懊悩編45話 砂上の楼閣は波に消えゆく



「………18年ぶりね………元気だった?」


18年ぶりに聞く声は元妻に違いなかったが、無機質で乾いた声に聞こえる。


「………あまり元気とは言えんな。」


「でしょうね。難病を罹患したんですって? お気の毒としか言えないけれど。」


何故その事を知っている、などと聞く気はない。元妻の父親は私の出身大学の教授だった。


誰ぞが面白半分で話したのだろう。


「………久しぶりに声が聞きたくなったなどという話ではなかろう。なんの用だ?」


「貴方は変わってないわね。今のが虚勢でないなら本当にご立派よ。」


「用がないなら切るぞ。君も知っての通り、今の私は些事に関わってはいられん。」


「その些事を代行してあげましょうか?ってお話なんだけれど。」


「………身の回りの事は間に合っている、家政婦を雇っているからな。」


「今さら私がそんな事をする訳ないでしょう。波平の事よ。どこの大学に通ってるいるかも知らないなんて貴方、本当に親なの?」


!! 誰が余計な事を話したか分かったぞ!


「君にご注進したのは雨宮だな。愚図なら愚図なりに義務だけ全うしていればいいものを、医者のクセにベラベラと喋りおって。体の事がなければ守秘義務違反で告訴してやりたいぐらいだ。」


法的には微妙だろうがな。………私も心の余裕がなくなっている。


当たり前か。死神の足音が聞こえている身だ。


「………悪い意味でも変わっていないのね。波平は成人になっていてもまだ大学生なのよ? 卒業するまで後二年………貴方に二年後があるの?」


その言葉は鋭利なナイフのように私の心に突き刺さる。………二年後、私は生きているのか?


「大きなお世話だ!!もう君には関係ない事だろう!!」


私の怒りの声に元妻は怒りで反応するどころか、安堵したようだった。


「良かった、貴方も人間だったのね。今のは心ない台詞だったわ、ごめんなさい。でも今後の事は話しておく必要があるでしょう? 嫌味じゃなく貴方の鋭敏さなら分かるわよね?」


素直に詫びられると罵倒も出来ない。誰にでもいいから怒鳴り散らしたい気分だというのに。


「君は変わったな、随分底意地が悪くなったようだ。波平の大学と連絡先は調べておく。メールで送るからアドレスを教えてくれ。任せていいんだな?」


正直助かる、今は波平になど構っていられない。


「ええ、波平の事は私が引き受ける。貴方は病の克服に専念してくれていいわ。アドレスはFAXで送っておくから。」


そう言うと元妻の風美代ふみよは、もう用はないとばかりに電話を切った。





それからの私の日常は散々だった。どうやら私は嫌われ者だったらしい。


私がそうだったように、周囲の人間も私を利用したかっただけだった、その事が日を追う事に明らかになっていく。


仕事関係の人間達だけではない。数少ない趣味の付き合いの人間でさえ、もう私に見向きもしなくなっていった。


趣味の付き合いにまで苫米地を伴ったのは不味かったな、奴は至る所で私の病の事を触れ回っていた。


私は趣味の付き合いでも一流の人間を選んでいた。苫米地の人脈作りに手を貸してやったつもりが……こんな形で返ってくるとはな。恩を仇で返されるとはよく言ったものだ。


今にして思えば、苫米地にとっては私の趣味への付き合いなど苦痛でしかなかった、という事か。


なんの得にもならん事を吹聴して回ったのは、出世の道を絶たれた事への意趣返しのつもりなのだろうが………私を甘く見過ぎたな。


飼い犬に手を噛まれて笑って済ませてやる程、私はお人好しではない。


お前が裏切った時の事を考えて、潰せるだけの材料は確保してあるのだぞ?


水木局長………いや、水木もだ。不正の証拠は握っている。馬鹿な奴らだ、私の用心深さと抜け目のなさは間近で見てきたろうに。


自分にその刃が向けられる事はないと思っているなら、おめでたい話だ。 


それとも自分は特別な人間だとでも勘違いしているのか?


だったら大間違いだ、お前らは特別な人間などではない、ただの人間だ。


………それは私もか………私も自分は特別な人間だと思っていたが………違ったようだ。前提そのものが。


そこを勘違いしていたのが誤りだったな、この世に特別な人間などいない。


生まれに恵まれ、高貴で富貴な者にも不運は平等に訪れる。いわんや私ごときが特別な訳はない。


そこまで思い上がったのは、私が勝利と成功しか知らなかったからだろうか?


………その栄光の人生とやらの最後がこれか、笑うしかないな。


砂上に楼閣を積み上げてきた人生を自嘲するしかないが、私を嘲笑した者への報復だけはしてやらんとな。


水木に苫米地、同情するふりだけでもしておけば身の破滅は防げたというのに、その程度の配慮もしなかったお前達にかける情けなどない。


私が奇跡的に助かる事を祈れ、私が破滅する時は貴様らも道連れだ。


生命まで失う私に比べれば、地位と名誉を失うだけで済む貴様らはまだ幸運だろう。






………僕に出来る事があればいいんだけど………僕も忙しい身でね、分かるだろ?


ああ、分かってる、なにもする気がない事ぐらいはな。ざまあみろと思ってないだけお前はマシな方だ。




………災難だったね。息子さんに財産を残すなら、現金より株がいいんじゃないか? いい投資先があるんだけど君にだけ教えるよ。確実に儲かるから………


私はもう死ぬ前提か。いい儲け話があったら他人に教える訳がなかろう。そんな事も分からない馬鹿だと思っていたか? 




………キマイラ症候群を煩ったと聞きました。今までご贔屓にして頂いた天掛様に、このような事を申し上げるのは心苦しいのですが………


移る病気ではないが気味悪がる会員がいる、か。客商売だからやむを得んだろう。もとより退会する為に来ただけだ、そんな顔をしなくていい。




こんな感じで引き潮のように私の周囲から人は消えていき、気が付けば私は一人になっていた。


誰もいなくなるだろうと分かってはいたが、やはり精神的に堪えるな。


………砂上の楼閣だった私の人生は風で朽ち果て、波にさらわれ消え果てた、か。


………波に………波平は、今どんな暮らしをしているのだろう?





気が付けば私は関西へ向かう新幹線に乗っていた。


風美代に波平の住所を送る為に家中を探して、ようやく波平のワンルームマンションの契約書を見つけたのだ。


私が会いに行ったら波平はどんな顔をするだろう。………歓迎されないのだけは分かっているが………


新幹線を降りてから電車を乗り継ぎ、波平の暮らす街に辿り着いた。


都会とはいえないが田舎でもない、なんとも中途半端な、波平の人生に相応しい街に住んでいるものだ。


波平のいるマンションの前に立った時、私は自分がここにきた理由に気が付いてしまった。


………どうやら私はよっぽど死にたくないらしい。


………米国の臨床試験に参加出来て、奇跡的に病魔キマイラを追い払えても私は助かるとは限らない。


肝臓をかなり損傷しているからだ。


生体肝移植も受けねばならないかも………私のドナーになれるのは息子である波平だけだ。


波平がそんな話を承諾する訳がない。………ないのだが………


我ながら見苦しい、だがまだ生きる事を諦めた訳ではない。生き残る可能性があるなら賭けるべきだ。


………いや、取らぬ狸の皮算用だな。米国で開発中の新薬が効果を発揮するのか、それ以前に臨床試験の被験者になれるかも定かではないのだ。


生体肝移植などその先の話、ならばここには用がない。


きびすを返して帰りかけたのだが、思い直した。


………ここまで来たのだ、顔ぐらい見て帰るか。


いい顔はしないだろうが、イヤな顔をされるのにはもう慣れた。


病が発覚してからというもの、誰からもイヤな顔をされたお陰でな。


私が死ねば波平がいろいろ相続せねばならんのだし、その事は話しておいたほうがいいだろう。


私は管理人室で身分を証明してから事情を説明し、波平の部屋に案内してもらった。


財務官僚の名刺はまだ役には立ってくれたか。これが最後の奉公だろうがな。




管理人がドアホンを鳴らすが返事はない。


「天掛君は留守みたいですな。息子さんに電話してみては?」


波平もスマホか携帯電話ぐらいは持っているだろうが、番号など知らない。


「生憎、私のスマホが壊れてしまいまして、波平のアドレスも消えてしまったので直接来たのです。」


「なるほど、では中でお待ちになりますか?」


「お願いします、どんな暮らしをしているかも見ておきたい。」


管理人がドアをマスターキーで開けると中からはテレビの音がした。


リクライニングチェアの背中から両腕が見えている。なんだ、いるんじゃないか。


眠っているのか、それにしてもインターホンが鳴っても起きないとは自堕落もいいところだ。


狭い部屋の中に書棚は沢山あったが漫画だらけだ………思った通り、碌な生活をしていないな。


私はリクライニングチェアの前に回り込み、テレビを付けっぱなしで眠っている波平を揺さぶって起こす。


「波平、起きろ!いつまで………」


波平の顔色がおかしい!? 私は慌てて手首の脈を取ってみた。


…………脈は止まっていた。………まさか………死んでいるのか………


「天掛さん、どうしました?」


「………し、死んでいる。………嘘だろう………波平が死んでいる!!」




波平が…………死んだ?………一体なにが起こっているんだ。私より先に波平が………死んだだと!?




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