狐の家族(心水体器)

前河涼介

プロローグ

 僕の手は震えない。

 僕自身が震えを発することはない。

 だから、震えを感じるのはその震えが僕の外から来るせいだ。

 僕はバイクに跨っている。バイクに跨って走っている。タイヤが路面をしっかり掴むのを、サスペンションがわずかな起伏をこなしていくのを、僕は自分の体の一部のように感じる。明確にイメージしている。

 バイクは僕の外にあって、つまり、僕の体ではない。なぜなら僕はこのバイクから簡単に離れることができる。もちろん今は無理だ。時速八十キロメートルで放り出されたら怪我をしてしまう。けれど道端にバイクを停めてコーヒーを買いに行く時、僕の体はバイクから完全に切り離される。もしも背中にぴったりと装着されたままだったら、それはきっと不便だと思う。重いし。

 では、これはどうだろう。僕の体は僕なのだろうか。外にあるものではないのか。僕が僕の体から離れることができたら、軽くて便利だ。でも、残念ながら、やっぱり僕の体は僕なのだ。この二つは簡単に切り離すことができない。バイクみたいに簡単に乗ったり降りたりできるものではない。降りたら戻れなくなるかもしれない。だから、乗ったらしばらくは乗り続けていなければならない。僕という存在は僕の体を含み、またバイクを含まない形で完成されている。それはずっと昔から神様が偉大な力で定めていることであって、僕自身や僕の生みの親がちょっとした気持ちで変えられるものではない。ただ、少し楽観視するなら、僕は僕の体を中心に広がることができる。僕の体がバイクに乗っている時、僕は僕の体から静かに溢れ出して僕の体とバイクをすっぽり覆っている。それは身体感覚という液体だ。タイヤやサスペンションを自分の体と同じように感じられるのは、普段は僕の体にぴったり収まっている僕の身体感覚がバイクの車体の端まで行き渡るからだ。

 そういうわけで、僕の手は震えを発していないが、震えは僕の中にある。膝でホールドしたタンクを伝って発動機から突き上げてくる。トライアンフ・デイトナ675Rの水冷三気筒は低回転域でぐずる癖があるようだ。クラッチを握って一速下げ、スロットルを開く。地声から歌声のように転じて滑らかな響きに変わる。震えは鳩尾から足裏に下がって、しかし消えることはない。

 道は空いている。前の車がずっと先に見えた。しかしタリスには危ないからあまり急ぐなと忠告されていた。僕がまだこのバイクに慣れていないのを心配しているのかもしれない。

 もしもタリスが人間で僕の後ろに乗っていたら、僕の腹に手を回して背中に肩を押しつけていたら。考えてみるとそんな想像は今までしたことがなかった。愛という感情は様々な形を持っていて、もちろん僕と佳折カヲリではお互いに抱く愛も異なるだろうけれど、僕一人の中でも佳折に向ける愛とタリスに向ける愛はまた違った形を持っている。相手が人間であるならば人間としての愛し方が、機械ならば機械としての愛し方がある。バイクの二人乗りは人間の行為なのだから、それをタリスに当て嵌めてみるというのは見当違いな発想ではないだろうか。

 タリスはタリスだ。機械の中にあって、肉体や機体やそういった物理的な殻には固定されず、別世界から囁きかけているみたいに方々の機械を窓にして僕の声を聞き、僕に話しかける。別の窓には別の表情が映る。彼女は唯一で、でもいくつもの表情や耳や口を持っている。今僕の前では計器盤のホルダに収まったタブラが窓だった。それはいわばタリスの指先なのだ。その無数の指先のひとつが、無数の贋のひとつである僕に触れている。

 僕の手が震えないのは僕が贋だからだ。

 例えば、磁器に満たされた紅茶を揺らすことなくぴたりと掲げておくことができる。紅茶の量がちょびっとだろうがなみなみだろうがそれは変わらない。僕が震えるのは、体が熱を欲して筋肉に振動を命じた時だけだ。震えないように造られているのだから。

 もし僕の手が生来の人間と同じに震えるようにできていたとしたら、僕は何を取っても今の僕とは全然違う人間に育っていただろう。僕が僕でないといってもいい。そんなことを考えるのは無意味だ。僕が贋であることによって受けている恩恵はすこぶる大きい。タリスのこと、肢闘しとうのこと。

 僕は軍人だから戦闘するのが本業だったけれど、ある事件がきっかけで戦闘業務を一時的に禁止されたので副業の出先に向っていた。軍で仕事を貰い、出先に行って遂行する。本業でもそれは同じだった。基地から戦場に出向いていって肢闘を操る。違うのは僕がずっと生身で居るということ。生身である以上は僕の才能が全部発揮されない状態で退屈しているということ。まるで午後二時の眠気の中でぼうっとラジオを聞いているのと同じだった。

 今日は横須賀の軍港で仕事をするので立川から多摩川を越えて十六号を飛ばしてきた。案内標識は観光地ばかりで当てにならない。左側の視界が抜けて海の気配が強くなる。頃合を見て海側に折れ、フェンスに沿って走っていく。踏切みたいな門が見えた。。

 検問所でエンジンを止めて所属と名前と登録番号を言うと、守衛は識別証と火器を要求した。愛想良く笑っているのかなと思ったら、唇が斜めになっているのが素の表情だった。上司からは通行人を威圧しないように言われるし、でも退屈だし、板挟みに遭っているうちに自然とそういう顔になってしまうのだと思う。僕はシグ拳銃をホルダから抜いて渡した。彼は奥に居るもう一人の守衛に回して調べるように言って、僕に両腕を上げさせて触診した。検問所にはもともと二人しかいないようだから、もし僕がテロリストならそのタイミングで仲間に突入の合図を送るだろう。地元の不良だってそれくらい考えたに違いない。中の駐車場の広さは改造車のジムカーナにはうってつけだ。

 地下に弾道誘導弾のサイロでも隠しているのか、本当に広い。アスファルトの裂け目に猫じゃらしがいっぱい生えていた。褐色に色が抜けて今にも種を飛ばそうとしているやつだ。どこへ駐めようとも見当がつかないから、ちょっと止まって辺りを見渡した。遠くに車が集まっている場所があって、ちょうど建物の手前だった。左足を軸にバイクを転回させてそこまで走り、屋根の付いた駐輪場があったのでその端に寄せてエンジンを切った。ヘルメットを脱いで何時か訊く。

「十三時十八分です」タリスは答える。

「半まであと何分?」

「十二分です」

 今度のバイクは風防付きなのだけど、ホルダから外してみるとタブラは結構冷やされていた。待ち受けは彼岸花に顔を寄せている佳折の写真だったが、これは彼女が強いたのだ。京都亀岡に行った時のもので、グラビア調に光の加減を調節して、生活雑誌の裏表紙にあるブランド広告みたいな雰囲気になっていた。メニュ画面に進むと右下でタリスのアイコンが数回瞬きをした。

「いかがでしたか?」タリスは訊いた。

「何?」

「バイクの話です。長距離は初めてでしたからね」

「うん、すごくよかったよ。背中も痛くないし」

 海軍の冬制服を着た片腕のない少女が出迎えに来て、自分が案内係だと挨拶をした。お辞儀と一緒に左の袖が垂れ、僕の前を歩くにもいちいちひらひらする。上着の背中に縦皺が入っていて、普段は制服を着ないのが丸わかりだった。歳はサエと同じくらいかもしれない。

 案内係の少女は海に向って歩いた。パラベーンやブイの倉庫の間を抜け、海防艦が停泊している岸壁の裏手に出る。小さな桟橋があって屋根付きの内火艇に作業着の男たちが待っていた。彼らが遠くから手を挙げて呼び、少女の方も大声で挨拶をした。そこから内火艇で湾内に出て浮船渠に移る。海上迷彩が施されているので遠くから見ると象徴主義演劇の書割みたいに見えた。それで中に船を入れるために浮いたり沈んだりするものだから赤い錆が垂れていてちょっと気味が悪かったのだけど、中に入ってみると存外小綺麗だった。内装は水色と白で子供部屋式に塗り分けられているし、ステンレスの手摺は神経質なくらい磨き上げられていた。

 船橋に上がると管理者の挨拶が一通りあって、その間に案内係の少女はハンガを差し出した。僕は少し迷ってからコートを預けた。一部では支給品の短外套だが、バイクで移動するので自費で購入したものだ。暖房の空調がかかっていて脱いでもあまり寒くなかった。それに潜れば体温が上がる。昼食は済ませてきたから空腹ではなかったが、喉が渇いていたので仕事を始める前に水を一杯貰っておいた。きちんと士官用のコップで出してくれたのが感心だった。

 用意された席に座って、タブラはポケットから出して手の上に収めておく。僕の体調などを記録しておく役割もある。

「特に気を使うところは?」僕は訊いた。戸牧トマキという技術職の男がこの船での僕の担当だった。

「いいえ。まんべんなくお願いします。離脱の合図は懐中電灯の点滅で受けます」

「了解です」

 僕の今の仕事は言ってみればシステムエンジニアと同じで、コンピュータ群の細かな綻びを探す保守点検業務だった。違うのは手法だ。僕はマウスもキーボードも使わない。潜るのだ。

 戸牧が太いケーブルを持ってきた。それが僕の仕事道具だ。その先っちょに付いた「栓」端子を、僕の背中、ほとんど襟足の辺り、胸椎の上から二番目のところにある蓋を開いたその中の「窩」に挿し込む。この時に目を瞑って息を止めるのが僕の癖だった。入力は無く、出力のみ。麻酔の注入もない。もとの体の身体感覚が残った。腕を曲げたり、指を順番に動かしたりしている。

 肢闘を操縦する時は出入力双方向で挿す。そうしないと自分から出した指示できちんと機体が動いたのかどうかわからない。人間が腕を上げようとするとき、腕が実際に動いたかどうかわかるのは腕の感覚があるからだ。栓側を出力のみにするといことは、僕が完全に情報の受け手になるということだ。僕はプログラムの動作を観測しているだけでいいのだから、別に僕から命令を出す必要はない。

 これも一応仕事なんで、集中しないと。僕は意識を船渠の電子系に向けた。この程度の規模だと中世ロマネスク様式の古城を歩き回る感覚に似ている。既に中に入ってしまっているので外観はわからないのだけれど、窓は少なく壁が分厚い。部屋の継ぎ目にあるタンパンの構図も平面的。それら建築に組み込まれた装飾に対して、天井を這う電線や細かな調度品の類はもっと後の時代のものだ。

 懐中電灯と見取り図を持って歩き、部屋の隅や箪笥と箪笥の間を照らしてみたり、暖炉の中を覗いてみたりした。異常は無さそうだった。僕は懐中電灯を点滅させた。自分で現実の手を動かしてもいいのだけれど、感覚の持って行き方が面倒なのだ。

「どうでしたか」と戸牧がケーブルを抜いて訊いた。

「特にありません。細かいところですが、区画42と217の接続プログラムはそろそろ書き換えですね。バスに負荷がかかってます」僕はあくびを堪えながら答えた。

 中に入るとシステムの末端と相手をしている人間の姿はなかなかはっきりと捉えられる。懐中電灯だとか中世の古城だとか、そんなのは比喩的な表現でしかない。例えば、神経細胞は導線だ。その中のイオンの流れは電流であり、人体と機械では刺激/命令の遣り取りをする媒体が異なる。見做し換えが必要だ。何もかもが別世界なのだ。

 僕はそんな調子で同型の浮き船渠をもう一隻と、排水量の異なる曳船を八隻診た。一番大きな曳船があんまりにボロくて吹き出してしまったが、他はおおよそ順調だった。同席する技術者たちは僕が中から戻ってきて目を開けるのを揃いも揃って神妙な顔つきで見た。僕は視界に彼らを捉えるだけで見返すようなことは決してしなかった。

 僕の副業が決まって午後から始まるのは、午前中が僕を迎える側の準備時間になっているからだ。赤い絨毯が敷いてあるとか、シャンパンを取り揃えているとか、そんなことって絶対ないのに、いったい何をしているのかずっと疑問だった。例えば今回海軍の連中にしてみれば自分たちが船のエキスパートでありながら門外漢である僕に船の不備を指摘されるというのは、いくら僕が電子の専門家であっても恥なのだ。彼らは彼らなりに僕に仕事を残すまいと最後の猶予時間に血眼になる。朝方せっかく客人のために片付けても昼になって僕が来る頃には結局散らかっているという具合だ。もちろん彼らとしてもそんな努力が僕に知れては無様だから隠そうとする。結果的にほとんどいつも通りの状態に落ち着いているというのが真相だった。

 僕は陸軍の所属だが、海軍にも贋は居る。それが贋を造っている九木崎クキサキと軍全体との取り決めだからだ。しかし僕のようにシステムエンジニアの真似事を得意としている贋はむしろ稀で、贋は居るけどコンピュータの点検にはちっとも使い物にならないということも結構多いらしい。贋はそれぞれに特化した技能を持っているので、お互いに羨ましく思うことはあっても妬んだりはしないものだ。それが棲み分けというものだ。

 栓と窩の技術、つまり身体機械投影器の技術というのは結構昔から研究されてきたのに一般への普及は進んでいない。普及させる意味が無いからだ。今僕の横にロボットアームがあって、そいつに栓のケーブルが付いているとする。僕はそれに繋がることでロボットアームを動かすことができる。慣れるまではもちろん不自由するし、下手をすれば自分の顔面を殴りつけるような事故が起こり得る。使いこなせばスクラップになった自動車の山で何かしら芸術的な造形を生み出すことはできるかもしれない。でもそれはアートだ。設計デザインを実行する装置としては全然精度が足りない。普通の工業用ロボットの方がずっと良い仕事をするだろう。

 もっと実用的に考えるなら、投影器が活きるのは医療の分野だという。腕の立つ医師が窩を持っていれば、遠隔地での難しい手術を機械が代行することができる。医師は移動に費やす労力と時間を費やさずに怒涛の勢いで功績を上げ、かつ命を救うことができる。もちろん仮定に過ぎない。窩が直接中枢神経に繋がれている以上、普通の人間の体に慣れた人間が窩の新設手術を受けるのは大変リスキィだし、成功したとしても接続感覚に慣れるとも限らなければ、本物の手先の震えが機械にも反映されてしまう可能性も高い。かといって生まれたばかりの普通の人間に窩をつけようとするほど非道な親も居ない。生まれたばかりの赤ん坊が医者になると決まっているはずもないし、赤ん坊がいきなり七歩歩いて医者になると宣言することもない。どんな職業にしたって生まれた時から死ぬまでの大筋を決められている人間なんて居ないのだ。

 僕ら贋には生まれた時から戦って死ぬべき運命がある。戦いがあるから贋があるのだし、戦いがなければ贋に意味はないから戦いのあるうちに死ぬのだ。それは辛いことだろうか。僕はそうは思わない。そしてすべての贋が僕と同じはずだ。贋は自分の生と死の意味をどこに求めればいいかきちんと知っている。

 けれど感受性の強い人間にとっては悲しいことなのだそうだ。僕は以前にそうした悲しみの思想に染められた人間と話をしたことがある。人間が贋を考える時に連想するのは奴隷らしい。一般層は近世の苦役奴隷を、もっと我々を理解しようと試みた知識層は古代の身分奴隷を連想する。

 古代の奴隷は必ずしも貧しい人々ではなかった。いくら生活が豊かであってもそれは奴隷であり、つまり主人に対する服従を強いられた人々だった。全人類が平等だという思想が支配的な今日から彼らの運命を憐れむことは妥当だろう。けれど彼らは遠い未来に奴隷の無い世界が来ることを知っていたはずがない。主人があり奴隷があるという関係は、どこまで遠くに行っても、どこまで時を遡ってもまた下って行ってもほとんど普遍的に存在するものだった。主人と奴隷とは誰がどう見ても別の種類の生き物だった。だから、生涯変えることのできない奴隷という地位による苦しみがあるとするなら、それは奴隷ならば誰もが忍ぶべき当たり前の苦痛だったのだ。

 彼らは彼らの運命について何ら嘆くことはなかったと僕は思う。僕は僕の運命を何も嘆いてはいない。むしろタリスの奴隷として生き、主人への愛に殉じるのは結構なことではないかと思う。

 とても美しい一生。とても崇高な心。

「明日もお願いします」と案内係の少女は門のところまで僕を送った。またお辞儀と同時に袖が垂れる。彼女は僕の前では丁寧であり続けた。それはちょっとぎこちない一途な感じを含んでいて、人間の綺麗な一面だと思った。

 僕は返事に手を振って、バイクのエンジンをスタートさせて宿に向った。桜の並木がすっかり裸になろうとしていた。

 暗くなる前に宿に着いてチェックインを済ませる。明日はまた午後から、最終日は全日のスケジュールで、宿泊費は一泊目だけが依頼主である海軍の負担だった。僕を派遣する側としては今日の分と明日の分は一日に纏められる分量だという判断である。宿の裏手から東に出たところに眺めの良い場所があって、東の空に夜のドームの端っこが見えた。僕は真っ赤な西の空と同じ色に輝く眼下の湾を眺めた。ちょっと感動したような歓声が漏れた。

「良い眺めですね」タリスが言った。

「見えるの?」

 僕は振り返って辺りを見回し、気の早い街灯のポールに全周型の防犯カメラが取りついているのを見つけた。辺りには椎や樫の木がたくさん植わっていて、ここまで来るのにもブーツの底でドングリを踏むのは避けられなかった。その枝にとまったセキレイがさっきからぴぴっと警告音的な鳴き声で鳴いていた。

「画質はお陀仏ですが」

「だろうね」

「湾口に進入してくるのはあきづき型ですか?」

「見えてるじゃないか」僕は笑った。タリスは皮肉屋さんなのだ。

 それからタブラを前方に掲げて眺望を写真に収めた。遠出をした時に佳折のための写真を撮っておくのが僕の流儀だった。

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