第44話 神に選ばれた2人

—1—


9月5日(水)午後9時35分


「ふぅ、大丈夫。私なら出来る」


 小町が手のひらの上に乗っている青色のサイコロを見つめる。

 深く息を吐き、大丈夫だと自分に言い聞かせている。

 サイコロを持つ手は震え、緊張からか唇が渇いているように見える。


「よしっ」


 サイコロを振る心の準備が整ったのか短くそう言うと、自分の席に向かって優しくサイコロを投げた。

 机の上を何度か跳ね、コロコロと転がる。

 その様子を小町と私は祈るように見ていた。


 小町は大きい数字が出ますようにと。

 私は小さい数字が出ますようにと。心の中で祈る。


「4」


 小町の机の上で止まった青色のサイコロは4だった。

 私が勝つためには、2回サイコロを振って4以上出さなくてはならない。最低ラインとして2を続けて出しても引き分けで仕切り直しだ。


 そこまで難しくはない。

 どこで見たか忘れたが、サイコロを振って1番出やすい目は5だという。

 1回目に5が出たらその時点で私の勝利確定だ。


「はぁーーー」


 自分の体の中に溜まっていた悪い空気を吐き出す。

 なぜだろう。この1振り1振りに命が懸かっているというのに不思議と落ち着いている。

 息を吐きだしたからだろうか。頭の中がクリアだ。


 私はゆっくりとサイコロを机の上に転がす。

 その時、教室内に銃声が鳴り響いた。


 反射的に振り返り、窓際の1番前の席に視線を向ける。

 すると、そこには頭から血を流した健三の姿があった。背もたれに体を預け、腕を椅子の横に投げ出している。血飛沫が黒板まで飛んでいる。即死だ。


 健三対由貴のゲームは由貴が勝利したようだ。

 確か健三も由貴も金色の宝箱を見つけていたはずなので、どちらもサイコロを振るチャンスは2回。

 条件は同じだ。健三は、単純に運の強さで由貴に負けたということか。


「よそ見してていいの?」


 小町にそう言われ、視線を机の上に戻す。

 サイコロは1の目が出ていた。これにより最後の1振りで3以上出さなくてはいけなくなった。

 一気に緊張感が増す。体の毛穴という毛穴から変な汗が出てくる。


 小町が机の上を指でタンタンタンタンと叩き、私のペースを乱そうとしている。

 気にしまいと思っても頭の中にその音が響いてくる。それにつられるように鼓動まで早くなる。


 サイコロを握り締め、目を閉じる。

 落ち着け、大丈夫だ。3以上を出せば負けることはない。1か2を出さなければいいんだ。


 大丈夫。


 目を開き、そっと差し出すように机の上にサイコロを落とした。

 勢いが弱かったので、すぐに結果が出た。


 パンッ!

 机の上に血が飛び散り、赤いサイコロをさらに赤く染めた。

 銃で撃たれる瞬間、小町が何か言おうとしていたがその声を聞くことはできなかった。


「矢吹由貴さん、万丈目凛花さんおめでとうございます。月柳村からは2人が選別ゲームクリアとなります」


 ホワイトボードの前に立つ織田が少し微笑みながらそう言った。


「月柳村からは?」


 織田の言葉に由貴が眉をひそめながら訊いた。


「はい。月柳村以外の地域でも選別ゲームが順次行われることになっています。基本的に選別ゲームの対象になるのは団体が多いです。例えば高校の1クラスや会社など。生き残りの目安は、各団体の1割を予定しています。30人のクラスなら3人ですね。優秀な方が多ければ多少誤差は出てくるかと思いますが。由貴さんと凛花さんは、記念すべき第1回の選別ゲームをクリアしたということです」


「なるほど。大体分かりました。それで私たちはどうなるんですか? 親を失い、親友を失い、全てを失いました。明日をどうやって生きて行けばいいのかも分かりません」

「そうですね。凛花さんがそう思うのも無理ありません。今後の詳しいことにつきましては、明日の正午、村の集会場でお話致します。選別ゲームは終わりましたが、時間厳守でお願いします」


 織田が私と由貴の顔を交互に見ると、「それでは失礼します」と言って部下の清水と共に教室を後にした。

 武装した政府の人間はというと、健三と小町の遺体を抱え、無言で教室から去って行った。


 教室に残された私と由貴。

 由貴は、雨が降る外の様子を窓を開けて静かに見ていた。


 私は、ホワイトボードが置かれている前の席に腰かけていた。

 今まで支配していた緊張感から解放され、疲れがドッと押し寄せてくる。

 それと同時に何とも言えない不安が込み上げてくる。


 時刻は9時55分。

 由貴が開けた窓から冷たい風が入ってくる。少し肌寒くなってきた。


「結局生き残ったのは私たちだけだったわね」


 由貴が振り返りこちらを見た。風で髪が揺れている。


「選別ゲームって何だったんですかね?」

「さあ、私も分からないわ。でもこれだけは言える。ここまで生かされたということは、私たちにはまだ何か役割が残っているのだと思う。自分たちでもまだ気が付いていない何か、大切な役目があるはずよ」

「由貴さんは凄いですね。私はそんなすぐに前向きな考えは持てないです」


 サイコロの目が違っていればここにいるのは、私じゃなくて小町だったかもしれない。

 私が最後に振ったサイコロの目は5だった。

 ただ運が良かっただけなのか。それとも神様が私を選んだのか。


 由貴の言うように私にはまだ果たすべき役割が残っているのだろうか。それは誰にも分からない。

 しかし、それでも私は亡くなった月柳村のみんなの分まで生きて行かなくてはならないんだ。


 生きたいと願ってもそれが叶わなかった人たちの分まで。


「凛花、少しだけ私の昔話に付き合って欲しいのだけど、いいかしら?」


 そう言って由貴は自身の過去を話し出した。


—2―


9月5日(水)午後10時1分


 私、矢吹由貴の両親は、私が幼い頃に離婚した。

 ずっと母親1人に育てられてきたので父の顔は覚えていない。


 母は、真面目な性格で仕事をいくつか掛け持ちして、私に不自由が無いようにと汗水垂らしてせっせと働いていた。


 小学校の授業参観の時も本当は忙しいはずなのに毎回欠かさず来てくれた。

 後ろを振り返ると笑顔の母が手を振ってくれた。私はそれが嬉しかったことを覚えている。

 他にも学校の行事は、自ら率先して参加してくれた。


 私はそんな優しい母が大好きだった。

 私のために毎日一生懸命頑張ってくれていた母。そんな母に私は1つだけ謝りたいことがある。


 それは小学2年生の運動会のこと。

 親子種目で周りの子は父親とペアを組んでいたのだが、私には父がいなかったので母とペアを組んだ。


 その時に母に「なんで私にはお父さんがいないの?」と言ってしまったのだ。そんなこと言うつもりはなかったのだが、つい口からそんな言葉が出てしまった。

 母は一瞬悲しい顔を見せたが、すぐに「由貴にはお母さんがいるでしょ」と明るく肩を叩いてきた。


 母は、私に対する申し訳ないという気持ちと共にものすごく寂しかったと思う。

 だが、それを娘である私には見せたくなかったのだろう。


 もし、その時に戻ることができるのであれば「私はお母さんの子に生まれてきてよかったよ」と言いたい。


 時は流れて私が13歳の時。

 中学生生活に慣れてきたある日、母が私の前に知らない男を連れてきた。私が驚いていると、母は「この人と結婚したい」と言ってきた。


 男は母より2つ年上。母とは職場で出会ったらしい。

 身長は175センチくらい。少しお腹に肉が付いていたが優しそうな感じだった。


 私はこれまで私のために頑張って働いてきた母に幸せになって欲しかったので、それを拒むことはしなかった。

 しかし、この瞬間から歯車が少しずつ狂い始めていた。


 新しい父を迎えて3人で囲む食卓。3人で茶の間に座りテレビを見る。何気ない日常の会話。

 父親という存在を知らずに育った私には全てが新鮮だった。

 母も以前より笑顔が増えたような気がする。


 全ては順調に思えた。

 だが、そう思っていた日々は、突如として崩れ去った。


 あれは、母が仕事に出掛けたある日の出来事。

 その日は、私は風邪を引いて学校を休んでいた。偶然、父も仕事が休みで朝から家にいた。


 お昼前、具合が悪くて部屋で寝ていた私は異変を感じて目を覚ました。

 体が重い。風邪のせいかとも思ったがこれは違う。

 寝起きでぼんやりとする頭のまま首を起こすと、そこには裸の父の姿あった。


 私と目が合っても慌てる様子はなく、鼻息を荒くして、私の上にかかっていた布団を全て剥ぎ取った。

 大きい声を出して助けを求めようとしたが、口を塞がれて声が出ない。


 父は、空いている手で私が着ているパジャマのボタンを外していく。

 必死に抵抗するが、風邪のせいで思うように力が入らない。恐怖で涙が溢れ、視界がぼやける。


 しかし、父の手は止まらない。

 生まれたままの姿になった私は、それから父に大切なものを奪われた。


 新しい家族になれたと思っていたのに。この男は母のことも裏切ったのだ。あれだけ嬉しそうにしていた母を。


 私はその日から人を信じることをやめた。


 この話はこれで終わりではない。

 父は、母が仕事や買い物などで家にいないタイミングを見計らって度々私を襲うようになった。


 私は精神的にも肉体的にもダメージを負い、家に帰らず友達の家に泊めて貰ったりするようになった。

 それでもまだ私は中学生。そんな生活が長く続くはずもない。


 それに母にはあまり心配をかけたくなかった。

 家に帰ると父が心配する素振りを見せて、母の見えない所でお尻を触ってきた。


 限界だった。この男は何も変わっていない。このままでは私の中にある大切な何かが壊れてしまう。

 いや、もうあの時に壊れてしまっていたのかもしれない。


 私は、お風呂に入った父を洗面所で待ち構え、出てきたところを包丁で刺した。

 それからのことは、ほとんど記憶にない。思い出そうとしても思い出せない。思い出したくもない。


 たまに父の顔が頭をチラつくことがある。その度に胃液が込み上げてくる。

 あの一件から1度も母とは会っていない。今どこで何をしているのかもわからない。

 できることなら会って話をしたいけれど、私にその資格はないだろう。


 私は、私を取り巻く環境全てから逃げるために山奥の小さな村『月柳村』に来たのだ。

 ここで人生を再スタートさせるために。

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