懊悩編7話 百目鬼ラボと二羽の鷺



※前回に続いて今回もリリス視点のお話です。



雪ちゃんと食堂前で別れ、散歩がてら歩いて兵舎棟に帰る途中でハンディコムが鳴った。


「はい、こちら葬儀屋。誰か死んだの?」


「死んではいないが、書類の山に殺されそうな要救助者が1名いる。至急応援乞う。」


「………はぁ、私は二日酔いでしんどいんだけど?」


「未成年の飲酒は営倉入りだぞ。司法取引しないか?」


「仕方ないわねえ、手伝ってもいいけど私は今、生鮮食料品を抱えてるから一度部屋に戻るわよ。」


「私の部屋の冷蔵庫を使え。すぐに迎えをやる。」


イスカとの通話が終わって1分としないうちに、サイドカーつきのバイクで0番隊の隊員がやってきた。


「司令がお呼びです。」


「お呼ばれしたのは知ってるわよ。働き者ね、イスカは。」


私をサイドカーに乗っけたバイクは司令棟に向かう。


チープな司令室の中で私を迎えてくれたのは、山脈のように積まれた書類の山々、紫煙が渦巻く澱んだ空気、こぼれそうな程いっぱいの灰皿、そして不機嫌面のイスカと、いつもの見慣れた光景だった。


「成長期の少女の健康っていうモノに対するイスカの見解を是非伺いたいわね?」


「来たか、気が付けばいつの間にかこうなっているのだ。不思議で仕方ないな。」


「食材にヤニの匂いがついちゃうから、さっさと冷蔵庫にしまってくれる? その間に部屋の空気を入れ換えとくから。」


スーパーの袋と焼き鳥の入った容器を渡すと、イスカは奥のドアから私有スペースへと姿を消した。


私は空気清浄機をマックスに上げて、窓を開け、灰皿の掃除をする。


戻ってきたイスカはデスクチェアにどっかり腰掛け、書類に目を通し始める。


私も椅子に腰掛け、気は進まないけど紙の山脈に手をつけた。


勤勉なハズのイスカがこれだけ書類をため込むのには理由がある。


イスカは権謀術数の世界の住人で水面下での折衝、懐柔や恫喝に忙しい事。


そして単なる軍人ではなく、財閥の総帥も兼任しているって事だ。


この書類の山脈の半分以上はオーナーを務める企業複合体関連のモノだ。


惜しげもなく私達に報奨金をはずんでくれても経済的に破綻しない理由がこれだ。


イスカは私財を注ぎ込んでアスラ部隊を最強たらしめている、という訳だ。


特に癌の特効薬に関する全ての権利を持っているのが大きい。まさに金のなる木だ。


癌の特効薬はイスカの母親が開発したらしいんだけど。


「やっぱ医療関連の売り上げがスゴいわねえ。癌の特効薬様々ね。」


戻ってきたイスカにそう言ってみたら、恐ろしい答えが返ってきた。


「正確には特効薬ではなく抑止薬だ。あらかじめ投与しておけばほとんどの癌の発症を抑えられるとは母上もスゴい薬を開発したものだよ。おかげで私や親父は軍人が出来るという訳だ。」


道楽って言っちゃたわよ、この女。無茶苦茶ね、死体袋に死体が溢れる道楽とか始末に負えないわ。


「物騒な道楽もあったもんね。イスカの母親って生体工学の世界的権威だったんですって?」


「だった、と過去形で言わねばならんのがかえすがえすも残念だ。母上は伝説のラボの双璧と呼ばれた天才だった。生きていれば人類にさらなる貢献をしたに違いないのだが。」


「伝説のラボ?」


「ああ、照京大に百目鬼どうめきラボという研究室があってな。そこで生体工学の研究をやっていた。」


「百目鬼? 百目鬼って百目鬼兼近どうめきかねちか博士の事?」


「百目鬼博士を知ってるのか?」


「私は直接面識はないわ。でも死んだお祖父様は大の人嫌いだったけど、百目鬼博士とだけは時折やりとりをしてたみたい。付き合うに値する頭脳を持つのは百目鬼兼近だけで、他の阿呆学者なんぞと付き合うのは時間とカロリーと脳細胞の浪費だって言ってたわね。」


「そう言えばリリスの祖父は世界的数学者のローエングリン博士だったな。百目鬼博士と親交があったのか。」


「親交っていうほどの付き合いはしてなかったと思うけど。お祖父様は儂には一人の友人もおらんって自慢する変人だったから。」


「ローエングリン博士と同じく百目鬼博士も天才でな、動物のバイオメタル化実験に成功したのは百目鬼博士の功績だ。」


「その研究を進めた成果が雪ちゃんって訳ね。人間のバイオメタル化技術も百目鬼博士が開発したの?」


「いや、この戦争の様相を一変させたバイオメタル化技術は百目鬼ラボで生まれたが、生みの親は博士ではなく所属研究員の鷺宮永遠さぎのみやとわだ。私の母上は旧姓を白鷺深怜しらさぎみれいと言ってな、二人は百目鬼ラボの双璧とか両翼とか呼ばれていたようだ。」


「百目鬼ラボには不世出の二羽の鷺がいたって事ね。でも皮肉ね。片やバイオメタル化技術を開発して多くの人達を死にいざない、片や癌の抑止薬を開発して多くの命を救う、か。」


「バイオメタル化技術が開発されたから戦争が始まった訳じゃない。すでに始まっていた戦争の主役が機甲兵器から人間に変わっただけだ。」


「…………バイオメタル化技術って要は戦闘細胞の開発って事よね? 癌の抑止薬も癌細胞を見つけたら殺す抑制細胞の開発だったわ。それが同じラボで生み出された? 偶然の訳ないわよね!」


「ああ、私は母上と鷺宮永遠は同じ研究をしていたと思っている。幼き日に母上から聞いた、私と永遠は生命の石ライブストーンを発見したのよ、とな。」


「ライブストーン、生きている石ね。なんだか怪奇小説じみた話になってきたわね。」


「まったくだな。だが問題は生命の石とやらがどんなものなのかサッパリ分かっていない事だ。母上も鷺宮永遠も既に鬼籍に入っている人なのでな。」


「ええっ!ちょっと待ちなさいよ!戦闘細胞も抑制細胞も生命の石がベースになってんじゃないの?」


「そうだ、だが戦闘細胞も抑制細胞もコピーの仕方は分かっているが、中身は分かっていないのだ。」


「…………ようは私達の体内には正体不明の細胞が埋め込まれてるって事か。薄気味悪いったらないわね。ん? 百目鬼博士なら詳細を知ってるんじゃない?」


「母上と鷺宮永遠が二人で開発していた様で、博士も知らないらしい。現状、新兵装と呼ばれているモノは戦闘細胞に手を加えて新たな機能を付加したモノの事だ。コアユニットがブラックボックスである事には違いないのさ。」


「車で言えばエンジンはそのままで、ハンドルやタイヤをイジってる状態って訳か。エンジンはコピー出来るけど仕組みは不明、危なっかしい橋を渡ってるわね。細胞になにか仕掛けがしてあったらどうすんのよ。」


「だが同盟軍も機構軍も否応なく戦闘細胞を使わねばならん。でなくては戦争に敗北するからな。」


「戦争に勝利する為の戦闘細胞、死病である癌から逃れられる抑制細胞、爆発的に人類に広がる二つの細胞が同じラボから生み出された、ね。なにか裏があるとしか思えないんだけど。百目鬼博士やラボを精査した方がいいんじゃない?」


「ラボはとっくの昔に閉鎖されて跡形もない。開発者二人は既にこの世になく、百目鬼博士は機構軍に亡命した。手の打ちようがない。」


「百目鬼博士が機構軍に亡命!マジな話なの!」


「一応軍事機密だ、漏洩するなよ。リリスに話したのは訳がある。おまえには知っておく権利があると思ってな。おまえのいた研究所は「ディアボロス計画」とやらを推進していた事が分かったのだ。」


「………ディアボロス計画の試作体、ディアボロスタイプXが私って訳ね。」


「そうらしい。それでだな、ディアボロス計画の基礎理論を組み上げたのが………」


「百目鬼博士って訳ね。お祖父様もとんだ人でなしと付き合ってたもんだわ。」


「百目鬼博士はあの研究所には関わっていないようだ。基礎理論を構築しただけでな。」


「ふぅん、そうなの。ま、だからといって百目鬼博士が人でなしじゃないとは限らないんだけど………この話を准尉に話してもいい? 准尉に隠し事はしたくないの。」


「………今はダメだ。いずれカナタの意見を聞きたいとは思うが、現状では材料が少なすぎてカナタの納豆菌も役には立つまいよ。ただでさえ考え込む癖のあるカナタに心労をかけるだけ、違うか?」


………もうなにか悩み事を抱え込んだであろう准尉の顔が脳裏に浮かぶ。確かにこれ以上考え事を増やすのはよくないわね。


「そうね、でもいずれ必ず話すわよ。イスカは少しでも材料を集めておいて。私達に害が及ぶかどうかはさておき、百目鬼ラボにはなにか思惑なり、目的があった事は確実だと思う。」


「ああ、今はとにかくこの書類を片付けんとな。」


私とイスカはせっせと書類に向かう。




准尉もだけど、私もけっこう便利屋代わりに使われてるわよねえ。



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