第34話 親友
—1—
9月5日(水)午後4時31分
奈緒は私から視線を逸らすと、清に捲り上げられた服を下ろして肌を隠した。
青黒い無数の痣。
思い返せば奈緒が人前で肌を見せることは1度も無かった。
小学校の時もプールの時間は毎回プールサイドで見学をしていたし、お風呂に一緒に入ろうと誘った時もやんわりと断られた。
なんで私はその時に気付かなかったのだろう。
奈緒は1人で苦しんでいたというのに。親友なら相手が悩んでいたら力になりたいと思うものだ。
「凛花はやっぱり凛花だね」
「えっ?」
黙っていた奈緒が立ち上がり私と向かい合った。
清が起こした騒ぎを止めるために体育館にいた全員が奈緒を取り囲んでいる。
奈緒の両親、国竹と拓海も少し距離を取り、何も言わずに奈緒のことを見ていた。
「凛花、凛花のおばあちゃんに私たちがお互いのことをどう思っているか訊かれたでしょ?」
「うん」
「その時に私がなんて答えたか覚えてる?」
奈緒が言っているのは、おばあちゃんが脱落した日の朝のことだろう。
ペアを組めという1つ目の選別ゲームの際におばあちゃんは私と奈緒にペアを組みなさいと言ってくれた。
その時にお互いのことをどう思っているのか訊いてきたのだ。
「確か本をたくさん読んでいるから知識が豊富で明るくて芯がしっかりしてるだっけ?」
「そうそう。でさ、重要なのはその後のことだよ」
「えっと、私に持っていないものを多く持っているのが羨ましいだったっけ?」
私はみんなを自然と笑顔にする奈緒のようになりたいと思っていた。
その奈緒の口から私のことが羨ましいと思っていたと言われ、驚いたことを覚えている。
「私はずっと凛花のことが羨ましいと思ってた。ごく普通の生活を送って、両親からたくさんの愛情を注いでもらっている。私はそれを知らずに育ったから。そんな普通の家の子に生まれたかったなって」
「奈緒……」
奈緒が目を細めて痣のあるお腹周りを手で擦った。
「なんで言ってくれなかったのって思ってるでしょ?」
「……」
私は奈緒に言い当てられ、すぐに言葉が出てこなかった。
それを見て、奈緒が続けて口を開いた。
「この傷のことを話したら凛花との関係が終わっちゃうんじゃないかと思って話せなかったんだ。もし凛花がいなくなったら私はまた1人ぼっちになっちゃうから。それだけは絶対に嫌だった。たった1人の信頼できる味方を失いたくなかったの」
「そんな、私がそんなことする訳ないじゃん。私は何があっても奈緒の味方だよ」
「ありがとう。頭では分かってるんだけど、もしかしたらって思っちゃう悪い自分がいるんだよね」
奈緒の不安そうな表情。
一体今までどれだけ辛いことをその小さな背中に背負い込んできたのだろうか。
私は、私だけは何があっても奈緒の味方でいる。そう強く思った。
「奈緒がそう思うのは普通のことだよ。奈緒はずっと怖かったんだね。もう1人で悩まなくても大丈夫だから、ね?」
私は奈緒に抱き着いて頭を優しく撫でた。
奈緒は目に浮かべた涙を私の肩に押し付けていた。奈緒の熱が伝わってくる。
「ありがとう、凛花。こんな私を受け入れてくれて本当にありがとう」
「当たり前だよ。奈緒は奈緒でしょ。それに悪いのは奈緒じゃないんだから」
そうだ。悪いのは奈緒じゃない。
全ての悪はこんな酷い痣をつけた人にある。
「国竹さん、あなたが奈緒ちゃんに暴力を振るっていたんですか?」
私の父、浩二が国竹に詰め寄りながらそう言うと、全員の視線が奈緒の父、国竹に向けられた。
「だったらなんだって言うんだ」
「あなたがしたことは許されないことだ。子を持つ親なら自分の子供を守るものでしょうが。自分から傷つけるようなことは何があってもしてはいけない」
浩二の言葉に国竹の目の色が変わった。
「他人が人の家庭に口出しするんじゃない! これは俺の家の問題だ。あんたには関係ないだろ」
「関係ないって、そうかもしれませんけど奈緒ちゃんのこんな姿を見てしまったら見逃すことは出来ませんよ」
あくまで冷静に国竹に話し掛ける浩二。
しかし、そこには怒りの感情が込められていた。
私に抱き着いている奈緒の体が国竹の怒鳴り声を聞いて震えていた。私は奈緒を安心させるためにギュッと強く抱き締めた。
「ははっ、見逃すことは出来ないだと? 笑わせるな。俺が奈緒に暴力を振るっていたということは認めよう。だがな、この状況で何ができる? どのみちゲームは2時間30分後には終わる。そしたら俺も奈緒も脱落だ。ついでに浩二さん、あんたもだ」
体育館の壁に設置されている時計を見て国竹がそう言った。
「そんなことは言わなくても分かってる。国竹さん、人なら犯した罪は死ぬ前にきちんと償え。それが人間だろ」
「うるさい! なんであんたにそんなことを言われなければならないんだ」
国竹が浩二に殴り掛かろうとしたが、浩二の側にいた健三が止めに入った。
「国竹さん、落ち着いて周りを見て下さい」
健三に言われて国竹が周りを見ると、全員の視線が自分に向いていることにようやく気が付いた。
「なんなんだよくそっ、拓海!」
国竹が妻である拓海の名前を呼び、ステージの方に歩き出した。
国竹の背中を追って歩き出した拓海が私と奈緒の前まで来ると足を止めた。
「あんたなんか産まなければよかった」
母親から発せられたとは思えない言葉。
拓海はそれだけ言うとステージに向かって再び歩きだした。
数分後、落ち着いた奈緒に話を聞いたところ、奈緒はドロケイが始まってから父の国竹に逆らえず、出された指示に従って行動していたそうだ。
国竹は自分の娘を力で支配し、利用していたのだ。とても許されることではない。
この一件後、奈緒の表情は自然な柔らかい笑顔になっていた。今まで見たどの笑顔よりも輝いている。もう奈緒のことを縛る鎖はない。
「凛花、凛花は暗闇の中にいた私に光を与えてくれたんだよ。だから凛花には恩を返しても返し切れないんだ。ありがとう」
体育館の壁に寄り掛かっている私と奈緒。
やっと本当の親友になれたというのにゲームの終了時間は刻々と迫る。
ドロケイ終了まで残り2時間8分。
—2―
9月5日(水)午後4時55分
清から逃げるべく体育館を後にした恭子と大吾の2人は学校の屋上にいた。
落下防止として屋上を囲むように立てられているフェンス。
そのフェンスの前に立ち、遠くを見る恭子とそんな母親の姿を隣で見上げる大吾。
「私は何のために生きているんだろう? なんで生きなきゃいけないんだろう? ふふっ、ふふふっ」
清に脱がされた服を急いで着たので随分と着崩れている。
しかし、恭子はそんなことなどどうでもよかった。
「お母さん、ねえお母さんってば」
「もう嫌、生きていても苦しむだけよ。こんな、こんなことって。ふふっ、ふふふっ」
壊れたおもちゃのように笑い続ける恭子。どうやら生きている意味を見失ったようだ。
大吾も変わってしまった母親を元に戻そうと必死に話し掛けるが、その声は届かない。
「死んだら全てから解放される。この意味の分からないゲームからも何もかも全部」
フェンスをよじ登りながら恭子がぶつぶつと呟く。
「お母さん、ダメだって!」
大吾が恭子の足に飛びつきなんとか地面に引きずり下ろした。
「邪魔しないでよ! これ以上私に苦しめって言うの? 私の好きにさせて!」
鬼のような形相でそう叫び、大吾のことを振り払った。
そして、再びフェンスを登り、今度はフェンスの向こう側に飛び降りた。
後1歩前に足を進めると地上に向かって真っ逆さまだ。
「ダメだって! 行かないでよ。お母さんまで行っちゃったら俺は1人になっちゃうよ」
大吾は、幼い頃に父親を事故で亡くしている。
母の恭子だけがたった1人の生きている肉親なのだ。
「待って!」
大吾がフェンスに飛びつき、よじ登りながらそう叫んだ。
「ごめんね大吾」
次の瞬間、大吾の視界から恭子の姿が消えた。
学校は3階建てだ。運が良ければ助かることもあるが、そう簡単に奇跡は起こらない。
「大吾……こんなお母さんでごめんね」
薄れていく意識の中で恭子は大吾のことを想っていた。
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