白い敵が現れる日3

 河川流路を辿って陣営まで戻った。地下足袋は溝が無くなっていてもう使い物にならない。もともと消耗品という位置づけだから戦闘の度に取り替えるものなのだけど、最近は大きな戦闘もないし予算を遣り繰りするために使い回すのが常だった。

 僕のあとでさらに四機が自走して戻ってきたが、無傷で帰ってこられたのは僕だけだった。信号から三十分近く経過して現れた最後の一機は大破状態でコクピットが脱落する寸前だった。残る三機は二機が大破、一機が中破擱座だった。帰途で脚が折れたと無線で連絡があった。

 作戦は五十パーセントの達成率だった。つまり、敵の陣地は破壊できたが占領はできなかった。空軍はきちんと仕事をして、我々陸軍は全くだめだったということになる。しかし、我々が七機の肢闘に損害を出したその原因は敵の戦闘攻撃機が飛来したことだった。出てくるとは思わなかったのが誤算だった。敵の最寄りの飛行場は各務ヶ原だが、事前の偵察から前線基地として機能していないという判断だったのだ。だからこちらも制空用の戦闘機を用意していなかった。よく考えてみると空軍の成功と失敗に付き合わされて我々陸軍が割を食ったという構図だった。

 テレビ電話で空軍の基地と繋いだデブリーフィングのあと、立川に戻る列車の中で僕は一睡もできなかった。周りで騒ぐ奴は誰もいない。肢闘回しはみんな寝かされてしまったし、整備士たちも黒っぽい空気を共有して押し黙っている。それに鎧戸が全部閉められていて車内はまるで夜行列車みたいなのだ。何種類も風邪薬を飲んだみたいに頭がぼんやりして、肢闘に酔った時の体調なのに、それでいてなんだか目が覚めていた。

「サキだ」

 暗い窓に白い雪が流れる。大陸の乾いた目の細かい雪が。

 辺りは吹雪と真っ白な雪霧で二〇〇メートルも見えなかった。潰れた装甲車のエンジンが吹き上げる黒煙を頼りに、その手前を横切る機影を狙った。そこに火花が散り、炎が噴き出し、刃物の光が閃きが右から左に抜ける。一瞬のことだった。紅色の視線表示灯が灯った。敵ではないぞという原始的なアピールだ。気付いていたのか? 風が霧を払って鍵鮫の銃剣が背后(ベイ・ホウ)の腹から背中へ突き抜けているのが見えた。

 なんて鮮やかなんだろう。何度思い出してもすごかったと思える。さっき僕を捉えた視線は、間違いない、あの時の鍵鮫と同じサキのものだ。

 駅の疎らな区間だから鎧戸を開いても構わないと内線が入ったので窓を開けた。遠くに、とても遠くに、青い大気のフィルタ越しに雪を被った山脈が見えた。山頂近くのまだ浅い尾根と谷の襞が雪の白さに際立てられていた。八ヶ岳だ。手前に少し低い奥秩父山塊もかかって見えた。あれが国師ヶ岳、権現岳。指差して数える。背筋を伸ばして整備士たちの席をちらっと見やった。彼らも窓を開けて風を入れていた。機付長の長狭は窓枠に頬杖をして、あるべき美を何の不安も無しに微笑ましく受け入れていた。そこには美の根拠も、仕組みも、意義も、何も存在しなかった。山梨や長野の山々の美はただそこに現前していた。サキと白い鍵鮫の魅力もそれに近いと思う。自然で、人間特有のややこしいところがなくて、圧倒的だ。

 タリスは肉体を持たない自分の代わりに僕をこの現実の世界に差し向けたのだと思う。美しいものをたくさん見ておくのも肢闘の操縦とはまた別の役割だ。たとえ破壊しても、それを知ることができるならば。

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