三、



 それを皮切りに、次々に打ち込まれる銃弾の中を、姿勢を低くした平蔵は変則的に走った。

 片時でも足を止めたら的になる。平蔵はそれを覚えている。

 だが、背後では煌々と倉が燃えており、姿は丸見えだ。

 早く離れなければならない。


「火付け盗賊改めである! 御法度である賭博に加え、世間を騒がせる輪天薬販売の疑いあり! よって召し捕らえる! 抵抗すれば斬る!」


 平蔵は、ちらとその声の方向を見た。

 物々しく戦装束に身を包み、陣笠をかぶった男と目が合った気がした。


「そこの者、待て!」


 手先らしい男の声には従わず、平蔵は庭木の密集した区域に飛び込んだ。

 ほとんど手入れしていないのか、埋もれるほどの草木の中を進む。

 背後から追ってくる気配を感じていたが、ふと追撃の気配が弱まるのを感じた。


「なんだこの鳥っ」

「ぎゃあ!?」


 手先たちが動揺し、二の足を踏んだことで、距離は離れたが、しかし、眼前には塀が迫っていた。

 高さは約七尺(約2メートル)ほど。

 平蔵は下げ緒を外し、鞘ごと刀を引き抜いた。


「神妙にお縄につくが……!?」


 走る勢いを緩めないまま、刀を塀に叩き付ける勢いで立てかけると、その柄頭に足をかけた。

 柄頭を足場に飛び上がれば、ぎりぎり塀の屋根へと辿り着く。

 素早く片手に持った下げ緒をたぐり寄せて回収し、塀の向こうへと飛び降りたのだった。

 胸に宿る暗い確信を押し殺して。










 平蔵が待ち合わせ場所である民家へ向かうと、鎬がぱっと表情を輝かせた。


「平蔵さんっ! よかったご無事だったんで、す……?」


 鎬の声は、平蔵が障子戸を乱暴に叩いたことで、遮られた。

 平蔵は鋭い眼差しで、虚神狩りの少女を射貫いた。

 そこにかろうじてあった友好的な気配は全くない。


「てめえ、あそこに虚神憑きがいるとわかっていやがったな」


 平蔵は鎬が小さく息を呑むのを見逃さなかった。


「土竜の野郎が虚神憑きだってそぶりをしていやがったが、てめえは一度も土竜が、とは言わなかったな。あそこに虚神憑きがいるかどうかって言ってやがった。そんなまどろっこしいことをしてまでなにがしたかったんだ」


 違和の正体に思い至ったのだ。あの屋敷には夜目が利かないはずの鳥が何羽もいた。

 そして以前平蔵は、鎬が鳥に似た不可思議なものを作り出し、仲間と連絡を取るのを見ていたのだ。

 決定的なのは、逃走時に火付け盗賊改めの手先たちの妨害をしたのは、彼らの仕業だろう。

 ちぐはぐなやり口は、平蔵の不信感を深めるのに十分すぎる材料だった。


「そ、れは……」


 言葉に窮する鎬を平蔵はさらに追求しようとしたが、奥からぼう、と人が現れた。


「それは私から説明しよう。蘇芳の抜き手よ」


 すう、と部屋の闇から現れたのは、不惑に達するか、と言うほどの男だった。

 弱い明かりの中でも、かなりの修羅場をくぐり抜けたとわかる、武人の空気を醸し出している。


「玖珂の術者頭である正木まさき様です」


 鎬がそう紹介した男、正木はただ軽くうなずいた。

 その背後にも何人か控えている事を、平蔵はすでに察知していた。


「これは試験であったのだ」

「試験、だあ?」

「しかり。そなたが蘇芳と共に虚斬り侍として、市井の虚神憑きを狩っていたことは承知しておる」


 視界の端で鎬が緊張するのが見えたが、平蔵は無視する。

 この正木と言う男は、かなりの手練れだった。

 切り抜けるには手こずる。隙を見せればあっという間にやられるだろう。


「鎬より昨今の貴殿の仕事は聞いておる。長らく抜き手を選ばれなかった鞘神さやがみ様の抜き手が誕生したことも本来喜ぶべき事である。しかし今回はあまりに変則的であり、玖珂でも鞘神様を回収すべきとの意見が持ち上がった」

「でもそうすれば、蘇芳さんが悲しみます。だから平蔵さんの実力を証明するために、今回虚神憑きの識別と征伐までを見学していただいていたんです」

「貴殿が鞘神様を得た経緯については思うところがあるが、これもまた運命と思えば、飲み込もう。土竜が虚神憑きではないことを見抜いたばかりでなく、虚神憑きを成敗した手腕は一定の評価に値する」


 正木は硬質な表情のまま、平蔵を見上げて宣言した。


「よって、貴殿を玖珂家の抜き手として迎え入れる。これより先は鞘神様と共に征伐に励むように」


 鎬の表情が喜びに染まり、平蔵を振り仰いだ。


「おめでとうございます、平蔵さんっ。これで堂々と……」

「俺がいつ、てめえらの仲間になりてえって言った」


 平蔵が冷めた声音で告げれば、鎬が戸惑いに瞳を揺らした。

 熱しすぎると、逆に頭が冷えるものなのだと感じながら、平蔵は正木をねめつけた。


「虚神憑きは死んだぞ。てめえらが考えなしにやった試験とやらでな」


 正木がかすかに目をすがめる中、平蔵はどんどん言葉が滑り出してくる。


「俺が滑稽に踊っているのを見てたんだろう? 火盗の野郎が踏み込んできて、薬も手がかりの土竜も全部ぱあだ。まあ良いんだろうがね、てめえらは虚神憑きを殺せりゃ良いようだからよ」

「そ、そんなことは」


 平蔵の言葉に鎬がおろおろとする脇で、正木が冷静に告げた。


真砂まさご平蔵」


 その、呼びかけに。

 平蔵の鼓動が不規則に脈打った。

 その姓は捨てた。あの方につけられたもので、必要なくなったものだ。

 二度と聞くはずのないもののはず。

 ごっそりと、表情をなくして黙り込む平蔵に、正木は淡々と続けた。


「貴殿の素性もある程度調べでわかっている。そなたの剣技からしてどこぞに名があるものと思っておったが、あの浪波家お取り潰しの一件に関わっていたとは思わなんだ。修羅の腕も納得できると言うものだ」


 初耳だった様子の鎬が、不思議そうに正木を見やった。


「正木様? それはどういう」

「鎬殿も耳にしているのではないか。もう十数年も前のことだが、近年まれに見る虚神災害であったからな。その関係者なのだよ、彼は。当事者の中で唯一生き残り、そのまま行方不明になっていたのだが。まさか生きていようとはな」


 幾分饒舌な正木がこちらに向き直り、黙り込む平蔵へと言葉を紡ぐ。


「本来ならば、貴殿は牢に入らなければならぬ身であるが、その腕は惜しい。ここで抜き手となれば、貴殿の自由の身は保証しよう。たとえ曰く付きの鞘神様であろうと、武家である虚神狩りとなれるのだ。悪い話では」

「ご託はそれで終わりか」


 冷え冷えとした声音に鎬と正木が改まったように、平蔵を見る。

 平蔵は、ごっそりと表情を落とし、ただ眼光鋭く、虚神狩りたちをねめつけた。


「それを、知っているのなら、わかるだろうが」

「平蔵、さん?」

「俺はもう二度と誰にも飼われねえと決めた。特に武家の一員になるなんざ冗談じゃねえ。反吐が出るほどまっぴらごめんなんだよ」


 唯一主君と仰いだ方は、平蔵と武家が殺したのだから。


「平蔵さんの過去に何があったかはわかりませんが。虚神狩りになったほうが今よりずっと……」

「誰が頼んだ。てめえの価値観を押し付けんじゃねえ」


 戸惑った声で問いかけてくる鎬がひ、と息を呑んだ。

 その反応で平蔵は己がどのような顔をしているのか理解したが改めるつもりはない。

 腹の底が煮えたぎり、頭の芯は刃のように研ぎ澄まされる。

 正木とこの娘は己が一番許せないものを、土足で踏みにじった。

 世間でどれほど名誉と言われようと、断じて受け入れられないことがある。


「なによりな、俺はその慈悲をくれてやる感謝しやがれって態度が心底気にくわねえんだよ」

「ふむ、ならば我らは、鞘神様の保護をせねばならないのだが」


 正木の目が鋭くすがめられると同時に、背後の従者たちが物騒な気配を帯びる。

 しかし平蔵は、言われるまでもなく無造作に下げ緒をほどき始めていた。


「安心しろよ、こっちから返してやらあ」


 なにをするのかわかった鎬は顔を険しくして平蔵に詰め寄った。


「平蔵さん蘇芳さんを置いていくんですか!? あなたを選んだこの方を……」


 肩に置かれた手を無造作に払い、平蔵は紅塗りの鞘の刀を押しつけた


「こいつを拾ったのもたまたまだ、持ち主が返せって言ったのなら帰すのが道理だろ」


 絶句する鎬を振り返りもせず、平蔵がきびすを返そうとすれば、指に小さな手が絡んだ。

 見おろせば、いつの間にかおびえに瞳を揺らすさやが現れていた。

 これほどまでに見知らぬ人間がいる中で姿をあらわすことは珍しい。


「へーぞー」


 頼りなげに呼ぶさやの手に、平蔵はほんの少し、手をこわばらせる。

 だが、血にまみれた雪景色が背中を掴んだ。


「俺は、武士にはなれねえ。他を当たれ」


 ちいさな手を振り払い、平蔵は一人宵闇へと消えた。

 背中に感じる視線が、張り付くようだった。


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