敗戦国のヴァルキリー

御船アイ

敗戦国のヴァルキリー

「はぁ……はぁ……!」


 私は今、ボロボロになったドレスの裾を持ち上げながら必死で走っている。

 綺麗だったはずのドレスは、裾はビリビリに破けているし、泥も大量に被っているしで、ひどい有様だ。

 なぜそんな格好になってまで必死に走っているかというと、理由は簡単だ。

 私は今、逃げているのだ。私の命を奪おうとしている者達から。


「きゃっ!?」


 私は足をもつれさせてしまい、前方に大きく転んでしまう。肌が地面に擦れ、痛みが走る。

 だが痛がっている場合ではない。私は逃げないといけないのだ。早く、早く立ち上がらないと――


「そこまでだ! ミリーナ・レイス・バーンスタイン!」


 私の背後から私の名を呼ぶ荒々しい声がした。

 振り返ると、そこには銀色の甲冑を纏った兵士が何人もやって来ていた。


「ハルド帝国の皇族最後の生き残りよ! その身柄、大人しく差し出すがよい!」


 おそらく騎士団長だろう。兵士達の中でも装飾が派手な甲冑を纏った兵が、私にそう言い放つ。


「断ります! 断頭台に立てと言われ立つ人間が、どこにいるというのですか!?」

「黙れ! それが今までさんざん欲を満たしてきた帝国の人間の末路なのだ! 大人しく従わぬというのなら……」


 そう言って兵士達は剣を抜き、


「その命、ここで貰い受ける!」


 私にその切っ先を向けて、言った。


「……っ!」


 私はそのギラリとした禍々しい輝きに、言葉を失う。

 ――嫌だ! 死にたくない!

 私は恐怖による体の震えを抑えることができず、身を震わせ、動けなくなる。

 しかし、目の前の刃は私を待ってくれない。白き剣は、大きく振り上がり、私目掛けて振り下ろされる。

 そのときだった。


「――っ!?」


 それは一瞬の出来事だった。蒼い閃光が目の前に走ったかと思うと、目の前の兵士達が、真っ赤な血をその胴体から吹き出させ、一斉に崩れ落ちていったのだ。

 そして、その兵士達が崩れ落ちた先に、その人物はいた。

 それは、金で縁取られた蒼い鎧に身を纏った、長い金髪を揺らめかせた女騎士だった。

 私は、その後ろ姿に見覚えがあった。


「……エリス?」


 私の声に応えるように、彼女はゆっくりと振り返った。


「……エリス!? やっぱりエリスなのね!?」


 彼女は私の知っている人間だった。名を、エリス・エイマーズという。私の大切な、親友だ。

 エリスは未だ立てない私に歩み寄ると、ゆっくりと膝を折り、私に頭を下げた。そして、言った。


「私はヴァルキリー、エリス・エイマーズ。私はこれよりあなたを守り、あなたの敵を打ち払うつるぎとなりましょう」


 私は先程とは違う意味で、言葉を失った。

 彼女は言った。自分は『ヴァルキリー』だと。

 それは、我が帝国に伝わる伝承。

 帝国の敵を討ち滅ぼす、伝説の戦士。

 その名こそが『ヴァルキリー』

 それに、私の親友はなったのだ。

 敗戦国の姫のための、一振りの剣に。



   ◇◆◇◆◇



 ハルド帝国。

 大陸随一の領土を持った、古くから続く大帝国だ。

 私はその国の皇族の中の皇族、皇帝の娘として生まれた。

 幼い頃より私はあらゆるものを与えられた。子供が好む玩具から、大人が喉から手を出しても手に入れられない金銀財宝や地位といった特別なものまで。

 私は何不自由ない生活を送ることができた。でも、本当に私の欲しいものはなかなか手に入れることができなかった。

 私は、友達が欲しかったのだ。

 しかし、皇帝の娘が庶民のような感覚で友達を作るなどまず無理なことだった。同年代の子供達は私の地位に跪き、誰も私を対等の存在として見ようとはしてくれなかった。

 私はこのまま一生友達ができないで終わるのかと、幼いながらに絶望したものだ。

 だが、ある一人の少女が、そんな絶望から私を救ってくれた。それが、エリスだった。

 エリスは我が一族に代々仕える使用人一族の娘だった。それゆえ、小さな時分より私の屋敷に出入りすることが許されていた。

 だからこそ、彼女は私と触れ合うことができた。とは言え、最初は彼女も私に話しかけてこようとはしなかった。

 同年代の友達に飢えた私が、執拗に彼女に迫ったのだ。

 その結果、エリスは根負けし、私と話してくれるようになった。

 最初はぎこちない会話ばかり続いていた。私は同い年の子と談笑したことなどなかったし、エリスは私に対し何を言っていいのか分からない様子だった。


「えっ……エ、エリス?」

「は、はい! なんでしょうミリーナ様!」

「え、えーとその……なんでもないわ……」


 このように、すぐ会話が終わってしまうのだ。まずは会話を続けることが目標だった。

 私達は互いに努力した。幸い、時間はいくらでもあった。私達は常に一緒に行動した。

 そして、時間をかけることによってついに私達は普通に話すことができるようになった。

 そのときの最初の会話はこのようなものだった。


「ねぇエリス、今日はとても天気がいいわね」

「そうですねミリーナ様、今日は南風がとても気持ちいいです」


 それは何のこともない、ただの天気の話。だが、それまでギクシャクしていた私達にとって、すんなりと会話できたことは大きな前進だった。

 それから私達は色んな話をした。

 日々の食事のこと。好きな花のこと。お屋敷の外のこと。とにかく色んなことを話した。

 私達はそうやってどんどんと仲を深めていった。

 そんな私達にとってもっとも決定的だった出来事は、私がお忍びで屋敷の外に出たときだった。

 私はエリスを連れて身分を隠して街へと出ていった。街は私の見たことのないものに満ちていて、とても新鮮な気持ちになれた。街を楽しむ私を、エリスは呆れながらついてきてくれた。

 だがそんな中、街で有名な悪戯好きの男の子集団が、私に言いがかりをつけてきたのだ。どうやら、私の綺麗なドレスが気に食わなかったらしい。私は最初男の子達に反論したが、数とそれまで晒されたことのない悪意に、すっかり怯んでしまった。

 そのときである。エリスが、私と男の子達の間に立ち、両手を広げてこう言ったのだ。


「私の友達に……手を出すな!」


 そう言って彼女は、人数も体格も上回る男の子達相手に戦いを挑んだ。

 結果は、惨敗だった。

 だがエリスはボロボロになりながらも私を庇った。そのことが嬉しくて、エリスが傷ついたのが悲しくて、私は涙を流した。

 その日から、私とエリスは親友になった。



   ◇◆◇◆◇



「エリス……ずっといなくなっていて心配したのよ……それにあなた、ヴァルキリーって……そんな、伝説上の存在じゃ……」

「ヴァルキリーは存在します。私の存在こそが、その証拠です」


 蒼き鎧に身を包んだ我が親友は立ち上がり、長い剣を鞘にしまいながら言った。


「『ヴァルキリーの鎧』……これこそが人を剣へと至らせる神器でした。我が一族は、代々この鎧を守り受け継いできました。しかし、現在ではどこにあるかの情報が抜け落ちていました。ゆえに、探し出すのにこんなにも時間がかかってしまいました……」


 その顔には後悔の色が浮かんでいた。眉間に皺を寄せ、歯を食いしばり、握りこぶしを作っていた。


「ですが」


 だがエリスは、再び鋭い視線にと戻り、私を見た。


「もう二度とトーダ王国連合には負けません。彼らが掲げる正義など、この力の前では無意味だということを教えてやります。そして、ミリーナ様がいれば必ずやバーンスタイン家は復活します。そのためには、まずは生き延びねばなりません。さあミリーナ様、どうか私の手を」


 エリスが私に手を差し伸べる。

 私は一瞬だけ考える。その手は握るべき手か。

 しかし、私の答えは最初から決まっていた。なぜなら、差し伸ばしているのは他の誰でもない、エリスなのだから。

 私は、差し出されたエリスの手を静かに握った。



   ◇◆◇◆◇



 トーダ王国連合。

 ハルド帝国に唯一抵抗しうる力を持った王国、トーダ王国が周辺諸国と条約を結び作り上げた連合である。その規模は、大陸最大の規模を誇る帝国に匹敵するほどであった。

 トーダ王国連合とハルド帝国は長年の間微妙なパワーバランスのもと均衡状態にあった。

 情勢としては僅かながらにハルド帝国が王国に勝っており、トーダ王国連合としては面白くない辛酸を舐めさせられることが多かった。

 例えば、領土を巡った小競り合いではいつもハルド帝国が勝利を収めていた。

 それは大規模な戦争に繋がるような戦いではなく、領主同士の小競り合いといったものだった。もちろん、背後に帝国と連合の影があったのは言うまでもない。

 いわゆる代理戦争というものだ。

 互いの兵の質、数、武器などそれぞれが拮抗していた。ではなぜハルド帝国側が勝利を収めていたのか? それはひとえに魔法の影響が大きかった。

 魔法。人知を超えた神秘の力。ハルド帝国は、その魔法研究において一日の長があったのだ。

 一方の王国は、魔法に関しては未発達であり、いつもハルド帝国の背中を見続けていた。

 それゆえ、拮抗した勢力バランスにおいて、魔法という力はその天秤を傾かせる重いおもりだったのだ。

 魔法は帝国の人の営みをも大いに潤していた。上級魔道士達は人々の生活に奉仕し、帝都に住む市民は快適な生活を送っていた。

 その最たるところに、私達皇族がいた。皇族は常に魔法の恩恵を受け、何不自由ない暮らしを、いや、それ以上の暮らしを送ることができた。

 そのため、皇帝である父はかなり肥えてしまっているという問題があったほどだ。

 皇族に仕える人間は例外なく魔法が使えた。それはもちろん、エリスもである。と言っても、エリスの魔法は主に治癒などの方向に向いており、実生活においてはその体を使って奉仕することが殆どだったのだが。

 とにかく、魔法というのは私達の生活に欠かせないものであった。

 だが、私は見えていなかった。華やかな生活の裏で、便利で快適で裕福な生活の裏で、苦渋を味わう人間というのが、必ずいることを。

 それは、その日に唐突に私に突きつけられることとなる。



 馬車がパカラパカラと音を立てながら、私達皇族の住まう屋敷へと向かう。


「お父様、今夜の舞踏会、楽しみですね」


 私は隣に座る父にのんきにそんなことを言う。


「ああそうだなミリーナよ。今宵は諸領主達が一斉に集う大舞踏会。きっと楽しいものになるだろう。そしてその舞踏会の主役はお前だ、ミリーナ。皆が、十八になったばかりのお前を見に来るのだ」


 父が私の頭を撫でながら言う。その様子を見て、向かいに座る母が笑顔を見せた。


「まったく、あなたはいつになっても娘に甘いのですね。まあ、ミリーナはあなたの赤い瞳と私の銀の髪を受け継いだ、我が国一の美女。それも当然ですが」


 母も私を褒めてくれる。私は思わず顔を赤らめた。

 別に私は自分を帝国一の美女だなんて思っていない。世間にはもっと美しい人がいっぱいいるはずだ。

 それでも、褒めて貰えるというのはやはり嬉しいものだ。

 そして夜になり、舞踏会が開かれた。

 舞踏会には諸侯が集まっており、皆優雅に踊っていた。私も若い領主の息子の何人かとダンスを踊る。

 そして、諸侯の方々に挨拶もする。それぞれに挨拶をするのは、人数がいたため骨が折れたが、それでも私は楽しかった。

 できれば、ここにエリスがいればいいのに……。それだけが、心残りだった。

 しかし、そんな舞踏会は、急な来訪者によって終わりを迎える。


「御免っ!」


 バァン! と、ホールの扉が荒々しく開かれた。そこから、鎧を纏った集団が何人も入ってくる。


「な、なんだね君達は!」


 父は怒る。だが、舞踏会場は不思議なほどに静けさに満ちていた。


「我々はトーダ王国第一騎士団である! 今より、この屋敷は我々の占領下に置かれる!」

「な、なんだと!?」


 何故トーダ王国の人間がここに!? それに、占領下って!?


「ま、待って下さい! あなた達はどうやってこの屋敷に!? 確かに今王国と帝国は少しばかり規模の大きな争いをしていると聞きます! ですが、帝国の深部にあるこの屋敷に至ることなどできるはずが……!?」


 私の動揺したその言葉を聞くと、騎士達は大声で笑い始めた。


「ハハハハハハ!」

「な、何がおかしいのですか!」

「どうやら姫様は戦争の状況をまったく理解していないと見える。皇帝陛下がひた隠しにしてきたのかな? では教えてあげよう! 連合と帝国は今、大規模な戦争状態にある! そして、今ここに集まっている諸侯は、我々への一大攻撃に備えての軍事会議に招集された。舞踏会はただの名目、そうであろう?」

「……そ、そうなのですか? お父様?」

「…………」


 お父様はただ黙るばかりであった。だが、その沈黙が答えであった。


「お父様……私を騙していたのですね!?」

「許してくれミリーナ……お前には、心穏やかに生活して欲しかったのだ。しかし、本当にどうやって我が屋敷に……!?」

「それは簡単だ。ここにいる諸侯の半分が、連合への参加を望んでいるからだ!」

「なっ!?」


 私達は絶句した。それは、つまり反乱である。

 帝国への忠誠を誓ったはずの公爵達が、裏切ったということなのである。


「そんな……どうして!?」

「どうして? そんなことは簡単だ! 帝国は、魔法の使える者ばかりを贔屓し、使えぬ者達、特に帝都に住まわぬ者達へは酷い差別を行ってきた! 重い税を課し、命を吸い上げてきた! それに苦しんだ領主がどれだけいたと思っている! どれだけ民草を哀れに嘆いてきたと思っている! もう帝国のやり方では、人々はついていかぬのだよ、姫君」


 私は周りを見回した。

 先程まで私と談笑してくれた公爵やその息子達が、私達家族を憎憎しい目で見ている。

 それこそが、何よりの証拠だった。


「では皇帝、皇后、姫君、選ぶがよい。ここで死ぬか、王国に連行され裁判にかけられるかを」


 騎士は不遜な態度で言った。

 その言葉に、父は憤る。


「そんなこと、了承できるか! 私はハルド帝国皇帝である! 貴様ら連合の騎士如きに指図されるいわれはない!」

「そうか……それは残念、だっ!」


 その瞬間だった。

 騎士は懐から筒のようなものを取り出すと、その先端がパァン! という音を立て突然炸裂した。

 かと思うと、次の瞬間、父は胸から血を流し、ゆっくりと床に倒れた。


「お父……様……? お父様あああああああああああ!」


 私の悲鳴が響き渡る。母は、言葉すら失っているようだった。


「見たか、連合が生み出した叡智の結晶『銃』の威力を! これこそが、魔法を上回る力となりうるのだ!」

「あああああああああああああああああああっ!」

「姫君……もう少し静かにして貰えないかね……?」


 私は父の亡骸に覆いかぶさる。そして、必死に揺さぶる。しかし、父はまったく反応しない。

 そして、私は気づいていなかった。父を殺したあの凶器が、今度は私に向けられていることに。


「っ!? ミリーナ、危ないっ!」


 パァン!

 再び、あの音。

 そして今度は、母が胸から血を流し、仰向けに床に倒れた。


「いや……いやあああああああああああっ!」

「さあ、姫君、どうする……? ここで家族と一緒に死ぬか? それとも――」


 騎士が言い終わる前に、突如大きな爆発音がした。

 そして、それと同時にホールが煙で満たされる。


「くっ! 帝国近衛兵か……今更遅いわ!」


 煙の中から聞こえる、激しい剣戟の音と荒い声。

 私はその中で、突然腕を掴まれた。


「っ!?」

「落ち着いて下さい姫様! 近衛隊です! どうかこちらからお逃げを! あなたは、帝国の皇族最後の生き残りなのです!」


 そう言われ、私は腕を引っ張られ無理やり父と母から引き剥がされると、近衛しか知らないという秘密の脱出路を通って外へ出た。

 そして、私は失意の中、生き残るために近衛兵と一緒に走った。

 その中で次々と散っていく近衛達。いつしか、私一人になっていた。そして――



「……っ!?」


 私は藁のベッドから飛び起きる。どうやら、またあの日の夢を見ていたらしい。帝都が陥落し、父と母が殺され、そして、エリスと再会したあの夜のことを。


「……ミリーナ様?」


 私の横で座っていたエリスが心配そうに私に聞く。エリスは、鎧の力で眠らなくても大丈夫な体になったらしい。


「……ええ、大丈夫よ。ちょっと夢見が悪かっただけ。そう、夢がね……」


 私はエリスに言うというよりも、自分に言い聞かせるように言った。

 そう。すべては夢だ。終わった出来事なのだ。前を向いて、私は生きていかなければならない。

 エリスとともに生きる、この旅で。



   ◇◆◇◆◇


 私とエリスは旅をした。ただ生き延びるための旅を。

 食事も寝床もすべてエリスが用意してくれた。エリスはどこからか食事を持ってきて、安全に寝られる場所を見つけてくれるのだ。

 私は「私も手伝う」とエリスに言った。だがエリスは断った。


「これは私のせめてもの贖罪なのです。ミリーナ様のご家族を、皇帝陛下達を死なせてしまった私の……」


 そう言うエリスは頑なだった。私はそんなエリスにそれ以上何も言うことができなかった。

 私はどうも今のエリスに遠慮しているところがあるのかもしれなかった。

 私に接するエリスはどうも堅苦しく、まるで出会ったばかりの頃に戻ってしまったかのようだった。その原因は自分にあるのではと、私は不安になった。漠然とした不安だった。

 私がもっと皇族としてしっかりしていれば……。そんな思いが、私を躊躇わせた。

 そんな私達の元には、次から次へと刺客が送り込まれてきた。

 それは何百何千という兵士の集団だった。

 私は恐怖した。無数の人間から命を狙われているということに。

 だが、いつもそんな私をエリスは守ってくれた。

 あるときは、重武装した鎧の軍団がやってきた。見るからに重そうで、並の武器では傷つけることもできないだろう集団だった。

 その数は多く、私には地平線が白銀の塊ができているようにしか見えなかった。

 だが、エリスは言った。


「ふむ……およそ二百人か。愚かな、そんな数でヴァルキリーたる私を止められるわけがないだろうに」


 エリスには、その数が分かっているようだった。それも鎧の力なのだろうか。

 そして、剣を抜いた次の瞬間、エリスは物凄い跳躍力でその集団へと向かっていった。

 それからは、あまりに一方的な光景が広がった。

 エリスはその集団の中心に降り立つと、くるりとその場で一回転した。

 すると、なんということだろうか。重々しい鎧が、いとも簡単に崩れ落ちていったのだ。


「てっ、敵襲!」


 鎧の集団は驚き、手に持っていた鈍重な武器――メイスやハンマー――をエリス目掛けて振り下ろした。

 だが、エリスは避けることすらしなかった。

 ガキィーン! という甲高い音がした。目を凝らして見ると、鎧の集団の武器は確かにエリスに当たっていた。だが、まったくエリスは意に介していないようだった。

 さらに、エリスの生身の部分を狙った武器の先端は、空中で壁に遮られたかのように動きが止まっていた。


「その程度の攻撃で私を……ヴァルキリーを傷つけられると思うな」


 そう言って、エリスは剣を振るった。

 すると、剣は鎧をするりと断つ。それは、まるで溶けたアイスクリームにスプーンを入れたときのようだと私は思った。

 さらによくよく見ると、エリスが切り崩し、倒れる鎧の兵はエリスのもつ剣の長さよりもずっと広い範囲に渡っていた。


「どういうことだっ!? なぜ刃の届かぬ先ですら斬られているのだ!?」

「神器が鎧だけかと思ったか。この剣もまた神器。あらゆるものを断ち、刃から放たれる輝きもまた刃となる。私が望みさえすれば、一太刀で貴様らをすべて斬り伏せることすらできる。しないのは、貴様ら程度雑兵にその力を使うまでもないからだ」


 鎧の兵達の体は次々と上半身と下半身が別れていく。鮮血が雨のように降り注ぐ。

 その姿に、鎧の兵達は恐れおののいた。


「て、撤退! 撤退ぃ!」


 鎧の兵達の隊長と思しき者の声が響き渡った。その声を待っていたと言わんがばかりに、鎧の兵達はエリスに背を向け、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。

 だが、エリスはそれを良しとしなかった。


「逃がすと思っているのか?」


 エリスは再び跳躍した。そして、逃げる兵士達の前に立ったかと思うと、一瞬にして兵の体はバラバラになった。

 そのようにして次々とエリスは逃げる兵を屠っていった。


「…………」


 その光景に、私は言葉を失った。声を出したいのに、出すことができなかった。

 そして地平線は、いつしか真っ赤に染まった。

 こんなときもあった。

 そのときに私達を襲ってきたのは、父と母を殺した、あの『銃』という武器をもった軍団だった。銃を携えた軍団とそれに付き添う騎士達が、私とエリスが偶然使っていた納屋を取り囲んだのだ。

 私は身を震わせた。父と母の命を奪ったあの武器が、怖くて仕方なかった。

 するとエリスは、私の肩に手を置き、言った。


「安心して下さい、あなたには指一本触れさせません」


 そう言うとエリスは、剣で私とエリスの足元に円を描いた。すると、その描かれた円から蒼い光が私達を包むように半球状に伸びた。

 そして、エリスは言った。


「この円の中から絶対に出ないで下さい」


 私はコクリと頷いた。

 すると、突然大きな炸裂音と共に納屋に穴が空いた。外にいる兵士達が納屋に向かって銃を撃ってきたらしい。


「きゃっ!」


 私は目を閉じ、耳を押さえてしゃがんだ。

 しかし、その直後にキュイン! という音がした。何が起こったのかと私が目を開くと、今度は雨あられのように銃弾が飛んできた。

 納屋が穴だらけになる。しかし、その銃弾のすべては、私とエリスを囲む半球状の光に遮られ、弾かれた。

 やがて納屋は耐えられず崩れ落ち始めた。その材木をも、半球状の光は防いだ。私達は外に晒される。


「なっ!?」


 五体満足にいる私達を見て、銃を持った兵士が声を上げた。


「ミリーナ様、ここでお待ち下さい」


 そう言ってエリスは半球の外に出た。銃を持った兵士達が、慌てて銃に弾をこめ始める。

 だがその刹那、エリスは消えた。

 かと思うと、弾をこめ終え銃を構え始めた集団の前にいきなり現れた。


「……っ!?」

「その武器は少々厄介ではある。ゆえに、そうそうに潰させてもらうぞ」


 そう言って、再びエリスは消えた。

 そして再び現れたときには、一列に並んでいた銃の兵士達の端に剣を振り終えた状態で膝をついていた。

 エリスはそこからゆっくりと立ち上がる。そして、剣をぶるんと下に振り下ろした。

 すると、銃を持って並んでいた兵達の首が、一斉に落ちた。


「……っ!?」


 私はあまりの光景に目を覆いたくなった。銃兵に付き添ってきていた兵達もそうだっただろう。だが、その光景はしっかりと私の目に焼き付き、私はまぶたを下ろすことができなかった。


「そのような野蛮な武器をミリーナ様に向けたこと、あの世で後悔するといい」

「うっ……うわああああああああっ!」


 銃を持っていない、普通の騎士達が声を上げてエリスに襲いかかり始めた。

 恐らく、恐怖ゆえにそうするしかできなかったのであろう。

 だがエリスはその集団に対しゆっくりと振り返ると、さっと剣を横に払った。

 そして、騎士の集団はあっという間に壊滅した。


「…………」


 やはり私は、その光景に何も言うことができなかった。

 その場には、血の雨の中剣についた血を払うエリスだけが立っていた。

 確かに、今のエリスは人知を超えた力を持っているようだった。その姿は、まさしく『剣』だった。

 だが、エリスがその身に血を浴びるたびに、私の心は痛んだ。

 正直なことを言えば、やめて欲しかった。

 エリスにその手を血で汚して欲しくなかった。でも、私を守るために戦ってくれているエリスに、そんなことを言えるはずもなく、私は黙っていることしかできなかった。

 そんな逃亡生活はずっと続いていった。終わりが見えない旅。その生活に、私はだんだんと疲弊していった。



「…………」

「どうしましたかミリーナ様。食べないと体に毒ですよ」


 その日、私はとても夕食のスープに口をつける気にはなれなかった。

 今日も、エリスは人を殺した。無表情で、雑草を刈るが如く。

 もはや日常と化したその光景。しかし、もう私は限界だった。


「ミリーナ様……」

「……さい……」

「え?」

「うるさいって言ってるのよ!」


 私は激昂し、エリスに手に持っていたスープの入った器を投げつけた。


「どうして!? どうして人を殺した後だって言うのにそんな涼しい顔ができるの!? 私が知ってるエリスは、そんな子じゃなかった! 私は……もう嫌なの! 平気な顔で人を殺すあなたなんて、もう見たくないの……!」


 そう言い放って、私はその場から駆け出した。


「ミリーナ様!? 待って下さい、ミリーナ様!」


 エリスが私の名を呼ぶが、知ったことではなかった。

 とにかく、私はエリスから離れたかった。

 自分勝手なのは分かっている。エリスが殺さなければ、私が殺されるのも分かっている。

 頭では理解している。でも、どうしても感情が言うことを聞いてくれなかった。


「嫌嫌嫌嫌! もう何もかも嫌! こんな生活も、あんなエリスも! それを認められない私も! 全部が嫌ぁ!」


 そう叫び続ける私。

 そしてどれだけ走っただろうか。いつの間にか、私は見知らぬ森の中に入り込んでいた。


「……いやぁ」


 私はその場にしゃがみ込んだ。

 一人ぼっちだ。

 いつもは常にエリスがいてくれた。でも今は、一人ぼっち。


「……もう、死んじゃいたい」


 私はぽつりとそう零した。


「へぇ? だったら叶えてやるよ」


 すると、森の奥から粗野な声が突然飛んできた。

 そして草木をかき分けて、いかにも野蛮な男達が現れる。


「あなた達、一体……!?」

「俺達は連合に雇われた傭兵でよぉ。お嬢ちゃん、お前にはかなりの懸賞金がかけられてんだ。だからよ、大人しく首渡せや」


 次々と現れる男達。その数は、十や二十をゆうに越えていた。


「……いいわよ。殺しなさいよ」


 私は投げ捨てるように言う。


「へぇ? 抵抗しないんだな?」

「……だって、もう疲れたんですもの。それに、私がいなければエリスももう人を殺さなくてすむもの……」


 それは今の私の正直な現れだった。

 彼女にこれ以上人を殺させるのなら、それでいいのかもしれない。

 そんな気が、したのだ。


「へへっ、だったらお言葉に甘えて……」


 一番近い男が大きな鉈を取り出し振り上げる。私は、ぎゅっと目を瞑った。


「……それ以上、ミリーナに近づくなああああああああああああ!」


 そのとき、耳に響き渡る怒声が森全体に広がった。

 そして、一瞬にして男達はバラバラの肉塊になった。


「……エリ――」


 私が彼女の名を呼ぶ前に、私の頬が叩かれた。

 頬を押さえながら前を見ると、そこには、瞳に涙を浮かべたエリスの姿があった。


「馬鹿っ! 勝手に走り出したりして! ここがどんなに危ないか分かってないのか!? 私は……私は! お前がいなくなったらどうすればいいと言うんだ……!」


 エリスの瞳から雫が零れ落ちる。

 久々に見る、涙だった。


「……でも、私……」

「でもじゃない! いいかミリーナ! 私は何があってもお前を守る! 何があってもだ! だってお前は私の……私の大切な、親友なんだからっ!」


 そう言うエリスは、今までになく感情的だった。そして、私は見た。剣を持つエリスの手が震えているのが。

 それで、私は気づいた。エリスは人殺しが平気になったんじゃない。ずっと我慢してきたんだ。私のために。私を、守るために。

 今までの堅苦しい態度も、すべては感情を押し込めるための芝居だったのだと。

 でも、私の短絡的な行動で、その努力を無駄にしてしまったのだ。

 エリスは必死に頑張ってくれていたというのに。

 だというのに。

 私は――馬鹿だ。


「……ごめんなさい……ごめんなさい……」

「……いいんだ。分かってくれれば。もう二度とこんなことは――」

「そうじゃないの……私、あなたのこと、何も分かってあげてなかった。親友なのに、何も……! 本当に、ごめんなさい……!」

「……ミリーナ……」


 私は泣き崩れた。そうすることしかできなかった。こんなときになっても私は、駄目な私なのだ。


「……大丈夫だよミリーナ」


 そんな私にエリスは、なんと笑いかけてくれた。


「……どうして、どうして笑っていられるの? 私は、あなたが傷ついていることを何も分かってあげられなかったというのに」

「いいんだ。その気持ちだけで、ミリーナは十分私のことを想ってくれている。それが、私にはとても嬉しいんだ」

「……エリス……!」


 私はエリスに抱きついた。鎧が体にぶつかって痛かったが、そんなの気にもならなかった。

 エリスは、私をそっと抱き返す。


「……ミリーナ。これからは、一緒に生きていこう。そして、家をいつか復活させよう。そうすれば元の暮らしに――」

「ううん、いいの」


 私はエリスの耳元でその言葉を止める。


「元の暮らしなんて、どうでもいい。私は、あなたが側にいればいい。帝国は、滅びる運命だったの。欲を掻きすぎた末路なのよ」

「でも……」

「いいの、いいのよ……。今の私には、裕福な暮らしよりも、国よりも、何よりも、あなたに側にいて欲しいの……」

「……ありがとう、ミリーナ」


 そして私達は強く抱きしめ合った。強く、強くお互いを抱いた。朝日が私達を包み込むまで、ずっと。



   ◇◆◇◆◇



 ――数年後。

 ハルド帝国とトーダ王国連合との戦争は、トーダ王国連合の完全勝利に終わった。

 帝都襲撃の後、ハルド帝国の残党は長い間抵抗を続けていたが、元ハルド帝国の諸侯の半分近くが帝国を裏切り、トーダ王国連合に参加したために、数と武力に圧倒的な差が生まれ、その抵抗も虚しく終わった。

 そして、ハルド帝国の残党がすべて降伏、あるいは攻め滅ぼされたとき、戦争は終結した。

 戦争の終結後、トーダ王国連合は帝国の領土の割譲に移った。

 と言っても、その殆どは寝返った領主に元いた所領を安堵しているため、割譲と言えるほどの土地は殆どなかった。

 抵抗していた元帝国側の領主の領地には、王国連合から送られてきた新たな領主が入った。

 その新領主達は皆勤勉で、よく領民のために働いた。領民はそんな新領主に心を打たれ、新領主を暖かく迎え入れた。

 かつて帝国と王国によって二分されていた大陸は、今一つになろうとしていた……。



 その日、その一帯に小さな畑を持っているとある農民は、道を歩く、その辺りでは見かけない二人の女を見かけた。その風貌は、一人はボロボロのローブに身を包み、もう一人は鎧の上からこれまたボロボロな外套を着込んでいた。その風貌から、長旅をしてきたことが伺えた。


「お嬢ちゃん達、旅人かい?」

「ええ、そうよ」


 ローブの女性が言った。フードを被っていたため顔はよく見えなかったが、相当の美人だということは農民にも分かった。


「へぇ。ここいらもすっかり平和になったもんだ。帝国時代と比べると天国みたいだよ」

「そうらしいな」


 今度は外套の女性が言った。こちらもフードと、ついでに鎧で顔は下半分しか見えなかった。しかし、やはりこちらもなかなかの美人だと農民は思った。


「よく知らないってことは、連合の端っこの国から来たのかい? まあゆっくりしていきなよ。ここにはなんにもないがね……そうだ。せっかくだし今日はうちに泊まっていかないかい? もうそろそろ日が暮れるし、街まではまだ少しあるからね」

「あらいいの? ご迷惑じゃなくて?」

「大丈夫だよ! むしろ歓迎したいくらいさ! 旅人さんの話は面白いからね!」

「そう……それじゃあお願いしようかしら」


 こうして農民は旅人を泊めることになった。

 農民が案内したのは、畑の側にある農民の家だった。少しばかり大きな家で、人二人ぐらいを泊めるにはなんの問題もなさそうだった。

 旅人は農民の家に入ると、信頼の証とも言うようにフードを取った。

 ローブの女性は美しい銀髪に、赤い瞳をしていた。思っていたとおりの美女で、農民は思わず見とれてしまう。

 一方、鎧の女性もなかなかの美女だった。腰まで伸びる長い金髪をゆらめかせ、端正な顔立ちをしている。

 農民は二人を食卓へと案内した。

 食事は質素なもので、農民の畑で取れた野菜を使ったスープだ。だが、旅人二人はそれを美味しそうに食べていた。


「この野菜、凄く美味しいわ」

「そうだな、こんな美味しい野菜は久しぶりだ」

「ありがたいこと言ってくれるねぇ。おじさん嬉しいよ」

 農民は褒められ、年甲斐にもなくこそばゆい気持ちになった。


 そうそうお目にかかれない美女二人に褒められたのだ。それも当然だった。

 そして、食事が終わると、今度は二人から旅の話を聞くことにした。

「それで、お二人さんはいったいどれくらい旅をしているんだい?」


「そうねえ……もう数年にはなるかしら」


 銀髪の女性が言った。農民は驚く。


「へぇ! そんなに旅をしているのかい!? それはそれは凄いねぇ!」


 驚いたが、確かにとも農民は思った。二人のローブや外套の傷み具合を見れば、それも納得と言ったものだった。

 だが、農民は少しだけ気になった。


「でも、その鎧はまるで新品のように綺麗だねぇ」

「ああ、この鎧は大切なものでね。常に手入れは怠ってはいないんだ。今日も、寝るときにはちゃんと手入れをするつもりだよ」


 鎧の女性が言った。

 農民は再び確かに、と思った。

 女性の着ている鎧はまるで宝石のように美しい蒼で彩られている。また、縁も黄金に輝いており、相当高価な鎧だということが伺えた。


「はぁ……そんな鎧、着ていて大丈夫なのかい? 旅をするなら、大切にしまっておいたほうが身軽でいいんじゃないのかい」


 農民がそう言うと、鎧の女性はフフッと笑った。


「ま、確かにそれは否定しないよ。でも、鎧は着てこそ意味があるだろう? 鎧を着込んでいるだけで、野盗の類に襲われなくなるしね」

「なるほどなるほど。でもまあ、お二人さんも分かっているように、この大陸も随分と平和になったからねぇ。帝国が治めていた時代は、領主様が不真面目で盗賊やらなんやらが取り締まられないこともあったが、今はそんなことない。王国連合はそこら辺きっちりしていて、随分と野盗の類も減ったよ」

「うん、確かにそうね」


 銀髪の女性が頷く。

「でも、やっぱり安心感が違うのよ。こう……この人が、私を守ってくれているって思えるの。それだけで、私は幸せだわ」


 そう言いながら、銀髪の女性は鎧の女性を見つめる。

 その視線は、どこか温かみに溢れており、銀髪の女性が鎧の女性のことを深く信頼していることが伺えた。

 今度は鎧の女性が口を開く。


「ああ、そうだな。私も、この鎧のおかげで、彼女を守れていると思う。この鎧がなければ、私は無力だ。女二人の旅だと、そこら辺はやはり問題になってくる。まあそういう現実的な問題と共に、これはお守りでもあるんだけどね」

「お守り?」

「ああ、お守りだ。幸運のね。この鎧のおかげで、私と彼女はその……今でも一緒にいられるんだから」


 農民はその言葉が気になって、ぐいと体を寄せた。


「ほう? と、言うと?」

「……実は私は、昔はあまり恵まれた生まれじゃなくてね。そして彼女は、少し裕福な生まれだったんだ。それでも友達になれたんだが、とある時期を境にあまり一緒にいられなくなってしまった。立場という問題があったんだ。でもこの鎧は、そんな私達の垣根を飛び越えさせてくれたんだ」

「と言うと、警護か何かの仕事についたのかい?」

「……まあ、そんなところだ。それにつくのにはかなり苦労したが、私はその役目を担うことができた。そして鎧を手に入れて、彼女と一緒になった。きっと、鎧がなければ私は死んでいただろう」


 鎧の女性がしみじみと言う。銀髪の女性も、それに頷いた。


「そうね……後からその事情を知らされたときはびっくりしたけど、でも確かにそうだったと思った。でもその後、彼女が私と一緒にいるために鎧を手に入れてくれたって考えると、凄い嬉しくなったの。ああ、この人は、そこまでして私のことを想ってくれていたんだなぁ……って」


 二人は見つめ合い、互いの手をそっと触れ合った。

 そこには、ただの友達ではない、深い絆が感じ取れた。


「あんたら……本当に仲がいいんだねぇ。旅してるのもそのためかい?」

「ええ、本当はどこかに腰を落ち着けてもいいんだけど……今は彼女と一緒に世界中を見て回りたいの。そうすれば、彼女と一緒のかけがえのない時間が、もっと素晴らしいものになりそうだから」

「そうだな……世界を巡るのは楽しい。それは、きっと彼女と一緒だからだろう。これも、平和になったおかげかな」


 二人の言葉に、農民は首をうんうんと縦に振った。


「そうだな……平和は本当に尊い。帝国の頃も平和っちゃ平和だったが、今は段違いに平和だ。本当は戦争なんてしないでこの平和になればよかったと思うんだがな。皇帝も、その嫁さんも、そして娘さんも、悪い人じゃなかったっていうか、まあ、いい人だったってよく聞くしな。でも、みんな死んじまった。後の祭りってやつさね……」

「……そうね」


 銀髪の女性は、とても深く頷いた。まるで、その人物達を見てきたかのようだった。


「でも、私思うの。きっと、その人達は……特にお姫様は、今の平和な世の中を見たら、満足するんじゃないかなって。自分の死は無駄じゃなかった、そう思えるんじゃないかしら」

「なるほどなぁ。でもまるで知ってるかのような口ぶりだねぇ」

「いいえ。ただの伝聞からの想像よ」


 そう言って、銀髪の女性は笑った。

 その後も、二人の旅人と農民は色んな話をした。これまで旅してきた土地のことを、二人から農民は沢山聞いた。

 そうしているうちに夜は更け、三人は眠りにつくことにした。

 そして翌朝、二人は朝一番で旅立つと言い、農民に別れを告げた。


「それじゃあおじさん、また機会があれば会いましょう」

「そうだな、私達はまだ旅を続けるが、もしかしたらまたここを訪れるかもしれない。そのときは、またよろしく頼むよ」


 そう言って、二人の女は去っていった。

 その後ろ姿を、農民は見続けた。二人の女のその姿は、農民から見てもとても仲睦まじく、まるでつがいであるかのようだった。

 あの二人の行先は、きっと幸せな旅が待っているのだろう。

 農民は、不思議とそう思えた。

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敗戦国のヴァルキリー 御船アイ @Narrenfreiheit

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