第34話 言うべきことと言わなくてもいいことって、あるでしょ!?
〈登場人物〉
マイ……中学1年生の女の子。色んなことに腹を立てるお年頃。
ヒツジ……人語を解すヌイグルミ。舌鋒鋭め。
〈時〉
2021年4月下旬
マイ「RADWIMPSのヴォーカルの野田洋次郎さんが、三度目の緊急事態宣言に対して、『聞く気になれねぇ』ってツイートしたのが、波紋を呼んでいるみたい」
ヒツジ「RADWIMPSって有名なバンドなのか?」
マイ「知らないの!?」
ヒツジ「JROCKは、BUMPしか聴かないからな」
マイ「BUMPは知ってて、なんで、RADは知らないのよ。そんなことある?」
ヒツジ「それで? そのバンドマンが緊急事態宣言について、何をツイートしたって?」
マイ「聞く気にならない、って言ったのよ」
ヒツジ「ほお……」
マイ「…………」
ヒツジ「それで?」
マイ「それが問題になっているの」
ヒツジ「何が問題なんだ? アーティストにだって、当然に、政策批判する権利はあるだろう。表現の自由だ。緊急事態宣言が気に食わない、聞く気にならないっていうなら、それを言って悪いことなんて何も無いだろう」
マイ「あのね、あんたみたいなヌイグルミとか、その辺のおじさんが言うんなら別にいいでしょうよ。何の影響力も無いんだから。でもね、野田さんは、若者に絶大な影響力があるんだから、彼の発言のせいで、みんなが緊急事態宣言を聞かなくなったら、どうするのよ?」
ヒツジ「どうするって、そのときは、法律によって処理されるだけだろう。それの何が問題なんだ」
マイ「……あんたさ、緊急事態宣言の効果、ちゃんと分かってるの?」
ヒツジ「ちゃんとかどうかは知らないが、酒類を提供する飲食店に休業要請したり、イベントを無観客開催にしたり、交通事業者に減便を求めたり、外出の自粛を求めたりってことだろう」
マイ「分かってんじゃん。問題は、最後の外出自粛を求めるっていうところにあるのよ。それって、ただ自粛を求めるっていうだけだから、自粛しないこともできるわけ。そうすると、野田さんの発言を聞いてさ、『そうだそうだ、緊急事態宣言なんて聞いてられるか』と思った若者が、自粛しなくなっちゃう可能性が高くなるかもしれないでしょ。それが問題なの」
ヒツジ「それが問題だって言っても、緊急事態宣言には、別に外出を強制的に控えさせる効果が無いんだから、それはそれでしょうがないだろう。そういうものなんだから」
マイ「そういうものなんだからじゃ済まないでしょ。それで、感染が広まるかもしれないんだからさ!」
ヒツジ「そんなに強制的に外出を控えさせたいんだとしたら、諸外国みたいに、強力なロックダウンをすればいいじゃないか。何で、そうしないんだ?」
マイ「何でって……それは分からないけど、まあ、法律が無いからできないんじゃないの」
ヒツジ「じゃあ、法律作ればいいだろ」
マイ「そんなプリン作るみたいに簡単にはいかないでしょ。外出を禁止する法律なんて」
ヒツジ「だとしたら、別に法律で禁止されているわけじゃないんだから、若者が外出自粛しなかったとしてもやむをえないじゃないか」
マイ「法律で禁止されていなければ何をしてもいいって言うの!?」
ヒツジ「いや、そんなことは言っていない。法律で禁止されていなくてもしてはいけないことはある。浮気なんてものはその最たるものだな。もっとも、浮気なんてものがなんでそんなに重大なこととして取り沙汰されるのかは理解できないがな。まあ、とにかく、法律で禁止されていなくてもしてはいけないことがあるのは確かだ。しかし、法律で禁止しなければ、その辺の若者を抑止することなんてできようがない」
マイ「なに? よくし?」
ヒツジ「法律で禁止されていない行為までしないようにと若者に求めるのは、酷だということだ」
マイ「別に酷じゃないでしょ。感染広まるかもしれないんだよ! 自分とか家族の命に関わることじゃん!」
ヒツジ「総じて、そういう人間は、自分だけは感染しないと思っていたり、感染しても軽症で済むんだと高をくくっているものだから、そういう説得は効果を持たないだろうな」
マイ「そうだとしたらさ、今回の野田さんの発言は、そういう考えない若者に対してやっぱり影響力を持っちゃうからマズイってことにならない?」
ヒツジ「まあ、外出を控えないことによって感染が広まるということが事実だとしたら、確かにそうも言えるかもしれないな」
マイ「ほら!」
ヒツジ「しかし、そうだとしても、だからといって、今回のようなツイートはすべきではなかったとは言えない。外出自粛を要請されている上に、表現の自由まで制約されたら、そんな要請や制約を全く聞かない人間には関係ないだろうが、外出を控えている良識がある人はストレスがたまってしょうがないだろう。外出自粛を守っている上に表現の自由まで制限されて、良識のある人の方が余計に損をすることになるというのは、理不尽じゃないか?」
マイ「でも、影響力があるんだから、ある程度は、しょうがないと思うけど。演出家のテリー伊藤さんは、野田さんのツイートに関して、『多分野田さんの言ってることはみんな思っている。でも僕らがここで言っちゃったらみんなそうする』って言って、批判してるしね」
ヒツジ「つまりは、緊急事態宣言に対しては批判しても始まらないから、口をつぐんで、じっと耐えるしかないってことか?」
マイ「そこまでは言ってないと思うけど」
ヒツジ「同じことだろ。この種の、有名人が政治について何か言ったことが取り上げられるといつも思うことだが、そんなことを槍玉に挙げることに一体何の意味があるんだ。取り上げるなら、政策それ自体を取り上げるべきであって、政策についての有名人のツイートなんてものを取り上げたって仕方ないだろう。政策を論じるんじゃなくて、政策に関するツイートを論じるなんていうのは、音楽を批評するんじゃなくて、音楽のレビューを批評するようなもんだ。そんなことして一体何になるんだ?」
マイ「じゃあ、あんたは、言いたいことがあったら、どんな立場であっても、どんな状況であっても、何を言っても許されるって言うの?」
ヒツジ「いや、そんなことは言っていない。言うべきことと、言わなくてもいいことというのは、厳然として存在する。しかし、それをきちんと見分けて、言うべき時に言うべきことを言うのには、能力が必要なんだ。その能力が無い人にまで、それを求めても仕方が無い。それこそ、言うだけ無駄で、言わなくてもいいことということになるのさ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます