思惑

「久しぶり」

 オーエン近くの居酒屋に呼び出された水島は、小早川の姿を見つけた。

 八重子が仕事を継続することは、メールで簡単に報告しただけだった。気まずくて会う気がしなかったのだ。小早川も、放っておいてくれた。

 1週間ほどたった日、近くに来たから一杯どうかと小早川に誘われ、出てきたのだった。


「報告にも行かずに、悪かった」

「いいよ」

「遅くなったけど、仕事、うまくいって良かった」

「ああ、瀬戸さんね。うん、良かった。君のおかげだよ」

「なんだよ。嫌味か?」水島は自嘲した。

「いや、心から言ってるよ」

 小早川の言葉に、嘘つけ、と水島は思った。

「それにしても、彼女、辞めると思ったんだけどなあ。仕事の失敗が続いて、それに耐えられる性格でもなさそうだと踏んでたんだが」

「以前の彼女なら、そうだったかもね」

「なぜ?」

「彼女は昔から、精神的に弱い部分があった。両親の顔色をうかがいながら、将来の道を選び、せっかく掴んだ大企業の研究職だって楽しんでいなかった。そして、ごくつまらない人間関係に振り回された。でもそれは、多少の心の揺れなんか気にならないくらい夢中になれること、楽しめることがなかったからだよ。あとは、人に弱みを見せられない完璧主義の性格とね」

「なるほど」

「だから、今回はその2つを克服する方法がポイントだった。1つは以前も言ったけど、彼女の得意なサポート業務である秘書という仕事を選んだことだ。もう1つは――」小早川は言いよどんだ。

「もう1つって、性格のことか?お前はそれも対処済だった――、ということは」ここまで言ってみたものの、水島は検討もつかなかった。

「君だよ」

「オレ?」

「彼女の相談相手になってくれただろう?」

「ああ。仕事上、当たり前のことをしただけだが」

 ああそうだ、小早川にまだ言っていなかったことがあった、と水島は付け加えた。

「そういえば、彼女と付き合うことになった。彼女にはまだ言っていないが、ゆくゆくは結婚したいと思っている」

「そうか。付き合ったのか」さらりと流す小早川。

「これも想定内か?」水島は冗談のつもりだったが、小早川は何も言わなかった。「ちょっと待て。……そうなのか?」

「彼女の場合、ただの仕事だけの関係じゃ、だめだった。その程度じゃ、さらけださないだろうな」

「オレが彼女に惚れて、告白して付き合うことが予定通りだった、っていうのか?」じわじわと怒りが込み上げてきた。

「そこまで計算していた訳じゃない。そうなれば、最高だと」

「ふざけるな」怒鳴り声が店内に響いた。「バカにしてるのか」

「そんなことはない。まあ、怒るなよ」

 ここが居酒屋じゃなかったら殴ってたぞ、と思いながら、水島はビールを飲み干し、店員を呼んだ。「おかわり、ください」飲んで気を紛らわせるしかない。


「騙したような形になったことは、申し訳なかった。でも、今回の仕事を成功させるためには、そうするのがベストだと判断した。それに、君の気持ちを弄んだわけではないよ。状況を整える手伝いはしたが、気持ちまでは操作できないからね」

「それはそうだが」

「彼女が心を開く相手であれば、正直、他の人でも良かった。職場には、年頃の男性社員も多い。秘書をしていたら、社長に同行することもあるだろうから、何なら他社の人間でもね」

「別に男にこだわらなくても、女でも良かったんじゃないのか」

「まあね。でも、女の友情なんてもろいものだよ。特に、彼女は女同士で群れるタイプではないから、いい友人を見つけるのは難しいだろう。現に、同僚の女性社員は彼女に嫉妬していたというじゃないか。それに、悩みを相談する友人よりは、彼女の精神安定剤になる人が良かった。だから女より男がいいんだ」

「はあ……」

「あと、こうなったら全部言ってしまうが――」

「まだあるのか?」

「彼女は、いい奥さんになるだろうなと思っていた」

「は?」

「結婚に向いている。セクハラとか言われそうだから、大きな声では言えないけどさ。究極のサポート業務って妻だと思わないか?秘書が社長を支えるというのであれば、妻は夫を支える。縁の下の力持ちでいることに快感を覚えているようだし、料理が得意で人に振る舞うのも好き。彼女の母親は専業主婦で、家事に手を抜かない人のようだった。それを見て育った彼女は、小学校の卒業文集に『お母さんみたいになりたい』と書いていた。しかし、母親の時代と違って、今は当然のように女性もバリバリ外で働く時代だから、彼女もその流れに乗っていった。職場での出会いは少なく、少々、不器用でもある彼女は、長らく恋人がいない。いても悪くないのに、だよ。だから、お膳立てだけして、あとは本人に任せてみようと考えたのさ」

「お前は、いつから結婚紹介所になったんだ」

「結婚も1つの就職みたいなものだろう?要は妻として、どのように自分が振る舞うか。家事全てを妻がやる時代じゃないから、それは臨機応変に対応すればいいが、夫を支えるのは1つの大きな仕事だ。サポート業務が好きなら、そこに行ってみる価値はある」

「そういうこと、いうなよな」自分が八重子の就職先だなんて、考えたくもなかった。

「夢も希望もないことをいってしまったが、もちろん、そんな単純なものではないだろうとは思ってるよ。まあ、頑張って」

 小早川の冷めた結婚観は、水島の怒りをしぼませるには十分だった。

 小早川の作戦は巧妙だった。


 水島が八重子に気がある気配を感じ取るや否や、2人を接近させるシチュエーションに持っていくために、山田にある依頼をしていた。

「八重子を短期間で追い込んで欲しい」と。

 八重子の仕事量を山田がどんどん増やしたのは、小早川の指示だったのだ。八重子が割った花瓶は何の記念のものでもなかったが、さも大事なものであるかのように振る舞った。加奈が翻訳を沙織にやらせてはどうかいう提案に来ると、敢えてすぐに乗った。

 先日、小早川がふらりと会社に来たのは、八重子ではなく山田に会うのが目的だったのだ。

 自分は小早川の手の平で踊っていたのか――。水島は愕然とした。

「じゃあ、もしオレが瀬戸さんを好きにならなかったら、どうするつもりだったんだ?」

「作戦2に変更だ。彼女に少しでも興味を持つ奴を探して、そいつに応じた状況を整える」

「一体、何なんだよ……」水島は疲れてきた。

「あらゆる可能性を考慮して、準備を整えておかなくちゃいけないからな。それが仕事ってもんだ」

「お前の素晴らしい仕事ぶりは、よく分かったよ。でも仕事、仕事って。仕事さえ成功すれば、何やってもいいのかよ」

「仕事は、依頼してきた客のためにある。その客は、自分の幸せをかなえて欲しくて、うちにやって来る。僕は、仕事の向こうにある人の幸せを、手助けしているつもりだ。彼女はこれまで自分が信じてきた価値観を破って、新しい道を見つけ、君という恋人を得た。山田社長だって、彼女が秘書に来てくれて助かったと言っている。それに、結果的に君も良かっただろう?」

「まあ……、そうだけど……」

「それに、君にも適した仕事を見つけた、ともいえる。君を必要としている人のそばにいるのも、立派な仕事だよ。給料は出ないけど」

「あーあ、もう分かったよ。彼女と付き合えてよかった。そういうことにしておこう。お前には敵わないよ」水島は、天井を仰ぎながら投げやりに言った。

 小早川のいう事は確かに一理ある。でも、問題はそこではなかった。完全に小早川が一枚上手だったことが、悔しかった。

「そんなことはない」と言った後、意味ありげに微笑んだ小早川に、水島は気づいていなかった。







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