懊悩編47話 許されざる者



警察の聴取は簡単に終わった。


意識不明状態になった原因は不明とはいえ、事件性はないと警察も考えていたようだ。


聴取に来た老刑事は、波平は他人の恨みを買うような生活を送っていなかったと断言した。


聞けば波平はほとんど誰とも関わらずに生きていたらしい。


孤独な青年だったようですな、と私を目で非難しながら老刑事は去って行った。


………呆れもするか、私は父親のクセに息子の通う大学どころか、スマホの番号も知らなかったのだから。





雨宮と今後の私の治療法を相談したが、在宅医療を選択する事にした。


基本的に助からない死病なのだ、クォリティーオブライフ優先で構わないだろう。


しかし雨宮もお人好しだな。関西共生会病院にやってきてまで、私や風美代の面倒を見るとは。


私は退院し、帰京する雨宮に送ってもらって自宅へ帰った。風美代は後から帰京するとの事だ。


………波平の葬儀を行ってやらねばならない。密葬でよかろう、どうせ参列者などいないのだし。


葬儀屋を呼んだついでに私の葬儀の段取りもつけておく。


葬儀の準備や新しいスマホの契約など雑事を片づけるのに2日ほどかかった。


それから新しく契約したスマホで風美代に連絡を入れて、自宅へ来てもらう事にした。


風美代は帰京してきていた。30分ほどでここへ来る。


風美代は波平の死で心身ともに衰弱しているだろうから、用件は手短に済ませてやらんとな。






風美代が来るまでに考えをまとめておこう。


自分の人生の後始末をどうつけるか、重たいテーマだな。まずは財務官僚らしく金の問題から考えるか。


親父は若い時の素行の悪さで親戚筋から絶縁されている。


お袋も前科がつかなかったのが奇跡なんて評判の親父と所帯を持った事が原因で同じ憂き目にあった。


………そして波平までいなくなってしまった。もう遺産を残す相手は風美代しかいないのだ。


遺産は風美代に残す、それで問題ないだろう。


仕事関係はどうするか………私は社会を変えたくて官僚になった。


伏魔殿の瘴気にあてられて権力亡者に成り下がってしまったが、最後に軽く世直しでもしておこうか。


執念深くて小さい人間なので報復も兼ねて、な。


財務省に勤めている間に掴んだ、ありとあらゆる汚職、不正、不作為の全てを白日の下に晒してやろう。


裏切りに備えて物証のコピーを自宅の金庫に保管しておいたのが、こんな形で役に立つとはな。


守秘義務違反? 上等だ。もう私はそんなもの怖くもなんともない。


慎重に考えるべきはリークする相手だ。なにせ霞ヶ関だけでなく政界も巻き込む話だ。


闇に葬られてはたまらない、慎重に計画を練ろう。


幸いこの国の民主主義は病んではいても、生きてはいる。蟷螂でも戦い方次第で斧を倒せる国なのだ。


この計画には時間をかけるとして、紅茶党の風美代の為に紅茶を買いにいくか。





「この家の敷居をもう一度跨ぐとは思わなかったわ。18年ぶりね。」


私は風美代を自宅に迎え、リビングで紅茶を淹れる。


まずは遺産の話から始めようか。


「………と、いう訳でな。この自宅と預金、有価証券などの財産は君の相続してもらいたいのだ。今さら私の金なんか受け取りたくないというなら、難病のサポートをやってる財団にでも寄付してくれ。波平の葬儀を済ませるついでに私の葬儀も手配しておいた。面倒だろうが波平と同じ墓に埋葬してくれ。そこだけは頼みたい。」


「………貴方、もう生きる事を諦めたの? 私は貴方について行けないと思って別れたけれど、貴方の何があろうと諦めない意志の強さは尊敬していたのに。」


「諦める? まさかだろう。今、まさに私は生きようとしているんだ。」


「貴方が何を言いたいのかが、私には分からないわ?」


風美代の声は懐疑的で疑心暗鬼に満ちていた。それはそうだろう。


私だって自分の価値観がコペルニクス的転回を遂げるだなんて思いもしなかったのだから。


「人生の長い短いを問題にしていないという話だ。官僚になってから四半世紀ほど意味のない人生を送ったのでな。………取り戻したいんだ。残された時間を私は人間として生き、死を迎える。」


「………波平の死に責任を感じて、病と闘わずに消極的に自殺するつもり? あれは悲しい事故よ、貴方に責任はないの。」


「消極的自殺? そんなつもりはない。権力亡者として死にたくないだけさ。悔いなく死ねるのが最良だが、それは無理だ。………君を捨て、波平も捨てた私だからな。後悔だらけの人生だったが、生きるという事はいかに死を迎えるかだと遅まきながら気が付いた。だから生きている間に後悔を少しでも減らしておきたい、それだけの事だよ。………ああ、また手順が違うな。まず君に言っておかねばならないのは遺産の話とかじゃないんだ。」


風美代の顔から疑心暗鬼が消え、真剣な眼差しになった。出逢った頃の………懐かしい目だ。


この目を悲しみに曇らせるような真似をしたのは私だ。


なにが社会を変えるだ。………まず変えるべきは私自身だった。


「………本当にすまなかった。私は君にとって良き夫ではなく、波平にとって良き父親でもなかった。君と波平の人生と心に傷をつけたね。………許してくれ。」


私は深々と風美代に頭を下げた。暫しの沈黙の後、風美代は私の肩をつかんで起こしてくれた。


そして真っ直ぐに私と目を合わせ、言った。


「………ありがとう………私の心は今の言葉で救われたわ。波平もそうだといいのだけれど。………あの子に関しては私も貴方と同罪よ。なにがあってもあの子を連れて行くべきだった。今さら母親面されてもあの子も迷惑でしょうね。でもこの後悔をずっと引きずって私は生きるわ。」


「あの世で波平に逢えたら、私は心から詫びよう。許してもらえるとは思わない。たかが高校受験に失敗したぐらいで息子を切り捨てた父親などを。」


「私も許されるなんて思っていない。人生をやり直したいなんて浅はかな理由で我が子を捨てた母親だから。でも伝えて、波平に。私はずっと後悔していたと。」


「必ず伝えるよ。必ずだ。」


風美代は大粒の涙を流し、嗚咽しながら何度も頷いた。


そして私達は18年ぶりに手を取り合い、孤独な最後を迎えた息子の死を共に悲しんだ。





その夜、私は不思議な夢を見た。


夢を見ている時はこれは夢だと認識は出来ない。夢から覚めてから、夢だった気付くものだ。


だが、その不思議な夢は…………認識できた。これは夢だと。何故だか分かったのだ。


…………それは一人の兵士の物語…………私はなにも出来ない傍観者、亡霊じみた観客に過ぎなかった。


目が覚めてからも………私はその夢の続きを見たいと思った。




波平の葬儀は密葬で執り行った。


天掛家からは私だけ、風美代の親は来てくれた。通夜の焼香を済ませたら、そそくさと帰っていったが。


風美代は親とあまり上手くいってないようだ。


今夜は葬儀会場に泊まるのだが、手配しておいた波平の荷物が自宅に届いたらしいので、引き取りに自宅に帰る事にした。


漫画やアニメが好きだった波平の棺に入れてやるモノを選んでやろう。


自宅に帰る車の中で風美代と世間話をする。


空虚な会話であろうと何か話していなければ、心におりが溜まっていくばかりだ。


「余計な節介だが親とはうまくやった方がいい。私のように死別してから墓石と仲良くしてもつまらんぞ。」


「あら、貴方が墓石と仲良くしているとは思えないけど? 墓参りなんてロクに行っていないでしょう。」


確かにそうだ。それに親父は法的に死人だというだけで、まだ生きている可能性はあるか。


「ご名答。この際、立派な墓石に変えておくさ。波平だけじゃなく私の為にもな。」


「それがいいわ。綺麗なお墓に波平を入れてあげたいもの。………ニューヨークのアパートを引き払ってしばらく日本で過ごす事にしようかしら。」


「ニューヨークに住んでいたのか。知らなかったな。」


「知ろうともしなかった、でしょう。親の反対を押し切ってバイオリニストとして生計を立ててるの。」


「それで折り合いが悪くなったのか。そう言えば君は音大の出だったな。」


「折り合いが決定的に悪くなったのは子連れの男性と再婚したからよ。」


危うく追突事故を起こしそうになって慌ててブレーキを踏む。


「………再婚していたのか。」


「しちゃいけなかった?」


「いや、君の自由だ。思ってもみなかったから驚いただけだよ。旦那さんは日本にこないのか?」


「………忙しい人だから。娘は友達に預けてる。」


「そうか、その娘さんが旦那さんの連れ子なのか?」


「ええ、私と主人の間に子供はいない。でも娘は本当の私の娘よ。そう思ってる。」


波平を置いて家を出た事への後悔があるのかもしれんな。連れ子であろうと………家族は家族か。


違う、私はまだ根本的に勘違いしているぞ。子供が出来たから親になるのではない。


子供を慈しんで育てるから親になるのだ。血縁があるかどうかなど関係はない。


「そうか、立派に育つといいな。」


「娘もバイオリンが好きで音楽の道に進みたがっているわ。今は私が教えてるけれど、ウィーンに留学するのが夢なんだって。」


「音楽の道を進むには金がかかる。遺産を残せて良かったよ。」


「遺産じゃなくて援助にして。生きる事を諦めては駄目。」


「分かった、そうしよう。だが妻の前夫が自分の娘の留学費用の援助などしたら、旦那さんは面白くないんじゃないのか? 夫婦仲がおかしくなっても責任は取れんぞ。」


「ご心配なく、今の旦那様は神様みたいに寛容な人なの。」


複雑な思いはするが、風美代が新しい家庭を持って幸せに暮らしているならそれでいい。





素直にそう思えるようになったという事は、私も亡者から人間への回帰が進んでいるのかもしれんな。





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