新幼女戦記 孤高の超者達

コノザワ

1

 その腕は、総てに安らぎを与え、巌の如くに総てを破らん。

 さすれば、我が魂が永久(とわ)に眠る事もなく、また息衝く事も無い。

 何人たりとも犯せぬ理に、幾人が己が身を委ねたか……。

 だが咆哮は、時として最大の神秘を齎す。例えそれが、鋭き牙をも砕いても……。


第1話 二人


 彼らが出会ったのは、その日だった。時に、統一暦1969年3月14日……開戦から二週間近く経過していた。

 荒げる白銀の世界……、摂氏零下20度の厳寒が、生ける者達をその身のみならず精神の芯までも凍らせんとする。広大な高原が分厚い雪層に包まれ、さながら一面は自然が生み出したキャンバスと化していた。

 そして今、ここに両軍との交戦が描かれていた。

 鋼鉄の巨人達が全てを穿つ戦場。これこそ我等の現実、彼等の支配する日常。兵士達は己の命を賭け、銃弾の息吹と共に、生死の応酬を繰り返し、砕かれた命は五臓六腑で、純白の雪原と暗緑色の軍服を深紅に染める。

 祖国の領土を侵す者あらば、その者達の命を犯さざるを得ぬ。一重の狂気、戦争の悪しき腹底、他ならぬ正義の不在。だとしても……正真正銘の野生的な人間達の生存競争である。

「目標確認、座標修正左5.02度。砲撃用意!」

「敵戦車中隊確認! 数、14! まともにやり合うだけ無駄だ!!」

 怒号と砲声が飛び交う中で、震える兵士達の身を包む厚手の防寒服も、死に対する恐怖までは遮れなかった。それ以上は兵士次第である。

「来るんじゃなかったよ……」

「馬鹿、生きて帰んだよ!」

 雪濠に潜んでいても、敵からの砲撃から生き延びられる保障が有る訳ではない。ましてや、大秦華人民軍で運用されている兵器はルーシー連邦軍の物と比べて一世代は遅れていた。設計はおろか精錬技術すら未熟であり、質の悪さは学の悪い兵士でさえも分かるほどだった。現に、大秦華の工業水準とはそういうものであった。

「誤差修正良し。各車、撃ち方始め!!」

 戦車隊隊長の合図と共に、敵を睨み続ける59式戦車達の砲口が一斉に火を噴く。放たれた砲弾は光を纏いながら美しく弧を描き、標的へと向かい宙を歩み続ける。

「弾着……今!!」

 が、お互い動き続ける身と、砲身の優れぬ精度も相成って、砲弾は敵目標であるT-62及びT-64主力戦車の周辺に着弾する。何人かの随伴する歩兵を道連れには出来たものの、どうにか敵戦車に着弾したとしても、分厚い装甲に弾かれる程度に終わった。着弾に伴う雪煙が晴れると、攻撃を受けたルーシー連邦地上軍側の戦車達の砲身が、反撃の照準を59式戦車や62式軽戦車、各自走砲と装甲兵員輸送車達に定めた。

「敵砲撃が来るぞ!」

「回避する! 回頭左90度!」

「脚を止めるな!!」

「間に合いません! アアァッ!!」

 逃げ遅れた59式戦車の一台が115㎜の成形炸薬弾を喰らい、爆発する。引火する燃料と砲弾に、車長と装填手の肉体は、無慈悲に焼き尽くされ、砲手や操縦手の肌と軍服は無数の破片に因ってズタズタに千切れている。

「姜ーー!!」


「降下地点まで残り5分。降下準備に問題無し」

 乗員による点検が終わり、それが各機の無線に伝達される。

「あの……朱排長」

「どうした新米?」

「自分は……その…、怖いのです、死ぬのが……」

「そうか。俺もだ……」

「排長殿も、で……ありますか?」

「当たり前だ、誰だって怖い。怖くない奴は……いつも真っ先に死んでゆく」

 排長(小隊長)にとって、 新入りの恐怖を宥める事は決して珍しいものではなかった。それが役割だからだ。

「降下2分前。各員用意せよ」

 火山灰の絵の具をぶちまけた様に濁った空を、二重反転ローターで風を砕く唸りを奏でながら渡る、いぶし銀の運輸零型戦略輸送機(Y-0)……その後部扉が開く。そして、胎に抱えた鋼鉄の巨人達の姿が露わとなる。

「降下1分前」

 巨人達を操る者達が一斉に、降下の衝撃に備えて操縦桿を強く握り締める。緊張の荒い息が酸素マスクを伝わって、未熟な兵士自身の頭に響く。

「各機……、降下!」

 重く圧し掛かる重力加速度と、機体と輸送機を繋ぐワイヤーが廻すローラーの振動が、軽減されているとはいえ激しく身に伝わる。

 ワイヤーの接続が解かれた瞬間の無重力感に惑わされんとする身体の抗いが、操縦桿を伝って機体の姿勢を維持し続ける。

「機体降下確認、本機はこれより空域を離脱する――」


「ティプ59(=59式戦車)もチビの62(62式軽戦車)も所詮ブリキ缶だ! 押し退けろ!!」

「上空! 敵魔導機人!」

「ちいっ!!」

 そう悪態をついた指揮官は直後に、搭乗していたBTR-60PK装甲通信指揮車諸共撃ち抜かれて消えた。

「白鹿より全機。無線封鎖解除、会敵後は各個判断にて交戦せよ」

 整然たる命令が、無線機を通じて鼓膜まで響き亘る。

「槍鳳一、了解。状況を開始する」

「槍鳳四、……了解」

 背中から生やしていた降下傘を捨てた一機の功機兵「甲蛇」が、腕に持つ機関砲から放つ37㎜の徹甲弾で正確に指揮官の座る座席と、燃料タンクを撃ち抜いていた。直ぐにもその車両は乗員達に乗り捨てられ、間も無くしてガソリンに引火し爆発炎上する。

 背部のエンジンノズルを吹かして減速しながら着地した功機兵「69式"甲蛇"」、その操縦席に居座る一人の男――朱天祐――はゴーグルと画面越しに、部下が乗る功機兵「66式"彭侯"」も無事着地したのを確認すると、続けざまに急速旋回して、離脱しようとするBMP-1歩兵戦闘車に対して右腕に内蔵した40㎜の対戦車榴弾を放つ。煙の尾を曳きながら空間を泳ぐ弾体が履帯を砕いて動きを止め、その横っ腹を甲蛇の脚が蹴り飛ばして横転させる。装甲の薄い車体底部を露わにした処を、エンジン部を一発の37mm弾で貫き爆発させる。

 その一方で新米の部下――侯悦明――が乗る彭侯も、敵のBM-21自走式多連装ロケット砲の破壊を済ませていた。

「槍鳳一、敵車両の破壊を確認」

「四、敵車両を撃破」

「こちら地上指揮車、白鹿。只今より貴機は当機の管制下に入った。貴官らの呼号(コールサイン)、槍鳳一及び槍鳳四を確認した」

 63式装甲指揮通信車から指揮を執る第117機動対戦車連長(中隊長)、宋晨光大尉――呼号:白鹿――の声が、天祐達の功機兵に届く。

 光ファイバーを通じて潜望鏡の如く外界を映し出す正面モニターの脇に、オシロスコープにも似た円形のレーダー画面が、敵機の位置を示す。だが、それは友軍等が把握している範囲内の物しか映っていない。

「真上からの奇襲と着地は上々だったな……。新米、臆せず付いて来い!」

「……了解!」

 排長が部下を先導する。足元のペダルを踏み込み左の操縦桿を前に倒すと、雪上戦仕様に換装された白い脚部の踵に取り付けられた棘付きの車輪が高速で回転し、粉雪を巻き上げながら功機兵達は加速する。更に背部の主翼を展開し、揚力を得て機体は更に速度を増していった。

 二機の功機兵は、今さっき壊滅させたばかりの車両部隊と行動を共にしていた戦車隊へと、その進路を向けていた。

「新米は敵戦車部隊を横から叩け。俺は囮を兼ねて正面から行く」

「槍鳳四、了解」

 悦明の彭侯が、天祐の甲蛇の随伴から離れた。

「正面より敵魔導機人接近中!」

「全車総員、対機人戦闘準備! RPG-7はPG-7V対戦車榴弾を装填。3BM型APFSDS弾及びドラコーン対戦車ミサイル、全車両発射準備! 目標、敵ティプ69!」

 指揮官の命令と共に、天祐の乗った甲蛇を捉えた戦車部隊が、一斉にその砲口を向けた。IT-1駆逐戦車は砲身も無い平たい砲塔から誘導ミサイルを展開し、随伴歩兵達も功機兵の装甲を破壊できるRPG-7の照準を合わせた。

「ポジャー(発射)!」

 夥しい数の発火炎が眩く輝き、バックブラストを含む多量の白煙が舞い上がる。

 荒ぶる砲弾らは、虚しくも高度の跳躍に依って回避され、ミサイルも防殻術式によって防がれる。爆煙の内より飛び出した甲蛇の銃撃と、主翼から吊り下げられた発射機から斉射されるS-5火箭弾の猛攻に、ルーシーの小隊は戦力の半分を失う。

 更に、天祐の甲蛇に目を奪われていたが為に、右側の森に潜んでいた悦明の彭侯の不意打ちに対処する事も適わなかった。

 難を逃れた一歩兵も、BTR-152の影からRPG-7の照準を彭侯に向けるが、それを察知した天祐が甲蛇の左腕に内蔵した12.7㎜機銃で射止める。

 周囲の敵勢力を掃討が完了した事を確認して、天祐と悦明は後方の部隊へ進軍を促した。


「白鹿より槍鳳一、槍鳳四。友軍偵察機から入電。貴官らの北北東から敵自走砲部隊および功機兵小隊を確認。機数6と……、11台。更に戦闘直昇機(ヘリコプター)1機を確認、米24型(Mi-24ハインド)と思われる。注意せよ」

 息を着く間も許さぬかの様に、戦況は絶えず変わり、そして続く。

「槍鳳一、了解」「槍鳳四、了解」

 両名ともそれぞれの功機兵の頭部に内蔵された"眼"を広角鏡から望遠鏡に切り替え、接近する敵部隊の姿を確認する。後方から進軍して来る部隊の為にも、天祐と悦明には接近する敵部隊を引き付け、味方から遠ざけさせねばならなかった。

「白鹿より全功機兵。味方空中管制機より入電。現在我が編隊は敵陣地に向けて飛行中。爆撃開始までに、敵対空兵器群を無力化せよ。到着予定まで後32分」

「雷虎排了解」「幻獅排了解」

 混濁する無線の中で、友軍の功機兵部隊は次の行動を示す。だが天祐と悦明の槍鳳排(小隊)第1班(分隊)は目標地点への攻撃よりも、功機兵ではない通常兵器で編成されている味方部隊を出来るだけ多くその目標地点へと向かわせる為に、可能な限り目立って陽動を行う事の方が先決だった。

「槍鳳一より白鹿。我が第1班は敵功機兵部隊との会敵が予測されている為、そちらへは向えない」

「白鹿、了解。白鹿より槍鳳排第2班、お前たちは来れるか?」

「槍鳳二より白鹿、可能だ」

「槍鳳三、了解んだもな」

「天祐、お前は其処で粘ってろ」

「……槍鳳一、了解」

 仲間である槍鳳二の悪態に、天祐はただそう応えた。

「排長殿、自分達って囮役専門なんですか?」

 悦明の問いは、本隊の任務遂行に自分が加わっていない事が恥かというのと同義だった。

「存外それも腐れ仕事ってわけじゃない。むしろ花形歌劇団だと思えばいい」

「はぁ……」

 功績と名誉は決して比例する訳ではない旨の会話を交えている内に、二人は自分達の方へ接近する敵部隊がレーダー上で交戦距離まであと僅かにまで迫っている事を確認した。

「来るぞ!!」

 天祐の気合の入った叫びに、悦明も自分を奮い立たせる。


 小高い丘から姿を見せる猛威の軍勢に、天祐の甲蛇は主翼からS-5ロケット弾を放ち、彭侯は狙撃術式を用いて先頭を走る魔導機人――MG-65B"ラスビエット・シュティ"――の頭部を狙い撃つ。

 突然視界を奪われたMG-65Bは勢いの付いたままの機体のバランスを失い、雪煙を巻き上げながら転がり続ける。後続の同型機達はそれを避けながら走り続けるが、その内の一機はロケット弾の一発を脚に喰らって転倒する。

 無論、現れたのは魔導機人だけではない。雪煙を貫通して天祐達の近くに着弾する、敵自走砲から放たれた榴弾の数々。そして、魔導機人/功機兵と同等の火力を持ち合わせている最新の戦闘ヘリ――Mi-24A"ハインドA"。僅か二機の功機兵相手に、塵一つ残さんとする火力が投入されている。

「第四戦車連(中隊)、目標地点に到達。これより攻撃に移ります」

「第三自走砲排、配置完了。別命有るまで待機する」

「第七、第九砲兵排、準備完了。砲撃開始します」

 無線越しに、後ろでは友軍の進攻が着実に進んでいた。その言葉一つひとつが聞こえる毎に、二人の背負う重みが増していく。

「悦明、直昇機は俺が撃ち落す。連中、甲蛇が王牌向けの機体だって気付いている筈だ。小回りの利く方が時には功機兵に有利だ」

「了解。自分は援護にまわるであります」

 ハインドが一斉に放つS-5ロケット弾の群れが、天祐の甲蛇目掛けて襲い掛かる。が、どれも掠ることすら無く急ターンによって避けられ、甲蛇は走りながら地上のMG-65B相手に弾幕による牽制を続けていた。

「排長殿! 後ろです!」

「謝謝(すまない)!」

 悦明の忠告を聞き入れその場で急ターンし、背後を取っていたMG-65Bの右肩を撃ち抜く。動きを止めた敵機に素早く迫り、左手で逆手持ちした機兵刀を魔導刃化させ、擦れ違い様に斬り捨てた。

 仇討ちと言わんばかりに天祐の甲蛇へと照準を向けたハインドAは、短翼(スタブウイング)に懸吊した二発だけの9M17P ファラーンガ-M対戦車ミサイルを、両方とも甲蛇へと撃ち放つ。またも雪煙が舞い上がり、その開花の柱頭の如く天祐の甲蛇は上昇し、ハインドA目掛けて飛び込んでくる。その機影に向けて、機首のA-12.7機銃が火を噴く。が、甲蛇は姿勢を傾けて回避し、側面を擦り抜けながら操縦席へと37㎜弾を浴びせた。一切のコントロールを失い、黒煙を吹きながら回り続けるハインドAは、やがて墜落していった。

 その間、味方の戦闘ヘリが撃墜されたとはいえ、甲蛇が無防備に成っていると判断した魔導師の乗るMG-65Bは、降下途中の敵機を狙い撃ちする。

 だが咄嗟の判断で敵の殺気に気付いた天祐も、空中を反り返りながら舞う甲蛇に貫通術式を発動させ、地上を滑走しながら此方を狙うMG-65Bの銃撃を回避しつつ、その頭部を撃ち抜いた。そして、回転して脚を地面へと向けた甲蛇は、その首を失った敵機へと着地する……露わに成った接合部に機兵刀を突き刺しながら。

 搭乗者を失い崩れ落ちるMG-65Bから雪原上へ飛び移り、天祐は次の標的の位置をモニターで確認する。ハインドを撃墜している間に、悦明の彭侯もMG-65A"ラスビエット"を一機撃墜させており、残る敵は魔導機人1機と11両の戦車部隊だけだった。

 だがそれらの位置を確認した時、宋大尉から通信を受ける。

「白鹿より槍鳳排第一班へ。偵察機から入電、そちらへ接近する敵功機兵分隊を確認した。方位は十二時、機数3」

「槍鳳一、了解」「槍鳳四、了解」

 ルーシー連邦地上軍が大秦華の攻撃を阻止すべく、敵戦力を削ぐ為の戦力は惜しまないだろうと、天祐達は分かっていた。

 空でも同じであり、Q-5攻撃機・H-5軽爆撃機とそれを護衛するJ-7戦闘機及びJ-6戦闘機から成る、大秦華人民空軍の第1戦闘師・第2戦闘攻撃連。そしてそれを迎え撃つ、MiG-23S前線戦闘機・MiG-21PF迎撃戦闘機やSu-15超音速迎撃機で編成された、ルーシー連邦防空軍の第11航空軍・第25防空師団・第23戦闘機連隊。彼等も、地上と同じくドッグファイトを行っている。

 神頼みとはゆかぬが、功機兵に駆ける機師達は大空の戦士達の善戦を信じ、信じながら戦い続ける。

 しかし、朱天祐達の挑む試練として、空軍の機師達以上に過酷なものが与えられた。


 槍鳳排第1班が、T-62主力戦車とIT-1駆逐戦車で構成された敵戦車部隊の半数と、それに随伴していた敵魔導機人であるMG-65Aを撃破する間に、増援の敵魔導機人分隊が、二人に目視可能な範囲まで接近していた。

 生き残った敵戦車達が引き下がる中、悦明は入れ替わるように現れた敵魔導機人の姿を、彭侯の望遠鏡でハッキリと捉えていた。

「奴です!! 『紅鬼』です!!」

「例のアマの王牌野郎!?」

 悦明の報告するその事実を、天祐も甲蛇の望遠鏡で確認する。

「あれが……、か!」

 遥か遠方に在りながら、「ソレ」は異彩な気配を放っていた。随伴する魔動機人MG-68"ミーティエリ"さえも、霞む程に……。

 この雪原の上ではひどく目立つ、深紅の重々しい装甲と武装を施された、たった一機の魔導機人。大秦華人民軍が交戦するのは初めてだが、既に南のザンゼイ戦争で多大な戦果を挙げている、ルーシー連邦のネームド。西側では「血まみれの魔女/Bloody Witch」として、大秦華では「紅の鬼」として恐れられている。撃破すれば、佐官への昇進や勲章など目ではない。しかし、圧倒的なキルレシオを誇る紅鬼に対して、大秦華が用意した対処法は唯一つ、「逃げろ」。

「槍鳳一より白鹿。敵王牌功機兵を確認。『紅鬼』と認む!」

「槍鳳一、間違いなく『紅鬼』なんだな!?」

「ええ、出鱈目じゃありません」

「了解した槍鳳一。出来るだけ引き付けて、友軍から遠ざからせろ! 無茶はするな!」

「槍鳳一、了解! 聞いたな、新入り?」

「槍鳳四、了解させて戴きます!」

 後続の二機のMG-68を先導する紅鬼が、主翼から吊り下げられた左右のUB-32ランチャーから、それぞれ16発ずつのS-5ロケット弾を斉射する。

 天祐と悦明はそれを回避する訳にはいかなかった。軸線上には前進中の味方戦車部隊がおり、彼等が標的にされている事に気付いていたからだ。その盾となるべく、甲蛇と彭侯は突撃機槍でロケット弾を撃ち落しながら、撃ち漏らした分の為に防殻術式の発動に備えた。

 だが、天祐にも悦明にも予期せぬ事が起こった。自分達の目の前まで迫っていた無誘導弾が、障害物である功機兵達を"擦り抜け"、後方の戦車部隊に命中する。無誘導であるロケット弾に誘導術式を仕込み、疑似的にミサイルにさせる事は、天祐達にも可能である。しかしあれだけの数を、しかも一般的な有線誘導式ミサイル以上の繊細な軌道を描かせる神業は、初めて目にした。恐らく最初に数発をワザと撃ち落させて、完全な無誘導弾に見せ掛け油断させたのも、紅鬼の計算の内であろう。

 そして、天祐も悦明も、紅鬼の脅威をただただ実感するだけだった……。

「白鹿より全機、味方空中管制機より入電。現在、味方の爆撃編隊は敵迎撃機部隊と交戦中。到着予定時刻修正、14分後に空対地攻撃を開始する」

「こちら槍鳳二! 俺達もこれで精一杯だ! 敵の守りが硬すぎる!」

「こちりゃ槍鳳三! 敵誘導弾砲台ばひとけ壊したなめ!」

「雷虎二! 搭乗機大破! 戦闘続行不可能! 離脱します!」

 無情にも、戦況は不変であり、天祐達の見えない場所で戦う功機兵達も同じ様に苦渋の色を塗られている。 

「排長殿! 味方部隊が苦戦しています!」

「分かってる!! だが彼奴等の為にも、此奴らは通すな!」

 仮に先の様な攻撃が何度も繰り返されるのであれば、紅鬼は単機で槍鳳隊とその友軍を壊滅させかねない。しかし、先の戦闘で消費した分の弾薬や燃料の補給をする暇も、与えてはくれない。その過酷な状況で、天祐と悦明は生き残らなければならなかった。

 連続して、紅鬼は右腕に持ったZiS-76MGカノンライフルから、76㎜の大口径弾を速射する。

「悦明! 煙幕を焚け!」

「はいっ!」

 甲蛇と彭侯の鎖骨辺りに有る多目的発射機(マルチ・ディスチャージャー)から、煙幕弾が放たれる。光学照準器のみならず魔力/気功感知すらも惑わすそれが、紅鬼に対して如何程の効果が有るかは不明だが、二人にとってはやらないよりもマシだった。事実、76㎜弾の被弾を寸手でかわせた。

 紅鬼は広範囲の煙幕を目の前に止まり、左手に専用の剣を持たせて敵機を待ち受けた。

 後続の二機のMG-68も、煙幕を両側から囲う。だが、紅鬼から見て左側のMG-68が、突如として煙の中から現れた二つの刃に腰を貫かれた。

 敵魔導機人が煙幕を包囲し、戦力が分散する瞬間を狙って、天祐と悦明は二機による一点突破を敢行したのだった。そして、腰部に収められていた制御用電子回路との接続が絶たれたMG-68は行動不能に陥った。

 煙幕を抜けた敵機達に対し、紅鬼は急旋回・急加速して捕捉を続ける。お互いに弾幕の応酬を繰り返したのち、紅鬼は狙いを天祐の乗った甲蛇に絞った。甲蛇が実質的な隊長専用機である事はルーシー側も把握しており、紅鬼の搭乗者は天祐機の方を撃破する事に優先順位を振った。

 37㎜弾の弾幕を分厚い装甲と防殻術式でもろともせず接近して、紅鬼は左腕に持った剣――Mk-84MG"ギャリエント"――を振りかざす。

「離れろ悦明!!」

 咄嗟に天祐は甲蛇で悦明の彭侯を突き放し、左腕に機兵刀を持たせて、紅鬼の斬撃を受け止めた。お互いにメーン・ノズルを吹かし、脚部の装輪の回転数を上げ、力勝負に持ち込まれる。

 明らかに紅鬼の出力は、甲蛇のそれを上回っていると踏んだ天祐は、敢えて敵の刃を受け流させる。その瞬間、紅鬼の主翼か背中を斬りつけられる隙が生まれた。

 だが、それだけでは終わらない。紅鬼の背中を狙う甲蛇の機兵刀が、"何か"に弾き飛ばされた。

 天祐は困惑した。紅鬼が持っていた剣にそこまでの間合いが有ったとしても、先程の斬撃とは衝撃が異なる。

 そう……これこそがギャリエントの真髄。剣でありながら鞭と成り、あらゆる間合いを自分の物とさせる二面性。無数の刃がワイヤーで数珠状に繋がれ、そのワイヤーを巻き上げた時にギャリエントは剣へと姿を変える。ルーシー連邦ではこの武器をソード・ウィップと呼んでいた。

 鞭の形で魔導刃化したギャリエントの打撃を、天佑は甲蛇の細長い機兵刀は同じく魔導刃化させていたから耐えられたから良いものを、次にあの武器がどの様な軌道を描くかは予測できない。

 事実、鋭利な鞭として、ギャリエントは更に一心不乱に甲蛇を狙って空間を切り刻む。甲高い金切り音と共に、分厚い雪原を裂きながら。

「排長殿!!」

 突き飛ばされてから我を失っていた悦明は、天祐の苦戦する様に自分を恥じた。そして、その謝辞をせんと、無謀ながらも怖れを棄てて、甲蛇を援護するべく紅鬼へと目掛けて急加速する。

 そこへ紅鬼に随伴していたMG-68が割り込む様にして、主翼のS-5ロケット弾と手持ちのAN-37MG 37㎜突撃銃による猛烈な攻撃を浴びせ、悦明の前に立ちはだかった。

「退けよぉっ!!」

 怒号と共に悦明は彭侯の左手にナイフ形の機兵刀を握らせ、限界まで魔導刃化させたそれを放り投げる。MG-68のパイロットも反応に遅れたのか、見事に刃は頭部へ深く突き刺さった。

 視界を奪うだけでなく、悦明は彭侯の左膝へ防殻術式用の気功を可能な限り集め、その膝でMG-68に蹴りを喰らわせる。敵機の胴体正面装甲がめり込む程に歪み、衝撃と共にナイフも抜き取れて宙を舞う。勿論、それを回収する事を悦明は忘れなかった。

 その間にも、天祐は紅鬼相手の奇怪な動きに翻弄されていた。

 鞭として伸びきったギャリエントはやがて甲蛇の左腕に握られた機兵刀に巻き付き、動きを鈍らせる。お互いに魔導刃化させているとはいえ、先程の鍔り合いで紅鬼の莫大な出力を確認済みの天祐は、真っ向から力勝負に出る事の無意味さを認識している。だから咄嗟に天祐は、右腰の発射機に一発だけ残ったJ-201試製対戦車ミサイルを撃ち放った。

 衝撃で紅鬼はギャリエントを手放してしまう。その瞬間、魔導刃化用の魔力が低下したギャリエントは、甲蛇の機兵刀によってバラバラに引き千切られてしまった。

 そして、その瞬間こそ、悦明の彭侯が紅鬼に一撃を加える絶好の機会だった。

「隙を見せるなんて!!」

 悦明の彭侯の左腕に握られた、巨大なナイフの刀身が魔導刃化されながら、紅鬼の頭上から突き立てられた。

 だが……その瞬間、思いも寄らない激震が身体中を駆け巡った。

 言葉に出来ない「怖れ」……、今までに無い程の悪寒。顔無き顔で此方を見詰める紅鬼の眼は、蛙を睨み付ける蛇のそれ以上に、研ぎ澄まされていた。

 僅か一瞬の意識の凍結から解放された時、彭侯は既に紅鬼の腕に振り払われ、白銀の地面へと叩き付けられていた。直ぐに体勢を直そうとしたのも束の間、紅鬼の左腕に備え付けられた杭打ち機――SB-64MG パイル・バンカー"ベルスィエルク"――の、チタン合金で覆われたタングステンの芯で出来た杭が、彭侯の胴体に乗る悦明を目掛けて、炸薬の爆発で勢いよく押し出され打ち込まれる。防殻術式を発動させる隙も与えず……。

「侯っ!!」

 一瞬……天祐も、紅鬼の搭乗者までも、悦明の死を直感した。だが寸手の差の回避により、悦明の居座る操縦席への直撃を免れ、彭侯の首とその周囲の装甲を抉り取るに留まる。

 悦明は紅鬼から、失態による僅か一瞬の戸惑いを見抜き、胴体に備え付けられた非常用の潜望鏡と心眼を頼りに37㎜弾を敵の胴体へと叩き込んだ。だが、防殻術式抜きでも紅鬼は至近弾に耐え抜き、脇腹の12.7㎜ガトリング銃の弾幕を彭侯の腰に与え、あまつさえ圧倒的質量の左脚を喰らわせた。ベルスィエルクの空薬莢が雪に足付くまでの一瞬の出来事である。

 その一連の果てに悦明の彭侯は右脚を失い、片脚だけでの自立を行えずその場に崩れ倒れる。それでも、突撃機槍による紅鬼への牽制を絶やさない。

 加えて天祐の甲蛇からの銃撃を喰らい、紅鬼は防殻術式を展開しながら後退する。

 天祐は、ボロボロの身で反撃を続ける彭侯の前に甲蛇を飛び込ませ、その盾と成る。無論、銃撃を絶やす事はなく……。

「こちら槍鳳四!! 戦闘不能!! 申し訳ありません……」

「新米!! 無事か!?」

「排長殿……、自分は……大丈夫であります……」

「そこでじっとしてろ!」

 天祐の眼にも、紅鬼の動きに獲物を喰らわんとする獣の野性が見て取れ、これに悦明が喰われる事を畏れた。

「槍鳳一より白鹿、槍鳳四が行動不能! 搭乗機師の救助を要請!」

「白鹿より槍鳳一、要請を受理した。救助部隊を向かわせる。目標地点周辺の安全を確保せよ」

「槍鳳一、了解……!」

 悦明の情けなくも、まだ生気を感じ取れる通信に、天祐が安堵する事は無かった。それが油断と成るのだと認識しているからだった。

 救護班の乗ったZ-5ヘリと、それを護衛する彭侯の到着まであと3分程度。操縦室の壁に埋め込まれた時計を確認して、天祐はそれまでの時間稼ぎを模索した。

 となれば、天祐が取るべき手段は唯一つ……。紅鬼を中破した彭侯から出来るだけ遠ざける事だった。

 しかし、蛇腹剣を失った紅鬼は怒り狂うかの様に76㎜弾を速射する。天祐は甲蛇の魔導刃化させた機兵刀で、それを斬り弾く。

 不思議と、悦明の居る場所を狙って撃っている様には、天祐には思えなかった。

 ならばと、天祐は一気に甲蛇の巨体を紅鬼目掛けて突っ込ませた。

 失ったギャリエントに替わり、紅鬼は巨人サイズの鉈を取り出し、甲蛇に斬りかかる。天祐はその腕を右腕で逸らし、カノンライフルの砲身を左脇に抱え込んで押さえる。

 飛翔装備の出力が勝っているとはいえ、地に足付かないが故に摩擦力が足りず、紅鬼は甲蛇に喰い付かれる形で目まぐるしく回り続け、互いに空中を転がり続けた。天祐の思惑通り、中破した彭侯の居る地点から、この紅い王牌機を遠ざける事には成功した。

「空対地攻撃開始まで残り1分」 

 宋晨光の無線通信を聞き逃しながらも、天祐は目の前の強敵との戦いから抜け出せないでいた。

 甲蛇に抱え込まれたライフルが圧力と衝撃で折れ曲がった事に気付いたのか、紅鬼はZiS-76MGを手放す。その直後に、左脇腹に装備した12.7㎜ガトリングの砲身を回転させるが、発射までのタイムラグという僅かな隙に、敵魔導機人のマルチ・ディスチャージャーから閃光弾を放たれる。

 ヘルメットの遮光バイザーを下ろしそびれていた紅鬼の搭乗者は、閃光から顔を覆う為に操縦桿から片手を離さざるを得なかった。

 天祐が紅鬼のコクピットの中で何が起こったいるかを予測する暇こそ無かったが、敵機を突き飛ばして自身の体勢を立て直すだけには十分な猶予が生まれた。

 すかさず甲蛇の機兵刀に気功を集中させ、閃光弾で塞がれる直前の視界情報の記憶を頼りに、それを振りかざす。

 甲蛇の魔導刃化した直刀は紅鬼の首へと向けられていたが、同時に紅鬼もベルスィエルクの先端を甲蛇の胸部正面装甲に向けていた。

 一瞬でありながら、限りなく永い物に感じられた静寂が、両者の間に続いた。

 が、この静寂を打ち砕いたのはどちらでもなかった。

「白鹿より全機、目標地点の占拠に成功。繰り返す、目標地点の占拠に成功」

 大秦華側は当面の目標を達成した。その旨を示す連絡が、雪原上に居る全ての友軍へと響き亘る。

「これより次の任務へ移行する。行動可能な全功機兵は、第二地点へと終結せよ。繰り返す、行動可能な全功機兵は第二地点へと集結せよ」

 だが、天祐と彼の甲蛇が、それを果たせぬ状況にある事を、宋晨光は知る由も無かった。

「白鹿より槍鳳一。槍鳳四の救助は完了している。直ちに第二地点で友軍と合流しろ。……槍鳳一! おい天祐! 応答しろ!!」

 上官の怒号は確かに天祐の耳に届いていた。だが、気の乱れが功機兵本体を通じて装甲の外にも響くものである以上、集中を途切らせれば敵に悟られる。それは、紅鬼にとっても全く同じ事だった。

(向こうも地上軍に呼ばれていない筈が無い……)

 天祐は既にそう判断している。

 今この瞬間は決闘の如く、先に動いた物が敗れ、死に逝くさだめに誘われる。忍耐と、コンマ0001秒以下の冷静な判断が、ものを言う。

 だが、一週間の如き長い静寂を打ち破ったのは、その何方でもなかった。文字通りの横槍として37㎜弾の銃撃を浴びせる、もう一機の甲蛇だった。

「天祐! 紅鬼相手に何故俺を呼ばなかった!!」

「後にしろ永濤! 此奴を挟撃する!」

「……槍鳳二、了解……!」

 呼号:槍鳳二――楊永濤――の乗る甲蛇が、天祐の甲蛇を紅鬼から離す隙を与えたと同時に、連携して紅鬼を破壊する段階へと移った。

 突撃機槍で牽制する天祐の甲蛇の影に、永濤の甲蛇がピッタリと隠れる。そのまま紅鬼へ目掛け突撃する。

 それに対して紅鬼は主翼から吊り下げられたランチャーからS-5ロケット弾を斉射した。だが甲蛇の影は"分身"し、寸分の狂い無く同時に左右へ回避する。そのまま二機の甲蛇は上昇し、トップアタックを同時に仕掛けた。だが、紅鬼の急旋回と急加速により呆気なく回避されてしまう。お互いを自分の身の如く分かり合っている天祐と永濤の巧な連携が、紅鬼を困惑させる筈だった。

 回避した紅鬼を、共に視界前面に絶えず捉える天祐達は、依然として弾幕を浴びせ続ける。しかし紅鬼の旋回と加速を駆使する卓越した機動は、機体を縦横無尽に回避させる。仮に流れ弾として命中したとしても、その程度は防殻術式で遮られた。

「白鹿より槍鳳二。状況を報告せよ」

「槍鳳二、槍鳳一と合流しました。紅鬼と会敵、排長機の援護に移ります」

「白鹿より槍鳳二、了解。ルーシー地上軍部隊は退却を開始している。撃破にまで追い込まなくとも構わない。無茶だけはするな」

「槍鳳二、了解」

 宋大尉の宥める命令に従い、永濤は弾薬と燃料、そして気功の消耗を押さえる事に努めた。現時点で紅鬼の撃破は目的ではなく、天祐と同様奴の出現を予見出来なかったが為に、確実に撃破する用意をしていないからである。

 だが、死にも近い苦痛を覚悟した二人を前にして、紅鬼は引き下がった。遠方にも、ルーシー側の信号弾を思しき物の光が確認できる。

「こちら槍鳳一! 紅鬼が撤退します!」

「白鹿より槍鳳一、確認した。現在敵部隊は各個撤退を開始している。今回は戦略的に、我々の作戦が成功したと見てよい。全功機兵は帰投せよ。行動不能の機体が周囲に居るなら、可能な限りおぶってやれ」

「槍鳳一、了解。帰投します」

「槍鳳二、了解」

 天祐と永濤は、紅鬼が反転して来ない事を確認し、天祐の甲蛇の後ろを永濤の甲蛇がカバーする形で撤退を開始した。お互い、既に弾薬は殆ど底を尽きかけていた。


 天祐達第2空中機動師(師団)、第117機動対戦車連(中隊)は前線基地まで帰投していた。失機数14、戦死3名……無事に帰って来れた面々にも疲労困憊が見られ、殆どの機体が中破している事から、見えておらずとも如何に激戦だったかが窺い知れる。

 ましてや、あの「紅鬼」が投入された以上、奴の仕業と見受けられる被害報告も相次いだ。

「新入り! 無事かよ!?」

 帰投した天祐は真っ先に、悦明の安否を気に掛けていた。

 とは言っても、悦明本人は担架を必要とする程の傷を負った訳でもなく、ただ半壊した彭侯の足元で簡易的なベッドを椅子代わりに腰を据えて、看護兵の応急手当を受けていた。頭に包帯を巻き付け、割れたヘルメットの破片を頬から摘出する程度の怪我で済んでおり、その姿のお陰でようやく天祐は安心を覚えた。

「心配掛けさせやがって……この野郎」

「面目御座いません……。ですがこの通りピンピンしてますよ」

 安堵と共に、天祐は脱いだヘルメット片手に跪く。悦明の方も、自分の未熟な腕がここまで排長に不安を抱かせた事を悔いていた。

「奴に接近した時、自分の機が……いや、身体が言う事を聞きませんでした……」

 両名とも落ち着いた処で、悦明の方から先の戦いに対する率直な報告を始めた。

「妨害術式の類か?」

「いえ……。もっと単純で、なんと言うべきか……『恐ろしい』ものです……」

(それが……、紅鬼の強さの根源だとでも言うのか……?)

 その時はまだ天祐に、紅鬼とその搭乗者の脅威が理解出来なかった。表面上の脅威の奥底に潜む、更なる脅威が……。


 すっかり日の暮れた夜……。仲間達との食事を済ませ、己の手足と成って戦う功機兵の整備は技師達に任せ、天祐は独り、前線基地の鉄格子越しに、果てしなく広がる闇夜と、それを切り裂く月光に照らされた雪原を眺めていた。今、功機兵を動かす機師達の任務は、何よりも戦いの疲れを癒す事だった。

「『紅鬼』、か……」

 支給された煙草をふかしながら、天祐は頭の中で戦いの記録を再生していた。本当は甲蛇の足元でそうしたかったが、格納庫は火気厳禁だった。

「奴とは、いずれまた戦う事になる……」

 彼の兵士としての、戦士としての、人間としての安らぎは今はたったひと時の物に過ぎない。

 未だ戦いは始まったばかりである。しかし、いずれはこの空の夜明けの様に、必ず終わりが訪れる。




 果てしなく凍てついたシルドベリア高原で雄々しくそびえる巨大な山脈に、その基地は在った。登山者を喰らい寄せ付けぬ恐怖は、数多くの軍事機密を取り扱い、実験するには好都合だった。

「『ストラッシュ』、帰還しました」

 この、秘密設計局を内包する半分は天然の要塞に、配属されてから間も無い一人の技師が、責任者――イワン・ディミトリエヴィッチ・リヴィンスキー大佐――に対して報告する。

「ご苦労だったな」

 軍服の左胸に幾つも勲章を着けた上官に対して、若輩の人間が腰が引けるのも無理はなかった。

 存在そのものが機密であるであるこの要塞に配属される者達の殆どは、表向きには名誉の戦死を遂げた事にされる。だが、決して粛清されたわけでもなく、優秀であるが故に此処へ送られたのである。特に、秘密設計局OKB-729を内包するこの要塞の最高責任者であるリヴィンスキー大佐も、ブルドコフスキー現書記長からの絶大な信頼を得て、要塞の管理と、此処で行われている最先端の魔導技術の研究を統べている。

 その大佐が新入り達に必ず見せるのが、彼の最も力を注いだ成果であり、「ストラッシュ」と呼ばれるそれだった。

 An-22戦略輸送機から運び出され、大型の軍用牽引車MAZ-537に引っ張っられ、一機の紅い魔導機人が専用の格納庫にまで連れてこられてきた。これを迎え入れる技術者達の腕も、手慣れたもので、直ぐにも破損個所の点検が行われる。尤も、何時もは無傷同然で帰ってくるのが「当たり前」であり、整備士が最も驚いたのは、普段は使いさえしないパイル・バンカーに使用の痕跡がハッキリと付いている事であった。これはそれだけの窮地に追い込まれたという事に他ならない。

 しばらくして、ストラッシュの頭部とその付け根と一体化したコクピット・ハッチが開放され、搭乗していた魔導師が姿を見せた。しかし、機体から降りる事は、一旦基地に帰還してからでないと出来ないという事でもない。つまり、搭乗者は帰還途中の輸送機内で、わざわざストラッシュに再び乗り込んで閉じ籠ったという事に為る。

 空軍仕様とほぼ同じの耐衝撃高高度与圧服VKK-6Mを身に纏った搭乗者の体格は、ひどく華奢であり、子供のそれである。間違いなく特注のサイズだった。GSh-6Mヘルメットのバイザーを上げ、作業員の手を借りてネックリングの接続を解き、ヘルメットを脱ぐ。その下に着ていたインナーヘルメットも脱ぎ取ると、雪の様に透き通った美しさを持つ艶やかなプラチナブロンドヘアーが露わとなった。

 紅鬼――深紅の試作魔導機人「Страж(ストラッシュ=守護者)」――の搭乗者は、戦場には不釣り合いなほど未だ年端もゆかぬ少女だった。

 彼女の名は、エレーナ……。エレーナ・ゲナディエヴナ・コヴロヴァ少佐相当官。だが、そこに子供らしい儚げな雰囲気というものは、誰も感じ取れなかった。むしろ、他の軍人と大差ない程の落ち着いた様相だった。

 若手の技師達は動揺を抑えられないが、この基地の古参の連中はすっかり慣れ切っており、なおさら不気味である。

 少女は付き添いの兵士にGSh-6Mとインナーヘルメットを渡すと、淡々とタラップを降りて行った。降りたところで、軍服の上に白衣を着た技術者らしき一人の中年女性がエレーナの傍に寄った。

「記録……確認したわよ。久し振りに手こずったのね?」

 中年女性が報告書を挟んだバインダーを片手に、エレーナに詰め寄った。

「……弁明は、致しません」

「気にしなくてもいいわ。キタエスキー(大秦華人)にも少なからずナーズヴァンディ(=ネームド)が居るという事よ。奴らの乗る魔導機人の性能は『461』には遠く及ばないでしょうけど、その分腕の立つ精鋭を寄越して、これからは貴女を倒す事に躍起に成る筈。油断は禁物よ」

「局長も……不安ですか?」

「貴女の腕を信用していない訳じゃないわ。心配なのは貴女の『心』よ。何時かまた再び、『あの時』の様に成らないかが不安なの……」

「『あの時』……」

 局長と呼ばれた女性の言葉に、エレーナは胸の前に吊るされた五芒星の赤い装飾品の様な物――演算魔導宝珠“ZEK-5”を握り締める。

 恐らく……いや確かに、それは経験から生じた「決意」と「恐怖」だった。

「……ではまた後ほど。……『セレブリャコフ局長』」

 そう言って、エレーナは返されたヘルメットを腹の前で抱えながら、自分の魔導機人のもとから去って行った。

 「局長」――ヴィクトーリヤ・イヴァノヴナ・セレブリャコワ――は、少女の後ろ姿に歯痒い気持ちを見出していた。

 イワン・リヴィンスキーもその二人のやり取りを、廊下の窓越しにずっと見ていた。彼女達がOKB-729に於ける魔導技術研究の「要」であるが故に、心の内では他の部下達以上の存在としていた。

 その一方で、リヴィンスキー大佐はエレーナの姿を眼に、ある「伝説」の事を思い出していた。厳密には「都市伝説」程度の噂だったが……。

 かつて大祖国戦争を生き残った者達が記憶する、連邦の首都モスコー襲撃時にもその姿を見せた、当時帝国だったシュベルテンに所属する航空魔導師……。若年ながら圧倒的戦果で航空魔導大隊長に登り詰めたと言われ、フランソワ自由共和国とレガドニア協商連合から「ラインの悪魔」として恐れられた彼女――ターニャ・デグレチャフ。記録の抹消により誰もその名を知らぬが、いま正に「血まみれの魔女」と呼ばれているエレーナは確実に、そのラインの悪魔の再来に他ならなかった……。


 耐衝撃与圧服を脱いで、特注の紺色の小さな軍服に着替えていたエレーナは、要塞内の自室で寛いでいた。といっても、僻地に建つ此処では、彼女にとって娯楽と呼べる物は碌に揃えられていなかった。ルビン製の高価なカラーテレビも置いてあり、ヴェショルィエ・カルチンキ等の児童向け雑誌も取り寄せる事も不可能ではなかったが、どれも彼女の心を惹き付ける事は無かった。精々、コンパクトカセットレコーダーのデスナに自分で録音した音楽を聴く事位が、彼女の安らぎだった。

 事実、彼女の私室は酷く殺風景なものであり、年相応の他の少女達が決して好む事のない様なシックで禁欲的な内装は、エレーナという人間がただの少女ではない事を未だ理解できていない者達には、決まって驚愕を齎す。強いて唯一、子供めいた物に感じられる筈のマトリョーシカ人形でさえも、可愛らしさとは無縁の不気味な装飾が施されていた。聞くに彼女自身が塗ったという……。

 加えて、エレーナが録音する曲は、要塞内の他の人間達も時々は耳にする事が有るものの、ルーシーの如何なる古典音楽や民謡とも異なるスタイルの音楽性であり、かと言ってどの諸外国の音楽にも属さない様な物だった。さすればエレーナが独自に作曲した筈であるが、彼女が音楽の勉強を独学を含め学ぶような機会は、局長や大佐ですらも目にしていない。

 そういった異質な、余りにも異質過ぎるエレーナのプライベートも、やがては誰もが疑いなく受け入れてしまう……。そして皆は、それをただの隣接した日常として、日々を過ごし続ける。

(あの魔導機人、今までの奴とは違った……)

 上着を脱ぎ捨てて白いシャツを露わにしながら、何気なくベッドに横たわるエレーナの心の奥底に拡がる動揺。いや、それは興味だった。




 だが、確かに二人の戦士は互いに繋がれていた。そして今、両人は自分達が奏でる旋律について、知る由もなかった。ただ一つ、その思いは再び戦う事を望んでいる事に他ならなかった。


―あとがき・御詫び―

 本当は2月8日の原作アニメ劇場版の公開に間に合わせる予定でしたが、ストレスや寒暖差で体調を崩し間に合いませんでした。遅れた事を御詫び申し上げます。

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