第16話 アトリエにて

 大きなため息が、誰もいない店舗の中へと吸い込まれていく。その大元であるエリーはというとはしたなくもその上半身のほとんどをカウンターの上と預けるような形でいた。うららかな午後というのはどうにも人からやる気を削いでしまう。さらに、そこへ眠気を塗り付けてくるのだからこうなるのもしょうがないのかもしれない。


 そもそも、今日のエリーは寝不足なのだ。昨日は朝から依頼を受けてもらうために街中を駆けずり回り、昼から夕方にかけては何とかほかのモノを代用して薬ができないかと奮闘していた祖母と叔母を手伝っていた。


 そして、夜。エリーはオルレオから受け取った竜頭草を錬金術ギルドへと持って行った。そこでは各工房がありとあらゆる手段を通じて集めてきた竜頭草をいったん集めて、それを再配分。持ち帰った各工房では今も全力稼働でハルパ熱の特効薬を創っている。


 現に、エリーの祖母と叔母は今でも不眠不休で錬金を行っている。普段ならば手伝いに入ることもできるのだが、今回は原料の数が限られており、失敗ができないという理由で、エリーができることは無くなった。


 その分、今日は普段は3人がかりでやる工房の仕事を一人でやりきった。その甲斐あってというか、そのせいでというか、今のエリーは疲労と寝不足と後はお昼を食べた満腹感でぐったりとなっている。


 ぐったりと言えば、昨日のアイツはどうしているだろうか、普段ならば考えもしないようなことをエリーは考えだしていた。昨日のアイツ、とは、つまりオルレオのことだ。

 実際はそんなに傷を負っていないといっていたが、昨日のオルレオはエリーの目から見ればどうみてもズタボロだった。手に括り付けたバックラーはもはや使い物にならなくなっていたし、革鎧なんかもあちこちに傷がついていた。出かける前には新品同様だったというのに、だ。


 オルレオは本来、受け取るべき報酬よりもかなり格安なのに依頼を受けてくれたのだ。いつか何かしらのお礼をしなければならないだろう、とそこまでをエリーが思ったところで、キイっと小さく扉の開く音がした。


 慌ててカウンターからガバリと身を起こして軽く身だしなみを整えれば、入口に、先ほどまでエリーが思い浮かべていた姿があった。


 オルレオだ。その左手には真新しいバックラーが括り付けられている。入り口付近でキョロキョロと視線を彷徨わせるその姿は、まるで初めてのお使いに来た小さな子供の様だ。


「いらっしゃい」


 見かねたエリーが声をかけると、オルレオは少しだけビクッとしたが、すぐに肩から力を抜いて笑みを浮かべた。朗らかな笑みだ。昨日の勇ましさが嘘のように柔らかな雰囲気をまとったまま、オルレオは店の中をズカズカ大股で歩いてくる。


「よかった、エリーが居てくれて」


 にこやかに笑いかけながら発せられた言葉に、今度はエリーがビクッと身体を震わせた。


「ポーションの類を買いたいんだけど、やっぱり知っている人の方が聞きやすくてさ」


 フッと、思わずエリーは鼻で自分を笑った。ドキリとしたのがバカみたいだ。


「まあ、いいけどさ…ん?」


 自分の気持ちを切り替えようとしたところで、エリーは気づいた。


「ってことは何?あなた、昨日、ポーションも何も持たずにダヴァン丘陵まで行ってたの?翼竜ワイバーンがいるって知ってて?」


コクリ、とオルレオが頷いた。


「アホかーーーーーー!!!」


 小柄な体のどこから出ているのだろうかと不思議なほどの怒声が響く。


「いい!?ポーションとか解毒薬アンチドーテは持っているかいないかで生還率が大きく変わってくるの!それを疎かにするなんて、絶対にダメ!今のうちからしっかりと準備する癖をつけときなさい!」


 その剣幕に、オルレオは少しばかり気おされながらもしっかりと頷いた。


「うん、さっきクリス…冒険者ギルドの担当からもきつく言われたからさ、とりあえず…ヒールジェルとポーション、後は解毒薬アンチドーテの三つをお願い」


 オルレオがガサガサとメモを広げたかと思うと、いくつかの商品を読み上げた。どうやら、必要なのは何かについてはきちんと事前に調べてきたようだ。エリーはまた少し、オルレオに好感を持った。


 オルレオが調べてきた三つは冒険者ならばどこに行くときも持ち歩くもの、いわゆる基本セットだ。

 エリーはカウンターからすたすたと歩きだして、店内の棚から小さな丸い容器を三つと大きなものを一つ取ってオルレオに手渡した。


「それがヒールジェル。傷口に塗り込んで使う薬ね。乾燥に弱いから、開けたらしっかりと閉めること!効果は止血と傷の治癒。後、消毒もしてくれるから休憩するときなんかに使って。あと、小さいほうが携行用で、大きいほうは宿にでも置いといて帰ってきてから使うように!」


 ついで、カウンター近くから、革で補強された瓢箪を6つ取り出す。それぞれ、赤と青に色が塗り分けられている。


「こっちの青いのがポーション、これについては戦闘中なんかに傷を負って急いで処置しなきゃいけない時に飲むこと。止血作用と造血作用、それと鎮痛作用があるから何とかなるとは思うけど、戦い終わってからきちんとヒールジェルで傷を塞ぐこと!」


 頷くオルレオにエリーは何だか得意げな気持ちになってくる。


「それで、こっちの赤いほうが解毒薬。外の獣や魔獣なんかは毒や感染症を持っていることが多いから、身体に異変を感じたらすぐに飲む。それから外から街に着く前にも飲む。いい?」


 いい?の声に合わせるようにオルレオの頭が縦に振れる。それをみてエリーも首を縦に振る。


「注意してほしいのは、強力な毒とか特異な病気には効きづらいってこと、もし、今後、何か魔獣や獣を討伐に行くときには、必ず毒や病気の有無を調べて対策を講じること。いい?これはあたしとの約束」


「うん、わかった。約束するよ」


 お互いに大きく頷く。


「・・・で、これって全部でいくらくらいになるんでしょうか・・・?」


 控えがちなオルレオの質問に、エリーは頭を捻ることになった。なんせ昨日あれだけ世話になったのだ、できれば値引きをしてあげたい。しかし、勝手にそんなことをすればまず間違いなく祖母と叔母に怒られる。どうしたものか、とエリーが頭を抱えたその時、ドンと店の奥、工房の作業場へと通じるドアが開かれた。


「こんにちは、あなたがオルレオ君?」


 出てきたのは年かさの、随分と溌溂とした女性だった。軽く頭を下げて挨拶をしたオルレオにうんうん、と何度も頷いた女性は、次に。


「それじゃあ、ちょうどいいわ、明日、あなたに指名で依頼を出すから受けて頂戴、そしたら、今、君が持ってる商品、全部報酬としてあげちゃうから」


 実に楽しそうな顔でそう言ってのけた。

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