第六節

 昼十二時過ぎ、野々と桜屋敷は、萌芽学園の駐車場に停めた公用車の中で食事をとっていた。野々はサンドイッチ、桜屋敷は自前の弁当を口に詰めながら、これまでの捜査の感触について話し合っている。

「第一の事件、正月一日月白殺しについてだが……私は被害者の母親の目つきが気になった。あれは復讐者の目だ」

 野々が、右手にサンドイッチ、左手に手帳を持ちながら言う。桜屋敷はタコの形に仕上げたウィンナーを頬張りながら、がさごそと何かを探している。

「俺、本官は……父親が随分弱弱しかったのが印象に残ってますね……。あれは完全に尻に敷かれてるタイプですよ」

 何の参考にもならない感想を述べながら、桜屋敷はようやく探し当てた手帳を嬉しそうに掲げる。野々は少々呆れたような顔をしつつも、手帳のページをめくった。

「第二の事件、不二井朱華殺しについては……桜屋敷巡査部長も気が付いたと思うが、あれは父親の様子がおかしかったね」

「ええ」

 桜屋敷も手帳を繰り、目的のページを開いて頷いた。

「確かに、自分の娘が死ぬ前にあんなことをされていたら、そりゃあ誰だって大きな反応はするでしょうが……あの父親は、妙なことを呟いてましたよ。確か……『おかしい、似ている』、と……」

「うん。私もそれが気になっていたんだ。しかし、何か言いましたか、と聞き返したら、慌てたように何でもないと否定した。あれは、おかしな態度だった」

 二人は、それぞれ不二井朱華の父親を思い出していた。俳優か何かのように整った顔の父親……不二井香は、娘の死因を聞いた瞬間、明らかに狼狽えた様子だった。視線を上に向け、何かを思い描くかのような素振りを見せてから、件のセリフを呟いたのだ。

「一体、何に似ていたと言うんでしょうね。体中舐めまわしてから殺すなんて、ただの変態じゃないですか。比較対象がさっぱり分かりませんよ」

 肩をすくめながら言う桜屋敷に、野々も「そうだね」と頷いた。もしかしたら父親の過去に、何かヒントがあるのではないか……と手帳に書きつけはしたが、特に前科のあるわけではない不二井香の過去など、どういう方便で探ればいいのか、すぐには思いつきそうもない。野々は手帳を睨んで少し考えたが、桜屋敷のあっけらかんとした一言で、集中を失った。

「まあ、本人を問い詰めてでも確かめてみるしかありませんよね」

 確かに、手間としてはそちらの方が余程簡単ではある。それもそれで一つの方策か、と野々はまた手帳に書き記した。

「しかし、俺思うんですけど、二番目の被害者の不二井さん、たまたまタイミング悪く別の人間に殺されたとかじゃないんですかねえ。なんか、正月一日さんのケースとは余りにも違ってるんで、同一人物の犯行とは思えなくて……。不二井さんのは、変質者の犯行なんじゃないですか」

「……確かに、私も一度はそう考えた。でも、赤い鋏の存在は大きいだろう」

 野々が言う赤い鋏こそ、三件の殺人事件を繋ぐ鍵となる物だった。正月一日月白も、不二井朱華も、五十里至極も、皆、死後、身体の何処かに赤い鋏を突き立てられていたのだ。もちろん鋏からは指紋もその他の情報も一切検出されなかったが、その存在そのものが、これらの事件の犯人が同一人物であることを示している。なぜなら警察は、マスコミにも関係者にも、一切その存在を明らかにしていないからだ。赤い鋏が被害者の死体に刺さっているということそのものが、これら一連の事件が同一犯によるものだと、何より高らかに宣言しているのだった。

「いや、忘れてませんって!」

 桜屋敷は慌てたように首を振り、急いで続けた。

「そう言えば、赤い鋏で思い出しましたが……野々警部補はお聴きになりましたか? 赤い鋏の殺人鬼の話」

「何?」

 野々は遠くのものを見極めようとするように、眉を寄せた。桜屋敷は生徒から聞いたという、自分をいじめ殺した人間を見つけて赤い鋏で殺害していく殺人鬼の七不思議を語った。

「今回のは、それになぞらえてでもいるんでしょうかね。あまりにもそれらしい状況ですし……。とすると、やはり校内の人間が怪しいってことになりますよね。この七不思議、萌芽学園で流行しているみたいですから」

「ふうん……」

 自分をいじめた人間を殺害する、というところに、野々は引っかかった。今のところ被害者については、誰もが口をそろえて良い情報しか語らない。とても誰かをいじめるようには思えない人物ばかりなのだ。もし仮になぞらえたのだとしても、誰のこともいじめたりなどしていない潔白の人間を殺すのに、そんな噂話になぞらえる意味が、さっぱり分からない。

「まあ、それはひとまず後で考えるとしよう。先に第三の五十里至極殺しについてだが……」

 野々は仕切り直しとばかりに話題を戻した。桜屋敷は特に不満も無さそうに、食後のプリンに手を付けた。

「このケースでは、被害者のご両親には変わった様子は見られなかったね。お二人とも、何の隠し事も無さそうだった」

 なぜこんなことになったのか分からない、と、ただただ悲嘆に暮れていた両親の表情を、野々は思い出していた。桜屋敷はプリンを牛乳で流し込んでから口を開いた。

「俺は、五十里さんのご遺体の様子が気にかかっています。彼、死ぬ間際に何か信じられないものでも見たような顔をしていました。目を見開いて……口を開けて……」

「ああ、確かにそうだった。信じられないものというよりも、……信じたくないものを見てしまったような……あれは、そういう表情だった」

 あんな表情をしたまま亡くなってしまった少年の心中を考えると、野々は暗澹たる気持ちに襲われそうになる。しかし、今はそんな感傷に浸っている場合ではない。これから、昨晩明らかになった第三の事件について、聞き取り調査を行わなくてはいけないのだ。桜屋敷が急いでプリンを飲み込むのを待って、野々は車のドアを開いた。外は人の気など知らぬげにからっと晴れ、清々しいほどに良い天気だ。続いて外に出てきた桜屋敷は、この数日で多少疲れた印象がある。能天気と形容しても良い彼でも、流石にこう事件が続いては疲弊してしまうのも無理はない。

 後輩を連れて歩き出しながら、野々はなぜか脳裏に千夜の顔が浮かんでいることに気が付いた。

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