せっちゃん's・ダイナー

naka-motoo

ダイナー寄っていこうよ☕️

スザンヌ・ヴェガの「Tom’s Diner」って曲があるんだよね。


いいんだよー、これがさあ。


ダイナーでコーヒーを飲んでるほんのちょっとしたニューヨークの日常の風景を彼女がアカペラで歌うんだよね。


んで、わたしの最寄り駅にも「ダイナー」がある。

正確には50代半ばのイカしたレディ、「せっちゃん」が切り盛りしてる小さな小さなジュース・スタンドなんだけどさ、わたしの妄想で、「せっちゃん’s・ダイナー」って脳内変換してるんだ。スザンヌの曲みたいなグッとくる日々を送りたいからさあ。


そして、この店の常連はわたしだけじゃなくて他にも大勢いる。


クールビズでもベストを着続けるダンディな老紳士・アベちゃん。実はIT企業の協同経営者だというクール・ガイのハセっち、ひそかにいきなり海外の大学進学を狙ってる女子高生のクルトンちゃん、そして・・・


「おーい、ボンボンボンボン!」


わたしがアパートの隣の部屋をガンガンノックして連呼するとガチャっと遠慮がちにドアが開いた。


「エンリさん、僕の名前は『ボン』ですよぉ」

「名前じゃなくて、あだ名が『ボン』でしょ。で、今日は仕事は?」

「金曜日ですけど定時で上がれそうです」

「よーし、じゃあ、夕方6時半、ダイナーに集合!」

「はーい」


そのままボンは部屋にまた引っ込んだ。二度寝するんだろう。なんといってもまだ朝の4時半だから。


・・・・・・・・・・・・・


わたしの会社は完全ブラックでどのくらい黒いかというと某カフェチェーンの深煎りブラックコーヒーよりもはるかにどす黒い。純粋に定時で上がるためには朝一で仕事にかからないと到底終わらないので始発に乗るだけのことだ。


「うー、週末ダイナー、楽しみ楽しみ」


ほんとは今日の朝だってせっちゃんのダイナーに寄って野菜ジュースかコーヒーをゆっくり飲んでから出勤したいところだけども我慢我慢。コンビニおにぎりとボトルコーヒーを流し込みながらデスクで仕事の鬼と化そう。


すべては週末ダイナーのために。


・・・・・・・・・・・・・


遠里とおさと、ちょっと来い!」


ああ、やっぱり来たか。


「なんですか、水田みずた課長」

「これ、読んでも分からん」


スイデンはわたしの稟議書を赤鉛筆でつっつきながら目の据わった顔で睨みつける。


「課長、次のページ以下に詳細な資料を添付してあります」

「こんな細かいものを役員さんたちに読ませるつもりか?」

「え。(自分じゃなく、『役員さん』ときたか)はい」

「うちの役員さん方は判断するための時間が限られている。忙しいからな。一枚にきちんとまとめてそれで決裁してもらうようにしないとダメだろうが」

「課長。この案件の内容を理解して判断するためには添付資料を一通りお読みいただく必要があります。それに資料の内容は学術的なものなんかでなく、この業界で仕事をする上で必要な知識の範囲内のものです。役員さんであろうと仕事の『共通言語』として内容を理解していただく必要があります」

「とにかく、単語の意味も補足して、素人でもわかるようにしろ」

「ですが・・・」

「さっさとやればいいんだよ、遠里とおさと!」


水田課長が声を荒げたので部署内が一瞬、しん、とした。とにかくこの凍りついた空気を溶かさないと。


「課長、すみませんでした。今すぐやります(まったく非合理でも業務命令だから)」


ただ、どうにもならないモヤモヤを抱えたままのわたしはよせばいいのにこう言ってしまった。


「課長、わたしは新入社員の子もきちんと『さん』付けで呼んでます」

「だからなんだ」

「シメシがつきません。わたしのことも『さん』付で呼んでください」

「・・・残業してでも仕上げるんだ、遠里


・・・・・・・・・・・・・・


「わー、ごめんごめん、遅れちゃった!」


1週間の不合理な日々を終えてホームタウンに戻ったこの安堵感。改札を出てまっすぐ目に入る「せっちゃん’s・ダイナー」のみんなに手を振ると、なんだか場が湿気っているのが伝わってきた。


ボンが泣いてる?


「ちょちょ。どうしたの、ボン? 財布落とした? お腹痛い?」

「ちょっとエンリちゃん、いい社会人の男捕まえて子供みたいなこと訊いちゃダメだよ」

「でもさあ・・・」


ハセっちにたしなめられて一応真面目にボンの顔を見てみる。

ホントに涙を流してエグエグと泣いてる。時折、くくく、と悔しそうな声も立てる。

しょうがないな。優しく訊いてやるか


「ボン、どうしたの? 会社でなんかあったの?」

「すごいミスしちゃったんです」

「へえ、どんな?」

「倉庫一棟、全焼させました」

「え、ええっ!? だ、大丈夫なの、それ!?」

「多分大丈夫じゃないです〜」

「ボン、そんな状態でここに来てよかったの?」

「僕がショック受けてて仕事どころじゃない感じだったんで・・・上司から今日は帰れ、って言われました」


聞くと倉庫と言っても会社の駐車場にあるプレハブの小さな小屋で、置いてあるのも掃除用具程度でボヤで済んだらしい。ただ、原因が、照明の漏電で、電気を消し忘れたのが誰か、という話になったのだと言う。


「ボン、あなたが消し忘れたの?」

「いいえ。僕は昨日も今日も倉庫には一切入ってません」

「なら、どうして」

「一番下っ端なんで僕がなんとなくいつも電気消えてるかどうか確認してたんですよ。でも、昨日と一昨日は県外出張でいなかったんですけど」

「それでもボンが責められるの?」

「はい」

「ボンのところもブラックねえ・・・」


せっちゃんがクルトンちゃんに声をかける。


「クルトンちゃん、ボンとデートでもして慰めてあげたらどう?」

「えー、いくらせっちゃんの頼みでもそれだけは無理ですー」


くくく、とボンがより一層激しく泣き出した。


「よーし、分かったわよ」


ん? と全員がわたしに注目する。

ボンもとりあえず涙目のままわたしの顔を見上げる。


「わたしがボンの部屋行って慰めてあげるよ」


うおっ? とどよめきが起こる。


「エンリちゃん、それってそういうことなんだよね」

「はい」


アベちゃんの問いに覚悟を持った女のようにカッコつけて静かに答える。


「エンリちゃん、ボンでいいのかい?」

「ええ。構わないわ」


ハセっちの疑問形にもクールに答える。


「エンリちゃん、わたしなんだかそんなのやだよ!」

「クルトンちゃん・・・大人には時としてこういう恋愛も必要なのよ」


クルトンちゃんにも大人としての毅然さを見せる。


「エンリさん・・・」

「ボン・・・」


見つめ合うボンとわたし。


「エンリさん・・・エンリさんって、何歳なんですか?」

「はあっ?」

「20代ですか? それとも30代? まさか・・・」

「ボ、ボン・・・年齢なんかでは割り切れないのが男女の愛なのよ」

「いえそうじゃありません。それによっては今後の人生設計が変わってきます。僕とそういうことになるからにはきちんと責任を持っていただきたいので」

「えーい、ボンなんかクビになってしまえっ!」


・・・・・・・・・・・・・


結局ボンの件については何の解決もみないまま単にダベっていつもどおりのダイナーでの週末のひと時を過ごした。まあ、アルコールのないお店でいい大人たちと女子高生が過ごせる時間などほんのひと時だ。


けれども、これがやっぱり必要なんだな。


アベちゃんはそのまままっすぐ家に帰ってお孫さんとクラシック鑑賞。

ハセっちはシングルなので、自宅近所のバーに行くと言う。

クルトンちゃんはまだテスト期間中なのでファミレスによって少し勉強をやってから帰るそう。


同じアパートの隣同士のボンとわたしは、なんとなくレンタルショップに寄った。


「エンリさんは何借りるんですか?」

「えー、なんにしようかなー。うん、これ。『小説家を見つけたら』。小説家志望の男の子を作家デビューさせるためにショーンコネリーがその先生役になるんだよね」

「へえ・・・エンリさん、小説とか興味あるんですか?」

「うん。実は小説サイトに投稿してるんだけどね」

「えっ!? 知りませんでした」

「ほらほら。わたしのことはいいから、ボンは何借りるの?」

「これです。『死霊の血のプール・ファイナル』」

「アンタ、バカでしょ」


そのまま2人並んでアパートまで歩いた。

途中通り抜けるアーケードではショップのショーウインドウの前でダンスの練習をする高校生たちが何組かいた。


「ボン、会社、大丈夫?」

「・・・わかりません。エンリさん」

「ん?」

「僕、ほんとは獣医になりたかったんですよ」

「ああ、農学系の学校出てるって言ってたもんね」

「でも、ダメでした。全く歯が立たずで」

「・・・みんな結構そんな感じだよ」

「なんでこんなに辛い思いしして働かなきゃいけないんでしょうね」

「ボンとかは優しくて純真だから余計に嫌な思いすること多いだろうね」

「犬とか猫なら人間よりもピュアなのに」

「ボン、そんなツレないこと言わないでよー」

「え」

「だって、せっちゃん’s・ダイナーに集まるみんなはとんでもなくピュアでしょ」

「はは。そうですね」


アパートに着いた頃には月が高く昇っていた。暑い季節を過ぎてより光が透明度を増してた。


「じゃあ、ボン、おやすみ」

「は、はい・・・あの、エンリさん」

「ん。なに?」

「その・・・映画、怖くて1人で観れないです」

「はあ? あんなの借りるからだよ」

「でも・・・」

「えーい! じゃあわたしがボンの部屋で一緒に観てあげるよ。それならいいでしょ!?」

「部屋を片付けるのめんどいです」

「あーもう! なら、こっちおいで!」


わたしは部屋に


・・・・・・・・・・・・・・


なんだかよく分からなかった週末が終わり・・・まあ、よくわからないというか、実はわたしもだったんだけどね。ほほほ。


とにかくもまた月曜の朝が始まり、不条理な平日が動き出した。

わたしは相も変わらずブラックな環境でせっちゃんに淹れてもらったブラックコーヒーのポット持参でブラックな人間関係をやりくりする。


きっとみんな同じなんだろなー。

クルトンちゃんだって、勉強だけしてればいいわけじゃなくって、学校独特の腹の探り合いやらSNSのお付き合いやらあるだろうし。


ボンは大丈夫かなー。


そして、頑張って頑張って踏ん張って踏ん張って我慢して我慢して、ありとある困苦を受け流し涙を呑んで1週間が過ぎた。


金曜日!


「やあやあやあ、今週もまた遅れてごめーん。スイデンがさあ」

「エンリさん、僕、会社辞めました!」

「ああ!?」


素っ頓狂なわたしの声をものともせず、すでに集まっていたメンバーは、うんうん・これでよかったんだ、という何やら収束した雰囲気。


「ちょ・・・辞めたって、今日言って今日辞めれるもんじゃないでしょ?」

「はい。就業規則どおり1ヶ月後が退職日です」

「じゃあそれまでどうすんのよ。会社に居たって針のむしろよ」

「有給繰越フルであるんで。退職まで1日も行かずに休み続けます」


なんてやつだ・・・


「エンリちゃん、それもアリだと思うよ」

「アベちゃん」

「僕も人事担当してたことあるけどボンくんの会社はちょっとひどい。思い切って決断してよかったと思う」

「俺は何回か転職してるけど、ボンくんはまだ若いから早い方がいいよ」

「ハセっちも賛成?」

「わたしの学校でもいじめられてた子が居たけど、『無理して学校くる必要なんかないよ』ってわたしが不登校をアドバイスしたよ。間違ってないと思う」

「クルトンちゃんもか・・・でも、収入は?」

「とりあえずボンちゃんをうちで雇うよ。バイト代程度しか払えないけどね」

「せっちゃん・・・こんなの雇っていいの?」

「あー、エンリさん酷いですよー。この間の夜は部屋であんなに優しくしてくれたのにー!」


わわわわ。何言い出すんだコイツは!


「お、君たち、デキてんのか!?」

「おー。ついにかー!」

「わー・・・なんかヤダ。なんかすっごくヤダなー」

「じゃあ、乾杯しないとね」


せっちゃんがミキサーで全員分のミックスジュースを作ってくれて、グラスをカキン、とぶつけ合った。


ごちゃ混ぜの味がなんだか懐かしいなあ。


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