第1話 チリチリ尻尾とあたしたち。


「アッツゥ!?うわっちちちち!」



 もはや悲鳴と言ってもいいんじゃないかというレベルの絶叫をあげながら、あたしはコロコロと転がっていた。

 この島では滅多に見ることない澄んだ快晴のもと、青々とした茂みのなかで。


 お皿の上にうず高く積まれたほっかほかのドーナツ。そんな魅惑の宝石達に目を輝かせていたら、お尻が急にポカポカと温かくなってなんだかおかしいと思ったらこれだ。


 とろけるような甘い夢からハッと目を覚ます。


 すると毎朝、丹念たんねんにトリートメントしている自慢のふんわり尻尾が、チリチリと音を立てて火の粉と共に香ばしい匂いをかもし出していた。



「もう!どーおりでやけに焦げ臭いドーナツだと思ったんだ!」



 出来立てほっかほかの香ばしい香りが、まさか自分の尻尾が燃えてる匂いだなんて、想像つくはずないじゃないか。

 あたしはとりあえずコロコロと転げ回り、夢のなかで食べ損ねた魅惑の輪っかへ思い馳せた。転がれば転がるほど、メラメラと燃えていた尻尾がジュウッと音を立てながら白い煙をあげる。


 ひとしきり回り終えたところで、ようやく火の粉がなくなった。

 ひと安心してポテっと座り直す。

だけどやっとこさ鎮火し、先端のススを払いのけた尻尾に、ふわっふわの毛並みの影は……残念ながらもうないみたい。


 夢の中のドーナツたちに未練たらたらのなか、相次ぐ負の連鎖に見舞われ、おもわず物思いにふけってしまう。



「はぁ、なんでこんなことになっちゃったんだろう……」



 この姿になってから何回、この島に来てから何度考えたことなんだろ。そのままふと、いつの間にか曇り空となってしまった空を見上げてみた。

 

 分厚く濁った、いかにも重たそうな鉛色の雲。ついさっきまで眩しい光と共に、小さな温もりをこの島に与えてくれていたの光を完ぺきに遮ってる。

 

 はぁ……この灰色の空だって、あたしがの空と、何ら違いはないはずなのに。



 けど無情にも、現実は変わんない。



 空を見上げていた目線をしたに下ろす。

 人間の膝丈ほどもない茂みのなか、ちょこんとのっているあたしの両足。

 その間から、無残にもチリチリになった尻尾がこんにちはよろしくフリフリしていた。

 そう、何度考えあぐねても目の前の“これ”は本物なのだ。


 確かにあたしはもう人間じゃないみたい。

『ある出来事』がきっかけで、こんなものがお尻から生えるちっちゃな生き物になってしまった。

 でもさ、ほんとちょっと待って。

 よりにもよってなんでこんなちんちくりんの……。


 尻尾に火を付けておろおろしてるなんて、カチカチ山に出てくるまんまじゃん。

 まじ意味分かんない。

 ふつう『転生』とかいう感じのやつはだいたい『勇者』とか『魔法使い』とか、それこそ『異世界』なわけじゃないの?

 

 ああ、どうしよ。哀愁漂う物思いのはずだったのに、いつの間にか恨みつらみしか出てこなくなっちゃった。

 大きなため息をつきながら、お股から覗くおばちゃんパーマな尻尾をじっと見つめ直す。風が吹くたびに、それがそよそよと枯れ草のようになびく姿に、あたしはちょっとムスッとした。



 まったく、人の気もしらないで。毎朝あんな丁寧に整えてあげてたってのに。



 そんなことを考えながら、そのチリチリから漂ってくる焦げ臭さにおもわず顔をしかめた、そのとき。

 鼻をつくなんとも言えないその臭いから、あるひとつの疑問が頭に浮かんだ。



「あれ?そもそもどうして火なんか……」



 たぶんあたしがこの状況下で、一番最初に考えるべきだった謎。それが口から出た次の瞬間、島中に轟音が鳴り響いた。



「えっ、なになに!?」



 思わずひっくり返ってしまい、慌てて周囲を見渡してみる。すると股からピョコッと覗く尻尾の奥、曇天どんてんの彼方に、なにやら黒く小さな点の群れを発見した。


 ありゃ?なんだあれ? 

    

 そう思ったのもつかの間。その点がみるみる大きくなるにつれ、それが『空飛ぶ鉄の塊』だと理解するのにそう時間はかからなかった。


 鳴り響く、空を切り裂く轟音。


 咆哮を轟かすその飛行機の群れは、まるで島々を飛び交う渡り鳥みたいに編隊を組んでこっちに飛んできてる。


 どうやらこの麓から見える目の前の尾根に向かってくるみたいだ。

 目を凝らしてよく見ると、一機、一機同じようなマークが機体に描かれていた。


 鉄翼の裏、青い円のなかに輝く真っ白な星ぼし。


 アホ面で見上げるあたしに見せつけるかのようなその『敵のあかし』は、雲の狭間に消えた太陽の代わりに、恐ろしい星空をあたしの瞳に焼き付かせるようとしていた。



「ヤバい。よく分かんないけどあれはぜったいヤバい」



 あの空飛ぶ鉄の塊は、獲物を得るために飛び回る渡り鳥なんかよりも、もっとキケンなを狙ってる—――


 その純白の星々を羽根に印したその飛行機が、“バクゲキキ”という銀色の怪物たちだと、あたしは直感的に感じた。



 ◇   ◇    ◇



 あたしはその爆撃機の編隊がくっきり見えてきた距離になっても、その光景に口をポカンと開けたまましばらく唖然としてた。


 だって、

『巨大な爆撃機の大群が雲の隙間から顔をのぞかせて、目前にそびえる尾根の連なる丘に向かってきてる』っていうのは、なっかなか現実感リアリティがないんだもん。

 そんなことを考えてたら、頭に被っていた黒塗りの帽子がスルッと落ちた。


 額の中央には金色の星印ほしじるし


 口をあんぐり開け、帽子からあらわになった耳をピコピコさせながら、それを見下ろし数秒考える。そしてやっと、いま自分が置かれているこの絶望的な状況を思い出すことができた。


 そう、ここが日本から遠く離れた海の狐島であり、いままさに世界を巻き込んだあの二度目の大戦の真っただ中であり、なおかつしがない“化け狸”としてその戦争の最前線にいるってことに。


 既にぽつぽつと火の手が上がっている丘を見ると、一回目の攻撃はもう始まってたみたい。



 「そっか。あの丘の火の粉がそよ風に乗ってこの風下のふもとに……」



 エンジンを唸らす爆撃機の編隊と目の前の長細い丘を交互に差し、独り言のようにぼやいてみる。


 なるほど。自分の尻尾が燃えた経緯に妙に納得した。遠くで爆弾が落ちていたさなか、能天気に爆睡してたってわけか。カチカチ山の大先輩を軽くディスってたわりに、あたしも人のことを、いや、たぬきのことを悪く言えないなこれは。


 あたしは自分の能天気っぷりをちょっぴり反省しつつ、茂みに畳んでおいた化けたぬきの名門『喜左衛門きざえもん一派』の羽織を颯爽とまとい、仲間たちとの合流地点に急ぐことにした。



 合流地点に付くと、同じような羽織を着込んだ二匹のたぬきが既に到着していた。


 一匹は少し前のあたしと同じく、尻尾に付いた火を消そうとあたふた走り回っている真っ最中で、もう一匹は直立不動で空に唸る爆撃機の大群を、プルプルしながら眺めていた。あたしが言うのもなんだが、なかなかカオスな光景である。


「ねぇ猫松ねこまつ!転がるんだよ!とりあえず転がって!」


 このままでは同胞がカチカチ山の某先輩と同じ末路を辿ってしまう。そう感じたあたしが必死に仲間へアドバイスを飛ばしていると、小刻みに震えながら空を見上げていたほうのたぬきがコテッと卒倒した。


 初めて見た空襲にどうしていいか分からなかったみたいだ。生物学上のたぬきとしての十八番オハコを繰り出した。


 絶体絶命の危機に陥ったたぬきがみせる、究極の現実逃避。実に見事な倒れっぷりである。この様子であれば、おそらく小1時間はただのふんわり毛玉と化してしまうであろう。だが、あたしは言いたい。それをやるのは今じゃねぇと。

 

 あたしのアドバイスを珍しく素直に聞き、尻尾の火を無事に消火した化けたぬきの猫松は、恐らくこのままじゃ本当に死んでしまうであろう彼の弟、死んだフリの猫竹ねこたけをヒョイッと担ぎ上げた。



「猫松!空爆にはどう対応するか檀十郎だんじゅうろうおじさんに聞いたことある!?」

「知らねぇよ!梅ノ木うめのきじいさんがロシア人と戦っていた時、人間は空なんて飛んでなかったんだぞ!」



 猫松はプンスカと怒りながら、カチンコチンに固まった愚弟ぐていたぬきを背負い走り始めた。

まだ尻尾からは黒い煙が狼煙のようにくすぶっている。

 

 あたしもそのあとを懸命に追いかけながら、尻尾から煙の尾を引く猫松と共に『化けたぬき専用防空壕』に向かった。

 四足歩行に慣れていないあたしは、テクテクといかにも人間くさい二足歩行で走ることにしたが、たぬき特有のポテッと出たお腹がつっかえて仕方がない。「んもう!邪魔くさい!」と言いながら腹太鼓をポコポコ叩き、なおも走り続けていると先頭を走る猫松の脚が何を思ったか急に止まった。



「ちょっと!早くしないと丸焼きになっちゃうよ!」

「なぁ鼠乃松そのまつ。そういえば、鼠乃竹そのたけは……?」



 猫松の発した言葉に、ピタッと脚が止まった。


 やっちまった。

 まさかこの状況であたし自身の弟をすっかり忘れていたなんて。四匹目の軍隊たぬき、喜左衛門一派本家の末弟まってい、鼠乃竹の姿が見当たらない。

 合流地点にもいなかった。

 迷子になったのか?

 いや、確かに作戦会議中なんども居眠りしてたけど。ほっぺたのひげをつねりにつねってたたき起こしたのは覚えてる。だから合流地点はきっと分かってるはずなのに。やばい。ゼッタイなにかあったに違いない。


 あたふたしながら猫松と共に周囲を見渡してみる。

 すると唐突に、死んだふりから少し蘇生した猫竹がそっと呟くように話し出した。



「そういえば……今日は中川中佐が馬の背の視察に来るから、バッタに化けて様子を見に行くって……」



 ああ、から嫌な予感ほどよく当たってしまう癖があったっけ。

 あたしは顔面蒼白で鼻をヒクヒクさせ、猫松は顔を引きつらせ言葉を失いながら、後ろにそびえる大きな丘のほうを二匹してゆっくりと振り返った。


 馬の背中に似ていることから名づけられたその尾根の連なる丘は、二回目の爆撃を受けてよりいっそう火の手があがり、まるで馬の背になびくたてがみのように火をたぎらせていた。


 うそでしょ。

 あの広い丘の上でどうやって鼠乃竹を探せばいいの?

 あの火の中で私の愛しい弟たぬきはまだ無事なの?

 てか、なんでよりにもよってバッタなんかに化けたのあの子?


 頭の中で自問自答している間に、あたしの脚はいつの間にか無意識に引き返そうとしていた。



「なにしてんだ鼠乃松!こんがり焼かれてぇのか!!」



 猫竹がおもわず叫ぶ。



「あたしが行かないと鼠乃竹がこんがりにされちゃう!」

「馬鹿野郎!バッタなんてこんがりどころじゃねぇよ!炭消しになっちまってる!!」

「あんたは自分の弟の面倒を見てればいいの!あたしは行く!」



 猫松は馬の背に向かおうとするあたしを止めようと、猫竹を背負ったまま尻尾に噛みついてきた。あたしもムキになってチリチリになったその尻尾をブンブンと振り回し引きはがそうとする。化けたぬき同士にしては実にシュールな争いだが、正直こんなことをしてる場合じゃあない。



「鼠乃松!どこだ!鼠乃松!」



 いっこうに放してくれる気配のない猫松のお尻を、たまりかねたあたしが手のひらの肉球でベシベシと叩いていたそのとき。遠くからあたしの名前を呼ぶ声が聞こえた。声の聞こえてきた馬の背のほうをもういちど振り返る。

 すると、プスプスと毛が縮れ、目を回している毛玉アフロを抱えた日本兵の軍医がこちらに走って来た。



「史朗にぃ!」



 あたしはうれしさのあまりひしっとその軍医の懐に飛びつくと同時に、脇に抱えられ見事なチリチリアフロと化した弟に目をやる。

 見ると変化を解いている最中空襲に遭遇したのか、バッタに化けてた時の触角が耳のところににょっきり生えたままである。



「退避しているさなかに、目を回して昇天しそうになってる奇妙な生物を見つけたんだ。思わず近づいてみたら案の定鼠乃竹だったよ。怪我はないようだがあんなにふわふわだった毛並みがこんな縮れっ毛に……」

「たぶん大丈夫!そろそろ換毛期の季節だからすぐ生え変わるはず!」



 キュウっと度々漏れてくる鳴き声に私はひとまず胸をなでおろした。そして『四匹のたぬき』と『一人の軍医』。ううん、正確には『茶色なわたあめと化した弟を背負う猫松』そして、『黒々とした焦げアフロに変貌を遂げた我が弟を抱える史朗にぃ』

と共に防空壕に急ぐ。



「空襲は第三、第四波が必ず来るはずだ。お前たちの防空壕に俺も入ることはできるかい?」

「人間一人分ならまったく問題ないよ!とにかく急ごう!」



 再び走り出すと同時に新たな爆撃機の爆音が島中に鳴り響く。地鳴りのような凄まじい音が耳を貫き、思わずヒッと身をかがめてしまう。



「他の守備隊の人間たちは全員避難できたのか!?」



 四足走りで先導していた猫松が、振り向きざま史朗にぃに尋ねた。尻尾は残念ながらあたしと同じくチリチリという末路を辿ったが、走る姿はあたしと違い本来の狸としてまさに正しい走り方フォームだ。



「ああ、問題ない!高射砲の砲兵たち以外は全員退避した!」



 その言葉に、あたしの脚が再び止まりかけた。


 あの丘の上でまだ戦っている人たちがいる—――


 あたしが思わず振り返ろうとしたそのとき、すぐ真後ろで再び大きな爆発音が響いた。



「飛び込め!」



 そう史朗にぃ叫ぶとほぼ同時に、あたしを含めた四匹の軍隊たぬきは目前に迫っていた小さな防空壕の中に飛び込んだ。

 なんとか無事にたどり着いたものの、地鳴りのような轟音が壕内に響き、熱波と明るい閃光が度々入口から吹き込んで来る。



『陰ながら人間を助ける』



 化けたぬきたちは軍隊たぬきとしての本分を忘れ、プルプルと震えながら軍医である史朗にぃの懐でまるく丸まってしまっていた。

 

 その中でたった一匹、

あたしは小さな頃兄と共に観に行った花火大会を思い出してた。遠くで爆弾が破裂する音はなんだかやけに花火の音に似てるし、閉じた目蓋の裏に映る光はあの綺麗な打ち上げ花火そのまんまだ。そういえば、お兄ちゃんが買ってくれたリンゴ飴は甘酸っぱくておいしかったな。ベビーカステラもふわふわしててお兄ちゃんと一緒にたくさん食べた。かき氷だって冷たくて本当に最高だった。お兄ちゃんが生きてた時はあんなに楽しかったのに、どうしてこんなことになってしまったんだろう。


 ふと目をうっすら開けて、

鳴り響く爆弾が壕内ごうないをかすかに照らす光を光源としながら、自分の身体をまじまじと見てみた。


 手の平にはプニッとした肉球。

 指先には鋭利なツメ。

 手足にはモッフモフな茶色い毛並み。

 そして股の間には、

 たわわに実った立派な玉袋おいなりさん……。

 ほんとなんでだろう。

 あたしはつい半年前まで、現代を生きるひとりのだったのに。

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