第9話
幾つもの『視線』の先がそこには並べられていた。誰がどこに向けている視線なのかは分からない。しかし、その部屋にいれば無数の視線があらゆるものを捉えているのが分かる。街灯の上から通りかかった買い物帰りの主婦が見せる憂鬱な表情を見つめたり、公園の遊具の下から遊びほうける子供たちのすりむけた足元を見つめたり、直接部屋の中に潜り込み箱がこれでもかと重ねられている押し入れの中だけを見つめていたり。あらゆる視線の集合体がそこには詰め込まれていた。
どれを見つめても、その意図は理解できない。監視カメラのようでいて、どこかそれには違和感が孕んでいる。
そんなモニターの集合体を前にして、晶は言葉を失っていた。晶が覗いた小窓の奥には、何十というモニター画面が壁一面にはめ込まれて、どのモニターもどこかの光景を映しているのだ。その機械的であり圧されるような数に晶は困惑を覚えている。
「あれ? あれって、商店街だろ?」
いつの間にか隣で小窓を覗いていた翔太が、モニターの一つを指さして何気なく言った。どうやら、翔太はそのモニター数に特別な感情は抱かないようである。
晶がその指先を追うと、商店街の一画を映していると思われるモニター画面を見つけた。そこには、駄菓子がいくつも並べられた光景が見える。二人がバクダンを購入したあの駄菓子屋が映っているようだ。
「ほら、ゴンがいる」
すると、そのモニターの端に丸々としていて緑色のジャージを着た人影が入り込む。店番をしているゴンだ。ゴンは映されているのに気が付かないのか、ノソノソと店先に現れてそのまま椅子に座り込みじっと動かなくなった。モニター越しに見ていると、なんだか巨大なぬいぐるみがちょこんと置かれたように見えて滑稽にも見える。
「おーい! 見えてんぞ!」
翔太が画面に向かって叫んだ。笑いながら手を振っている。
その姿を見て、晶が少し呆れた表情を見せる。
「聞こえるわけないじゃん」
「そりゃそうか」
晶に指摘されて、翔太はすぐに手を下げてつまらなそうに画面を見つめる。けど、翔太に見られていることに気が付いていない人間を観察しているのはまた面白い。翔太はしばらくゴンが映る画面を眺めてしまう。
すると、ゴンがまるでこちらに気が付いたかのように突然目を開いてカメラがある方へ視線を向けた。そして、僅かにだが口を歪ませて笑ったようにも見える表情を作ったのだ。
「……うっ!」
翔太は、その表情を目撃し引きつった顔を見せて後ろにのけぞった。
「どうしたの?」
その一瞬を見ていなかった晶が翔太に聞いた。
「いや、今さ、ゴンがこっち見て笑ったよ」
「本当に?」
晶も慌ててゴンが映るモニターを見たが、そこのゴンは目をつぶって椅子に腰かけたまま動く気配はなかった。穏やかな光景しかそこにはない。
「寝てるよ?」
「いやいや、笑ったって! こっち見てさ。嘘じゃないよ!」
真剣な表情で訴えかける翔太。あの表情の薄気味悪さが頭から抜けない。いつものゴンが見せたこともない表情なだけにインパクトは圧倒的であったし、視線が合ったかのようで恐怖すらある。だからこそ、簡単には否定できない。
二人はもう一度モニターを確認するが、翔太の必死な姿を馬鹿にするかのようにゴンは穏やかに眠り続けている。
「寝てるか……」
おかしいと言いたげに翔太は首を振る。ゴンの表情を見ていなかった晶は、ゴンの寝顔を見て何も感じない。ゴンがこちらに気が付いているなんて信じられない。
「あいつ、今度店行ったら問い詰めてやるか」
翔太は憮然としないながらもゴンが映るモニターから目を離した。
ヒー!
二人がモニターからほんの少しだけ目を離した瞬間、またあの体の底からグンッと突き上げられるような音がスピーカーから響いた。しかも、今度はエスカレートするかのように連続でスピーカーから鳴り響いている。
「ゴンが怒ったか?」
翔太が真剣な顔をしていった。
「まさか……でも、今気がついちゃった……」
晶は、モニター群を見つめてこわばった表情を見せていた。
ゆったりと腕を持ち上げてモニターを指さそうとしているのだが、その指は少し震えている。
「何にだよ?」
「あのモニターの画面……」
震える指が一つのモニターを指す。モニター群のほぼ中央に位置したそれだ。他よりもやや大きい画面。
「ゴンが笑ったか?」
「そうじゃなくて、あのモニターに映っている白いの見て」
翔太は、晶の震える指先を追う。
「えっと、あの白い袋みたいのが映っているやつ?」
「そう、あれをじっと見ててよ」
そう晶に言われて、翔太はモニター画面をじっと見つめだす。モニター内では数十秒間は何の変化も見せない。サンタが担いでそうな白い大きな袋が映っているだけだ。
だが、翔太がじれだしそうになった瞬間、変化が起きた。スピーカーがまた奇声を上げ始める。それと同時に、モニターが蠢き出す。それは、水が注がれた鍋に火がかけられた様子をじっと眺めているかのようだ。最初はゆっくりと湯の温度が上がっていくかのようにもぞりもぞりと動き、やがてはあの奇声と呼応するかのように激しくその身を爆発させる。ポップコーンが蓋の下ではじけるかのように、袋の中の何かがボンボンと暴れ出す。
「なに……あれ?」
「分からないよ」
二人はじっとはじける袋が映るモニターを凝視している。奇声と相まって、その奇異な映像は二人に恐れを与える。モニター越しだから、直接的に二人へ何かあるわけでもない。しかし、モニターの画像を二人が操作できるわけでもなく、そこにいれば強制的に奇怪な映像を見せられ、二人の小学生という幼い精神は蝕まれていく。二人は、互いにその映像を見て今までに体験したことのない胸騒ぎを覚えていた。
「にしてもよ、この画面といい、うるさい音といい、なんだよ? 誰がこんなとこ作ったんだ?」
「そうだよ! それがおかしいんだよ!」
晶は翔太を指さして叫ぶ。
改めてモニターの壁を眺めまわしてみる。その圧倒的な映像の洪水がもたらす迫力に二人は改めて呆然とする。翔太は、その光景から何かのテレビ番組で見た警備員が待機している部屋を思い出した。
「監視室だ。みんな監視されているんだよ」
晶はポツリと漏らした。
どのモニターにも、街の誰かが映り込んでいる。中には二人が通う小学校の同級生もいる。二人の母親もちらりとカメラの前を通りかかった。
そんな有り触れたはずの光景が崖の中の隠された部屋の中で見ることになるとは。二人は画面の中に映る何気ないはずの光景に戦慄を覚え怖くなり始める。
「大変なことだよな……」
「たぶん……」
二人の声は、若干震えていた。
「でも、やっぱりさ、誰が……どうして……」
「わからない……街の警備員?」
晶はかろうじて思いついた単語を口にしてみたものの、そこに自信はなかった。警備室なら、なぜこんな崖の下にあるのか。その疑問を晴らす説明までは晶にはできない。
翔太もまた、晶の言葉に反論できるほどの説得力ある説明はできない。
第10話に続く
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