隠居魔王の成り行き勇者討伐 倒した勇者が仲間になりたそうにこちらを見ている!
空庭真紅
Episode Ⅰ 『世界最強の男』
耳をつんざく爆音と大地を揺るがす揺撃が轟いた。美しかった森と湖は見る影も無く、焦土と化した今では黒焦げた地表が白い煙を上げている。
「魔王、貴方本当に弱くなったのですか……?」
肩に掛かった煌めく金髪を腕で払い、サファイアの様に美しい瞳を細めて美少女は言った。携えているのは鏡の様に磨き上げられた白銀の剣で、その刀身には電気が帯びており、少女自身にも剣から溢れ出る雷光が纏わり付いている。
少女の視線の先には、地面に片膝を突いて肩で息をする青年がいた。
青年――、魔王ディア・ベルシアスは見た目こそ少女と同年齢に見えるが、その実力は世界最強を誇る。魔族と人間の長い戦争の歴史に終止符を打った人類史における特異点的存在だ。
白髪に紅い瞳が特徴で、浅い呼吸をする口からは鋭い犬歯が覗く。吸血鬼族の特徴である美男美女の恩恵を授かったディアの顔は凜々しく、苦しげな表情を浮かべる姿でさえ様になっている。
「戦争が終わってから俺は一人の血も吸っていないからなぁ。弱くなっててもしょうがねぇだろ。ホントに容赦ねぇな聖剣使い。見て見ろよ、俺のお気に入りスポットが台無しだぜ」
スフィアと呼ばれた少女は辺りを一瞥する。自分が振るった力で周囲の地形は様変わりしており、やり過ぎたかも知れないとバツが悪そうに魔王から目を逸らした。
「……手加減はやめてください。何故魔剣を使わないのですか」
「そりゃ、手加減がしにくいからだ。俺はもう隠居してんだよ、いまは静かにのんびり暮らしてんの。お前こそ突然やってきて戦ってくださいなんて言い出して、ついに頭のネジでも飛んじまったか? まぁ、暇だったからいいけどよ。たまには身体動かさないと鈍っちまう」
ディアは半笑いを浮かべながら立ち上がり、羽織っていたマントを脱ぎ捨て、さらにシャツまでも脱ぎさって上裸となった。露わになった魔王の身体は鍛え抜かれており、細く引き締まった肉体には無駄な肉が無い。
「何故脱ぐのですか……!?」
手加減されていると知ってむくれていたスフィアは、頬を僅かに赤く染めながら言う。ディアの肉体を直視するのが恥ずかしいのか、視線を泳がせる。
「続きやるんだろ? 脱いだ方が気合いが入るからな。しかし、なんで聖剣使いの勇者様が俺と戦いたがる?」
ディアは小指で耳をほじりながら鋭い視線をスフィアへと向けた。
力が衰えているという噂が流布する程度には顕著に弱体化してしまっているが、それでも世界最強の座を他人に譲った事は無い。
そのディアを討ち取ることができればどんな無名な者でも一躍最強の称号を得ることが出来る。そのため武勲を打ち立てたい馬鹿が時折訪ねてくる事がある。
聖剣使いと言われれば戦争に関わった人間が一同にスフィアを連想するほど、彼女の名前は売れている。何せ、彼女は全盛期の魔王と幾度も戦い生き残った人類最高峰の実力者だからだ。そんなスフィアが馬鹿共と同じように名前を売るためにディアに挑むとは考えにくかった。
「最初に言ったじゃないですか。私がもし勝ったら何でも一つお願いを聞いてくださいと。もしかして聞いてなかったんですか?」
「そうだったか? いや記憶にない――」
そこまで言って、スフィアが再びむくれ始めている事に気がつき、
「あー……、いや。そうだったな! そうそう、お前が勝ったら何でも聞いてやる約束だったな」
慌てて訂正した。そういえばディアの住む小屋にスフィアが訪れて来たとき、彼女が小さな声で何やら言っていたのを思い出す。それから突然大きな声で決闘してください! と言ってきたのだった。ほとんどの部分は耳掃除に夢中でろくに聞いていなかったなど口が裂けても言えない。
「最低です! 私があんなに勇気を出して告白したのに聞いていなかったのですね!?」
「あぁ、クソ。取れそうだったのに」
さっきから耳の中でコロコロと音を立てて鬱陶しかった耳糞が引っ込んでしまい、ディアは舌打ちを漏らす。そんな不真面目なディアの姿にカチンと来たのか、スフィアの魔力が人智を越えた勢いで膨れ上がる。
「雷光よ! 焼き尽くしなさい!」
スフィアから溢れだした魔力が聖剣を介して魔法へと変換された。それは圧倒的な雷の熱量による暴力。幾つもの細い雷が束となり極大の雷柱が生み出され、それが縦に連なってディアを襲う。
「テメェ、ホントに加減を知らねぇなぁ!」
横に飛んで回避したディアだが、大振りな攻撃を行使した術者がそれを予想していない訳がなかった。雷光を帯びて爆発的な踏み込みでスフィアが駆け、銀の剣閃が閃く。
ディアは咄嗟に虚空から魔剣を召喚し、スフィアの斬撃を真っ向から受け止める。今の一撃は手を抜いて受けきれるものではなかった。全盛期の自分ならあるいはと考えるが、その事実が自分の衰退を如実に表していて歯がみする。そもそも思考に耽っていられるほど余裕は無い。
「魔王ディア・ベルシアス! 私が勝った暁には貴方のお嫁さんにして頂きます!」
「はぁ!?」
鍔迫り合いに発展した最中、そんな事を言われてディアは素っ頓狂な声を上げる。心なしか力が抜け押し切られそうになるが、歯を食いしばって何とか持ち直す。さらに力任せに剣を振るって受け止めるスフィアを弾き飛ばした。
対するスフィアの反応は早い。空中で猫の様に身を翻して体勢を立て直しつつ、素早く呪文を紡いで新たな魔法を展開する。スフィアを中心に地を這う雷撃が放射状に放たれた。
ディアはスフィアの雷撃を避けようとはせず、魔剣を渾身の力を込めて地面に叩きつける。地面はさながら隕石が衝突でもしたかの様な勢いでめくれ上がり、粉々に砕け散った岩盤が空を舞う。地表を伝っていた雷は方々に霧散し、ディアへと達する事は叶わない。
「普通は飛んで避けますよ、魔王!」
スフィアは自分の魔法が防がれると読んで、さらに上手を行こうと新たな魔法を発現させる。彼女の周囲には百に及ぶ雷の球体が生み出され、それらが一斉に矢となってディアへと殺到する。
「他人の事なんざぁ知るかよ」
自分に襲いかかる百の雷撃など知った風で、ディアは流星の如くスフィアへと肉薄する。雷の矢が降り注ぐよりも早く術者へと間合いを縮めて見せたディアの動きは人間業ではない。そもそもこの戦闘自体が常軌を逸した苛烈さなのだがそれを指摘する者はこの場には存在しない。
まさか詰められるなどと予想もしていなかったのか、スフィアの反応が僅かに遅れる。だが、その刹那の間が魔王との戦闘では命取りだった。
ディアの振るった剣を辛うじて受け止めるスフィアだが、防御の姿勢も力も甘く、大地を砕く一撃を受け止めきる事はできなかった。吹き飛ばされたスフィアは受け身もままならず、何度も地面を跳ねたあと、ディアが住まうボロ小屋に突っ込んでようやく停止した。
「……やっべ」
自分の小屋に大穴が空いたのを見て、慌てて正気に戻る。最初はスフィアの攻撃を防ぐだけだったのだが、遊んでいるうちに身体が全盛期の感を取り戻し、ついに楽しくなって攻撃してしまった。
戦いを楽しんでしまった自分を呪いつつ、慌てて飛ばしてしまったスフィアの元へと駆け寄る。
馬小屋より小さなお手製の小屋の壁はぶち抜かれ、ちょうどベッドを叩き割ったところでスフィアが倒れていた。呻き声を漏らしている所を見るに、命も意識も手放していないようで一安心する。
「おい、大丈夫か? 悪い、やり過ぎた」
「魔……王……」
スファイが身につけていた軽鎧は粉々に砕け散り、衣服は派手に地面を転がったせいで至る所が破れている。特に酷いのがスカートだった。どこかに引っかけたのか盛大に破れていた。最早スカートとしての役目は果たせておらず、純白の下着が晒らけ出されている。
普通の人間なら魔王の一撃を喰らった時点で全身の骨が粉々になる所だが、聖剣使いに授けられた加護というのは凄まじい。スフィアが負った傷というのも打ち身と多少の切り傷程度。やってしまった本人も安堵の息を漏らした。
負けた事がよほどショックだったのか、スフィアの瞳はどこか虚ろだ。
「……後生です、お嫁さんにして頂けませんか? 国に帰りたくないのです」
勝負に負けたとは言え、それでも諦めきれないのかスフィアは涙目で懇願する。その青い瞳の奥には底知れぬ闇を感じて、ディアは話くらい聞いてやるかと思ったのだった。
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