第39話 誰もの決意は研ぎ澄まされて

 数字を冠する獣機関マスターテリオンとの共闘を申し出た聖霊騎士オリエルは一路、己が古巣である地中海に居を構える神殿へと舞い戻る。

 天使兵装メタトロンが神殿の開けた敷地へと降り立つ様を見やる姿――機関を纏める司祭は、感慨と羨望を込めて騎士を出迎えていた。


「わざわざのお出迎え、感謝に尽きません司祭殿。オリエル・エルハンド……帰還致しました。」


「礼などには及ばんよ……よくぞ生きて戻ってくれた。君が邪神の浸蝕を受けたと聞いた時にはよもやと肝を冷やしたが――」


「むしろ我らジューダス・ブレイドは、彼らマスターテリオン機関に多大なる感謝を贈りたいくらいだ。」


 憂う事態から帰還した聖霊騎士の手を取り安堵する司祭の男性。

 機関としても、それが誇る最強の一角を失うのは魔に対する最大の守りを失うと同義――何より騎士へ家族として接する機関からすれば、家族を失う事にも繋がるのだ。


 帰るべき場所で家族のいたわりを受けた騎士の面持ちは、それこそしばらく前の彼の雰囲気から大きく変化し……その表情にさらなる羨望を浮かべた司祭の男性。

 すぐさま騎士を引き連れ機関中枢へと足を向けた。


 その先——

 ヴァチカンの有する神殿の奥にある大部屋の扉をくぐった騎士と司祭。

 そこに鎮座する、ヴァチカン本局より訪れた影に気付いた騎士が畏った。


「この度は私めの要請を受諾頂き感謝致します……暗部統括官・枢機卿カーディナル ピエタラッツォ卿。」


「皆まで言わずとも良い……エルハンド。貴君は我らヴァチカンに於ける影の支え……世界の表舞台に立てぬ貴君が、どれ程世界の守護に貢献してくれているかは言うに及ばず——」


「その貴君への援助を、我らヴァチカンが惜しむなど以ての外であるぞ? してや、これから最も厳しい試練へと自ら足を踏み入れんとするのだ——せめて貴君が心置きなく戦える場を作るのが我らの使命である。」


 座する初老の男性は小柄であるが、大らかなる器が端々へ滲み出る。

 枢機卿カーディナル ピエタラッツォと呼ばれた男性はにこやかに騎士を見やる。

 視線には己が我が子を見る様な親心が込められていた。


 にこやかさはそのままに……初老の枢機卿ピエタラッツォは告げる。

 生まれは悲劇であるも——まさに今、正しき門出を踏み出さんとする聖霊騎士の背を押す様に。


「退魔討滅を担う聖霊騎士パラディン オリエル・エルハンドよ。ヴァチカンより正式に、貴君への出向を命じる。かのマスターテリオン機関へその身で赴き——」


「これより訪れるこの地球の危機に対し、彼ら機関との協力の元……見事世界を救済して見せるのである。貴君に主の偉大なる加護があらん事を——エイメン。」


「エイメン……。オリエル・エルハンド——確かにその命、承りました。」


 うやうやしくこうべを垂れ、初老の枢機卿へ溢れんばかりの謝意を送った聖霊騎士。

 程なく——出向の最終準備のためにその大部屋を後にした。


「世界を……未来を頼むのである。輝ける希望の使徒よ。」


 主への祈りと未来を背負う騎士への羨望を、天空を見上げる様に送った初老の枢機卿は……未来ある明日が訪れる様ただ一心に——

 願いを込め双眸を閉じたのだった。



§ § §



「どうしたんだ?シエラさん。急に俺を呼び出すなんて。」


「ああ、ごめんなさい。少し……話しておきたい事があって。」


 あのエルハンド卿への勧誘に成功した日より、少し経った夜の事。

 私は諸々のケジメと彼を呼び出していた。

 邪神襲来の気配が無いとは言え、予断を許さない現状——故に今を置いて他にはないと踏み切った。


 最初は私との会話の度に嫌悪からか眉根を寄せていた彼も、今では当たり前の様に接してくれ……聞き及ぶ彼が宿した超常の力ですでに私の表象を知った上での対応と思考していた。

 現に——


「構わねぇけど、シエラさんも根を詰め過ぎんなよ?皆あんたの事を心配してくれてるんだ……。俺も出来ることなら協力するから——」


「ふふっ……。」


「……って、何で今笑ったよ(汗)」


 いたわる思い溢れる彼が漏らした言葉も、機関員が贈ってくれる配慮と被る事となり……それが可笑しくって苦笑を零した。


「いえ、悪気はないわ。界吏かいり君が機関員皆と同じ様な言葉をくれたものだから、つい……ね?」


 そんな彼との会話は今までの自分が嘘の様に、スラスラと言葉が浮かび……気付けば気兼ねない友人と話す様に変化していたのを自覚していた。


 だからこその今。

 彼を心から信頼できると自分が思えるからこそ、それを口にする。

 私の——本当の意味での贖罪を果たすために。


「私は先のアリスとの会談で、ほぼ問答無用の門前払い同様で追い返されました。」


「……はぁ。オリエルと言い、シエラさんと言い——俺はお悩み相談所の職員でもなんでもないぜ?」


 苦笑を漏らす彼も、それは冗談だと視線で訴えて来る。

 それを見る限り彼自身は……私であれあの聖霊騎士であれ——表層意識で事をあらかた察そうとも個人が自ら発する発言を重んじる。

 そんな矜持きょうじめいた物を感じ、自分がどれだけ彼の本質を知らなかったのかと恥ずかしさすら浮かんだ。


 そう思考するからこそ私は彼へ……前に進むための大切なキッカケとなる言葉を紡いだんだ。


「けれど……今後激化する邪神との戦いを乗り越えるためには、なんとしてもアリスの力添えを取り付けなければマスターテリオン機関の——」


。だから私はもう一度——彼女の元へと赴き……力添えを頼み込んでみようと思います。」


 そこまでを聞き届けた彼の双眸が僅かに見開き——

 そして静かに閉じた後、私も全く思考しえなかった言葉が放たれた。


「そうかい……。ようやくシエラさんも自分を支える者の姿が見える様になった……って事だな。じゃあ案外、アリスもそれを——」


待ってるかも知れないぜ?」


「……!?アリスが、私を……——」


 放たれた言葉は私の脳裏へ閃きを呼ぶ。

 贖罪を果たす事に心を奪われていた自分では、決して到達出来なかったその解を……彼の言葉はいとも簡単に導き出した。


 ずっと彼女に恨まれている……失望されているとさえ思い込んでいた私を——

 彼が私を……闇の底から救い出す様に——


 語られた言葉の意味を噛みしめる様に、僅かの沈黙を経た私。

 心を覆っていた闇が霧散したのを感じたその身で、彼へと告げる。

 私の前に現れた……人類と——そして私を救済せんとする草薙家 表門当主へと。


界吏かいり君……ありがとう。私は明朝を待ってアリスの元へ向かいます。あなたが教えてくれたその解を引っ提げて——彼女にとっての、……。」


「ああ、了解だ!その間邪神が万一襲来しようと、シエラさんは自分が成すべき事を成してくれ。今はオリエルの協力もある——」


「それで邪神を屠れるほど甘くないのは百も承知——だがきっと、シエラさんの帰る場所を守り抜いてみせる。アイリスと……機関の家族と共にな!」


 見開く双眸へ頼れる気概をみなぎらせ、当主様は私へと宣言する。

 気が付けば全てを託す様に、彼の引き締まる胸元へと顔を埋めていた。

 それは目尻に浮かんだ雫を見せまいとする……過去にさいなまれていた私の、最後の強がりだった。



§ § §



 大西洋を朝日が照らすか否かの時間。

 盾の大地ヒュペルボレオスのメイン大通路を罪に舞う少佐シエラが歩いて行く。

 もう一度、かの観測者であるアリスより蒼き星防衛に足る力移譲を取り付けるため。


 だが……今までの焦燥と孤独に蝕まれた彼女はもうそこにはいなかった。


「では界吏かいり君、そしてアイリス……後はあなた方にお任せします。そして局長——」


「皆まで言う必要はない。君が決めた事だ……胸を張りたまえ。」


「シエラ様、私とマスター ——そして騎士様にヒュペルボレオスの皆さんにお任せ下さい!今のシエラ様は決して一人ではありません!」


「ありがとう、アイリス。あなたを信頼します。」


 大通路からヘリポートへと至る出口へ、救世の当主界吏人ならざる少女アイリス——そして盾の局長慎志が居並んだ。

 それはただ見送る面持ちでは無い……罪に駆られた少佐が、新たな一歩を踏み出すその背を送り出すためである。


 すでに人ならざる少女を大切な友人として扱う少佐は、そのたおやかな体躯を抱きしめありったけの感謝を贈る。


 それを見届ける様に、少佐が今より進む道へと視線を向けていた救世の当主は——振り向きざまに……少佐より貰い受ける事になった。


「今のシエラさんならきっと大丈夫。アリスはきっと力を貸してくれるさ。だか——っ!?」


「……。これは私を救ってくれた事への感謝とお礼です。じゃあ、界吏かいり君……行って来ます。」


 不意打ちにて

 目にした人ならざる少女も頬を紅潮させて双眸を手で覆った。

 盾の局長に至っては「若いな……。」との意味深な言葉を漏らし——

 一行を尻目にきびすを返した少佐の双眸は、すでに決意を遥か先の友人の元へと飛ばしていた。

 程なく輸送ヘリに搭乗した少佐は英国本土へと進路を取る。



 そして遥かなる天空。

 誰も知らぬ次元の狭間でまた一つ……輝くトラペゾヘドロンが組み上がって行く——

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