1-3.
絶対に無理だ、自分に競技用のブロスユニットなど動かすことは出来ない。
こちらの抗議を完全に聞き流している様子の重野と白馬社長に促され、気が付いた時には歩はトレーラーに眠るブロスユニットに乗り込もうとしていた。
トレーラー後部の宝箱の蓋は既に開ききっており、まるで眠っているかのように横になっている機体が日の光に照らされていた。
パイロットが拒否すると言う話から、とんでもなキワモノなのかと思っていた歩は拍子抜けした気持ちでその機体の姿を眺める。
茶色系の塗装が施された全長二十メートル弱の巨体、少し地味な感じもするがその見た目は他のブロスユニットと大差無いだろう。
興行的な面が大きいブロスファイト用の機体に取って、見た目は非常に重要な物である。
歩の知るブロスファイト用に機体は、色鮮やかな機体色を施したり機能性より格好良さを重視した装甲を被せた物が多い。
しかしこの機体はそれらの飾り付きは全く見えず、まさにプレーンと言った感じの特徴の無い姿をしていた。
強いて目を引くのは脚部くらいだ、歩の知る他のブロスユニットと比べて一回り太く見える逞しい脚はそれだけでこの機体の下半身のパワーの凄さを物語っていた
「これが本物のブロスユニットか…」
「こら、歩。 さっさと仕事に掛かれ」
「は、はい!!」
横倒しの機体を軽く眺めていた歩であったが、地上に居る重野の言葉に急かされて慌てて機体への乗り込みを始める。
教習所時代に習った手順通りに機体によじ登り、機体胸部まで辿り着いた歩は内心の興奮を抑えながらコックピットハッチを開くための操作を始める。
どう考えても自分にブロスユニットを操ることは不可能であるが、それはそれとしてブロスユニットに乗れることに歩は内心で喜びを感じていた。
ブロスユニットに乗る実習前に教習所で落ちこぼれた歩に取って、これは正真正銘のブロスユニットの初体験である。
幼い頃からブロスユニットと言う存在に憧れていた歩としては、この思わぬ機会は望外の幸せと言って良かった。
「えっと、確かこれで…。 よし、いける!!」
教習所時代の記憶を頼りに操作を行い、歩の前で茶色の機体のコックピットハッチは音もなく開いた。
そして恐る恐るコックピットへと体を入れた歩は、これまた新品らしいビニールに覆われた未使用の操縦席が目に入る。
ビニールを剥がしていいか一瞬迷ったが、そもそもこれを剥がさなければ機体の操作など何も出来ない。
歩は意を決して早速ビニールの排除に取り掛かるが、その作業の途中で操縦席の異様さに気付くことになる。
「あれ、これは本当にブロスユニット何だよな。 その割には操縦周りが簡単だな…」
人間の変わらない動作をするために一動作するだけでも凄まじい量のパラメータを要求し、それを入力するためにブロスユニットの操縦席周りは複雑怪奇な作りとなってしまう。
実物は見たことは無いが教習所のパイロットコース時代に何度も教材で目を通し、整備士への道へと進んだ後も操縦席周りの整備を覚えるために操縦席を模して作られた訓練用の施設で何度も実習を行っている。
歩の記憶にあるそれと違い、この機体の操縦席は競技用のプロスユニットと思えない程簡素であったのだ。
どちらかと言えばこれは歩が先程操作していた、ブロスワーカーの操縦席に近い作りと言えるだろう。
「…とりあえずやってみるか」
この操縦席なら自分もこれを動かせるかもしれない、とりあえず試して見なければ重野が納得してくれない。
そのような建前を前に出しながら、歩は自分がブロスユニットを操縦すると言う状況に喜びを隠せずにいた。
ビニールを外し終わり操縦席に収まった歩は、教習所時代の講義を思い出しながら新品のブロスユニットに火を入れる。
自身のニヤけ面が映っていた黒色の正面モニターが点灯し、明るくなっていく操縦席内で歩は子供のように目を輝かせていた。
これがブロスファイトへの夢を諦めた歩と、鉄の使役馬との最初の出会いの瞬間であった。
競技用のブロスユニットと作業用のブロスワーカーは全くの別物である。
全くの素人であればそのような区別は出来ないかもしれないが、自分たちはブロスユニットを整備するために集められたプロなのだ。
そんな彼らから見れば、作業用ブロスの免許しか持たない歩にブロスユニットを乗せるのは問題しか無かった。
しかし自分たち同じ素人とは言えない重野と白馬社長は、そんな常識は知らないとばかりに歩をあの機体に向かわせた。
何時の時代も上の命令には逆らえないのは下っ端という立場であり、福屋たちは黙って重野たちの暴挙を見ているしか無かった
「…嘘、動いている?」
「おお、やるじゃねぇか、歩。 へー、作業用免許でも歩かせるくらいは出来るのか…」
そして泣き言を言いながら機体から出てくる歩の姿を想像していた福屋は、予想外の光景を目の当たりにすることになる。
何と福屋たちの前にトレーラに寝かされていた機体が自らの力で立ち上がり、ゆっくりと施設の入り口へと向かっていくのだ。
まだ整備士になりたてである寺崎は呑気な感想を口に出しているが、新米では無い福屋は今の光景が常識では有り得ない事であることを知っていた。
作業用と競技用は同じブロスとは言えない程にかけ離れた代物であり、作業用しか持たない歩が競技用のそれを動かすことは不可能である筈なのだ。
しかし現実に歩が乗る機体はゆっくりではあるが、一歩一歩確実に施設の方へと歩んでいく。
一体これはどういうことか、福屋は咄嗟に全てを知るであろう重野と白馬社長の方へと視線を向ける。
そこにはこの光景を予想していたらしい二人が、何やら満足げな笑みを浮かべているのだった。
千鳥足であるが自力で施設内へと移動した機体は、そのまま決められたハンガーへと収まる。
そして独りでにハンガーから飛びててきた通路がコックピット前までの道を作り、コックピットハッチを開いた歩がその通路に飛び出てきた。
そのまま駆けるように通路を渡ってハンガーの脇に設置された簡易エレベータへと向い、二十メートル上空から地上に降りてくる。
地上部分の簡易エレベータ入り口の前には既に他の面々が移動しており、地上に降りてきた歩を出迎えていた。
「よう、上手くやったな…」
「…リーダー、こいつは一体? 本当にこれはブロスユニット何ですか!?」
「おいおい、落ち着けよ、歩」
まるで重野に食って掛かるかのように、興奮状態の歩は次々に内から湧き出てくる疑問を口に出していた。
ブロスユニットに受け入れられなかった自分が、曲りなりにもブロスユニットを動かしたという事実はそれだけ歩に衝撃を与えたのだ。
興奮が収まらない歩は言葉にならない言葉を次々に投げかけ、重野たちが歩を落ち着かせるのに予想外に時間が掛かってしまう。
「…すいません、少し興奮しました」
「はっはっは、構いません。 あなたのオーバーな反応は、この機体の凄さの証明でも有るのですかラ」
「…やはりこれは只の機体じゃ無いのですね?」
暫くして落ち着きを取り戻した歩は、先程まの自分の行動を恥ずかしく思ったのか僅かに顔を赤らめながら頭を下げる。
そんな歩に対して彼らのオーナーである白馬社長は、大人物らしく鷹揚な態度で歩のことを許す。
むしろ歩の反応は白馬社長にとって満足出来る物だったらしく、その評定はむしろご機嫌といった感じだ。
その意味有りげな態度、ワーカー用の免許しか持たない歩がブロスユニットを操縦することが出来た秘密。
そこから導き出される解答は一つだけ、この白馬社長が用意したあの茶色の機体には何か種があると言うことだ。
「…あなたたちは、私の会社が何をしているか知っていますカ?」
「ワーカー用のOSの開発ですよね、今では殆どのワーカーは白馬製です」
「その通り、私達はより操作性の高いワーカー用のOSの開発に成功しましタ。 そしてその蓄積した技術を…、ブロスユニット用のOSに展開できると考えたのです」
「っ!? ブロスユニット用のOSの解析に成功したんですか!? 後、50年は解析不能と言われたあのブラックボックスを…」
「部分的にですがネ。 そして我々は、ブロスユニットの極端なまでに非効率な操作性を改善することに成功したのでス。
我々の開発したソフトは、これまで操縦者が行っていたパラメータ操作の大半をソフトに肩代わりさせる事が出来るのですヨ」
競技用ブロスの中身はブラックボックスと化しており、誰にもそれを解き明かすことは出来ない。
それ故にブロスユニット乗りは競技用ブロスの要求通りの一動作するだけにでも、常人ではとても真似できない多大なパラメータの同時入力を強いられる。
競技用ブロスを操るためには、右手と左手だけで無く右足と左足と頭を別々に動かさなければならないと言う話は、ブロスに詳しくない人間でも知っている有名な例えであった。
誰もがこの不効率極まりない競技用ブロスの操作性を改善しようと試み、そして挫折していった。
誰一人としてブラックボックスを解読することが敵わずに、競技用ブロスは誕生した瞬間から現在まで全く進化をしていないのである。
しかし白馬社長はこの難攻不落の競技用ブロスの解析に成功し、ブロスが要求するパラメータ入力の一部を機械に行わせることに成功した。
ワーカー用の免許しか持たない歩でもブロスユニットを動かせるレベルまでに落とし込むソフト、これまでの常識を覆すとんでもない代物がこの機体に備わっていると言うのだ。
「自動車の例に例えてワーカー用の免許をAT(オートマ)免許、ユニット用の免許をMT(マニュアル)免許と言うことが有りまス。
この機体はATとMTの中間、言うなればセミオートの機体と呼ぶべきでしょうカ」
「…リーダーは知ってたんですか」
「企業秘密って奴でな。 まあ、どちらにしろお前たちには今日、教える予定だったがな」
「セミオート、それがこいつの秘密か…」
恐らくこの機体の開発に早くから関わっていた重野が、セミオート搭載のこの機体のことを知らない筈が無い。
だからこそ社長と重野は、ワーカー用のオートマ免許しか持たない歩をブロスユニットに乗せたのである。
マニュアル免許を取得出来なかった歩は、既存のブロスユニットからは絶対に受け入れられない存在であった。
しかしそんな落ちこぼれの自分を受け入れたセミオートの機体、歩は自然と顔を見上げてこの特別な茶色の機体に目をやるのだった。
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