半襟365(はんえりさんろくご)

@hasegawatomo

第1話 千鯉さんとバイト君

 とある秋の日。千鯉せんりさんは朝起きて、いつものようにお湯を沸かす。緑茶を淹れて台所を離れる。千鯉さんは、艶やかな黒髪に櫛を通して、着替えをはじめる。足袋を履いて、肌襦袢にすっと腕を通し、補正をする。今日の長襦袢はからし色に黒猫の模様が入っている。


 半襟は何にしようか悩む。千鯉さんの至福の時間。だが気に入る半襟がなかったため、もともと付いていたコスモス柄の半襟で妥協した。後から買いに行くのも一興。着物は袷の水色が地色で、水玉模様の小紋。帯は濃いグリーンの袋名古屋帯。帯揚げ・帯締めにはコスモスと同じ色を選んだ。


 千鯉さんは緑茶を飲みながら、軒先から庭を見つめる。庭いじりは苦手なため、草花はあるがままになっていた。そんな雑然とした庭もお気に入りだった。簡単に家の中の掃除を済ませて、馴染みの店に、半襟を探しに出かけた。


 店の名前はマリー。和洋折衷の店で、店主の趣味でやっているとしか思えない自由っぷりだった。千鯉さんは、いつものように、半襟の棚に行く。今日のこの着物というより、今日の気分に合う半襟を吟味する。ふと、リンゴの模様が大胆にあしらわれている1枚を見つけた。一目ぼれを千鯉さんは信じている。


 お会計に行くと、いつもの店主ではなく若い男が対応した。

「あなた、バイト?」

「ええ、店長とは知り合いなんですけど、今日だけ頼むと言われて」

「そう」

「この半襟素敵ですね。着物と重なった時が最高だろうなって思います」

「じゃ、バイト終わったら、うちに来なさいな」

「そんな、急に」

「私もこの半襟をつけているところを誰かに見てほしいし」


 そう言って千鯉さんは、名前と住所と電話番号をレジ横のメモ帳に書き、バイト君に渡した。


 夕方、本当にバイト君が来た。押しに弱いのか、真面目なのか。


「いらっしゃい」

「うわっ、やっぱりその半襟いいですね。て言うか想像以上です」

「よかった。褒められるっていくつになってもうれしいわ」

「千鯉さんっていくつなんですか?」

「それってあなたにとって大切なこと?」

「いや、お綺麗だから」

「私はあなたの年なんて気にしてないけど」


 そう言いながらバイト君の手を取って、千鯉さんは軒先に案内した。


「ここ私のお気に入りなの」

「そうなんですか」


 静かな時が流れる。


「バイト君、名前は?」

れん火摘ほつみです」

「どっちも名前みたいね」

「よく言われます」

「どっちで呼べばいい?」

「友達はれんって呼びますけど、ほつみって言われる方が好きですね」

「じゃ、火摘、近くに来て」


 火摘は逆らうことなく、千鯉さんのそばに近づいた。千鯉さんから甘い香りがしていた。秋の枯れ庭に、季節外れの可憐な花が咲いているようだった。火摘はその花をどうしても摘みたくなって、千鯉さんの首筋を触った。


 手のひらに千鯉さんの首筋が、手の甲に千鯉さんの黒髪があたった。千鯉さんは嫌がることもなく、火摘の目を見ていた。二人の間が、秒針に合わせるかの如く狭くなっていく。唇が重なり合う。二つの唇は今日この時のために出会ったかのように、静かに確かめ合いながら求めた。


 火摘の両腕は千鯉さんの両肩から下へ、撫でおろされる。二人は軒先で優しく重なり合ったまま、状態をたおしていく。千鯉さんの手首が、火摘の掌によって軒下で細さを際立たせている。


 二人の唇は重なり合うことを止めない。少しだけ離れたと思ったら、また奪われる。呼吸が乱れる。火摘が帯締めに手をかける。千鯉さんは、唇を離して言う。


「火摘、着物の事わかるの?」

「一通り」


 火摘は一言だけ返し、千鯉さんのお気に入り達を一つひとつほどいていく。長襦袢になった千鯉さんの胸に、火摘は顔をうずめた。


「この半襟やっぱりいい」

「そうね」


 火摘の手が半襟のリンゴを撫でる。そしてそのまま長襦袢の下へ指先が入っていく。


「くっっ」

「千鯉さん、胸感じちゃうんだね」


 火摘の指は千鯉さんの胸に絵画を描くように動いた。長襦袢が少しづつ乱れていく。もうこれはいらないとばかりに、上半身の長襦袢と肌襦袢を火摘は振り払う。火摘の唇が千鯉さんの胸の柔らかい部分に刻印をつける。そのまま中央部分に移動する。


「はぁ」

「千鯉さん、もっと感じてる声聞かせて」

「あぁう、そこ、いい」


 火摘は指先ではじいたり、舌でからめ取ったり、千鯉さんのヨガる声が聴きたくて、指先と口を動かすのを止めない。火摘の右手が、まだ着たままになっている下の方の長襦袢の隙間に入っていく。右手の指先に、ねっとり絡み付くものが付着する。


「ここもう準備いいですね」


 そう言って、火摘は自分の服を脱いだ。火摘の胸板は、脱いだ方がたくましかった。火摘は再び千鯉さんの唇を奪う。千鯉さんは思った。火摘の唇もそれ以外も、紛れもない男であると。夕方だったはずの軒下はもう夜の模様になり、月明りが薄く、落ちている二人の衣類を照らしていた。


「うっ。あっっ」

「優しくできなくてすみません」


 火摘は千鯉さんの中で脈打つものを感じた。それは自分であるのか、千鯉さんであるのか。火摘は千鯉さんを起こし、自分の上に乗せ思いっきり抱きしめた。そして千鯉さんの胸先を吸っては離し、軽く噛んだ。


「そこっ」

「良いんですよね」

「くぅっ」


 千鯉さんは火摘の上でされるがままになっている。まさか年下にここまで主導権を握られるとは思いもしなかった。千鯉さんの体が、とまどいと喜びにあふれ、とまらない。こうなれば流れに任せるしかないと、何度も押し寄せる快感に身を委ねた。


 *

 千鯉さんは、はだけた長襦袢を着たまま、軒先に蚊取り線香を持ってきた。秋とはいえ、まだ蚊がやってくる。水玉の小紋をかけられた火摘が、さっきまでとは別人の顔で熟睡している。かわいいくせにと千鯉さんは火摘の頬に口づけをする。


 千鯉さんも次第に眼が閉じていく。体の奥にまだはっきりと火摘の激情が残っているのが心地よかった。蚊取り線香の煙が、リンゴの上をすべっては消えた。





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