雨に恋して。

坂戸樹水

第1話

 僕は 前田まえだ快晴かいせい。図書館司書に従事しています。

女性には事欠かない事から、見た目もそこそこと自負しています。


 日々の仕事は単調に見えがちですが、見た目以上にハード何ですよ。

本の貸し出しをしていれば良いのだろう、そんな怠惰な感覚で就職した事を悔いる程です。

特に、当館は国立の中でも最大級の規模を誇る図書館でして、歴史的文献も多く取り扱っています。


 利用者に求められれば速やかに ご案内できるだけの知識が必要です。

分厚いだけで無く馬鹿デカイ本まで様々ですので、取り扱いには要注意な力仕事からも逃れられません。


 失礼ながら……

非常識な利用者様もいらっしゃいますから、胃に穴が開いている同僚もいたりいなかったり。

休憩時間には健康療法について語るなど、年齢にしてはかなり地味な思考回路に仕上げられます。

ただ、こうした事を踏まえても、騒がしい空間を好まない僕には適職なのだと感じています。

人の気配はあるのに、森閑とした空間に安心感を得ます。


 同僚には、


『キミが受け付け担当になる曜日は女性の利用者が増える。

ソレも飛び切りオシャレした感じの子達が』


 何て、遠巻きに羨ましがられたりするのも、ハッキリ言って爽快です。



「あのぉ、前田サンのオススメの本ってありますかぁ?」



 私語は慎まなくてはならない館内ですから、若い女性の利用者は猫なで声を潜めて僕に寄り添ってきます。大変 喜ばしい事です。


「どのようなジャンルの物をご希望ですか?」


 当然、このような手合いの女性が好んで本を読む訳がありません。

僕を物色する為のテイの良い話題に本を持ち出しているに過ぎないのですから。


「ぇ、えっとぉ……何かぁ……ラブストーリーとか? 人気がありそうな本とか?」

「では、映画はお好きですか?」

「えっ? はい、勿論ですっ、大好き!」

「でしたら、来月に公開される恋愛映画の原作をお読みになるのは如何でしょう?」

「……ぁ、あぁ! そ、そぉですねぇ、そぉゆぅのもイイかも知れませんねぇ、」


 まさかドサクサに紛れて、この僕がナンパな真似をするとでも?

とんでもない誤解ですよ。ちょっと鎌かけて楽しんだだけです。


こんな感じで、物静かに過ぎてゆく業務に彩を添えながら僕の日々は流れて行く。


(今日も来るだろうか?)


 返却された本をワゴンに乗せ、書架に戻す傍ら、僕は窓の外を見る。

今日は朝から小雨が降り注ぐ曇天。こんな日の午後は決まって彼女が訪れる。


(赤い傘…)


 窓の外を横切る真っ赤な傘が目印。

僕の目は、自然とその傘を追ってしまう。


(やっぱり来た。今日は何を読んで行くのだろう?)


 彼女が当館を利用するようになって、1年程経つでしょうか。

雨の日の午後にだけ訪れ、そして、閉館までの時間に読めるだけ本を読んで行く。

基本は館内閲覧に留まり、自宅に本を持ち帰ったのはコレまでに1度きり。

確か、フリードリヒ・ニーチェがルサンチマンについて書いた【道徳の系譜】と言う本だったか……


(この前は黒の上下を着て大人びた格好だったが、今日はオレンジ色のワンピースか。

うん。僕はコッチのスタイルの方が好みだな)


 ああ、駄目だ駄目だ。コレではストーカー扱いされてしまう。

僕はワゴンを押し、彼女が見えない書架の間に足を進める。


 ちなみに、彼女は雨居あまい弥由子みゆこサンと言う。現在20才。

この図書館からバスで20分程行った先に住んでいるようです。

何故こんな事を知っているのか……ソレは愚問でしょう。

貸し出しカードをチェックすれば、この程度の情報は簡単に手に入ります。


 いや、全ては偶然です。

彼女が初めてこの図書館を利用した時の受け付けが僕だったんです。

1度きりとは言え、本を持ち帰るには利用者名簿の作成が必要になります。

身分証明書の提示と、書類にはあらかた記入して貰いますから、その時 目に入ったに過ぎません。


(彼女が初めてココに来た時は、グレーのコートを着ていたっけ)


 彼女はとても印象的でした。何がって、見た目が。徹底的に。

静かで無機質な館内に赤いチューリップが1輪咲いたような、そんなイメージ。

小柄で手足は か細く頼りない。そして、大きな目に長い睫毛。

絵に描いたような少女のフォルム。


 けれど、黒目がガラス玉のようで、何も映していないような……

そんな筈ありませんが、そんな気がしたんです。



(【無】と言う文字を人に起こしたら、彼女に成り代わるのではないだろうか?)



 見た目と奥に秘めた本質が真っ向から対立している。

こんな感想を持つ何て僕はだいぶ失礼な男ですが、そう思っているのは僕だけでは無いと思いますよ?

現に、本の虫になっていた男性利用者が、チラチラと彼女の動向を目で追っている。

不思議そうな面持ちで。

ぁ。いや、獲物を狙うような目をしたのもチラホラ……

ああ、何て物騒な世の中でしょうか。

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