第26話 クモと児童相談所
〈登場人物〉
マイ……中学1年生の女の子。色んなことに腹を立てるお年頃。
ヒツジ……人語を解すヌイグルミ。舌鋒鋭め。
〈時〉
2018年12月
マイ「南青山に児童相談所が建設されることに対して、地元住民が反対しているっていうニュース見たよ」
ヒツジ「賛成している人もいるけどな」
マイ「そっちはいいけど、反対している人たちっていうのは、あれ、何なの? なんで児童相談所の建設に反対するわけ? ブランド力が下がるとか何とか訳分かんないし」
ヒツジ「これはなかなか興味深い問題だな」
マイ「どこがよ?」
ヒツジ「この問題によって、色々と考えられることがあるんだよ。ちょっと考えてみるか。まず、第一に、反対派の最も素朴な感情としては、『なんで余計なことをするんだ』っていうものだろうな」
マイ「余計なことって……児童相談所作るのは何も余計なことじゃないじゃん!」
ヒツジ「しかし、これまでは無かったわけだ。これまで無しで済ませてきたわけだから、別に今後もいらないだろうというのは、気持ちとしては理解できるだろう?」
マイ「それはそうかもしれないけど……でも、これから必要になってくるかもしれないわけでしょ? ていうか、必要性があるから、作るわけなんだからさ」
ヒツジ「必要性を認めたとしよう。では、第二にだ、仮に必要性を認めたとしても、どうして自分たちの住むところの近くに作るんだというのが、彼らが次に頭に思い浮かべることだろうな」
マイ「じゃあ、他にどこに作れって言うのよ?」
ヒツジ「だから、どこか別の場所だろう。自分たちから見えないどこか遠くだよ」
マイ「そんなの卑怯じゃん!」
ヒツジ「確かに卑怯だ。しかし、この卑怯に類することを、南青山の反対派住民以外の日本国民もしている、あるいは、していた、と言ったらどうする? 見たくないものを遠くにやるということを」
マイ「何のこと? わたしは、そんなことした覚えないけど」
ヒツジ「たとえば、在日米軍基地というものがある。米軍基地に必要性があるかどうかは議論の分かれるところだろうが、現に存在する限りは必要性があるということにしておこう。この米軍基地のおよそ75%が沖縄に集中しているという話だが、これは、米軍基地という『見たくない』ものを、沖縄以外の国民が、沖縄という『遠く』に押しつけていると言えるんじゃないか?」
マイ「それは……」
ヒツジ「たとえば、原発というものがある。福島第一原発の事故は記憶に新しいところだが、あの原発だって、なぜ福島に作ったんだ? それは、原発の必要性を認めながらも、それを『見たくない』都市部の人間が、福島という『遠く』に押しつけたからじゃないのか?」
マイ「……じゃあ、なに? 南青山の反対派の人たちのことを非難できないっていうわけ?」
ヒツジ「非難なんかいくらでもすればいい。問題は、あれを非難している人間が、意識しないうちに、同様のことをしている可能性があるというそのことだ。つまり、同じ穴のムジナ、目くそ鼻くそを笑う、だ」
マイ「……まだ何か考えられることあるの?」
ヒツジ「まだある。では、なぜ、人はあるものを見たくないと思うのか。在日米軍基地や原発や児童相談所をどうして見たくないのか」
マイ「どうしてよ?」
ヒツジ「いくつか考えられることはあるだろうが、コントロールができないというのが大きいんじゃないか」
マイ「コントロールできない?」
ヒツジ「人はコントロールできないものを不気味に思うもんだ。不気味なものは見たくない。在日米軍基地も原発もそれぞれコントロールが及ばないものだろう? コントロールが及んでいたら、それらにまつわる事件や事故は起きていないはずだ。児童相談所もコントロールできないものだと思っているんだろうな」
マイ「だって、児童相談所って区の施設なんでしょ? だったら、区がコントロールするはずでしょ」
ヒツジ「住民はできないわけだ」
マイ「そんなの当たり前じゃん」
ヒツジ「その当たり前が嫌なんだろう。自分たちのコントロールの及ばないものが、自分たちのすぐ近くにできるということがな」
マイ「バカじゃないの」
ヒツジ「これが、それほどバカげた話じゃないんだ。身近な例を出してやろう。たとえば、今お前の机の上にクモがいたとする」
マイ「えっ!? クモ!? どこ!?」
ヒツジ「たとえばの話だ」
マイ「なんだ……おどかさないでよ!」
ヒツジ「もしいたらどうする?」
マイ「決まっているでしょ、お父さん呼んでつぶしてもらう」
ヒツジ「なんでクモをつぶすんだ?」
マイ「なんでって……それ以外、どうしろって言うのよ」
ヒツジ「部屋の中に、クモがいちゃいけないのか?」
マイ「いけないに決まってるじゃん!」
ヒツジ「話によると、クモってのはハエやカを捕まえてくれる、人間にとっては益虫らしいぞ」
マイ「そんなの関係ない! わたしの部屋に、クモなんかいちゃだめなの!」
ヒツジ「それがつまり、コントロールできないものを嫌うというそのことなんだよ。お前は、お前の部屋というコントロールできる領域の中に、コントロールできないものがいることが気に入らないんだ。その延長線上に、児童相談所なり、原発なり、米軍基地がある」
マイ「そんなの全然話が違うじゃん!」
ヒツジ「いや、そんなに違った話じゃない、根は同じだ。さて、他に児童相談所を見たくない理由だが、それは児童相談所が汚れたものに見えるからというものも挙げられるだろうな」
マイ「本気で言ってるの!?」
ヒツジ「オレがそう思っているわけじゃない。彼らにそう見えているだろうと言っているだけだ。児童相談所というのは、何かしら問題を抱えた児童が行くところだ。そういう問題を抱えた児童が通うところという点で、汚れたものに映っているんじゃないか?」
マイ「問題を抱えたって言ったって、別に自分から抱えたわけじゃないんだよ。周囲の大人のせいで抱えさせられたわけじゃん……それを汚いって思うなんて信じられない」
ヒツジ「信じなくてもいいが、人間に、理由は無いけど何となく汚いと思う気持ち、いわゆる生理的な嫌悪感というものがあることは、お前も認めるだろう」
マイ「それは認めるけど……」
ヒツジ「それを、反対派住民は、児童相談所に通う子どもに対して感じているのかもな」
マイ「仮にそう感じていたとしても、それじゃダメでしょ! 人間には理性があるんだから!」
ヒツジ「理性の力によって、そういう感情を乗り越えていく。まあ、理想だな。達成できるかどうか」
マイ「絶対にできるし、少なくとも、わたしはそのために努力してみせる!」
ヒツジ「だとしたら、お前の場合は、クモから始めるのがいいかもな」
マイ「…………え?」
ヒツジ「あるだろ、クモに対して生理的な嫌悪感が。これから、部屋の中にクモが入ってきてもつぶさないようにしてみろ。生理的な嫌悪感を得ても、別にクモは何か悪さをする虫じゃないんだ、つぶす必要性が無い。理性によって、感情を乗り越えようとするって言うなら、クモをつぶすっていう感情的行為を、理性によって抑止して、そっと外に逃がしてやるとかなんとかしてみるんだな」
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