川の支流、真武江/サリャリス川の中州である虚宿島/ゼルコア島で、遂に両軍の武力衝突が発生してしまう。双方が「先に攻撃したのは向こうだ」の一点張りであり、既に事態の収束は困難を極めていた。それは、真実という物が見失われたからに他ならない。
同じ東側陣営同士の対立に、世界に再び緊張が走っていた。
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