ジャムるよウチらの放課後は🎹

 最近ボンはかっこよく振舞おうと背伸びしてるよ。

 金曜の夜、仕事帰りにいつものごとくせっちゃんのダイナーに到着するといきなりボンに誘われた。


「エンリさん。ピアノなど聴きに行きませんか?」

「ボンがピアノ?」

「どうでしょう?」


 わたしは少しだけ考えて答えたよ。


「うん、いいよ。で、場所は?」

「ライブハウスなんですけど」


 なんだろ、ライブハウスでピアノって・・・ジャズ?


 ボンに連れられて行ったのは隣に小さな神社のあるやっぱり小さなライブハウスだった。

 そして結局週末にアパートに泊まりに来ていた藍埜ちゃんも一緒に行くことになった。

 金曜の夜、ボンのバイトが終わってからなので結構遅い時間だったけれども、そのライブハウスの熱気は眠気とか疲れとかを溶かしてくれるものだったよ。


 ピアノは女の子。

 若いよね、見た目が。

 もしかしたら、だけれども、藍埜ちゃんより若かったりして。

 そしてドラムは、渋いミドルエイジの男性。

 ギターはなんだろ。リッケンバッカーってやつなのかな、そうパンフレットに書いてあるから。ギタリストはしぶーいおねえさん、って感じの女性。


 わたしはボンに訊いてみたよ。


「ねえ、ボン。どういう経路でこのコンサートを知ったの?」

「この間の昼間、あのピアノの女の子がせっちゃんの店にチケット売りに来たんですよ。なんかこのパンフレットがすごいおしゃれだったからつい買ってしまって」


 確かに。

 この3人が3分割されて撮影されてて、ユニット名のロゴが入ってる。


 ユニット名。


 ファースト・エンディング


「ボンにーちゃんがこんなカッコいい趣味持ってるなんて知らなかったよ」

「いや。こういうところに来たのは初めてなんだけど。なんていうか、こういう雰囲気に浸りたくて。大人なもんで」

「ぷぷっ!」


 笑ったのはわたしではない。

 藍埜ちゃんが極めてドライに笑みをこぼした。


「ボンにーちゃんがそんなのってなんかにわか仕込み感が満載で、どうだかなあ、って感じだよ」

「で、でも、藍埜ちゃんは音楽を愛する男子とか、いいって思うでしょ?」

「ボンにーちゃんじゃなければね」


 ガーン! という音が実際にはしないけれども、ボンはそれなりにショックを受けているようだ。

 ただわたしは、ボンって実は芸術に対する感性はそれなりに持ってて、だからこその普段のちょっと珍奇な行動がみられるってことなんじゃないかな、って思ってる。


 買い被りすぎかもしれないけどね。


「ここにしましょう」


 ボンがそう言いながらシートにわたしたちをエスコートしてくれた。

 ライブハウスとは言いながらも、今日の会場セッティングは2〜3人がけの丸テーブルがフロアに配置された、ちょっとしたバーのような雰囲気だわね。

 一応ドリンクも付いてるし。


 未成年の藍埜ちゃんが一緒なのでボンもわたしもアルコールは控えて、3人ともコーヒー。


 音楽にコーヒー、至福、って感じだよね。


「あ、始まりますよ」


 ボンがそう言ってステージを見ると、軽く音合わせしてた3人が挨拶をする。


 スタンドピアノの前にマイクスタンドもセットした女の子が軽く語った。


「こんばんは、『ファースト・エンディング』です。わたしはピアノとヴォーカルのケイトです」


「わあ・・・なんか雰囲気あるね」


 受験勉強一筋だった藍埜ちゃんはこの大人な雰囲気にとても嬉しそうだ。

 その雰囲気を保ったまま、ドラマーがハイハットのクローズ・オープンでリズムを刻み始める。ケイトさんがピアノの低音部分の鍵盤をダン・ダン、ていう感じで、なんていうの? 指をまっすぐ立てたまま押さえ込むような感じでさ。


「腹に響くね」


 事実その通りだったんだよね。


 どうやらケイトさんの左手は、ベースラインを奏でるような感覚らしい。

 バスドラと一番左側の方の鍵盤の音が重なると、心地よい低音で精神が癒される感じ。


 テンポはミディアム。


 ギターが入ってくると、タイトさがより一層増したよ。

 カッティングでケイトさんのベースラインに呼応するみたいにさ。


 それを幾小節か繰り返した後に、ケイトさんの右手が動き出したんだ。


「おおーっ!」


 会場のお客さんたちがどよめいたよね。


 流れるような右手の指。

 そもそもどうしたら左手と右手と違う動きができるの? って程度のレベルのわたしだから、もうケイトさんの指さばきが神業に見えるよ。

 でも、事実、お客さんたちのファッションを見てるとさ、いかにも音楽好きの通のひとたちって感じだし。

 吸ってるのもKEITHだったりとか。


 実はこのピアノのケイトさん、結構有名な人かもしれないって、今頃になって気づいたよ。


「エンリさん。ほら」


 そう言ってボンはパンフレットの出演者経歴を指差す。


 ちーっちゃい文字でよく見てなかったけど、


『ニューヨーク生まれ。13歳の頃からプロとしてクラブで演奏を続ける。ブルーノートにも出演経験あり』


「うわ、カッコいー!」


 私語はよくないのでボンとわたしでアイコンタクトを取って、にこっ、と笑い合った。

 藍埜ちゃんはなんだか面白くなさそう。


 彼女たちの音楽は、けれどもジャズではなかった。

 今聴いているオープニング・ナンバーはオリジナル曲なんだろうけど、ロックテイストだよね。


 あ。分かった。


 ジェフ・ベックだ!


 本人たちに言うと嫌がられるかもしれないけど、ジェフ・ベックがギターでやるような超絶テクの部分を、ケイトさんがピアノでやってる、って感じだね。


 もちろん、リッケンバッカーを操るおねえさんも、相当なテク持ってるんだろうけど、敢えて抑えてサイドに徹してるってことなんだろうな。


 わたしはこのユニットの演奏もそうだけれども、藍埜ちゃんの横顔にグッとくるね。

 18歳の、これから段々と大人の女性になっていくその境目の時期の、独特の横顔。

 真横から見ると、まつげも特に長く見えて・・・

 はは。わたしの高校時代をなんとなく懐かしんだよ。


 ライブは本当に和やかに進む。

 なんて言うんだろ、テクニックも凄いしハードなアップテンポの曲も多いのに、なぜかリラックスしてる。


「安心感、だよね」


 ぼそっと藍埜ちゃんがつぶやいた。


「??? 何? 安心感、って」


 曲間のMCの間に交わされるボンと藍埜ちゃんのやりとり。

 藍埜ちゃん曰く。


「絶対にミスタッチしないだろうな、っていう安心感がこのユニット全員ににじみ出てるもん。だからどんなに速弾きの曲でも、まるでイージーリスニングでも聴くように安心してゆっくり聴いてられる」


 なるほど。藍埜ちゃん、いい感性してるよ。そしてまた藍埜ちゃんにそう言わしめる、ファースト・エンディングの3人がすごいんだよね。


「ではここでみなさんのリクエストにお応えいたします」

「エンニオ・モリコーネのEnduring Movement!」


 ケイトさんの問いかけに、マルボロのパッケージの蓋を開けたり閉めたりしていたスーツ姿の男性が大きな声でリクエストした。


「わ。難曲ですね。映画、『海の上のピアニスト』で主人公が弾いたやつですね」


 そう言ってケイトさんは、着ているブラウスを腕まくりした。


「では、わたしのソロ演奏になりますけれども、約1分ちょっと。お付き合いください」


 そう言うや否や、ケイトさんの指が、見たこともない運動を始めた。


 ううん。見たことないというか、見えない。

 正しいかどうかわかんないけど、息継ぎせずに弾いてる感じ。


 若々しく美しいケイトさんの顔の眉間に深いシワが刻まれる。

 よくみると、袖を捲り上げたその腕の筋肉というか筋がこわばって、痙攣寸前のような状態に見える、それぐらいに細かな激しい動きを連続し、ケイトさんの額に汗が滲んでいるのがステージライトに照らされた水滴の反射で認識できたよ。


 ああ。

 もし花蜜花かみつかちゃんを連れてきてたら、この光景をすべて脳内ノベライズして、演奏シーンだけで短編を一作書き上げたんじゃないかな。


 言葉は悪いけど、曲芸の域にすら至るような速弾きで、しかも尻上がりにスピードが増してるような気がする。


 ケイトさんの顔が苦悶の表情になってきた。つまりこの曲はスピードの限界に挑戦する、そういう曲なんだろう。


 不意に不協和音で曲が終わる。


「ファンタスティック!」


 さっきまでアルコールとタバコにまったりと身を任せていたオーディエンスたちが、瞬時に総立ちになった。


 もちろんわたしたちも立ち上がったよ!


 そして、拍手喝采する。


 隣で演奏せずに見ていたドラマーとギタリストも、参ったなあ、という表情で笑いながら手を叩く。


 ・・・・・・・・・・・


 終演後、スカッとするような寒気の舞い降りる外に出て、この季節には珍しく晴れた夜空の、キン、とする冷たい照度の月光で頰を青白く照り返しながら、ボンと藍埜ちゃんとわたしは3人並んで興奮気味にライブのレビューを熱く語り合いながら帰路に着いたよ。


「ボンにーちゃん、エンリさん」

「ん? なーに、藍埜ちゃん」

「わたし、この街がすごい好きになりました」

「そう、良かった」

「生きてるって、こういうことなんですね!」


 そうね。

 そうかもしれないね。


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