出張編42話 雪原の悪夢



シオン・イグナチェフにとって眠りは安息ではなく拷問だ。


毎夜のように見る悪夢は容赦なく彼女の心をさいなみ、蝕んでいく。


悲鳴を上げベットから跳ね起きる。ビッショリとかいた汗がたまらなく不快だ。


………私はいつになったら、あの日の悪夢から解放されるのだろう。


問いかけてみても、答えは返ってこない。


そんな事は分かっている、それでも問いかけずにはいられないのだ。


「………パーパ………ごめんなさい。………私があの時に………」


シオン・イグナチェフは義父の形見である涙型のペンダントをギュッと握りしめ、頬を伝う涙を拭った。






二年前の「ダイアモンドダスト」作戦は終盤までは順調だった。


シオン・イグナチェフは義父である「皇帝」ラブロフの率いるスノーラビッツ中隊に、念願かなって配属されていた。


シオンは8歳の時に孤児になった。シオンの父母はともに軍人で、同じ日、同じ場所で戦死を遂げてしまったからだ。


身寄りも行く当てもないシオンを引き取ったのが、父母の戦友だったラブロフだった。


幼いシオンはラブロフを実の父のように慕い、成長した。


15歳になったシオンが軍学校に入る時と言い出した時に、ラブロフはいい顔をしなかった。


シオンは成績優秀で、このままいけば士官学校に入学可能なスコアを上げていたからだ。


ラブロフはおなじ軍人になるなら士官学校に入ればいいと諭したのだが、シオンは自分の意志を貫いた。


22歳まで待ってはいられない。18歳で卒業出来る軍学校を出て、早く義父と共に戦いたかったのだ。


難色を示すラブロフに、シオンはラブロフ自身の言葉を借りて反論した。


「パーパはいつも言ってるでしょう。出世よりも、勝敗よりも大事な事が人生にはあるって。」


自らの哲学を持ち出されたラブロフは、渋々ながら娘の決意を認めるしかなかった。






ラブロフ・イグナチェフは無欲な軍人だった。


同盟一の狙撃の名手として称えられていたがラブロフの階級は大尉、同期の戦友だったヒンクリーは既に准将にまで昇進していたというのに。


狙撃以外が無能だった訳ではない、ラブロフ自身が出世を拒否していたからだ。


シオンを引き取るまでは家族もなかった。部隊が我が家、隊員が家族、そんな男だった。


大尉でありながら大隊を率いる事もせず、気の合う部下だけを集めた中隊「スノーラビッツ」を編成し、助っ人中隊のような形で各地を転戦していた。


狙撃班として参加したダイアモンドダスト作戦は成功しつつあったが、終盤に一つ問題が起こった。


雪山の中腹にある寒村が、山賊の襲撃を受けているという報告が入ったのだ。


作戦指揮官はたかが寒村一つと黙殺したが、ラブロフは救援に向かう事を決めた。


スノーラビッツ中隊は山賊達を簡単に撃退、帰投しようとした時に機構軍の奇襲を受けた。


そのやり口は卑劣極まりなく、狙撃で村人を狙い、助けようとしたスノーラビッツ隊員を射殺するという戦術である。


敵は村の上方の岩場に散開し布陣、地の利はない。


機構軍の狙いは自分達にあると判断したラブロフは村から撤退、だが敵の追撃は執拗だった。


ラブロフは自らが殿しんがりを務め、中隊に麓の本隊への撤退を指示した。


シオンのいる小隊は最後尾を守りながら撤退中だったが、小隊長はラブロフの身を案じ、殿に加わろうと部下達に提案した。


シオンは一も二もなく賛成した。いかにラブロフが凄腕の狙撃手でも、単独での殿はリスクが高い。


だが、結果的にこの判断は誤りだった。


機構軍の狙撃部隊「ホワイトレイブン」はその事を予想し、罠を張っていたのだ。


罠にかかったシオン達の小隊は、5名の隊員のうち小隊長を含む2名が戦死し、窮地に陥った。


しかしラブロフが救援に現れ、卓抜した狙撃の援護でなんとか危地を脱した、かに見えた。


………一発の銃声が白銀の山麓に木霊するまでは。


脚を撃ち抜かれ、地面に倒れ伏す義父。駆け寄ろうとした隊員は狙撃の餌食となった。


脚を奪われたラブロフは雪原から動けない、やむを得ずラブロフは降伏のサインを敵に示したが………その腕を無情の弾丸が貫く。


「隊長を嬲り殺しにする気だ!助けないと!」


「待ってボリス!飛び出したらレーナみたいに狙い撃ちにされるわ!」


「だからって隊長を見捨てられるか!シオン、援護を頼む!」


戦友ボリスは念真障壁を前面に展開しながら、雪原に飛び出してゆく。


シオンは愛用の狙撃銃で懸命に援護するが、ボリスは狙撃の雨に晒され、ラブロフの元には辿り着けなかった。


ボリスを仕留めた敵部隊は右手、左手、左脚、右脚と順にラブロフを嬲り殺しにしていく。


「残った子兎ちゃんは隊長さんを見捨てるのかしら? 薄情な隊員もいたものね?」


雪原にシオンを嘲弄する声が響く。


決意を決めたシオンが飛び出そうとした時に、ラブロフは最後の力を振り絞り、声を上げた。


「来るなシオン!」


「パーパ!」


口元から血を流しながら「皇帝」ラブロフは笑った。


そして腕を撃ち抜かれ、満足に動かせない震える指で………自分の額を二度叩いた。


「出来ない!パーパ!私には………出来ない!」


「やるんだシオン!ワシの命をこんな下衆共に奪わせるな!娘のおまえの手で………ごはっ!」


また一発、無情の弾丸がラブロフの体を貫く。


シオンは遮蔽岩の影で頭を抱え、涙を流すしか出来ない。


「あらあら、子兎ちゃんは皇帝の娘なのかしら? どうするの? パーパが苦しんでるわよ?」


「卑怯者!パーパも私も降伏するわ!だから………」


「生かして捕らえたら捕虜交換で帰されちゃうかもしれないでしょう? 目障りなのよ、皇帝なんて。狙撃手の王は一人でいい。……それは私。」


ようやく岩場から顔を見せた女は白変種アルビノらしく、髪も目も純白だった。


シオンは撃ち上げの狙撃を女に見舞うが、首を軽く捻って躱される。


シオンは怒りで発狂しそうになったが、義父から叩き込まれた狙撃手としての彼女は、冷静に分析を終えていた。


この位置からでは、あのアルビノ女を仕留める事は出来ない、と。


「………撃つんだ。………ワシの魂はいつでもおまえと共にある。………ワ、ワシの自慢の娘シオン、愛してるぞ!」


「………私も愛してるわ!パーパ!」


雪原に鳴り響く銃声、それが「皇帝」ラブロフ・イグナチェフの最後だった。







「う~ん、カナタが来ねえと平和なんだが、退屈だねえ。」


統合作戦本部内の食堂で、「炎壁」ダニーは本部食堂名物「半殺し定食」を頬張りながら口を開いた。


半殺し定食とはニワトリの半身を使った特盛り唐揚げ定食である。


「ダニーはん、口に料理を頬張ったままお喋りするのはお行儀が悪いって躾られはらへんかったんですの?」


シメサバ定食を優雅に食する「琴鳥」コトネがやんわりと食事の作法を注意する。


「ダニーに行儀と素行の悪さを指摘するだけ無駄だと思うけれど?」


「絶対零度の女」シオンは、ピラミッドのように積み上がったニワトリの唐揚げをみるみるうちに減らしていく。


シオンの食するのは「皆殺し定食」、その名の通り、ニワトリを丸ごと使った唐揚げ定食である。


「ダニーはんは名士のボンや言う話でしたさかい、不思議に思うただけどす。まあ、氏より育ちいう言葉もありますし。」


「ほっとけ、戦争じゃ早飯と早グ………ぐおぉぉ!」


尾籠ビロウな台詞を言い終える前に、コトネが指先で弾いた爪楊枝がダニーの唇に刺さった。


「食事中ですえ、ダニーはん?」


「まったく下品な男だ。………少し食べ足りないな。皆殺し定食をもう一つ頼んでこよう。」


「………まだ食べはりますのん?」


呆れ顔のコトネに構わずシオンは席を立ち、食券売り場に向かう。


コトネとダニーは綺麗に平らげられた皆殺し定食を眺めて感心する。


ニワトリ一匹に丼飯3杯を平らげて食べ足りないとか、どういう胃袋をしているのだろう、と。


「俺も大概食う方だけど、シオンの食いっぷりには勝てねえわ。見てるだけで胸焼けしそうなんで先に教室に戻るぜ。」


「ご機嫌よう。ウチは食後の羊羹と玉露を楽しんでから戻ります。」





5分後、コトネがしずしずと羊羹を味わっている隣で、シオンはガツガツと皆殺し定食をかき込む。


「ここは魅力的なメニューが多いな。今度この超特大パフェとやらに挑戦してみないか?」


「なんですのん、この金魚鉢みたいなパフェ!? ウチは遠慮しときます。甘いモンは好きですけど、モノには限度がありますさかいに。」


「そうか、残念だな。一人で挑戦してみよう。」


挑戦はしはりますのね、とコトネは思ったが口にはしなかった。


代わりに口にしたのは、ここにいない男の話題だった。


「そないいうたら、カナタはんは明日からカリキュラムに復帰してきはるそうで。」


「また騒ぎを起こさなければいいけれどね。」


「昨日の暴動の鎮圧にも活躍しはったそうですし、カナタはんはウチらの世代の代表格みたいなおヒトになるんとちゃいますやろか?」


「………私は認めない。あんな男は!」


テーブルを拳で叩いたシオンにコトネは問いかける。


「なにが気に触りますのん? ウチは結構気が合いそうやと思うてますけど?」


「琴鳥も見ただろう!あの男はオルセンを嬲り殺しにしようとしていたんだぞ!」


激昂するシオンに対し、コトネの返した言葉は冷静、いや冷徹だった。


「されても仕方がないような事をしやはったのも事実どす。」


同意を期待していたシオンは困惑し、さらに感情を昂ぶらせた。


「オルセンの弁護をする気はない。だが、外道相手なら何をしてもいい訳じゃない!」


「確かに。せやけどシオンはんにカナタはんを全否定する権利がありますのん?」


「どういう意味だ?」


「ウチは今朝、司令はんとお会いしたんどす。その時に聞いたんどすけど、カナタはんは司令はんに頼んで、ラビアンローズのオーナーから犠牲者の家族に結構な額の見舞金を出させたそうで。」


「………ラビアンローズのオーナーともなれば富豪だろう。驚くには値しない。」


「そうですやろか? 確かに富豪のオーナーはんにとっては痛くも痒くもない額でしょうけど、働きかけがなければ黙殺されてお仕舞いでしたんよ? 犠牲者の一人は一家の大黒柱でしたんや、残された家族が路頭に迷わんよう心配こころくばりしはる、これもカナタはんの一面どす。」


「………なにが言いたいの?」


「シオンはんにとって事件はあの日で終わり、でもカナタはんにはそうやなかったって言いたいんどす。カナタはんの黒い面だけ切り取って全否定するシオンはんの考え方は、ウチの物差しには合やしまへんの。」


「剣狼が見舞金を出させたなんて、今聞くまで私は知らなかったんだ!だいたい琴鳥だって犠牲者になにもしなかったという意味では私と同じだろう!」


切れ長の目を少し細め、コトネは穏やかに言葉を返す。


「それは言わはる通り。ウチには恫喝してでも犠牲者の家族に見舞金を出させるなんて発想はなかった。せやさかい偉そうな事を言う権利はウチにもない。」


玉露を飲み終えたコトネは静かに立ち上がり、シオンに背を向け歩き出しながら、尖った言葉を突き刺した。


「………ところでシオンはんは犠牲者のお墓にお参りして、手の一つも合わせはったん?」


「あ!……わ、私は………」


コトネは少しだけ首を回し、背中越しに冷ややかな目でシオンを見る。


「カナタはんやリリスちゃんは勿論、司令はんも中佐はんも刑事はん達もみんなお花を供えに参らはったそうで。ささやかながらウチも、ね。………ほな、ご機嫌よう。」


コトネはシオンから目を切り、もう話す事はないとばかりに立ち去っていく。




返す言葉を失ったシオンの前で皆殺し定食の唐揚げが熱を失い、冷めていった。



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