夜 年波が引く

まてりあ

第1話

 人通りの少ない住宅街に古い木造建築の民家があった。表札はない。そこに似つかわしくない一台の高級車が止まった。

 後部座席に座る中年の女Yは運転手に待機するよう命じ、車から降りた。

 高いヒールを履き、いかにも高級そうなコートを羽織り、サングラスをみにつけて。

 女はある望みを持ってここへやってきていた。

 それは愛人契約を結ぶ男Kから聞いた、ある話に由来する。

『まだ君と出会う前、会社に売り込みに来た発明家がいたんだ。俺はその発明品の素晴らしさを見抜き、買い取るよう上司に熱心に説得したんだがね、発明家の身なりで判断し採用されなかった。そのあと、個人的に彼を支援して、ある発明品のおかげで私は今の地位にまで上り詰めたんだ。信じられないって顔をしているね。でも、これは本当の話なんだよ。彼の発明は凄すぎて、世に出回ると世界のパワーバランスが崩壊しかねないほどだ。彼もそのあたりは理解し、私だけの独占契約を結んでいる』

 ある日Kが酒に酔って口を滑らしたときの、嘘のような話……。


 その発明家の住所がここだった。

 女が呼び鈴を押そうとすると、突然扉が開き男が現れた。

 その男は背は低く、やや猫背で、眼鏡をしていた。眼光は鋭く女よりも若く見える。そして、なぜか手にスピーカーを持っていた。

「Yさんですかな?」

「!?」

 女はここへ来ることはもちろん、まだ名前も告げていない。

 なぜわかったのか疑問に思っていると、男は自分の胸に付けた虫型のブローチを指さし、

「このブローチが来訪者を教えてくれるんじゃ」

 と、年寄りみたいな口調で教えてくれた。

 にわかには信じられない話だったが、本当にそのブローチが教えてくれたのだとしたら、それは発明品であり、いまもここに発明家が住んでいるということ。そして、私の望みは叶うかもしれないと期待が高まった。

「御冗談を……といいたいところですが、私はKさんと親しい間柄でして、素晴らしい発明家によるものだと御推察いたします。ところで、今御在宅でしょうか?」

「御在宅も何もわしがその発明家じゃな。この発明品で若返ったことで勘違いしておるようじゃがの。Yさんの望みもそれじゃろ?」

と言って、先ほどから不自然に抱えていたスピーカーを手渡された。

「え!?」

 これにはひどく驚かされた。

「こ これは? というよりまだ話してもいないのに……まさかそれも発明品で知っていた!?」

 男はニッコリと笑い肯定した。

 女はこの発明家は本物だと確信した。


 そう、女の望みとは若さを取り戻すこと。

 40代に入り、しわや肌のたるみが気になり始めていた。

 普通なら気にすることもないが、女は老いに対して恐怖を感じている。

 なぜなら、愛人契約を結ぶKに捨てられるかもしれないからだ。

 容姿の醜くなった愛人など必要ない、若い女に乗り換えようとKは考えるかもしれない。

 そう予感させる理由として最近は、メールだけで部屋にも来なくなっている。

 そういったことから、藁にもすがる思いでここへやってきたのだった。


「Kさんには世話になっておるからのぉ。こうした発明にかかる費用を支援してもらっておる。世には出ないが研究に専念することができたし、その若返るスピーカーを完成させることもできた。タダでというわけにはいかんが、ゆずってやってもよい。まぁ、あなたなら売ってもKさんは納得してくれるだろう」

 女は喜んで購入し、男から使い方を教わった。

 この若返るスピーカーに付いているボリュームを上げると若返る速度が上がるのだが、個人差があるので最初は最低の1メモリから始めること。

 眠っている間に効果があるので眠る前に使用すること。

 また、難しいスピーカーの原理も説明されたが、要約するとスピーカーから出る音が体の細胞を活性化し、新陳代謝によって徐々に若返っていくそうだ。


 女は帰宅しその夜、使い方に従いボリュームのメモリをセットし眠った。

 翌朝。

 女はいつも通り鏡を見ると、すでに目元に効果が表れていることに気付いた。

「うそ……!?しわが消えてるわ。信じられない」

 そして、その夜もスピーカーをセットする。その翌朝、法令線が薄くなり肌に張りが戻る。女は徐々に若返っていった。


 情夫であるKが久しぶりに女のところへやってきた。

 一緒に食事をし、お風呂に入り女が髪を乾かしていると、ベッドに横たわるKから見つめられている視線を感じた。

 女は鏡越しに問いかけた。

「どうかした?」

「ん いや なんでもない」

 女は薄く笑った。


 女は毎日スピーカーをセットし、今では30代前半にまで若返っていた。

「このままいけば完璧な私に戻れる。何不自由ない生活は続く」

 鏡に映る女はとても美しかった。


 久しぶりに来たあの日以来、また来なくなっていたKから連絡があった。

「最近ずっと忙しく、君の所へ行けなくてすまない。わが社の命運をかけたプロジェクトが大詰めを迎えていてね。かかりっきりだったんだ。だけど、それもうまくいったよ。ようやく休みが取れそうなんだ。今度二人で旅行しよう」

「本当に!?約束よ、破ったら承知しないからね」

 女は電話を切ると喜びのあまり小躍りした。

「やだ、私ったら大人げない。でも仕方ないか」

 と言って、鏡に映る20代前半の自分を見て笑った。


 旅行前日の夜。

 女はさらに磨きをかけるため、ボリュームを多めに回し、セットした。

 翌朝、女の寝床からおぎゃーおぎゃーと赤ん坊の泣き声がした。

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