第二節

 五十里至極が惨死する二日前の土曜日、四十川波留香と正月一日鉛は、あるファミリーレストランで落ち合っていた。昔二人が通っていた高校のすぐ近くに位置するこのファミレスは、学生時代の二人にとって、第二の家のようなものだった。そんな場所での久々の再会にも関わらず、二人の表情は険しいものだった。

 波留香はいつものように濃い化粧を施した顔に怒りの色を浮かべており、鉛は薄化粧の唇を不機嫌そうに歪めている。学生時代に二人が陣取っていた席に向かい合って座り、ぶっきらぼうに料理を注文してから、波留香は肩に掛けていたキャンバス地のトートバッグから分厚い本を取り出して、テーブルに置いた。二人が卒業した年の、高校の卒業アルバムだった。

「これが?」

 鉛が、アルバムを凝視する。波留香は頷いて、付箋を付けていたページを開いて見せた。そこには、二人が所属していたのとは違うクラスの卒業生の顔写真が並んでいた。ネイルチップとストーンで装飾された波留香の指が、その顔写真の中から一つを指し示す。そこには、整った顔の男子生徒が写っていた。

「不二井……こう

「そう。不二井。覚えてない?」

 波留香の問いかけに、鉛は一瞬眉を寄せて考えたようだったが、すぐに一つ頷いた。

「ああ、覚えてる。……あたしらが『あの女』に用事を済ませた後、こいつが『あの女』に近づいて行ったのを何回か見た覚えがあるよ」

「でしょ」

 ウェイターが運んできた水を口に含みながら、波留香は不二井香の顔写真を睨んだ。

「鉛。あんたの娘さんが殺された後、また一人の中学生が殺されたのは知ってる?」

「いや」

 鉛は即答して、首を振る。

「あれから月白の葬儀やら警察の取り調べやらで忙しかったし、テレビをつけて嫌な気持ちになるのは分かり切ってたからね。ニュースももう全然見てない」

「そう」

 鉛の娘について極力触れたくはなかったが触れるしかなかった波留香は、少し気の毒そうな表情をした。

「気持ちは想像できるよ。私にも子どもがいるからね。……で、その、次に殺された中学生っていうのが、不二井朱華っていう女の子だったんだ」

「不二井……」

 鉛は、電話口で波留香の推理の大体は聴いていた。しかし、実際に不二井香の顔写真を見ながら話を聞かされると、ただ声だけ聴いたのでは感じられなかった現実味が出てくるのを感じた。

「名字がたまたま同じだったってのも……まあ考えられるけど……でも、殺されたその朱華って女の子は、あんたんとこの月白ちゃんと一歳違い。殆ど同い年だ。ということは、自然、親が私たちと同世代だって考えられるんじゃない? ってことはだ。この一連の事件は、『あの女』による私たちへの復讐……そうは考えられないか」

 強引と言えば強引な考え方だった。不二井という名字は、確かにあまり聞かないが希少な名字という訳ではないだろうし、自分たちと同じ世代の人間など腐るほどいる。だがしかし、月白が殺された後すぐに、というところで、波留香のような考えに至るのはまるっきり不自然ということでもなかった。鉛はそこまで考えて、目を上げた。

「まあ、とりあえず、今は仮説として、信じることにしておこう。それで、それならどうする?」

 つい一週間前に娘を失った母親の言葉としてはあまりにも前向きすぎるきらいはあるが、鉛は学生時代から現実的な人間だった。波留香はそれを頼もしく感じながら、ここ数日、家族が寝静まった後に練っていた方策を披露した。

「このままだと絶対に、私の娘や息子が狙われる。私は、それを防ぎたい。絶対に。そのためには『あの女』……赤羽千代子が何処にいるのか、それを見つけなくちゃならない」

 赤羽千代子。丸く大きな目をした、黒髪の美しい少女。誰にでも愛想を振るって、良い人ぶっていた気持ちの悪い……。鉛は眉間の皺をますます深くした。

「そのために、どうする?」

「そこで、あんたにも聞きたいんだけど……赤羽千夜、という名前に聞き覚えは無い?」

 鉛は腫れぼったい目を見開いた。

「聴いたことがある……。よく、月白が嬉しそうに口にしていた名前だ……」

 よく考えるまでもなく、その名前は『あの女』の名前に酷似している。しかし、どこかで聞いたことのあるような名前だと思いつつも、自分は過去まで思いを巡らすことはなかった。その時、娘が幸せそうにその名前を口にした時、もっと深く考えていれば、こんなことにはならなかったのかもしれない。

 鉛は思わず唇を噛み締めた。波留香は、親友の苦悶を見ながら続けた。

「私の娘も、よく口にするんだ、その名前。ってことはだよ。私たちの娘共通の知人ということになるよね。しかも、名前が『あの女』と、よく似ている……。もしかしたら、千夜とかいう娘は、『あの女』の子どもなのかもしれない」

 確かに、そういうことは考えられる、と鉛も同意した。同意しつつ、それが絶対と言い切れるわけでもないということに気が付いてもいた。だが、このやり場のない感情の渦を処理するためには、例え僅かな可能性だとしても、縋らずにはいられない。

「赤羽千夜という娘が、『あの女』の指示で動いているのだとしたら……私たちがするべきことは、この娘について調べることだと思うんだよ」

「そうだね。その千夜とかいう子を探れば、『あの女』の居場所や動向が分かるかもしれない」

「でしょ」

 ウェイターが料理を運んできたので、会話は少しの間中断された。二人は同じハンバーグ定食を頼んでいたが、暫くの間、黙々と肉を咀嚼する。二人は言葉を交わさずとも、赤羽千夜について探るにはどうすべきか考えるということで方向性を一致させていた。それで、食事を終えるころには、それぞれ自分の中で候補となる考えをまとめきっていた。

 食後のコーヒーで口を潤した波留香が、口火を切った。

「とりあえず柚葉から知っていることをそれとなく聞き出して、あとは本職……探偵にでも依頼しようかと思ってる。餅は餅屋……私らは警察に頼むことは出来ないから、専門家といったら探偵くらいしか無いでしょ」

 警察に頼むことが出来ないのは、そうすると自分たちが過去に『あの女』に対して行った諸々が、家族にも露呈する可能性があるからだった。鉛もそれは十分に承知していた。

「分かった。それじゃあ、波留香にはその方向で頼むわ。私は待っているだけじゃ落ち着かないから、自分にできる範囲で色々探ってみる。何か分かり次第、お互い連絡を取り合おう」

 鉛は、先ほどまで五里霧中だった中に、一筋の光明が差し込んだような気がしていた。波留香も固い意志を視線に込めて、鉛を見つめている。二人は、お互いに出来る範囲で最大限の努力をしようと合意して店を出て、振り返ることなく別れた。

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