秋の木漏れ日

篠岡遼佳

秋の木漏れ日


 ――蒼い珊瑚礁を泳ぐカラフルな魚、銀の腹を見せるイルカたちの群れ、心地よく風が吹く高山植物の広がるお花畑、はじめて使う鉛筆、おろしたての靴、万年筆のインクがついに手に馴染んだ時、カラフルな金平糖、温かい紅茶の香り、夜風が後ろ髪を攫っていく時、たまたま見上げた星空にチカチカと流れ星が瞬いた瞬間、それから、それから……



 ――そんな幸せな夢から目覚めた。

 といっても、僕はどれも、目にしたことも手にしたこともないんだけど。



 僕らは、公的に実験体として集められた子供だ。

 子供と言っても、第二次性徴の途中、13~17歳の子が多い。

 僕は14歳。当然学校には行ってない。その代わり、本を与えられるので、それを読みに読んでいる。歴史よりは、科学の本が好きだ。いくらでも不思議なことがある気がして、気持ちが軽くなる。

 僕らが集められているのも、仕方ないのかなって。

 

 僕らは薬によって、周期的に眠りと覚醒をコントロールされている。もちろん食事や、入浴、外出などもすべてスケジュールが三交代制で決まっている。

 それは、僕らに投与されている、特別な薬がどのくらいの効果を上げるか確認しているからだ。


 その薬は、「不老不死の薬」だった。


 窓の外は常に雪景色だ。

 グレーを通り越して、激しい雪を見せる空。この建物自体も真っ白なものでできている。廊下のつるつるした床はグリーンのラインが引かれているが、それ以外、ドアやベッドのシーツに至るまで、やっぱり真っ白だ。昼なのか夜なのかわからない、皓々とした電灯。窓から見える景色は、いつも変わらない。もちろん、時計だってないから、アナウンスに従って僕らは起き、動き、眠る。


 子供にはひとりずつ、カウンセラー的な役割も含めて担当の先生がついている。

 僕は、先生に聞いたことがある。

 なぜ、子供に不老不死の薬を投与するんですか?

 答えは簡単だった。

 ――だって、もし失敗しても問題がないだろう? 大人の寸前の君たちには未来がある。だがね、不老不死を望む人には、そういう時間が大抵ないのさ。

 その理屈だと、僕らは死ぬ自由を奪われてしまうということですか。

 ――そうだね、でも、死なないって幸せなことじゃないか?



 そしてある日、彼女に出逢った。



 一年に数回ある、一斉点検の日だった。

 僕らは毎度のごとく起こされて、しかし、この日は血液検査や尿検査、脳波の測定をする。これがまためんどうくさい。採血をいまだに怖がる子もいるし、脳波測定は時間がかかるものだ。


 彼女は、目立っていた。

 少し長めの栗色の髪、意志の強そうな眉。なにより、検査着の肩を怒らせて、相手の医師に何か指図をしていた。隣で目を真っ赤にしている女の子が居るから、多分採血が嫌なんだろう。

 彼女は、そのもうひとりの頭を撫で、採血につきあっていた。


 ――彼女は、目立っていた。



 ここにいて、誰かに興味を持つのは難しい。

 それは、薬の作用なのだといわれる時もある。

 「誰かに何かを与えることで、人は命を失っていく」

 それがこの不老不死の薬の基本的な考えらしい。

 つまり、誰にもなんの影響も与えず、与えられず、ただただ生きるだけの不老不死を開発した、ということだ。



 食事の時間になった。

 普通は誰もが個々に食事を取るが、僕は彼女の姿を探した。

 彼女はつまらなそうにスープをスプーンでかき混ぜ、窓の外の雪を見ていた。

「やあ」

 僕が食器の載ったトレイを彼女の前の席に置き、僕は声をかけた。

「……」

 反応がない。

 くじけず、もう一度声をかけた。

「ここ、座っていいかな」

 すると、彼女はきょとんとした顔をして、

「――私に話しかけてるの?」

「相手が君しかいないからね。一緒に食事を取ってもいいかな」

「どうしてひとりで食べないの?」

「君に興味を持った」

 僕ははっきり言った。

「とりあえず、君のことが知りたい。出身は?」

「もう夢に食べられちゃった。忘れたよ」

「身長は?」

「157cm」

「体重は?」

「一発殴らせてくれたら教えてあげてもいい」

「おっと、それは大変だ」

 僕は少し咳払いをして、

「"夕べの景色"はどんなだった?」

「"夕べ"って、いつのこと?」

 彼女は笑って、僕の額をつついた。

「"夕べの景色"は、真夏のオレンジだったよ。

 カラスが飛んでて、夜がゆっくり降りてくるみたいな紫の空と相まってとてもきれいだった」

「そうなんだ」

「君のは?」

「僕のは、秋かな。コスモスが咲いていた。ちらちらと木漏れ日が見えてた。後は曖昧だな。実家の裏山から見たことは覚えている」

 僕らはこうやって時々遊ぶ。

 最後に見た雪以外の景色を話し、思い出に浸るのだ。

 そして、重要なことを僕は話した。

「すまない、実は、君に恋してしまったみたいなんだ」

「――――」


 ――一斉点検で初めて見たと言うことは、三交代制の時間は一緒ではないということだ。つまり、顔を合わせるのは年に数回ということ。


「いいよ」

 彼女は笑って言った。パンを半分に割って、片方を僕に差し出しながら。

「私のことを考えて、眠って、夢に見ても」


 僕らはほとんど出会えない。

 けれど、眠りの間ずっと君の夢を見る。

 それが幸せなのだと、ここでそう教育されている。

 今日、僕が認識して、僕が話しかけることで、君は僕の世界の一部になった。

 僕の世界は、ただ眠っていたって広がっていくのだ。

 でもね、


「いいや、僕としては、なにも与えない生き方はもうこりごりなんだよ。どうか、君に何かをして欲しい。僕も、それに返すから」

「――OK、じゃあ、計画を練ろうか」

 彼女は秘密を抱えた笑みをして、紙とペンを取り出した。


 

 そして、何年かが過ぎた。

 彼女とは本当に一斉点検の時にしか会わなかったし、僕らの背は伸びたけれど、スケジュールはなにも変わらなかった。雪景色も。


 そして、彼女以外に、"夕べの景色"を話すこともなかった。

 薬を長く使うほど、どんどん抜け殻のようになっていく。それは、誰にもなにも与えず、誰からも与えられないからだ。

 僕は、与えてもらっていた。彼女から、わくわくすることや、ハッピーなこと、悲しむことや、憤ることさえ。

 僕は――与えていただろうか。




 そして、その日。



 僕はにやっと笑って彼女を見た。

 彼女も同じように笑って、僕にウインクした。


 ――――ガシャン!!


 窓ガラスを椅子で思い切り割って、僕らは出て行く。

 すでに先生たちから拝借した防寒具を着込んで、ここから踏み出す。


 ねえ、先生、誰にもなにもしないでただ生きるより、

 誰かに何かを与えて死んでいけるなんて、最高じゃないか。


 僕らは手袋をした手を繋いだ。



 ――蒼い珊瑚礁を泳ぐカラフルな魚、銀の腹を見せるイルカたちの群れ、心地よく風が吹く高山植物の広がるお花畑、はじめて使う鉛筆、おろしたての靴、万年筆のインクがついに手に馴染んだ時、カラフルな金平糖、温かい紅茶の香り、夜風が後ろ髪を攫っていく時、たまたま見上げた星空にチカチカと流れ星が瞬いた瞬間、それから、それから……

 

 

 二度と目覚めなくても、同じ夢を、見られるように。


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秋の木漏れ日 篠岡遼佳 @haruyoshi_shinooka

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