出張編51話 生者への回帰



「まず言わねばならんのは、天掛翔平は既にこの世の人ではない、という事じゃ。」


………やはりか。そうだろうとは思っていた。


権藤に親父の足跡を追ってもらったのは、親父が見つかればカナタの事が分かるはずだと考えたからだが、おそらく親父は死んでいるだろうとも思っていた。


親父の突然の失踪は息子の変事と無関係ではあるまい。親父にはなにかしなければならない事があって、やむなく姿を消したのだ。


そして帰ってこられるなら失踪する必要はない、しなければならない事とは、きっと命懸けの何かだったはずだ。


「………そうだろうと思っていました。親父は何らかの儀式のようなものを執り行ったのでは?」


「然り、だいぶお調べになったようじゃの。翔平は封心の儀と言っておった。その儀を執り行えば命はあるまいとな。ワシは何度も止めたが、決意すれば何事も完遂するのが翔平という男じゃ。………最後はワシが折れるしかなかった。翔平は天掛神社の隠し部屋で儀式を行い、落命した。満足げな笑顔を浮かべておったから、儀式は成功したんじゃろう。ワシは事前に頼まれた通り、翔平の亡骸を京へ持ち帰って弔った。」


権藤が頭を掻きながら呟いた。


「なるほど、ご法に触れるってのはその部分ですか。自殺幇助になるかどうかは微妙ですな。」


だが死体遺棄には問われかねない。親父も随分無茶な頼み事をしたものだ。


「父が無理な頼み事をしてご迷惑をおかけしました。礼を言います。」


「光平くんの為にやった訳じゃない。無二の友の最後の頼みを引き受けたまでじゃ。もう一つの頼まれ事の方が手間じゃったよ。波平くんの住所が必要じゃったのじゃが、どこに住んでいるのか分からんでな。電話で聞いてみたが、光平くんは多忙で取り付く島もなかったからの。」


………そう言われれば、以前にそんな電話があったような気がする。


過去に無礼を働いた男に、よく親切に話をしてくださるものだ。神職だけに心が広いらしい。


「その節は大変なご無礼を。どうかお許しください。」


「やむなく興信所に頼んで突き止めてもらったのじゃが、頼まれ事は果たせんかった。その頼まれ事とはいうのはの、波平くんの二十歳の誕生日に手紙を渡す事だったのじゃが、波平くんはポストの中を見ておらんかったようでな。」


親父から波平に宛てた手紙!その手紙に秘密の全貌が記されているはず!


「そ、その手紙は今どこに!」


「手紙を投函してからしばらくして、所用のついでに波平くんのマンションを再度訪ねてみたが、手紙は広告に埋もれてそのままじゃった。じゃから一旦手紙を回収して、数日後に大学の方に行ってみたら訃報を聞かされたという訳じゃよ。」


「と、いう事は手紙を手元にお持ちなんですね!」


「うむ、まだワシが持っておる。手紙を渡すべき波平くんがいないのでな、どうしたものかと思案しておったのじゃよ。」


「その手紙を見せてください!お願いします!」


「………翔平は、息子は権力に取り憑かれてしまったと嘆いておった。じゃが今の光平くんはそうでもないようじゃ。手紙を見せても翔平は許してくれよう。少しお待ちなされ。」


そう言って物部老人は席を立ち、桐の小箱を持って戻ってきた。


「これじゃよ。」


小箱から取り出した封筒を渡してもらった。


封筒には封蝋が施されていた。息を飲みながら封蝋を外し、手紙を取り出す。


「天掛、俺も読んでいいか?」


好奇心を抑えきれなくなった権藤の問いに私は頷き、二人で手紙を読んでみた。






ある程度は予測していたとはいえ、手紙の内容は驚くべきものだった。


親父はやはり異世界からの漂流者だった。死せる天掛翔平の肉体に魂を宿らせたのだ。


親父の正体は、異世界では御三家と呼ばれる高貴な家の惣領、八熾羚厳やさかれいげん


内紛のせいでこの世界へやってきて、母と出会い、天掛翔平として生きる事を決意した。


そして念真力という超能力の弊害でキマイラ症候群に罹患してしまい、余命いくばくもない身となってしまった。


親父は自身の人生には満足していたから後悔はなかったが、心残り、いや心配事があった。


心配事とは孫の波平もキマイラ症候群に罹患する恐れが高かった事だ。


なんでも波平は念真力が成長する特異体質らしい。


そして波平がキマイラ症候群から逃れる為に、魂を異世界へ転移させる方法を手紙に記し、残しておいたという訳だ。


私は念真力とやらが低いので、キマイラ症候群に罹患する可能性は低いだろうとも記してあったが、私は見事にキマイラ症候群に罹患してしまった。


親父の予測は外れた訳だ。私の事は、さほど心配していなかっただけかも知れないが。


異世界での協力者は御門ミコトというお姫様らしいのだが、今、カナタが置かれている状況と合致しない。


親父の計画では、カナタはミコト姫の庇護の元で安全に暮らしているはず。


だがカナタは最前線で戦う一介の兵士だ。ここでも計算違いが起こったに違いないな。


私を現実に引き戻したのは権藤の声だった。


「こりゃ驚愕の事実だな。俺を引っ掛ける為の手の込んだドッキリって訳じゃあるまい。」


「事実は小説より奇なり、とは言うものの、ここまで奇なのはちょっとなかろうね。」


「なにか収穫があったようじゃの。」


昆布茶を啜りながら、物部老人は落ち着いた眼差しで私達を眺めていた。


「はい。実は私の父、天掛翔平は……」


「言わずともええ。ワシにとって大事な事は、天掛翔平は友じゃったという事のみじゃ。じゃから一つだけ聞かせておくれ。ワシは天掛翔平の友たり得ていたかの?」


「間違いなく無二の親友でした。だからこそ事後の全てを物部さんに頼んだのです。父も物部さんに弔ってもらって本望だったでしょう。」


「………そうか。ワシは為すべき事を為せたようじゃの。今度は光平くんが為すべき時のようじゃな。」


「必ず成し遂げます。物部さん、本当にありがとうございます。」


「翔平の墓はワシが宮司を務めた神社の裏手にある。せっかく京都まで来られたのだ、参っていかれるとよかろう。」


私と権藤は物部さんに深く頭を下げてから退出した。





予約していた旅館にチェックインし、風美代達の帰りを待つ事にした。


権藤は温泉好きらしく、すぐに着替えて大浴場へと出掛けていった。


様々な事件を追いかけてきた権藤と言えど、こんな突拍子もない事件は初めてだろう。


温泉にでも浸かって、落ち着いて考えたいのだろうな。


私はポケットから勾玉を取り出し、テーブルに置いた。


この勾玉の神秘的な光の輝きは、心を落ち着かせてくれる。


一番知りたかった異世界へ行く方法は分かった。


だが問題がある。脳死状態の肉体が異世界側に必要、という事だ。


おそらくカナタはあの研究所のクローン実験体に偶然、魂を宿してしまったのだろう。


依り代なしで転移を試みた場合はどうなる? リスクが高すぎるか。


一番いいのはミコト姫と連絡を取り、協力を仰ぐ事だな。


異世界に行ってからどうする? カナタの力になる為に出来る事………


待て待て。順序立てて考えろ。まず行く方法を確立せねば。


失敗は許されない。入念に計画を立て、準備せねばなるまい。


「随分熱心に考えているのね?」 


「風美代か。驚かせないでくれ。」


いつの間にか風美代とアイリが帰ってきていたようだ。


「光平おじさん、たっだいま~!」


「おかえり、銀閣寺はどうだった?」


「最高だった♪いっぱい写真とっちゃった!」


アイリは首から下げた子供用カメラを手にはしゃいでいる。


………可愛い娘だ。こんな愛らしい娘を置いて死んでしまうとは、ヘンリーさんもさぞ無念だったろうな。


「京都には銀閣寺だけじゃなくて、いっぱい寺社仏閣があるからね。しばらく滞在するから、ゆっくり見学していくといい。」


「うん!明日は五重塔に行くの!後は二条城も!光平おじさんも一緒に行こうよ。」


「そうだな。たまにはいいかもしれない。おじさんは平等院鳳凰堂に行きたいね。」


「それって十円玉に描いてあるとこだよね!行こう行こう!」


頭を撫でてやると、えくぼを浮かべて微笑んでくれた。


「アイリ、ママは光平さんとお話があるから、向こうのお部屋で遊んでいなさい。」


「は~い、ママ!」


アイリは可愛いらしく敬礼すると、駆け出すように奥の部屋へ向かった。


「………可愛い娘だね。どこから連れてきたんだい?」


「あの娘が養子だと、どうして分かったの?」


「そりゃ分かるさ。私と離婚してから連れ子のいる男と再婚したとしたら、その子は波平と同年代じゃなきゃおかしいだろう?」


そうでなければ結婚してから外で作った子という事になる。


権藤から聞いたヘンリー・オハラの人となりは真面目で誠実、ならば浮気するような男ではあるまい。


「あの娘の故郷はボスニアよ。取材でサラエボに行っていたヘンリーが連れてきたの。」


………ボスニアか。まだあまり治安の良くない国だ。これ以上は聞かない方がいいな。


「そうか。立ち入った事を聞いて悪かったね。少し気になったものだから。」


「いいのよ。あなたの方はなにか分かったの?」


「ああ、思った以上の収穫があったよ。これを見てくれ。」


私は物部老人からもらった手紙を風美代に見せた。


手紙を読み終えた風美代は大きく息をついて額に手をあてる。


「ビックリしたろう?」


「ええ、そりゃもうビックリよ。お義父さまは不思議な方だとは思っていたけど、まさか異世界から来ていた異邦人だったとはね。お義母さまはこの事をご存じだったのかしら?」


「さあね。だがお袋は大雑把で天然だったからな。知ったところで「あらそうだったの。」で片付けてしまいそうだ。」


風美代は可笑しそうに笑って口元を手で隠す。


「ふふふっ。確かにそうね。それで光平さんはどうするつもりなの?」


「決まっているだろう。異世界へ行くさ。日本にいてもカナタの力にはなれんからな。」


「それがいいわ!そうすれば光平さんは病魔ともお別れ出来るのよ!」


…………そ、そうか!異世界に行けばキマイラ症候群ともオサラバ出来るのだ!


「………その顔はそんな事は思いもしなかったって顔ね。呆れたわね、自分の命でしょう?」


「………返す言葉もない。我ながら抜けているとしか言えんよ。」


風美代は柔和な笑みを浮かべ、意外な言葉を口にした。


「………お帰りなさい、光平さん。」


「お帰りなさいはないだろう。京都へ来たばかりだぞ?」


「そうじゃないわ。光平さんは我が身の事なんかそっちのけで波平の、いえ天掛カナタの力になりたいって考えたの。亡者はそんな考えはしない。光平さんは心に血を通わせて、生者の世界へ回帰したのよ。だから………お帰りなさい、光平さん。」


………亡者のまま死にたくなかった。死ぬにしても人間らしく死にたかった。


風美代に生者として認めてもらえたのだ。なんと喜ばしい事だろう。


感謝の気持ちを言葉にしたいのに、上手く言葉が出てこない。


絞り出すように口にした言葉は陳腐で芸がなかった。





「………ただいま、風美代。」



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