第41話 2人の凛花

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9月5日(水)午後8時13分


「許さない? あたし、小町ちゃんに何かしたっけ? いくら記憶力の良い凛花ちゃんでも心当たりが無いなー」


 自分の名前が書かれた投票用紙をつきつけられても尚、凛花は凛花のままだった。

 表情を一切崩すことなく、余裕の笑みを浮かべている。


「そうだよね。凛花には分からないよね。なんで、なんでこんな奴に……」


 小町の目から涙が零れ落ちた。

 声色から悔しさと怒りが混ざっているのが分かる。


「大好きなお兄ちゃんに想われて。楽しそうに凛花のことを話すお兄ちゃんを見て、私はお兄ちゃんのことを諦めようと思ったんだ。仲の良い兄妹のままでいようって。でも、お兄ちゃんが見ていた凛花あんたは偽物の姿だった」


「えっと、なになに? 小町ちゃんは、お兄ちゃんのことが大好きで大好きで仕方が無かったんだ。それでお兄ちゃんが想いを寄せていたあたしに嫉妬してたってこと? ちょっとやめてよ。勝手に想われて、勝手に恨まれても困るんですけど」

「このっ!」


 小町が凛花に飛び掛かり、襟元を掴んだ。

 机が前に倒れ、食べかけの弁当がひっくり返る。


「私がどんな思いで諦めたかも知らないでふざけたこと言わないで!」

「いたたたっ、どんな思いも何も兄妹なんだからそんなの初めから無理でしょ。それと、手を出したってことは死ぬ覚悟があると受け取ってもいいかな?」

「ガハッ!?」


 凛花の膝が小町の腹に入った。

 小町が腹を抱えてうずくまり、凛花のことを見上げる。


「うっ、あんたは一体誰なの? 私はこんな凛花ひと知らない。雰囲気から何から全くの別人じゃない! お兄ちゃんが想ってた凛花はどこにいったの?」


 ここにいる誰もが気になってたことを小町が訊いた。

 小町は、顔を歪めて腹を抑えながらも続ける。


「私が持ってた鎌で国竹さんの喉を掻き切って。親友だったはずの奈緒の首まで切断して。私はその時の凛花の顔を忘れない。あんたは奈緒を殺して笑ってた」


 国竹の喉を掻き切って、奈緒の首を切断した?

 凛花が? 信じられないがこの状況で小町が嘘を言うとは考えにくい。それに今の凛花なら殺人だってやりかねない。そんな雰囲気が出ている。


「な、お? 奈緒? うっ!!」


 凛花がそう呟くと、頭を抱えて床に倒れた。


「おいっ、大丈夫か?」


 凛花の元に駆け寄り、顔を覗く。

 すると、凛花は気持ちよさそうにスース―と寝息を立てていた。


「おいっ、どうなってんだ?」


 清も凛花のことが心配のようだ。

 本当なら口も利きたくないのだが、今はまた話が別だ。


「どうやら寝ているみたいだな」


 清にそう答えた次の瞬間、凛花の目がゆっくりと開き、勢いよくバッと飛び起きた。


「奈緒が、私が奈緒を……」


 血で汚れた自分の両手を見る凛花のその目から涙が流れ落ちた。


「そうだよ。凛花が殺したんだ」


 小町が低い声で突き放すようにそう言った。


「私が……ああああああああああああああーーーーーーーー!!!!!!」


 凛花が悲しみの声を上げ、床に座り込んだ。

 さっきまでの様子と明らかに違う。


「フフッ、分かったわ」

「由貴さん、何が分かったんですか?」


 弁当を食べ終えた由貴が席を立ち、凛花に近づきながら話し出した。


「人は1度にいくつかの辛い体験が重なり、受け止めきれなくなると別の人格を生み出すことがある。そうすることで精神の崩壊を防ぎ、自身の身を守ろうとするのだろう。しかし、詳しいことはまだ解明されていない」


 由貴が淡々とそう話しながら座り込んでいる凛花の正面まで移動した。


「それってもしかして多重人格ですか?」


 どこかでそんな内容の書かれた本を読んだことがある。あれは確か図書室だっただろうか。

 俺の問いかけに由貴は振り返って静かに頷いた。


「ええ、表現としてはそれに凄く近いわね。でも恐らく凛花の場合は少し違うと思うわ。これはあくまで私の予測だけど、自分ではない別の誰かだと思い込むことで、この信じ難い状況から逃れようとしているんじゃないかしら? 凛花自身が性格の異なる、攻撃的なもう1人の凛花を演じているに過ぎない。違う? 凛花?」

「分からない。由貴さんが何を言っているのか分からないよ」


 凛花が首をぶんぶんと横に振る。

 それと一緒に涙も右や左に飛び散る。


「分からないんじゃない。分かりたくないだけよ。凛花はこの現実に耐えられるだけの精神力が無かったのよ。でも私は凛花を否定しない。逃げたいのなら最後の最後まで逃げ続ければいいと思う。『辛いことから目を背けるな』なんて言う大人がいるけれど、私はそうは思わない。立ち向かい続けた結果、壊れてしまうことだってあるもの。逃げたいならとことん逃げればいい。その後で現実に向き合う心の準備ができたら向き合えばいいのよ」


 由貴が何かを思い出すかのように優しく凛花に語りかけた。

 凛花の目から溢れる涙が床にぽたぽたと落ちていく。


 凛花が精神的に不安定なのは間違いないだろう。

 情緒が不安定なところから感情をコントロール出来ていないことが分かる。


「ねぇ、結局どういうこと? もう途中からついていけてないんだけど。よく分からないけどさ、凛花のやったことは変わらない訳だし、私は凛花が脱落すればいいと思う」


 小町がそう言って自分の席に座った。


「そうだな。俺も凛花に投票するぜ。いつまた人を殺す凶暴な凛花になるか分からないしな。そうなる前に脱落してもらった方がいいだろ。清も由貴さんも凛花に投票しようぜ」


 清が歪んだ笑みを浮かべながら投票用紙にボールペンを走らせた。


 俺はどうしても清が許せない。

 いくら生まれてからの古い付き合いだからと言って、恭子に行った最低な行為を忘れてやることはできない。

 もう死んでしまったが、残された大吾の気持ちを考えると胸が苦しくなる。


 だが、これから続く選別ゲームで生き残ることを考えると、後々厄介になりそうな人をここで消しておくというのもひとつの手だ。

 そうなると候補として挙がるのは、由貴か凛花だろう。


 しかし、俺の大切な人を奪った罪は何よりも重い。


「俺は清に投票する」

「おいっ、なんでだよ健三!」


 両手で机を叩く清。

 大きな音を出して怯ませようとしたのか知らないが、自分で1度決めたことはそう簡単に変わらない。


「何でもクソもあるか。お前が体育館で起こした数々の行いを俺は忘れないからな」

「ちっ、由貴さん、由貴さんは誰に投票するんだ?」

「教えないわ。別に誰かに話さなきゃいけない決まりはないはずよ」


 フフッと薄い笑みを浮かべて由貴も自分の席に着いた。


「凛花、あなたもいつまでもそうやって泣いていないで早く書いた方が良いわよ。無記入だと脱落になるみたいだし。まあ、このままここで死ぬつもりだったのなら余計なお世話かもしれないけど」


 由貴は投票用紙に誰かの名前を書きながらそう言うと、書き終えたのか机にボールペンを置いた。


「さあ、誰が脱落かしらね?」


 由貴が軽い口調でそう言い、教室の後ろの方に座る小町に笑いかけた。

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