第42話 タバコの味

—1―


9月5日(水)午後8時53分


 残り時間も僅か。

 私、万丈目凛花は机の上に置かれた投票用紙とにらめっこしていた。


 すでに私を除く4人は、投票用紙に脱落して欲しい人の名前を書き終えている。

 今は各々が席に着き、自分の世界に入っている。誰も口を開こうとはしない。聞こえるのは雨が降る音と時計の長針が動くカチッカチッという音だけだ。


 脱落者が決まるまで10分を切り、教室内がピリピリとした空気に包まれている。


 これまでの状況を整理すると小町と清が私の名前を書き、健三が清に投票すると宣言した。由貴は誰に投票したのか明かしていない。


 と、ここでなぜか怪しげな笑みを浮かべた由貴の顔が頭の中に映像として再生された。

 その薄い笑みは、自分が脱落することがないと確信したからだろうか。由貴ならただゲームを楽しんでいると考えることもできる。


 いや、今はそんなことはどうでもいい。

 由貴のことはいったん頭の片隅にでも置いておこう。このままでは合計2票獲得している私が脱落してしまう。


 それだけは何としても避けなくてはならない。

 みんなが繋いでくれた命のバトンをここで私が途切れさせるわけにはいかない。最後の最後まで精一杯生きなくては。


「これに賭ける」


 誰にも聞こえないボリュームでそう呟き、ペンを走らせた。

 この時点で私が生き残るための選択肢は1つしかない。

 そう、全ては頭の片隅に追いやった由貴のことを信じるしかないのだ。


「失礼します」


 政府の織田と清水が教室に入ってきた。2人を護衛する武装した政府の人間も一緒だ。


「それでは残り5分になりました。書き終えた方から投票ボックスに投票の方、お願いします」

 

 織田が投票ボックスと書かれた正方形の箱を教卓の上に置いた。

 清、小町、健三、由貴が順々に立ち上がり、投票ボックスに投票用紙を入れていく。


 私は由貴が投票を終えたタイミングで立ち上がると、席に戻るために振り返った由貴と目が合った。

 私も由貴も何も言わない。目が合っていたのはほんの一瞬の出来事だったので、誰も気付いていないはずだ。


 しかし、私にはそれだけで十分だった。


「はい、それでは全員分の投票が終わりましたので開票を行います」


 織田がそう言って投票ボックスから5人分の投票用紙を回収すると、清水が廊下からホワイトボードを運んできた。

 ホワイトボードには生存者5人の名前が書かれている。

 黒板を使えばいいのにと思ったが、この際細かいことは気にしない。


「岩渕清さん、脱落して欲しい人・万丈目凛花さん」


 清水がそれを聞き、ホワイトボードの私の名前の下に正という文字の一画目を書き入れた。


「阿部小町さん、脱落して欲しい人・万丈目凛花さん」


 正の二画目が書き入れられる。


「へへっ、これは決まったようなもんだろ」


 清が余裕の笑みを見せる。まだ結果は出ていないのに勝った気でいるようだ。


「今野健三さん、脱落して欲しい人・岩渕清さん」


 健三は宣言した通り清に投票したようだ。


「続いて万丈目凛花さん、脱落して欲しい人・岩渕清さん」


 これで私と清が2票ずつで並んだ。

 私の命は、由貴の1票に委ねられた。


「お、おい! ふざけんなよ! なんで俺に入れてんだよ」


 清が机を派手に倒しながら私に詰め寄ってきた。私を睨む清の目が充血している。

 選別ゲームが始まってからろくに休むことが出来ていないので疲れているのだろう。

 そういう私も睡眠不足で目の下にくまができている。


「俺が凛花に投票しようって呼び掛けたからか? おい、なんでだよって聞いてんだよ! うっ、な、なんだよその目は」


「立場が悪くなるとすぐ暴力に転じる。力には絶対的な自信があるみたいだけど、それだけで最後まで生き残れるわけないじゃん! そのことが分かってない時点で清さんはもう終わりなんだよ。逆によくここまで生き残ってたと思うよ。凛花ちゃんが褒めてあげる。えらいえらい♪ きゃは!」

「こいつ、今すぐ何も喋れなくしてやる!」


 清が拳を振り上げた瞬間、政府の織田が最後の投票用紙を開いた。


「矢吹由貴さん、脱落して欲しい人・岩渕清さん。この結果、3票を獲得した岩渕清さんが脱落となります」


 織田の言葉を聞き、教室内にいた武装した政府の人間15人が腰から拳銃を抜き、清に銃口を向けた。その動作に一切の無駄がない。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。何かの間違いだろ。もう1回投票用紙を確認しようぜ……なんで、なんで俺が死ななきゃいけないんだよ」


 パンッ。織田が放った1発を皮切りに乾いた銃声が教室内に鳴り響く。

 清が壊れた操り人形のように不規則に体を震わせた。体の至る所から血が流れ、床に濃い赤色の水溜まりを作る。


 その光景を見ても誰も悲鳴を上げようとしない。

 もう私たちは見慣れてしまったのだ。人が命を落とすこの光景を。


「ちょっといいですか?」


 健三が清の遺体を運ぼうと足を掴んでいた政府の人間に声を掛けた。


「確かここに入ってると思うんですけど」


 そう言って清のポケットの中に手を入れる健三。

 取り出したのはタバコとライターだった。


「織田さん、これ俺が貰ってもいいですか? 以前こいつが俺に1本くれようとしたのを断ったんですけど、なんだか急に吸いたくなりまして」

「別にそれくらいなら構いませんよ」


 ホワイトボードの前にいた織田が許可を出した。

 許可を得た健三がタバコに火をつける。


「健三さんってタバコ吸ってたっけ?」

「えっと、今は普通の凛花なんだよな?」


 私の顔をまじまじと見て健三が言った。


「うん、そうだけど?」


 もう1人の私。

 無意識に私が生み出した化け物。

 はっきりしないけど、どうやら命の危険や身の危険を感じるともう1人の私が顔を出すみたいだ。


 私にもいつまで私が私でいられるのかわからない。

 健三が溜息をつく様にタバコの煙を吐き出した。


「タバコはやめてたんだけどちょっと懐かしくなってさ。どんなに憎くい相手でもいざ死なれてみると昔の記憶が走馬灯のように次々と浮かんできてね……なんでこんなことになったかなー」


 健三は、廊下に運び出される清の姿を見ながらどこか寂しそうに呟いた。


「さて、今ここにいる皆さんは月柳村の24名の中から選ばれた優秀な方々です」


 織田が黒色のペンでホワイトボードに書かれた清の名前にバツ印を書いた。


「私としてはここにいる4名全員を合格にしてもいいのですが、規則で決まっているのでそうもいきません」


 織田がホワイトボードに手をかける。

 それを見てホワイトボードの前にいた清水が1歩離れた。


「次の選別ゲームがいよいよ最後のゲームになります!」


 織田がいかにもゲームマスターらしいセリフを吐きながら、ホワイトボードを勢いよく回転させた。

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