第8話

 そういえば、心霊番組の中で死後の世界の話もしていたっけ。光の中で、誰かが死んだ人を呼んでいる声が聞こえるとか。その時はおばあさんが死にかけて、先に死んだ旦那さんがやさしく呼びかけてたとかそんなんだったと思うけど。


 晶はぼんやりとそんなことを思い出していた。


 それは、ほんのりと灯った優しげな光に包まれていたからかもしれない。決して眩しいわけでなく、だからといえ真夏の真夜中に灯る羽虫がたかった頼りない電灯の光の下ほど暗くもない。寒い冬の日にくるまっているぬくもりの残った毛布に宿る優しさと似ているかもしれない。


「……ら……あきら……」


 どこか遠くから声がしてきた。


 誰かが晶を読んでいる。


 そこで、晶は気づく。これが死後の世界に入る時に聞こえてくる声かと。自分は死んだのかと。


あの番組は本当だったんだ。死んだ人が僕を迎え入れてくれる。


でも、まだ父さん母さんは死んでないし、おじいさんおばあさんも生きている。じゃあ、誰が僕を読んでいるんだろう? 去年飼っていたカブトムシさんかな。死んだら昆虫も喋られるのか。


「晶!」


 それまでの遠くから聞こえる感じとは違い、途端に耳をつんざくような声がした。鼓膜を直接振るわせられたかのような大声。それで、晶の意識ははっきりとする。


 晶の目の前に、翔太の顔があった。心配そうな顔をして晶をじっと見つめている。


 そうか、翔太が死後の世界で待ってたのか。


「……ああ、翔太か。カブトムシかと思った。あれ? ということは、翔太が先に死んでたの?」


「はぁ?」


 翔太は、これでもかというくらいに眉や目元口元を歪ませて複雑な表情を作った。


「寝ぼけるなよ。俺、死んでないぞ。お前もな」


「え……でも、光の世界に包まれてたし、テレビで観たのと同じだよ」


「なに……仕方ないな」


 そう言って、翔太は倒れ込んでいた晶に覆いかぶさるようにしてのしかかる。小学生の体でも、華奢な晶の体は覆われて翔太の体の重さがしっかりと襲ってきた。


「やっ、やめてよ! 重い!」


「ほらほら、早く起きないと」


 翔太は晶の両肩をガッシリと掴んだ。そして、ゆっくりと腕立て伏せのように腕をたたみながら顔を地面の方へ、つまりは晶の顔へと近づけていく。


 その翔太の重み、ガッシリと掴まれた肩の感触、そして何よりも、翔太の呆れるほどにバカバカしい態度が晶がまだ生きていることを実感させてくれる。


「ちょっと! やめて!」


 晶は半笑いで抗議した。生きている実感をかみしめる暇もない。だけど、その翔太の冗談が、引き続き晶に現実世界を実感させて嫌な気にはなれないでいる。


「なんだよ、やめてほしいのか?」


「やめ……て……」


 顔をそむけながらか細い声で答えた晶。その体はぐっと力が抜けている。


「フフーン……」


 笑みを漏らした翔太。


 だが、そこで二人の体が再び硬直する事態に。


ヒーン!


 耳をつんざくような甲高い音が二人のすぐそこから発せられた。晶の鼓膜がまた揺れる。耐久性がどこまで信じられるか不安になるくらいだ。だが、おかげで意識がより鋭敏になる。翔太の冗談よりも瞬発力のある効果だ。


 忘れかけていた。


 そうだ、あの音だ。二人がさんざん恐怖におののいたあの音がまた襲いかかったのである。しかも、少し前とは明らかに違い、それはもうすぐそこまで迫っているほどに大きい。


 音は二人の体の中を走り、二人は麻痺したかのようにお互いの顔を見つめ合いながら動きを止めた。刹那的な間を抜けると、今度はお互いに体を震わせ出す。親にいたずらが見つかった瞬間、いや、それ以上の危うい瞬間なのかもしれない。脳がしきりに赤シグナルを送り続け、体中をムチ打ち続ける。生命の危機だと。


「すみません!」


 ほんの少しの間を開け、翔太は晶の体から跳ね起きて頭を下げた。綺麗なまでに四十五度の角度を確保している。


 しかし、そんな華麗なまでに決めた謝罪姿なのだが、誰からの反応もなく沈黙だけが訪れる。


 そこに遅れて晶が起き上がってきた。


「翔太、誰もいないよ」


「……え?」


 晶に指摘され、翔太はゆっくりと顔を上げた。


 そこには、幽霊どころか無断侵入した二人を咎める怖い顔をした警備員のおじさんもいなかった。


 そもそも、人がいないのだ。誰もいないにもかかわらず、大袈裟に頭を下げて一人で謝っていた。


 翔太は、上げた顔を今度はゆっくりと左右に振る。やはり人影などどこにもない。そこは翔太の家の自室よりは広いものの、それでも決して広い空間と表現できるほどのそれではない。そこに、ゆったりとした波を打つような曲線を描いたソファーと、簡素な木の机がそれぞれ一つずつ置かれてあるだけだ。人が隠れる隙間もなく、部屋を一瞥するだけで誰もいないのはすぐに分かる。


「誰もいない? じゃあ、あの音はどこから……」


 そう翔太が疑問を口にしている最中に、また


 ヒュ、ヒューン!


 と部屋に音が鳴り響く。


「あそこだ!」


 と、翔太が何かを見つけたらしく部屋の一画を指さした。


 そこには、小学生でも両手で抱えて持てる程度の大きさをした黒い箱が、壁の上部に張り付けられているのが見て取れた。おそらく、スピーカーだろう。学校の教室で見られるそれとほぼ同じ形だ。それを見て、翔太は急に力が抜けたようになる。俺はスピーカーに向かって謝っていたのか、と。


 フゥーン!


 またスピーカーからブタが悶えるような音が響いた。


 スピーカーからの音だとわかっても、翔太は一瞬体をびくつかせてしまった。それを誤魔化す意味でも、翔太はギッとスピーカーを睨めつける。


「なんだよ、驚かせやがって!」


 翔太は、スピーカーに向かってありったけの声でどなりつけた。


 アヒヒヒ……


 すると、人を小ばかにしたようなけたたましい笑い声にも似た響きが返ってきた。


 スピーカーは無機物であり感情はない。いくらむきになって怒鳴り返しても意味はない。それは翔太にも分かっているはずなのだが、恐怖と混乱も混じりあってどうしても張り合う気持ちが高ぶってしまう。


 そんな翔太に構わず、晶は一人で壁の方に近づいていた。何かに気が付いたのだ。


 壁の一部に窓がはめられているのだ。


 荒ぶる翔太を放っておき、晶はそっと小窓を覗いてみた。


「なに、これ……」


 晶は、小窓から見えた光景に言葉を失った。



第9話に続く

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