懊悩編44話 手のひらは返す為にある
ステージ4のキマイラ症候群だと……この私がか!……そんなバカな!
「………ステージ4……何かの間違いじゃないのか?」
「天掛、落ち着いて聞いてくれ。君ならセカンドオピニオンは知ってるね。僕が紹介状を書くから………」
「紹介状などいらん!霞ヶ関のツテがいくらでもある!」
「………わかった。君の命なのだから好きにしてくれればいい。それからそんな気はないだろうけど、僕は君の治療は出来ない。君に寄り添って治療をしていく自信がないからだ。」
「こっちから願い下げだ!私が自分で探す!」
「………もう会う事もないだろうから、僕も言わせてもらう。君は僕を親の敷いたレールの上を走るお坊ちゃんだと思っているんだろうけど、レールの上を走るのだって苦労があるんだ。君が思うほど楽してる訳じゃない。周囲から天掛君は将来有望だから付き合っておくといいって言われたから合わせていたけど、僕は君が嫌いだったよ。」
「なんだと!よくも……」
「君が内心じゃ僕を小馬鹿にしているのにも気付いていた。言いたい事を言ってスッキリしたけど、最悪の気分だよ。今、君は僕の患者さんだ。僕は医者として、今までずっと患者さんに寄り添って医療にあたってきたつもりだ。………それが僕の誇りだったのに、今日破ってしまったんだ!」
「…………」
「………帰ってくれ。……だけど天掛光平が病に打ち勝つ事を祈っている。………これは本心だ、医療に従事する者としての。」
そう言って雨宮は診断結果の入った書類ケースを私に手渡した。
………ディベートでは負けた事がない私なのに、なにも言い返せない。
黙ってケースを受け取り、帰途についた。
私は水木局長に無理を言って一週間の休みをもらった。
そして厚生労働省にいる大学の後輩達を通じ、名医と呼ばれる医者達を紹介してもらって、診察を受けてみたが結果は同じだった。
やはり私はキマイラ症候群を発症していたのだ。しかも重要臓器のかなりが侵されている。
キマイラ症候群は発症原因不明の難病だ。
いくつもの臓器へ密やかに転移した後に悪性腫瘍を起こす、まさに人を殺す合成獣だ。
ガンならばステージ4でも助かった例は多々ある。だがキマイラ症候群のステージ4は………致死率100%だ。
ガンより悪質な新種の難病。キマイラ症候群が深刻な社会問題にならなかったのは、発症率の低さだ。
日本全体でも1000人もいない。
現状では助かる方法はただ一つ、キマイラ症候群に冒された部位を完全に切除する事。
だがステージ4となれば切除も不可能だ。重要臓器のかなりの部分に浸食が進んでいる。
だが収穫もあった。米国の製薬会社ではキマイラ症候群治療の新薬の開発が進んでいて、近々臨床試験が開始されるという話を厚生労働省の後輩が教えてくれた。
今はその臨床試験に賭けてみるしかない。日本人が米国で臨床試験の被験者になるのは一般人なら無理だろう。
だが私は一般人ではない。出来るはずだ、私なら。
私は水木局長にだけ病に冒された事情を伝え、長期休暇を申請した。
キマイラ症候群を克服すれば、その経験はきっと今後に活かせる。無理矢理でも自分にそういい聞かせ、私は今抱えてる案件の引き継ぎの為に霞ヶ関へ向かった。
職員達の私を見る目がいつもと違う? 休みなど取った事のない私が長期休暇など取ったから、勘ぐられているのだろうか。
今は些事には構っていられない。早く引き継ぎを終わらせなければ………
重要案件の資料を会議室に運ばせ、苫米地君を呼び出す。
彼はいつものように呼ばれたらすぐにやってきた。重要案件を任せるにはいささか不安だが、他の人間よりはマシだ。
「苫米地君、これらの案件だが君に引き継いでもらいたい。今から………」
「断ります。他の案件があるので。」
「なに? この案件の重要性は……」
「もう天掛審議官の仕事をサポートするメリットが俺にないんで。」
俺? そんな言葉使いじゃなかっただろう。それに………断るだと!
「おい、苫米地君!自分が何を言って………」
「
「………な、なぜ……君がその事を………」
「おやおや、意外とウブだったんですねえ。厚生労働省の後輩達が全員お友達だとでも思ってたんですか? 手当たり次第に医者をあたったみたいですけど、守秘義務を守る医者ばっかりとは限らないんですよ? 誰かが喋ったんです。誰だか知りませんけどね。」
あ、あいつら!職業倫理の欠片もないのか!
「まったく無駄な時間を使わせてくれましたね。勝ち馬に乗ったと思ったのに………とんだ駄馬だった!貴方のシンパだと思われてる私が今後どれだけ苦労するか………とんだハンディを負わせてくれましたね。早めに天下った方がいいかな、これは。」
「そんな事を言う権利があるのか!貴様の面倒を私がどれだけ見てきたと思ってるんだ!」
「それはお互い様でしょう!自分だって俺を都合よく利用してきたはずだ!ついでに言っておきますがね、俺達はみんな、
………世界が暗転していく………私の築き上げてきた世界が………崩壊していく。………砂上の楼閣のように………
会議室に一人残された私はスマートフォンを取り出し、水木局長をコールしてみる。
「おかけになった電話番号は現在使われておりません。番号をお確かめになってもう一度………」
私はスマートフォンを床に叩きつけて霞ヶ関を後にした。
私を待つ者など誰もいない、真っ暗な都内の自宅。誰もいないのだから真っ暗なのは当たり前で、今までそんな事を気にした事などなかったが………
とにかく横になりたいというのに入りたくないような………そんな気分だ。
待っているのは真っ暗な部屋、私を飲み込む暗黒の世界、そんな考えしか今は浮かばない。
だが他に帰る場所もない、私は重い足取りで玄関を開け、ホールからリビングルームへ向かった。
すぐに部屋の灯りを点けて闇を払う、気持ちは闇の中に沈んだままだが………とにかく暗闇に耐えられない。
…………ひどく疲れた………病状の悪化ではあるまい、手酷い裏切りで精神的に疲弊したに決まっている。
スーツの上着を脱ぎ捨てソファに横たわる。
このまま何も考えずに休むつもりだったが、不安と恐怖が襲ってくる。
この間まで順風満帆だったはずの私の人生が…………どうしてこうなった?
なんだって10万人に1人も罹らない難病に私が侵されるんだ!!
他にいくらでもいるだろう!!生きる価値なんかない人間が!!
…………どうして…………私が…………こんな理不尽に見舞われるんだ…………
リビングにある電話が鳴ったが出る気にはならない。
あまりにしつこいので怒鳴りつけてから叩き切ってやろうと受話器を取ると………別れた妻の声がした。
誰とも話したくない気分だったはずなのに、私は反射的に返事をしてしまった。
「………君か、久しぶりだな。」
「………18年ぶりね。………元気にしてた?」
………元気な訳がなかろう、私は死病に侵されているのだから。
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