第58話 川谷式水洗トイレ 4


 最近、僕は暇を見つけては絵の練習をしている。黒板に似た板にチョークに似た白い鉱物で描く。忙しくてあまり時間は取れないが毎日ちょくちょくと描いている。


「勇者、川谷清治さん。貴殿をビフィストイレ特別対策室長に任命致します」

 まるで賞状のような立派な紙には任命状とあり僕の名前も書いてある。僕はそれを市長から受け取る。今日は任命式だ。これで僕はこの街の公務員のような立場になった。月給は六十万イェンだと言われた。

「ありがとうございます」

 まるで卒業証書でも受け取るようにして委任状を脇に挟み礼をする。だが何となく実感は沸かない。やる事はこれまでと変わらない。この街にトイレを作る。それが滞りなく行えるようにあちこちに話を付けに行くだけだ。

「どうしました?」

「あ、いえ、その」

「胸を張ってください。貴方はそれだけの事をしているのです。そして我々は貴方の力を必要としています。これからも宜しくお願いしますよ」

 市長はそう言って優しそうに笑った。



 絵の練習を始めたのは僕に絵心がないせいだ。そのせいで猫六さんには便器の形を身振り手振りでしか伝えられなかったのだ。これから作ってもらおうとしている物はもっと複雑だ。だからちゃんと絵で伝えようと思った。


「よう、大将!」

「ああ、大工さん。今日もお願いしますね」

「おう!いやぁ!アンタのおかげで大儲けだぜ!」

 今日は街の北門が建設現場だ。ここはビフィドに向かう人、ビフィドからビフィスに来た人が通る場所だ。ここ最近問題になっているのは街の中心部にあるトイレが混んでいる事だ。ここにトイレを作るのはそれを分散する意味とこの街に入ってきた人をトイレで迎えようという意味がある。同様に西門、東門にはすでに作ってあり北門の次は南門に作ることになっている。

「そうは言っても忙し過ぎるんじゃないですか?あまり無理しないで下さいね」

「ガッハッハッハ!心配無用だ!」

 大工さんは逞しすぎる程の大きな体全体を揺らして笑う。実に頼もしい。ちなみに弟子はここ最近増えたらしくちゃんと交代で休みを取ることは出来ていると聞き安心した。今日も見たことのない人が二人いる。

「よし!じゃあ始めるぞ!」

「おー!」

 大工さん達はそう言って作業を開始した。



 何度も描き、何度も消し、記憶を頼りにその形を思い出して描いていく。それは非常に難しい作業だった。何せある面からはよく見ているくせにその裏側だったりすると全く形が分からない。それに内部構造だって不明だった。一体どう水が流れているのか、見ている面すら限られる中でその内側なんて想像するしかない。僕が何を描いているのか、もちろん洋式便器である。


「はぁ…」

「どうしたんです?」

 珍しく洋子さんと二人きりで食堂にいる。エアリィは仕事で自室に引き篭もっているしイーレもティレットも会議があるとかで役場に行っている。ブチも一緒にだ。僕はたまたま今日はやることがないので休業日だ。役職が付いたとは言え出勤日や勤務時間がかっちり決まっているわけでもなく、逆に言えば休日出勤、残業徹夜上等だったりもするのでこんな暇な時は積極的に休もうと心掛けている。

「最近、なんだか欲求不満で」

「ああ、そりゃ不満でしょうね」

「なんとかならないでしょうか?」

「なりませんね」

 僕は即答する。洋子さんの悩みは大凡把握できている。実に特殊で性的で犯罪的なものである。

「そこを何とか…」

 だが思ったよりも深刻そうな顔をしている。

「あー、直後に掃除をするとか?一歩間違えれば誤解されかねないですけどね」

「その手がありましたか…」

「たまには使わないんです?面倒がって。ほら、今とか」

「最近は、あまりお使いになられていないので。トイレでするのが快適だそうです」

「さようで」

「いっそ、トイレを快適ではなくしてしまえば」

「いや、なんの為にトイレがあると思ってんですか」

 洋子さんの性癖的な都合のためにエアリィにトイレ使用を禁止なんてさせられない。

「洗濯とかどうなんです?」

「それはもう…」

 もう、なんなんだよ。

「一緒に風呂くらいは入れるでしょうに。お背中をお流し致します、とか」

「お肌に直に触れるなんて、私にはまだ早すぎます」

 とっくに手遅れだけどな。

「あ、そうだ。連れション」

「連れション?」

 人間と言うのは不思議なものだ。なんだってトイレを一緒にとか思うんだろう。しかもこれは男女を問わない習性である。

「ええ。一緒にトイレに行くんです。うちのだとちょっと難しいですけど街中のだったらそれっぽいですよ」

「つまり同じタイミングで用を足せと?」

「そう」

「つまり壁一枚隔てた環境で聞き耳を立てる事が出来ると?」

「お、おう」

「つまり敢えて見えない環境下で音だけで一体感を得る、と?」

「一体感とまでは…」

「貴方は恐ろしいことを思い付きますね。変態ですか?」

「アンタにだけは言われたくないわ!」

「ですがお礼は申し上げて置きます。これから試して参ります」

 これからって…。

「あ、いたいた。洋子さん、ちょっと出掛けたいんだけど良いかな?」

「はい、参りましょう」

 まるでエアリィが出てくるタイミングを知っていたかのように振る舞う洋子さん。

「それでは行って参ります」

「はいはい。気を付けて」

 そして二人はどこかに出掛けた。エスカレートして覗きなんて真似しなきゃいいけど。



 練習の甲斐があって洋式便器の設計図はそれなり形が分かるものが出来た。これなら上手く伝わるはずだ。しかし問題は内部構造だった。果たして作れるのか、そもそもこの形で良いのか。まだまだ考える事は山積みだった。だが今は大体どんな物を作ろうとしているのか伝わればそれでいい。


 打ち合わせの為にイーレとレンサに飛ぶ。もう何度もこうしてレンサに行っている。だから飛んでいる浮遊感とか落ちていく感覚には慣れてきていた。アニメで飛行機も翼もなしに飛んでるキャラクターはきっとこんな風景を見ているんだろうな。

「おう!どうだい、景気は!」

 便器作りが軌道に乗ってから猫六さんはすっかり変わってしまった。服も良い物を着るようになって身なりが良くなった。そして肥えた。と言っても肉付きが良くなった程度ではあるが血色も良くとても元気になっている。

「ええ。良いですよ~。猫六さんも元気そうですね」

「ああ。孫なんてもっと元気だぞ」

「おい、祖父さん。余計な事言うんじゃない」

 六代目さんも相変わらず元気だ。以前と違うのは幸せそうにしているところだ。この前の女性とは婚約して同居を始めたそうで、ここに増築してそこを寝室にすると言っていた。

「すっかり繁盛するようになりましたね」

「しれっと言いやがって。前のせいだぞー。おかげで忙しくってな。人まで雇う事になりそうだ」

 六代目さんは笑顔でそう言った

「それは何より。ところで今後の話をしていいですか?」

「今後?」

「ええ。実は今作ってる物とは別に作ってもらいたい物があるんです」

 僕は持ってきた絵と図面を見せる。

「次はこういうのを作ろうと思ってるんです」

「…おい、お前──」

「あっはっはっは!」

 六代目さんが何かを言いかけたが猫六さんは大声で笑い始めた。

 そして、

「面白ぇ」

あの日、僕が便器を作ってくれと言った時と同じ顔で笑いながらそう言った。




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