美しい曲、奏でてよ🎶

駅という公共の場で営業する飲食店の多くがいわゆる有線放送を利用している。

まあそれでもいいんだけれども、「ニューヨークの詩人」と呼ばれる憧れのスザンヌ・ヴェガに脳内妄想で勝手にあやかっているこの『ダイナー』にはもっと絞り込んだ選曲が必要じゃないかなあ。


・・・・・・・・・・


雨の音が途絶えない夜。

仕事帰りにいつものごとく『せっちゃん’s・ダイナー』に立ち寄って見慣れた天井の隅にぶら下がったキューブ状の物体を見てるんだけど。


「せっちゃん」

「ん? なに、エンリちゃん」

「いいスピーカーだね」

「ああ、これね。父親の形見なのよ。

BOSEのスピーカー」

「へえ・・・お父さんて音楽好きだったの?」

「そりゃあまあね。なんてったってロンドンっ子で若かりし頃はグラムロックの全盛期だから」

「へえー」

「知ってる? デヴィッド・ボウイとか」

「あ、聴いたことあるよ。ブルー・ジーンて言う曲だったけど」

「それは随分最近の曲よ」


いや、そんなはずない。

少なくともウン十年前のはずだ。

せっちゃん自分で50代って言ってるけどほんとかな?


「それでね、エンリちゃん」

「うんうん」

「このへんで流しのギターやってる人がいるんだって」

「流しのギター?・・・演歌?」

「ええ。ふらっ、と現れて大御所の有名な曲だけじゃなくって、知られていないけれども渋いブルースみたいな演歌もね」

「へー」


そうこう話しているとボンが食材の買い出しからのらりくらりと帰ってきた。


「せっちゃん、ただいまー。エンリさん、こんばんはー」

「ボン、相変わらず楽しそうだね」

「楽しいですよ〜。エンリさんも会社辞めてせっちゃんに雇ってもらえばいいですよー」

「どこまで適当なのよアンタは」

「ボン、うちは2人も雇う余裕ないから。どうしてもどちらか、ってなったら悪いけどエンリちゃんにするわ」

「ひどすぎる〜」


せっちゃんの経営者としての情け容赦のないコメントにボンが嘆いてると、また1人誰かやってきた。


「こんばんは。まだいいかな?」

「ええどうぞどうぞ」


せっちゃんはごく自然にその中年男性をカウンターに招き入れたけど、わたしは彼の背中に目が釘付けになった。


『ギ、ギター背負ってる!』


すべてを適当に受け流すはずのボンですらうろたえている。

ギターケースに入れて肩に担いでいるんじゃない。剥き出しのフォーク・ギターを背中におぶるようにして背負ってる!


「ん? ああ、これね・・・見ての通り、俺ぁ歌手なんだよ」

「へ、へー・・・演歌とか歌っちゃったりとか?」


ボンが恐る恐る応答する。


「演歌も歌う。けどそれ以外も。アンタ、演歌ってものの本質がわかってないね」

「え」


おー。

この『流し』? の人の話す内容は聞いた瞬間に深いな、と感じたよ。それが証拠に浅さを旨とするボンが既についていけなくなっている。


『大人』のレディたるせっちゃんがボンを引き継ぐ。


「演歌は音楽のジャンルではなく、その『魂』という意味かしら?」


にやりと『流し』が笑う。


「お姉さん、さすがだね。人生を知り尽くしてるね。演歌は人生なんだよ。泣きたいほどに真剣に生きてるひとたちの生き様なんだよ」


う・・・深い。

あれ? でもでも。


「じゃあ、一曲やらせて貰うよ!」


ちょちょ、いきなり弾くの?

と思ってたらせっちゃんがつぶやいた。


「他のお客さんはどうかしら」


流しがピタリと手を止める。


「すまねえ、お姉さん。熱くなりすぎて独りよがりになっちまったよ。嬢ちゃん、坊ちゃん」


もしかしてわたしとボンのこと?

異議を唱える間も無く流しは語り続ける。


「奥におられるお客さんたちは常連さんかい?」

「いえ、初めて見るひとばっかり」


実際駅を通りすぎる人たちがお客さんだからなあ。常連て呼べるのはわたしたちぐらいだよね。そう思って答えたんだけど、せっちゃんはわたしを正した。


「いいえ。エンリちゃん、あの奥の学生さん風の男の子はね、通勤や通学時間を外して月に何回か。それから今ベレー帽をかぶり直したおじいさまはね、隔月で決まった日に必ずいらっしゃるのよ」

「あ、そうなの? せっちゃん」

「ふむ。お姉さん。するってえと男の子は不登校の子。おじいさんは隔月の年金支給日だけささやかな贅沢をする独り暮らしだね」

「ええ、多分ね」

「どうして分かるの!? せっちゃんも流しさんも!?」

「酸いも甘いも味わってるからさ」


流しの言葉にせっちゃんはただ静かにまつげを何度か震わせた。


「ねえお兄さん」

「うむ」

「何か優しい曲を・・・聴いたことのないきれいな曲をあのふたりに弾いていただけない?」


流しのお兄さんはすうっ、と背中からギターを手に持ち替え、そっと指を動かした。


ゆっくりとした、弦がきしむ音すらメロディーの一部のように感じられる演奏。

ファルセットのコーラスが心地よく頭の前あたりから流れてきて、そして歌が始まった。


『あ、英語だ』


てっきりバラード系の演歌か、あるいは『◯◯町ブルース』とかいう感じの曲かと思ったらどちらとも違う曲。


掠れた声で確かめるように指を動かし、ギターを抱いている、という感じの絵になる。


曲が終わると、『常連客』のふたりとも目を片手で押さえていた。


人生は、悲しい。


「プリンスの『Sometimes it snows in April』ね」

「お姉さん、知ってたか」

「ええ。イギリス人の父親が唯一聴いてたアメリカ人の曲だったの」

「そうかい・・・『聴いたことのない』っていうリクエストには応えられなかったなあ」

「いいえ」


せっちゃんは歌い終わったお兄さんに、アメリカンの大きなマグカップを手渡す。


「あなただけの『4月の雪』だったわ」


わ。

大人だ・・・・


「ねえ、ボン」

「なんですか、エンリさん」

「渋くて深い男になってね」

「え。どうして僕に」

「アンタはわたしの全てを知ってるでしょ」

「え。エンリさんのスリーサイズとか知りませんけど」


ボン、ギターでも習わせてやろうか。



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