第6話「私」を作った者

 絶望から四か月後、私は産声を上げた。

 彼を忘れることができず、柊と名付けた。

 母、すみれの店に通う度に付けていた柊の形をしたネクタイピンが由来だった。

 心のよりどころが誕生したことで、母はマタニティーブルーに陥ることがなかった。

 最初から私を愛してくれたが、成長とともにその思いは感知できるほど深くなった。

 後に知ることだが、私の名、柊の花言葉は「用心深い」だった。

 わずか七歳で慎重に、かつ細く長く物事を続ける力を身に付けたことで、母はひどく驚いた。

 けれどそれだけが母の誇りではなかった。

 成長すればするほど、私は顔の彫りもあり父に酷似してきた。

 外見だけでなく、ときに大胆に行動する様も父方の血を受け継いでいるからだろう。安田家の人間にはそのような人材は誰一人として存在しない。

 母はそう言った。

 私の大胆な行動というのは、私にとってはそうではない。

 安田家の人間を驚かせているようだが、私には自覚がないようだ。

 その一つが、母の故郷である島を離れて、県内第二の都市に位置する高校へ進学、学生寮に入るというものだった。

 当時の高校入試には地域ごとの合格枠が設けてあり、島に住んでいた私にとっては第一志望校の合格が狭い、狭い門だった。

 それでも私は必死に勉強し、無事に本命校に合格した。

 中学時代からの努力が認められ、県の母子家庭の奨学金を借りることもできた。

 晴れて、私は忌みある島を離れることができた。

 島の土を踏まずに十六年過ぎたが、私は一度もこの島を故郷と思っていない。

 幼いうちに移り住んだ環境は、何に関してもあまりにもがんじがらめだった。


 私が島に移り住んだのは小学二年生だった。

 当初は転校生というだけでクラスメイトから珍しがられたが、その旋風は一瞬にして終わった。

 学校を離れたら、家庭、家族と接触する。

 言いつけられたクラスメイトは一人、また一人と増えた。

 やがて私はクラスでも、部落でも孤立した。

 その理由を、伯母の態度で知った。

 母子家庭の、貧乏な家の子どもとは関わってはいけないということを。

 毎日、伯母は妹である母の目を盗んで私に呪いをかけた。

 「お前の父親はすでに死んでいる」

 「大きくなったら、早く結婚して自分の身分を上げろ」

 「お前の母親は、生まれたばかりの娘に整形手術をさせた。その顔が嫌いならば、母親を恨め」

 そんな私が、駄菓子屋で十円の菓子さえ買えたことは一度もない。洗脳を受けた大人が私の来店を拒否するからだった。

 この環境で、友人ができるはずもなかった。

 どんなに努力をしても、家柄を理由に教師からも受け入れられなかった。

 テストで百点中九十五点を最低点数としても、絶対評価制度を導入していなかったということも相まって、私の五段階評価は常にどの教科でも「三」だった。

 高校の推薦枠に入れるわけがない。私は母の促しも無視して、睡眠時間を五時間に削った。その分、すべての時間を勉強に充てた。

 時間を有効に使えたことだけは、母に感謝している。

 子守という奴隷として親族から使われていた私を憐れんで、自分の実家から離れた部落のアパートに引っ越しをしてくれたからだ。

 その甲斐あって、私は忌々しい島から離れることができた。

 中学の卒業式、私と母は懇親会に参加することなく引っ越しの準備に取り掛かった。

 私の帰省先として、母が六畳二間のアパートを借りることができたからだ。

 引っ越しの日取りは、母が決めた。

 公立高校の合格発表日が卒業式の翌日なので、せっかくならば陸から出発したいと言った。

 滑り止めの私立もAランクで合格していたので、仮に本命の高校が不合格でも良かった。忌々しい島の高校に通わなくて済むのであれば。

  結局私は合格した公立に通うことになるが、島を離れることを長年夢見た母はどちらにしても喜んだと思う。

 中学の制服をゴミ袋に捨てようとした母を、入学前に使うって指示が来ているからと止めたときでさえ、目尻に無数の皺を刻んでいた。母もまた孤独と闘っていたことを痛感した。

 その日の最終フェリーに乗るとき、私たち母子を見送りに来た者はだれもいなかった。

 それでも、私は潮風に促され笑っていた。

 孤独な笑顔ほど、不思議で快感なものだと、この日まで知らなかった。

 十五歳になって三ヶ月後のことだった。

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