コストってものはさあ・・・📈
「うーん・・・」
珍しくせっちゃんが唸ってる。わたしはせっちゃんの『ダイナー』自慢の大盛りアメリカンを飲んで一日の疲れを、『ほ・・・』と溶かしているところだった。
「せっちゃん、どうしたの?」
「え? ううん、ごめんごめん。なんでも無いのよ」
「そんなことないじゃない。難しい顔しちゃって。悩み事なら相談に乗るよ? いつも助けてもらってばっかりだからさあ」
「うーん。あのね」
「うんうん」
「値上げしようかどうしようかって思って」
『えっ!?』
わたしだけの反応じゃなかった。
常連メンバーだけじゃなくって店に居合わせたお客さん全員が声を上げたもんだよこれがさあ。
「あ、すみません。ちょっと・・・ほんのちょっとだけ収支が厳しくて。まだまだ頑張るつもりではいますから」
うーん。せっちゃん、見捨てられちゃ困るって思って本音を引っ込めちゃったな・・・
かわいそう。
どうすればいいのかな・・・
と、そんな風に思ってたら割とよく見かけるまだ若そうなリーマン男子のお客さんが口を開いたもんだよなんともまあ。
「要は単価を上げないのならばコストを削るって話ですよね」
「え? コスト? ま、まあそうですね」
「僕が見る限りこの店は原価は適正、店主の作業効率も最適、お店の光熱費もまあ、ごく一般的で削減の余地は少ない・・・となると後は一つですよね」
「な、何でしょうか?」
「人件費ですよ」
リーマン男子さんは、ジトジトした目でボンを見る。
「え? 何か?」
「キミは時給いくらだい?」
「え? 時給?」
「トータルの月のアルバイト代は?」
「ちょ、ちょっと、お客さん」
「はい」
「その・・・この子のお給料はプライバシーの部分ですから・・・すみませんけど」
「ふー。甘いですね」
「は、はい?」
「あなたは店主としてこの店を守る責任がある。顧客に対する責任がね」
「えっ? 責任、ですか? まあ、来てくださるみなさんにできるだけ長いことくつろいでいただける場所になったらとは思ってますけど」
「ならば、決断してください」
「け、決断?」
「アルバイトくん、君はクビだ!」
「なっ!?」
ボンが光速で反応する。
まあもっともだけど、なんというか・・・
このお客さんもどうかしてるよね。
しょうがない・・・
「あの・・・お客さん?」
「なんだ。君もよく見る顔だね」
「ええまあ。お客さんはそもそもこのお店をどうしたいんですか?」
「決まっているだろう。コーヒーはうまい、軽食もうまい、値段設定も顧客に優しい、店主はキビキビと気持ちのいい仕事をする、これらがすべて競争優位性となってこのカフェが乱立する沿線の激戦を見事に勝ち抜いている」
勝つ?
「それならば障害となるものを引き算すればいいのさ。つまり、アルバイトの彼だよ」
ボンは怒りの余り唇がブルブルと震えている。
怒りならまだ大丈夫。これが自己嫌悪に仕向けられない内になんとかしないと。
「お客さん。さっきコストっておっしゃいましたけど、コストってなんですか?」
「経済活動においては付加価値を生み出すために必要な元手のようなものとでも言おうか」
「ふむ。で、ボンはコストだけども働きに対して高すぎるコストだってことですか?」
「その通りだよ。彼の労働は要らない。店主だけでも十分回せる規模だろう、この店は」
「せっちゃ〜ん」
ボンがせっちゃんにも泣きそうな声で救いを求める。焦らないでもうちょっと待っててよ、ボン。わたしがなんとかしてあげるから。
「じゃあ、お客さん。あなたのコストは?」
「何? ふっ。形勢不利と見て他人の事情に話題を振るのは卑怯だが、乗ってあげるよ。わたしの会社でのコストは極めて適正な水準さ。給料に見合う貢献をしてるよ」
「そうじゃなくて、あなたのこのお店でのコストですよ」
「え? わたしのこの店でのコスト?・・・・・なんだ、それは?」
「じゃあ言い方を変えます。お客さんはこのお店にどれだけの貢献をしてますか?」
「週二回は最低寄ってる。コーヒーだけじゃなくサンドウィッチやピタブレッドも頼むからそれなりに収益に貢献してるぞ」
「ありがとうございます。でも、気付かれました? あなたがコストの話を始めてから大体10分。その間にお客さんが2人も帰っちゃいましたよ」
「偶然だろう」
「そうでしょうか? 少なくともわたしは今すぐ帰りたい気分ですけど」
「・・・・・・・・・」
「それにボンですけど。せっちゃん、どう? 重宝してるでしょ?」
「うーーーーーん」
「え?え? せっちゃん!?」
ボンとわたしは熟考するせっちゃんに思わず前のめりで声を揃えた。
「まあ、直して欲しい所もあるけど、ボンがいるとラクだわね。気分的にも。ボンは人柄がいいからねえ」
「人柄?」
リーマン男子が異世界の言葉でも発音するようにつぶやいたんだよね。わたしは丁寧に解説してあげたよ。
「そうなんですよね。ボンは人柄がいいんですよ。空気を全く読めないという欠点はありますけど」
「エンリさん!」
「それでもわたしはボンがいるからこのお店に来てる、っていうのもあるかなあ」
まあ、これは本音だ。せっちゃんはもちろん、ボンもそうだしクルトンちゃん、アベちゃん、ハセっちも。
みんないるから一日のほっとひと息のコーヒーも格別なんだよね。
「お客さんも長いこといらしてくれてわたしは嬉しいですよ」
せっちゃんが語り始めた。
「お客さんが初めてお越しになったのはまだ学生さんの頃だったですわね。ちょうど就職活動をしておられる頃で、ネクタイの結び方がガタガタでしたね」
「覚えておられるんですか?」
「はい。そういう商売ですからね。ウチのボンもサラリーマンやってたんですよ。色々あって辞めちゃいましたけど。お客さんはお仕事いかがですか?」
「まあ・・・いいことばっかりじゃないですよね」
よし。収束に入ろっか!
わたしはリーマン男子に語り掛ける。
「コストでもいいですよね、別にね」
「ん?・・・どういうことかな?」
「どうせコストになりますもん。年取って認知症にでもなれば」
「・・・・・・・・・」
「その時に、リストラされちゃうんでしょうね、わたしも、あなたも」
「・・・申し訳なかった」
一言静かにつぶやいて、そのお客さんはお会計したさ。
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