二、


 四方を海に囲まれる和沙ノ国かずさのくに、将軍様の座す江渡えど城下は、天下泰平の世を賑々しく謳歌している。


 八百八町に様々な人間がひしめき合った結果、爛熟した文化も華やかに、だがそのような光の裏にあるものからひっそりと目をそらして、日々を暮らしていた。

 都市というものは、聖も邪も貪欲に飲み込み、一部とする。

 将軍様が城に座し、鞘神さやがみの刃を持つ武家たちが守っていてもなお、人が集まればよどみは生まれる。

 だからこそ、平蔵のような半端物でも紛れ込めるのだ。






「まいどありぃ」


 気の抜けた店主の声に送られて、平蔵は質屋から出た。


「ったく、足下見やがって」


 離れたところで悪態をつきながら、鞘の塗りの剥げかかった大脇差しを帯に落とし込むが、懐は温かい。

 あの紅塗りの刀を質屋に売り払ったところだった。


 童女は恨めしげにこちらを見上げながらあとをついてきたが、平蔵が完全に見なかった振りをしていれば、人が行き交う大通りに出たとたん、ひるんだように姿を消した。

 だから、楽に引き渡すことができたのだ。


 鞘神さやがみが宿っているかもしれない刀を見つけた場合、ご公儀へと届け出なければならない。

 しかしながら記憶がおぼろげとはいえ、あまりよろしくないもらい方をした平蔵が素直に引き渡したとしても、面倒なことになるのは目に見えている。

 ついでに叩けば埃が出てくる身では、番所に近づきたくもなかった。


 だが質屋に流しておけば、もし鞘神が見つかった場合、ご公儀へと届けられる塩梅だ。

 届けられなくても、そこはもはや平蔵が知るところではない。

 なぜならば平蔵は、あれが鞘神だと気づかなかった・・・・・・・のだから。


 常人が鞘神の宿った鞘を見分けるには、鞘神自身が姿を表す以外にないのだ。

 有名な鞘師さやしであれば銘でわかることもあるが、ただの人間には見分けがつくわけがない。

 

 良いことに、刀剣に詳しい店主ではなかったらしく、無事に引き取ってもらえた。

 鞘から刀が抜けることはなかったが、それでも代わりの刀を手に入れた上で、つけを払えるだけの金子になった。

 鞘神によって守られている江渡の町では、お守り代わりに美しい拵えを飾ることもままあるため、高い値段で売れるのだ。 



 ともかく懐が温かくなった平蔵は、代わりに手に入れた塗りの剥げた大脇差しを腰に帯び、鼻歌を歌いながら行きつけの煮売り居酒屋、かめ屋に入った。

 昼は一膳飯を出し、夜は酒のあてを主にあつかう店だ。気楽に一杯引っかけたいときにも、飯を食いたいときにも便利な店である。


 おかみは平蔵の顔を見たとたん困った顔になったが、平蔵が重い銭束を差し出せば、狐につままれたような顔をしつつも、飯と昼酒を出してくれたものだ。

 にんまり笑いつつ、なすとみょうがの煮付けに漬け物で飯を食べたのだが。

 

 食後の一服をしようとすれば、いつもの煙草入れがなかった。

 自分で思っている以上に動揺して忘れたらしい。

 このまま職場へ顔を出そうと思っていただけに面倒だ。

 とはいえないことは考えられない。


 きっちり代金を支払った平蔵は、体が溶けそうな日差しの中を、ねぐらへ向けて歩いた。

 職場への道すがらであることが幸いか。

 途中に流れる水路に冷やされた風がふき、平蔵の着流しの袖や裾へ涼を運んでくる。


 ふとひげを剃るのを忘れたな、とざらつくあごを撫でつつ長屋の木戸を潜れば、とたんに長屋の女連中に取り囲まれた。


「平さん、一体どこほっつき歩いたんだい! あんな小さな子を放っておいて!」

「なんの話だよ」

「しらばっくれる気かい甲斐性なしが! あんたの玉を引っこ抜いてやろうかっ」

「だからなんの話だって!」


 平蔵がたじたじになっていれば、たちまち般若の形相になる母親たちに連行される。

 連れて行かれたのは、平蔵の部屋だったが、なぜか部屋の障子は開いていた。


「こんなかわいい子どもをどこでこさえたんだい」


 鬼の首取ったり、と言わんばかりの女連中に言い返す余裕もなく、平蔵は立ち尽くした。

 部屋の中には朝に売り払ったはずの刀と共に、鞘神さやがみの童女がちんまりと座っていた。


 朝に見た振り袖ではなく、赤を基調としているが、若干地味な単衣の着物になっている。


「まじかよ……」


 平蔵が思わず呟けば、童女は茫洋と投げていた視線をこちらへと向ける。

 市松人形のように整った顔には、表情らしきものが浮かんでいるようには思えなかったが、どこか違和をもった。

 しかし、平蔵が考える前に、ばしんと、女の一人から背を叩かれる。


「おさやちゃん、義理のおとっつぁんにいじめ抜かれて、亡くなったおっかさんが言い残してくれた、本当のおとっつぁんであるあんたを探しに来たって言うじゃないか!」

「こいつの名前をどうして知ってんだ」

「もちろんおさやちゃんに聞いたにきまってんだろう!」


 かみつかんばかりに言われて合点がいく。平蔵が来る前にたどり着いた童女に、井戸端会議をしていた女たちが根掘り葉掘り聞いたのだろう。

 童女がつじつまを合わせるために適当に話を作ったのかもしれない。

 だが、売り払ったはずの鞘と童女がなぜ平蔵の部屋に戻ってきているのか。


「そういう聞き方をするってことは、あんたの子供だって認めるんだね」

「いやそれは……」


 しかしながら、完全に童女の味方らしい女たちに詰め寄られ、踏み込んだ話はできそうになかった。

 そもそも平蔵は名前すら知らなかったのだが、素直に言えば火に油を注ぐことくらいよくわかった。


「まさか、追い出すなんてことはしないだろうね」

「番屋に届けて……」

「そんなことしたらおっとさんに連れ戻されちまうだろう!」

「わかった、わかったよ! ともかく話をするから出ていってくれっ」


 否定しかけただけでたちまちまなじりがつり上がる女たちをなんとか追い出し、障子を閉める。


「へーぞー」


 息をついた平蔵は、いとけない声で呼ばれて顔を上げた。

 この騒ぎでも平蔵が恨めし気にみやっても、童女は顔色一つ変えなかった。


「なんで俺の名前を知ってやがる」

「おかみさんたちがはなしてた」


 確かにあれだけ好き勝手に話していれば、嫌でも聞こえるだろう。

 帯から刀を抜いて座り込んだ平蔵は、形容しがたい感情を抑え込みつつぞんざいに訊ねた。


「おい、さやでいいのか」

「あい」

「何でここにいる」


 肝心な部分を問いかければ、さやはゆるりを瞳をまたたいた。


「さやをもってあるいてきた」

「そうか、歩いてこれたか……」


 ふんす、と胸をはるさやに、盲点を指摘されて平蔵は頭を抱えた。


 鞘神は自由に姿を現せる。

 ならば、質屋で刀箪笥などに放置されたあと姿を現し、本体を背負って出てくれば良いだろう。

 まさか、平蔵の下に戻ってくるとは思いも寄らなかったわけだが。


「なんで戻ってきたよ。上さん連中に嘘までつきやがって」

「へーぞーはさやをおれのかたなっていった」

「あのなあ、それは酔っ払いの戯れ言で」


 予想外に頑固な童女に、平蔵はいらだちのままに頭をかく。


「だからさやはへーぞーのさやがみなの。さやがへーぞーをさむらいにするの」

「俺は武士じゃねえぞ」


 かたくなに言い張るさやに、だが、それだけは強固に平蔵は低い声で応じた。


「ただの根無し草に高望みすんじゃねえ。てめえを拾ったのだって、たまたま刀が必要だっただけだ。俺がついさっきてめえを売ったの忘れてねえだろうな」


 あえて怖がるようにらみつけてみても、さやは口をつぐんだものの、あきらめた様子はない。

 だがふとその膝の上に乗せられている小さな手が、固く握られていることに気づく。

 さやの表情はあまり変わらないが、日差しの入らない室内のせいか、透き通っているように思えた。


 酔ったおぼろげな記憶でも、この鞘神の前の持ち主である男は、彼女を粗雑に扱っていた。

 平蔵を真に望んでいるのではなく、そちらに帰りたくないという一心で主張しているのだとすれば。


「めんどくせえ」


 じんわりと汗が滲む。外で蝉がじりじりと鳴いていた。

 このままでは平行線であることは明白だった。


「……好きにしやがれ、俺はどうもしねえからな」


 ぴょこん、と顔を上げたさやの黒い瞳が輝いた。

 あきらかに漂う喜色に、何がうれしいのか平蔵には全く理解できない。

 まあ、どうでも良いことだ、とたばこ盆の近くに放り投げてあった煙草入れを掴んで立ち上がった。


「どこいくの」

「仕事だ。くっそめんどくせえがな……っと」


 差すのを忘れかけていた、塗りのはげかかった黒鞘の刀を手に取ろうとしたら、すすと刀が消えた。

 見れば、さやが黒の大脇差を遠くへ追いやっている。

 足こそ使わないもののぞんざいそのものの動作は、八つ当たりのようにも見えた。


「あん?」

「ん」


 そして、自分の紅塗りの鞘に収まった打ち刀を押しつけてきた。

 彼女の雰囲気は、どこか不機嫌……というよりむくれているように思える。


「さやがいるから、こっちなの」

「そっちは俺には派手すぎんだ……ておい小突くな!」

「さやしかさしちゃやなの」

「わかったからやめろ!」


 ぷうと、ほほをふくらませるさやが、強引に帯へとねじ込みだそうとするのに、根負けした平蔵は、仕方なく紅塗りの鞘を手に取った。

 彼女の満足げな表情に、最善の不機嫌さはそのせいかと思い至る。

 落とし込めば、黒塗りの刀よりもずっとしっくりくるのが不本意だったが。


 どうせ見せかけだけなのだからと己に言い聞かせる平蔵だったが、目の端できらめく鈍色の光に鋭く視線をやる。

 いつの間にか、刃が鈍く輝く小柄を握ったさやが、じっとこちらを見ていた。


「あんだよ」

「ん」


 まだ何かあるのか、といらだちを隠さずねめつければ、さやは握った小柄の柄を平蔵に向けた。


「おひげ、そって」

「てめえはどこの上さんだよ……ってわかったから勝手に剃ろうとするんじゃねえ、あぶねえだろ!」


 とたん、容赦なく刃を向けてくるさやをなんとか引きはがして、平蔵はひげを剃りに表へ出る。


「さっそく尻に敷かれているみたいねぇ平蔵さん」

「うるっせえ、見世物じゃねえぞ」


 案の定、表で聞き耳を立てていたらしい女衆をにらみつけたが、全く堪えた風ではないのは明白だったのだった。


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