第3話 朝、山小屋にて
山林の朝は意外とけたたましい。朝を告げる鳥たちの囀りや、獲物を狙って飛び立つ羽音がまだ薄暗く靄のかかった空気を震わせあたり一面に響き渡る。
昨夜の師とのやり取りのあとで、すぐに寝入ったオルレオはいつもどおりにそんな喧騒の中で目を覚ました。
山小屋の中二階、いわゆるロフトと呼ばれる造りに近い、屋根下の梁に床板を張って拵えた小さなスペースがオルレオの塒だ。
寝ぼけたままに眼をこすりながら着替えを済まそうとしたところで、階下からかすかに物音が聞こえてきた。
この小屋にほかに住んでいるのが師だけであることから、師であるのは間違いないはずなのだが、普段であれば日が昇るまで起きだすことのない男が自分より早く目を覚ますとは考え難い。
しかし、侵入者というのは考えられない。
師には及ばずとも気配を察知する術は身に叩き込まれているし、何よりこの山を切り開いて出来た一帯に何者かが立ち寄れば師が察知して何らかの行動を起こしているはずだ。
ならば、やはり、先ほどから小屋の中で感じる気配は師で間違いあるまい。そう結論付けたオルレオは階下から漂う朝餉の香りに誘われるように、ロープを使いスルリと音を立てずに降りて行った。
しかして、オルレオの両目に映し出されたのはいるはずがないと思っていた他人、それもうら若きご婦人であった。
「あらあら、まあまあ、もう起きてこられたのですね。あの人に躾けられていると伺っていたからてっきりお寝坊さんかと思ってましたのに」
見た目とは打って変って落ち着きをたたえたその女性は両の手を後ろに回してエプロンのひもを外そうとしているのだろうか。
しかし、そんな予想とは関係なしにオルレオの全身は緊張に満ちていた。脚を開き、腰を引き、両の手から力を抜くようにしていつでも動き出せるように準備を整える。
一切の油断も予断もなしに、眼前の出来事に対応できるように備えたオルレオは、ニコリと笑う女性の口元をしかと見届けて、次の瞬間にはその姿を見失った。
あとに残されたのは、食卓に残されたまだ湯気の立つ朝食と、先ほどの女性が着けていたエプロンだけだ。
どれだけ目を凝らそうとも姿を捉えられず、どれほど神経を集中しても、どこからも女性の気配を感じることはできなかった。
何事が起きたのか、未だに理解できないでいたオルレオを現実に引き戻したのはキィっと小さく鳴った出入口の扉の音と
「そんなところで呆けてどうした」
ザックを肩に掛けた師の声だった。
師は部屋の様子を一瞥すると、瞬時に何事が起きたのかを把握したようだった。大仰なため息を一つついたかと思ったら、床に落ちたエプロンをおもむろに拾い上げ、そのまま灰の残った暖炉へと投げ込んだ。
しかし、エプロンはひょいっとその目前で何者かに拾い上げられた。
「ったく、相も変わらず…」
「それはこちらの台詞です。物は大切にするようにとどれだけ申し上げたことか…」
消えた時と同様、いつの間にやら暖炉の前に現れたのは先ほどのご婦人、―どうやら師の知人であるらしい。
ならば、多少おかしくても問題あるまい。いや、師の友人でまともな人間というのは今に至るまで見たことがないのだから、普通なほうが異常であるのか。
オルレオは、一旦は眼前で消えて、いつの間にか現れた女性についても得心がいくとほっと胸をなでおろした。
「なにやら失礼なことを考えてはおりませんか」
「いえ、特には、そのように見えてしまいますか」
「…お前は顔に出やすいからなぁ、しかも大抵は語るに落ちる」
そうだろうか、と思うものの、オルレオにとって深くコミュニケーションをとることがあるのはここにいる師ぐらいなものだ。
比較できる相手がいないことには自分がどんなタイプなのかはわからないしそもそも他の誰かと円滑にコミュニケ―ションを取れるかどうかも不安なところだ。
「で、持ってきたのか」
肩に掛けたザックを入口近くへ無造作に放り投げ、ドッカと食卓についた師は此度はいつの間にやら向かいに着席している女性へと問いかけた。
「ご要望通りに、でもまずはお食事にしましょうか」
恐る恐ると食卓についたオルレオは卓に並べらた料理を目にしてじゅるりとよだれをたらしそうになった。
自分や師が作った見た目や味、香りといったものを度外視した料理―いや、今となっては料理と呼ぶも烏滸がましいそれとは根本から違っていた。
思えば、女性の手料理を食べるのは、師に拾われてからは初めてではなかろうかと、思えば随分と長いこと師の下で暮らしたものだと思う。
「朝っぱらから気合入れて作りすぎだ」
「何を仰いますやら、朝食は一日でもっとも重要な栄養源ですよ。粗食ですますのは御法度です」
人が少し物思いに浸っている隙に、大人二人はパクパクと食べ進めている。
このままのでは、あらかじめ取り分けられているにもかかわらず自分の料理まで手を付けられかねない、勢い着けて食べ始めたオルレオは一瞬、急いで食べるのはもったいないのでは?という考えがよぎったものの朝餉を腹に収めていった。
ごちそうさまでした。と声をかけて食器を小屋の外、井戸の近くにある洗い場まで持っていったオルレオが戻ってくると、部屋の中央に見慣れない装備が並べられていた。
「左腕に着けるバックラー、手持ちのラウンドシールド、カイトシールド、それにこの子が振り回していたという大盾―タワーシールド、とりあえずはどれも市販で手に入るものを仕入れてきましたけどお間違いはないでしょうか」
にこにこと笑って言うご婦人ではあるがいったいどこにこれだけの質量を隠し持っていたのであろうか。
「ああ、そういえば紹介すんの忘れてたな。この女は俺の昔馴染みでな。こんななりで俺と同年代で、ついでに凄腕の魔法使いだ」
「ついでにいうべきことじゃないでしょう。っていうか、師匠って同年代!?めっちゃ若く見えるんですけど…」
師をジロリとにらんだかと思えば、オルレオの言葉に、あらあら、と頬に手を添えて照れているご婦人に、そういえば挨拶すらしていないではないかと気づいた。
「オルレオって言います。食事ごちそうになったのに挨拶すら忘れててすいません。ていうか初対面の人に食事の準備から何からさせてすいません」
本当に今更なタイミングでの自己紹介である。
「あらあら、初対面ではないのですよ、あなたが小さなころには幾度も会っているのですから。でもまあ覚えていないでしょうねえ本当に小さかったですから」
にこにこと笑うご婦人は己の腰付近で手をひらひらとさせていた。
あれぐらいの背格好の年頃であるならばおそらくは師に拾われたころであろうか。
「アデレード・フォスターと申します。主にはこの山の麓、レガーノで魔導具を扱う商店を開いております」
流麗なしぐさでお辞儀をして見せるアデレードにオルレオは少し見惚れてしまった。
育ちが良いのかそれとも研鑽を積んだのか、見るものに好印象を与えるそのしぐさは山で男一人に育てられたオルレオには衝撃的であった。
「で、頼んでたものはどこだアディ」
並べられていた盾を検めていた師は納得がいったのか腰に手を当ててアデレードを振り向いた。
「はいはい、今取り出しますので少しお待ちを」
そういって、アデレードは自身の胸の谷間に手を差し入れると、そこから入るはずもない大きさの片手剣をすらりと引き抜いた。
「なんでそんなところから出すかね、お前さんは」
しっかりと胸元をガン見していたくせに文句を言いつつ、師がアデレードから受け取った剣を鞘から抜いた。
刀身が光を受けて鈍い輝きを放つ。両刃の剣は盾を持った状態で振り回すことを考えてか幅が狭く、さらには柄尻に石突めいた打突部がついている。
「ガイが頼んできたように、かなり重くなるように打ってもらったけど本当にこれでいいの」
久しぶりに師の名前を聞いた気がする。
「おい」
そういって師が投げ渡してきた片手剣は
「重っ!!」
思わず声をあげてしまうほどに重かった。
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