10-6.
機体の正面を映すモニター上に、こちらに止めを刺そうと駆け寄る薔薇の拳闘士の姿が見える。
先程から耳元にこちらを急かす監督の甲高い声が聞こえるが、自分の世界に入り込んでいる歩にはそれが言葉として捉えられない。
耳障りな雑音を聞き流しながら、歩は十秒足らずでこちらに来るであろうナックルローズを相手にどうすればいいか悩んでいた。
確かにブロスが戦闘不能を判定する寸前のダメージを認識している現状で、葵に勝つにはあの自爆技を使うしかない。
しかし歩はどうしても踏ん切りがつけられず、まるで石にでもなったかのようにコックピットで固まったまま無為な自問自答を繰り返している。
「"■■■■? ■■、■■■■!?"」
「どうする、どうする…」
無茶な自爆技によって不用意にワークホースを傷つけた自らの失敗、そして過去に重野が機体整備を疎かにするパイロットによって汚名を聞かされた事実。
歩は機体に多大な負荷を掛けるストームラッシュもどきを使う事に対して、どうしても躊躇いを覚えてしまい動けずにいた。
そして終いにはこのままワークホースが負けてもいいのではと言う、邪な考えが頭に過ってしまう。
幾らワーカーもどきとは言えこれだけの試合をすれば、ブロスファイト連盟も白馬システムチームにライセンスを授けない訳にはいかないのでは無いか。
此処でナックルローズの拳を受ければワークホースはブロスが認識している状態とはかけ離れた、ほぼ無傷の状態で試合を終えられるだろう。
そのような後ろ向きな言い訳をして勝利を半ば諦め掛けていた歩の視界に、それは飛び込んだのだ。
「っ? 戦闘…、可能。 お前…」
それを見た歩は殴られたかのような衝撃を覚え、若干震えた声でその内容を呟いていた。
コックピット内のモニターに映し出された物、それはワークホースが未だに戦闘不能になっていない事を示す簡潔なメッセージである。
先程、葵たちの裏技に気付いた歩は、慌ててワークホースの機体状況の確認を何度もを繰り返し行っていた。
これは歩がブロスに対して命令していた、ワークホースの戦闘可能の是非を問う質問の回答が遅れて出ただけに過ぎない。
他に機体状況を確認する命令を幾つも入力しており、優先度の低いこの処理が後回しになっていたのだろう。
しかし悩める歩の前に現れたこのメッセージを歩はこう解釈したのだ、これは自分はまだ戦えると言うワークホースの意思表示であると…。
「そうだよな…、お前はブロスファイトで戦うために生れてきたんだ。 勝ちたいよな、勝ってブロスファイトの世界に行きたいよな」
工事現場などの作業用に作成されたブロスワーカーとは違い、ブロスユニットは完全に対ロボット戦を想定した競技用のロボットである。
ブロスファイトという華やかな戦いの舞台に立ち、手強い相手のブロスユニットに勝利する。
それがブロスユニットの存在意義であり、そのために機体が傷つくことは決して悪いことでは無い。
翻って此処で歩が戦いを放棄することは、ワークホースに対する侮辱でしか無いと言えよう。
例えワーカーもどきと蔑まれようとも歩が乗るワークホースは、ブロスファイトのために作られた競技用のブロスユニットなのだ。
「…ワークホース、きっと俺がお前を名馬にして見せる! だから…、最後の最後まで俺に付き合ってくれ!!」
ユウキオーガの戦いを終えて白馬オーナーから正式にパイロットを任命されたとき、自分は誓ったはずでは無いか。
競技用の免許を手に入れられなかった落伍者を乗せてくるこの使役馬を、ブロスファイトの世界で活躍させてやると…。
しかしそんな誓いをすぐ忘れてしまい、歩はワークホースの事なんて無視してパイロットや整備士やらと自分のことばかり考えていた。
ブロスユニットの整備を行う整備士やブロスユニットを操るパイロットの目的は、究極的に言えばブロスユニットを試合に勝たせることだろう。
立場やら何やらは二の次だ、ワークホースを勝たせて白馬システムチームに勝利をもたらす事が歩の本当の役割である。
勝利を度外視した意味のない傷は付ける事は許されないだろうが、勝利を得るための過程に付いた傷はむしろ名誉の負傷だ。
土壇場で自分の在り方について何となく飲み込めた歩は、ワークホースに勝利を与えるために動き出す。
かつてパイロットの夢破れた整備士を乗せた鉄の使役馬は、それに応えた。
全力を出す、言葉にすれば簡単であるが人間がそれをなすのは非常に難しい。
全力、つまりは自身の肉体の負荷を度外視して全開の力を発揮する事である、そんな事を長々と続けていれば体がどうなってもおかしくない。
そのため人間は無意識の内に自身の体の負荷を考慮して力のセーブを行い、本当の意味での全力を出すことは出来ない。
しかし無意識に自身の肉体の事を気遣ってしまう人間と違い、ただ命令された動作を行う機械であれば話は別であろう。
意図的なリミッター装置でも付けていない限り、機械は全力を出せという命令を忠実に受け取って自壊するまでそれを続けてしまう。
「いっけぇぇぇぇっ!」
「くっ、それは…」
ストームラッシュもどき、鉄の使役馬が両の手の剣を全力で振り回している。
二〇メートル長の巨人サイズの剣が縦横無尽に振るわれるその光景は、まさしく嵐の名を冠するに相応しい迫力であろう。
しかしワークホースのそれは所詮はもどきであり、見る者が見れば失笑物のまさに自爆技でしか無かった。
卓越した操縦技術を持つ伝説のチャンピオンがストームラッシュを放つ際、その時々の機体の状態に応じて適切な調整を都度行っていた。
そして多大なパラメータ入力を要求する故に指先一本の力加減まで調整可能な競技用ブロスは、チャンピオンの繊細な操縦を全て反映することで機体に対する負担を最小限に抑えられたのだ。
それに対して現在のワークホースのそれは、予めセミオート機構によって覚えさせた動作を淡々と繰り返すだけの文字通りの物真似でしか無い。
機体への負担を意識する事無くただ力任せに振るわれていく剣撃の一振り一振りが、ワークホースの関節部などに過大な負担を強いていく。
機体のダメージ状況をモニタで確認している歩は、ストームラッシュもどきによって自身の体が痛めつけられてい愛機の悲鳴を見て取る。
「"まさかこんな奥の手があったなんてね…、歩!!"」
「"兎に角、凌いで! あんな力任せの連続技なんて持つはずが無い、このままやり過ごせば私達の勝ちだから!!"」
「"分っているわよ! さぁ、決着の時間よ!!"」
まさに己の身を削りながら振るわれていく剣戟の嵐を、薔薇の拳闘士はそのフットワークと拳で防いでいく。
しかし機体の負荷を度外視して次々に降り注ぐ斬撃を流石に捌ききれないらしく、鮮やかな赤い装甲に次々と傷が付いていった。
関節部や頭部などの致命的な急所は辛うじて防いでいるが、この調子では何時均衡が崩れるかは分かった物では無い。
そんな不利な状況で有るにも関わらず、ナックルローズに乗る葵は怯えるどころか笑みさえ浮かべながら歩の最後の抵抗を受け止めていく。
ブロスファイトの世界へ入るための試練、ライセンス試験での鉄の使役馬と薔薇の拳闘士の戦いは最終局面を迎えていた。
歩たちに取って不幸であり、葵たちに取って幸運だったこと。
それは伝説のチャンピオンであるナイトブレイドの知名度の高さと、拳闘スタイルの生みの親である初代シューティングスターとナイトブレイドのライバル関係である。
かつて初代シューティングスターはナイトブレイドと戦い、そして本家本元の嵐の剣技によって敗れ去った。
拳闘スタイルの使い手にとってこの試合は今でも語り草になっている伝説の試合であり、自然とナイトブレイドは拳闘スタイルの目標となっている。
そしてナイトブレイドを仮想敵として訓練を行っていた葵が、その代名詞というべきストームラッシュに対抗する訓練をしていない筈は無いのだ。
「"正直凄いわね、機体の負荷を度外視すれば、相手はストームラッシュを完全に再現している。 並の相手ならもう終わっているわよ…"」
「"残念だけど私達は並じゃ無いわ! 歩、拳闘スタイルの使い手はその技にだけは負けちゃいけないのよ!!"」
剣の嵐は着実に薔薇の拳闘士を刻んでいく、機体のダメージレベルを見れば異常を示す黄色と赤色が目立っていた。
特に相手の剣を受け流すために使っている拳のマニピュレーターは酷い、既に手を覆うグローブはほぼ剥がされており壊れた指が暴かれている。
しかしナックルローズはまだ立っている、地面に崩れること無くブロスが戦闘不能を判断していない。
剣の嵐の圧力に晒されながらも葵は、難しい競技用ブロスの操縦をただの一度もミスする事無く続けてワークホースの剣を避け続ける。
永遠に続く嵐は無い、そう遠くない内にワークホースが限界が来ると信じて葵は歩の剣をただただ凌いでいく。
「"…止まった!!!」
「"限界よ、チキンレースに勝ったわ! さぁ、今度こそ試合を終わらせて…"」
「"ええ、これで終わりよ!!"」
そして嵐や止んだ。
時間にすれば数分程度の攻防であるが、スタジアムに居る者たちはその何倍もの時間を感じたことだろう。
鉄の使役馬が見せる嵐に立ち向かう薔薇の拳闘士の戦いに夢中になっていた観客達は、突如動きを止めた茶色の姿を見て終わりを予測する。
あれ程猛々しく剣を振るっていたワークホースが両腕をだらしなく地面に向かって垂らし、その握っている剣は辛うじて取り落としていないが最早それを振るう余力が無いように見える。
力技でストームラッシュを再現した代償、限界を強いたことによってブロスユニットの関節がイカれてしまったのだろう。
最早、ワークホースに反撃する余力は無い、葵は勝負を決めるために傷ついたナックルローズを向かわせる。
ワークホースに引導を渡すためナックルローズは、これで終わりとばかりに拳を大きく後ろに振りかぶりながら相手の正面に立った。
そしてそれを待ち構えていたワークホースはその瞬間に息を吹き替えし、剣を強く握りしめながらナックルローズに向かっていったのだ。
「…嘘っ、まだ動く!? 死んだふりでもしてたの?!!」
「悪いがまだ機体は動くよ! 限界ギリギリの所で止めたからな!!
ストームラッシュもどきで倒せれば良かった。 しかし倒せなければ、死んだふりをして油断を誘うしか無かったんだよ」
白馬オーナーよりパイロットに任命されてから、歩はパイロットとして、整備士として毎日ワークホースに触れてきた。
自らが操縦して壊した箇所を自らが修理する、この1年で歩はワークホースのことに随分と詳しくなったと自負している。
ブロスが診断するダメージ情報に頼らずとも、機体の反応速度や各所の様々なパラメータを読み取る事で歩はワークホースの状態を何となく理解できるようになっていた。
機体の事を無視して無謀な操縦をする事と、機体の状態を考慮した上で限界寸前まで酷使する事は全く別である。
その事に気付いた歩はパイロットと整備士としての経験を総動員して、自爆をさせないように自爆技を放つことを決意した。
ストームラッシュもどきによって自らを傷つけていくワークホースの状態をリアルタイムで読み取り、戦闘不能を判断するギリギリを見極めて技を止める。
傍から見たら無謀な暴走で動けなくなったように見えるだろうが、その実はまだ戦闘機動が可能な程度の状態となっていた。
「そして限界ギリギリまで続けたストームラッシュもどきのお蔭でお前は虫の息、これで終わりだぁぁ!!」
「まだよ、こっちが先に当てればぁぁぁ!!」
相手が自爆したと判断して迂闊に近づいてきたナックルローズに対して、ワークホースは最短距離で剣を突き立てようとする。
剣戟の嵐によってナックルローズは少なくないダメージを受けており、後一撃を与えれば相手のブロスは戦闘不能を判断する筈だ。
こちらに止めを刺すために大振りとなった拳を引っ込める時間は無く、逃げる余裕も無い葵は拳を振り切って相手を迎撃するしか手は無い。
ワークホースの最後の剣撃とナックルローズの最後の拳激が交差し、スタジアムに何かが壊れる破壊音が響き渡る。
そして数拍の時を置き、スタジアムに試合終了を告げる機械音が響き渡った。
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