ふりそで

加藤ゆうき

第1話凍てつく二十歳

 「ひーちゃん、ごめんね。お母さんがバカでごめんね、ごめんねぇ」

 二十歳の誕生日、母すみれが謝罪を十回、二十回と繰り返した。

 私は怒ることすら忘れた。

 ただ市役所の職員に言われるがまま、紙切れ一枚に捺印するだけだった。


 それから十年間、私はとあるショッピングモールが大嫌いになった。

 幼さの残るレディが蝉のような甲高く振動の激しい声を力任せに出すからだ。

 「見てー! これ可愛くない?」

 「やば過ぎっ! これ、親にローン組んでもらおうっと」

 「ウチはこれにしようかな。どうせウチがお金払うわけじゃないし、金額なんてどうでも良いよね。可愛ければさ」

 無責任にもほどがある喚き声に、私は舌打ちをして、エスカレーターを駆け下りた。

 のんびり安全運転する機械が、私の心のアクセルを察知できるわけがない。

 食料品売り場に辿り着くと、私は枯れた声で鬱憤を吐き出し合うシルバー世代の群れをかき分けた。

 毎日、仕事帰りに見切り品の野菜や肉、魚の品定めをする。

 私、安田やすだひいらぎは勢い良くカーディガンの袖をまくった。

 私だけの日常に気疲れを感じているが、止めることはできない。

 あの騒がしい群れのなれの果てにならないために。

 自分の身は、自分で立てないと。本当に助けてくれる人間など、存在しないのだから。

 肉親でさえも。


 私は地元の公立高校を卒業するまで、母すみれとともに生活保護で命を繋いできた。

 高校在籍時に就職内定を済ませていたので、生活保護脱退の手続きは、私が卒業するときには既に済んでいたと思っていた。

 しかし母は脱退の手続きの存在すら知らず、また私たち母子を担当した職員が二年間まったく自宅訪問をしなかった。

 私の就職内定報告を受けているにも関わらず。

 母の名義で毎月生活保護費が口座に振り込まれ、母は生活費として利用していた。

 その二年間、私は自分の成人式に備えて、振袖代の五十万円を貯蓄していた。

 母に薄給と嘘をついて。

 私の口座の暗証番号すら知られていないはずだったが、ある日突然私の口座残高がゼロ円になった。

 当時ネットウイルスが社会問題として世間を騒がせていたが、私は友人とのメール以外でネットを使用していなかった。自分のガラパゴス携帯電話が感染しているとは考えられなかった。

 私は慌てて職場の近くに位置する携帯ショップに点検を依頼した。

 店員が簡単な作業を開始して三十分。ウイルス感染の可能性はゼロに等しいと診断された。

 念のための検査を依頼するかと訊ねられたが、断った。

 このときの私は判断力が鈍っていたので、後に請求書が送られることを恐れた。

 突然貯蓄を失ったショックが強かった。

 それでも私には銀行に問い合わせをするという選択肢がなかった。

 退勤時間が銀行窓口の営業時間を過ぎていたから。

 また、帰宅直後に明かされた事実により、銀行が私の許可なしに貯蓄を奪ったことが判明した。

 銀行は、市役所職員の指示により、私の口座を操作した。

 当時安田家を担当していた職員は、己の怠惰を棚に上げて、母が不正に生活保護を受給したことを、その返還金の一部として私の貯蓄を押収したことを明かした。

 二十歳の誕生日、成人式を一ヶ月後に控えた冬だった。

 石油ストーブを消していたこともあり、母は失望も重なり体が震えていた。

 主婦をしている母はエプロンを身に付けていても、防寒着の半纏を手放していた。

 職員は四十代の男性だった。表情には同情の欠片も感じられず、ただ私を見つめた。

 「こちらが返還金の合計です。ちなみにこちらは柊さんの口座から引き落とした額を差し引いていません。後日改めて計算し、毎月の納付書を送付します。まずはこちらの同意書に署名、捺印してください」

 私がこれまで目を瞑っていた事実を、一人の男性に見せつけられた。

 公務員の非情と、情に生きる無知な女性の生き様を。

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