小皿集

水沢妃

 変子

 小学生の時、同じクラスに「変子」というあだ名の女の子がいた。

 その子はとても変な子だった。

 どう変かといわれると、……少し困る。だって印象に残っているエピソードがあるわけじゃないから。

 変だったのは彼女の口癖。

「ほら、わたしって変でしょ?」

 いつも髪をひとつに結んで、朗らかに笑ってはそんなことを言う彼女は、今思い返すとどこが変だったんだろう。


 彼女のことを思い出したのは、小学校の同窓会に来ているからだ。

 わたしも含めてみんな成長していたけど、名前を聞くと確かに顔だったり、髪型だったり、どこかしら昔の本人を彷彿とさせるエッセンスのようなものを感じた。そんな中でわたしはみんなに「変わらないね。」と言われてばかりで、そのうち疲れてお座敷の隅の方に避難した。

 同じように自然に集まってしまった数人と、黙々と料理を食べる。

 わたしの頼んでいた檸檬サワーと一緒にハイボールが来た。店員さんから二つとももらって、周囲に声をかける。

「ハイボール頼んだ人ー。」

 すると一番角っこで手があがった。

 わたしはそこまで歩いて行って、ハイボールを手渡した。ああ、この子は面影がよく残っている。柏さんだ。

 昔っからずっと一人でいることが多くて、毎日図書館に通う本の虫、って感じだった。

「はい、柏さん。」

「ありがとう。」

 そのまま戻るのも面倒で、柏さんの隣に座った。柏さんは何も言わなかった。

 向こうのほうは誰かが無謀にも一気飲みを始めたみたいだ。どっと笑い声があがって、通りがかった店員さんがぎょっとしたように振り向いている。

「佐倉井さん、みんなのところに行かなくていいの?」

「今日あまねもりおも来てないんだよね。」

 いつも一緒にいたメンバーは専門学校を卒業したと思ったらすぐに就職して、今日も仕事で来れないようだ。

 柏さんは「そうなんだ。」と言ったけど、ふつうの音量のはずなのに喧騒のせいでかき消えてしまいそうだった。

「柏さんは今何やってるの?」

「大学院で鴎外の研究してる。」

「へー、なんかすごい。」

「佐倉井さんは?」

「フリーター。」

 柏さんの返事は聞こえなかった。

 わたしは檸檬サワーを一気に半分くらいまで飲んだ。

「就活失敗したわけじゃないんだけどさ。就職したところが行ってみたらあまりにもブラックすぎて、残業しても給料増えるわけじゃないし、それどころか普通に安いし。一年頑張ったんだけど、ストレスで不眠症になっちゃったからやめちゃった。」

「へえ……。そんなこともあるんだ。」

「どうせならハゲ上司のセクハラも訴えておけばよかったかなー。」

 元々そこまでやりたかった仕事でもなかったし、引き留めはうるさかったけど、次に入ってくる子も決まってたみたいでちょっと交渉したらすぐに辞められた。

 檸檬サワーをぐい、と飲み干す。アルコールはほとんど感じられなかった。

「なんの話してるの?」

 隣からお声がかかる。三人組男子のグループ。ああ、憶えてる。こいつらも地味なほうだったっけ。

 五人になったわたしたちはたわいのない話をした。今の仕事のこと、大学のこと。天気の話、最近の流行。

 わたし以外はみんな中学校、たまに高校も一緒の人がいて、時々話についていけなくなる。

 小学校の思い出話に戻ってきたとき、わたしは気になっていたことを聞いてみた。

「そう言えば変子は?」

 わたしの言葉に、柏さんがぎょっとこちらを見た。チューハイのグラスを口から離して、テーブルに置く。他の三人もえ、とか、あ、まじ? とか言ってる。そのうちの一人がわたしの前に身を乗り出した。

「知らないの?」

「え……何を?」

「ほら、中学の時に。」

「……ごめん。わたし引っ越しちゃったから。」

 当時わたしのお父さんは転勤を繰り返していた。今は定年退社しちゃったけど。

 柏さんは「そうだったね。ごめん。」と頭を下げてきた。

 わたしはなんとなく、おつまみのウインナーを手でつまみ上げた。

「なんかあったの?」

 四人は顔を見合わせていた。ちらちらとにぎやかな連中のほうを見てから、柏さんがわたしのほうに身を寄せた。

 内緒話をするように、口に手を当てて。

「谷村さん、中学の時に死んじゃったんだよ。」

「……そうだったんだ。」

 わたしは変子の名字すら忘れていたことに驚いた。

 気まずい雰囲気の中、やってきた店員さんが場の空気に関わらず「ラストオーダーです。」と声を張り上げた。

 わたしは檸檬サワーのおかわりを頼んだ。


 柏さんたちの知っている情報は人づての物ばかりだったけど、なんとなく事情は知れた。

 変子の家は母子家庭で、しかもお母さんは心の病を患っていたらしい。ストレスのはけ口にされていた変子は目に見えた暴力こそなかったけれど、言葉で傷つけられて、一時期カウンセラーにお世話になっていたみたいだ。

 小学校の五年生のころ、つまりわたしたちと同じクラスだったころ。変子の母親は施設に入った。

 変子は児童養護施設に入った。

 施設で何があったのかはわからない。けど、そのころから彼女はあの口癖を言うようになった。

「わたし、変な子だから。」


 家庭の事情を知ってたわけじゃない。

 いじめてたわけでもない。

 でもわたしたちはあの子の事を変だと思って、「変子」とあだ名をつけた。

 

「……知ってれば、あんなあだ名付けなかったかもな。」

「うん。」

「……そうかも。」

 しんみりとした空気の中。わたしは一人だけ、首をかしげた。

「もしかして、だけど。逆なんじゃないかな?」

「逆?」

 店員さんがやってきて、最後のお酒を置いていく。とりあえず手元にグラスを置いたまま、五人とも口をつけようとはしなかった。

「変子が自分のこと変だって言うようになったから『変子』になったのかな、って。」

「そうかなあ……?」

「だってあの子、そんなに変じゃなかったでしょ。変な子だなって思ったきっかけとか、やらかしたこととか、思い浮かばなくない?」

 わたしの言葉に返せる人はいなかった。しばらくして、わたしの向かいに座っていた男子と目が合う。

「どっちかって言うと、佐倉井のほうがいろいろやらかしてなかった?」

 どきっとした。

「え、なにいきなり。」

「そう言えば、お前田んぼにランドセル落としてなかった?」

「あれ、ウサギ逃がしたのも佐倉井だったっけ?」

「……図書館の本、おいしそうだったからって破って食べようとしてたよね……。」

 柏さんは思い出し笑いか、ちょっと肩を震わせていた。

「ちょ……と、今は変子の話でしょ。」

「いや、よっぽどお前のほうが変だったわ。」

 満場一致の雰囲気。……待って、なんでそんな話になるのよ。

 わたしは無理やり話を戻した。

「とにかく! わたしが目立ってたかはともかく、変子はそこまでじゃなかったでしょ。」

「佐倉井、それ認めてね?」

「うるさい! ……だから、変子は、自分で自分を変だって言ってたんだよ。」

「なんのために?」

 それは、解らないけど。

 代わりに柏さんがハイボールのコップを両手で包んでつぶやいた。

「……自分を守るため、かな。」

 集まった視線に気がつかないのか、うつむき加減で言う。

「自分が変な子だから、お母さんにいろいろ言われるとか。もしかしたら誰かにちょっかいかけられてたとか。わたしたちの知らないところで、必死に戦ってたんじゃないかな。」

 目を上げた柏さんは、四人分の視線を受けて酔いからではない顔の赤さを出した。

 わたしは二次会の算段を立てる喧騒の中、ぬるくなってきた檸檬サワーのグラスを目の高さに掲げた。どこかのドラマで見た、軍人の真似をして。

「変子に!」

 四人もわたしを見て、同じようにグラスを掲げた。

「変子に!」

 クラスメイトが数人、何やってるの、とわたしたちを笑った。


 二次会にはいかなかった。

 にぎやかな連中から離れて夜道を歩く。駅までは徒歩十分くらいだ。通っていた小学校もすぐ近くにある。

 わたしはふらつく足取りを、三人の男子のうちの一人に支えてもらいながら歩いた。隣ではとろんとした目の柏さんがもう一人の男子におんぶしてもらっている。

 手持ち無沙汰そうなもう一人に声をかけた。

「ねえ、変子のお墓ってどこにあるの?」

「……さあ。知らね。」

「ていうか、どうして死んじゃったの。」

 家庭の事情は分かったけど、実際詩に直結することは聞いてない。

「それが、さ。」

 道の向こうのほうから、踏切の警報音が聞えてきた。

「親が、無理心中。線路に飛びこんで。」

 遠くを明るい光が駆け抜けた。

「……それの場所は、解るの?」

「中学校の近くの踏切だよ。……聞いてどうすんの。」

「お墓わかんないなら、そっちにお花でも、と思って。」

「花屋しまってるよ。」

「明日でもいいでしょー。」

 ぐらぐらと視界が揺れる。眠さなのか、酔いなのか。ちょっとわからない。

「……帰れる?」

「むり、かもー。」

 かろうじて見た柏さんは男子にしっかりつかまって、すうすうと寝息を立てている。

 ぼんやりとした頭でも、この流れはちょっとあれだな、と思考が働いた。

 案の定、わたしを支えていたほうが「俺んち、近くだから。誰もいないし泊ってけ。」と言ってきた。返事をしたかさえあいまいで、気がついたらわたしもおんぶされていた。

 たまにはいいかー、と無責任に考える。


 ふと、ここに変子がいたらな、と思った。


 明日起きたら花屋に行って、変子のために花を買おう。そしてたぶん五人で、変子の死んだ踏切まで行くのだ。


 家に着いて、まだ意識があったら。そのことを伝えよう。

 そんなふうに考えていたのに、わたしは広い背中に体重を預けて、ゆっくりと目を閉じていた。

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