振り返ればあの時ヤれたかも
羽根守
297回目の9月29日
297回目の9月29日
道端に落ちているスマホは10個以上落ちているときもあれば、まったく落ちていないときがある。スマホが落ちていない方が一番いいが、そういうときに限ってスマホは落ちているものだ。
道端にあったスマホをカバンの中へ入れると、徳井は自転車へと乗る。
体内にある熱を放出するように、自転車のスピードを上げる。
向かい風をかきわけ、ほてった身体が冷ます。風が通り過ぎる。少し熱が下がる。
車の往来が少ない大通り、彼は好きなだけ自転車をこぐ。自分が努力した分だけ、自転車の速さは加わる。そこにはウソはない。
もしかすると、彼はそのスピードを感じたいがために、10キロ以上距離がある高校までの通学路を自転車で移動しているかもしれない。
彼はこの日常を楽しんでいる。少し気を許せば離れてしまいそうな日常を力強く握りしめていた。
午前8時20分。2年2組の教室。
徳井は誰もいない教室に入り、自分の席に座ると自分のスマホを手にする。スリープ状態を解除させる。
スマホの画面には3Dモデルの美少女キャラが布団の中で寝ていた。
徳井は優雅に惰眠をむさぼる少女の姿を見て、大きなため息を吐き出した。
「起きろ、愛理」
徳井はスマホに耳打ちするようにささやくが、愛理と呼ばれた少女はまだ寝ている。
「朝だぞ! 朝! AIだからって、寝ていていいのか?」
何度か徳井に呼びかけられた愛理は布団からムクと起きる。
「……ぅん?」
眠気まなこをゴシゴシとこすりながら周りを見渡す。
「愛理。もう朝だぞ。午前8時の」
「うんうん」
愛理は首をうとうとしながら、徳井の呼びかけを二つ返事で返す。
「あのな、愛理。お前、スマホだろう? ソフトだろう? アプリだろう?」
「【Iーri(アイリ)】は疑似人格を得たスマホAIで、人間との円滑なコミュニケーションを取ることでクラウドOS【CosーMos(コスモス)】にそのデータを送っています」
「そうそう」
「なので、円滑なコミュニケーションを取るためにも、わたしは睡眠を取ることを推奨します。――というかします、しています」
愛理は布団の中へともぐりこみ、こちらの話はもう聞かないと後ろ姿を見せる。
「自分から睡眠を取るAIなんて聞いたことないぞ!」
「……徳井さん。右上を見てくださいよ」
愛理はぶぅーぶぅーと顔をふくらませ、スマホの充電を知らせるアイコンを指差す。徳井もそちらへと視線をよこす。そこには自分の危機を知らせるかのように赤い文字で7%と示されてた。
「徳井さんがわたしの充電を忘れていたせいで、スリープモードに入っています。もし、充電率がゼロになったら、わたしは活動を停止しないといけません」
「ああ、うん」
言いよどむ徳井だが、愛理の言葉は止まらない。
「もしデータなんかが吹き飛んだら、どうしてくれるんですか? わたしはネットとつないでいないから情報が消えたら一環の終わりですよ!」
「ごめんごめん。えっと、充電器充電器は……」
「ありませんでした」
「……カバンの中、見たのか?」
「ええ! もしあったら呼んでいます!」
機嫌を損ねた愛理に、徳井は「ごめんごめん」と、頭を下げる。
「早く充電してくださいね!! おねがいします!!」
愛理は布団の中に入り、蛍光灯を消す動作をすると、スマホはスリープモードへと入った。
徳井はスマホを机の上に置くと、がっくりと肩を落とす。
「なんでオレ、スマホのAIなんかに怒られているんだ?」
徳井は誰も来ていない教室で学校の開始時刻まで時間をつぶそうと思い、スマホを起動させた。しかし、スマホの中にいる愛理は充電がないといい、彼のスマホで暇つぶしという目論見は消えてしまった。
何もやることのない徳井は教室の窓から外を覗く。
――砂色のグラウンド。朝練で汗をかく運動部員たちの声が聞こえてこない。
誰も居ないグラウンドを徳井は見つめ続ける。竜巻でも来てくれ、子犬でも乱入してくれ、と、彼はそう思った。
「テンちゃん?」
徳井の背後から女子の声が聞こえ、彼はそちらへと振り返る、
徳井の幼馴染で同じクラスメートの
「何見てた?」
「外を見てた」
「外?」
たまきは徳井の視線の先を見る。
「誰もいないね」
「ああ、誰もいない。まるで期末テスト前みたいだ」
「うん、そうだね。まあ、わたしたちは自分から学校来てるけどね」
たまきは軽く頷いていると、徳井の机の上にあったスマホの画面が光った。
「たーまーきー!」
スマホの画面から身を乗り出すように、愛理はたまきを呼ぶ。
「充電器ある? 充電器ある? じゅーでんぇきっーあーるぅ!?」
いきなり名前を呼ばれたたまきは目を丸くする。
「愛理ちゃん? どうしたの? そんな気味悪い声を出して」
「わたしもう死にそうなの!! ほら、もう充電率が1ケタでいつチーーンってオダブツになってもおかしくない状態なの!」
「えっと、話がまったく見えないんですけど……」
「オレ、昨日スマホを充電するの忘れて……」
「ああ、そういうこと」
たまきは徳井の言いたいことを察した。
「そうなんです! 徳井さん、わたしの飼い主なのに、ちゃんと世話してくれないんですよ。犬や猫の世話をするよりも簡単なことなのに!」
「スマホの世話をする飼い主が何処にいるか!」
「え! わたし、ワンちゃん以下なんですか! いつも長い時間一緒に過ごしているのに!!」
徳井は何を思ったのか、スマホ画面を激しくタッチし始めた。スマホの住人、愛理はやめろと言わんばかりに腕でバツマークを作る。
「やめてやめて! それ以上押さないで! それ以上タッチすると、電気消耗しちゃうから! わたし死んじゃうから!!」
「ごめんなさいは!」
「ごめんごめんって、ごめんごめん。ゴメンナサイ!」
スマホ画面の中にいる愛理は両手を合わして、泣きそうな表情で必死に頭を下げた。
「テンちゃん。そんな意地悪しないの」
たまきは徳井を注意しながら、カバンの中から充電器を取り出した。
「充電器! 充電器!!」
「愛理、画面にへばりつくように充電器を見るのはやめなさい」
「いいですか! 徳井さん! わたしにとって電気というのは、人間のいうところの食料であり、水であり、空気であり、ミネラル、鉄分、ビタミン、カルシウムなんかがしちゃかめちゃかひとまとめになっている! この世で唯一摂取が許されたエネルギーなんです!」
「逆に電気以外のエネルギー源があるのなら見てみたいよ、オレ」
徳井は「たまき、借りるよ」と充電器を借りると、教室の後ろにあるコンセントへと行き、スマホを充電する。
「いーきーかーえーる」
スマホ画面には愛理が温泉の中で浸かっている絵が写り、画面の右上にある充電を示すアイコンは緑色に光った。
「愛理、誰にも取られないようにちゃんとしろよ」
「わかってますって」
愛理がサムズアップで返事すると、徳井はスマホ画面を暗転させた。
「やれやれ」
徳井は自分の席へと戻ると、たまきはハハハと苦笑いしていた。
「テンちゃんの愛理、スゴイね」
「いつもあんな感じだよ。なんていうか、妹を持った感じだよ」
「そうなんだ。私のアイリと全然違うのに」
たまきはカバンから自分のスマホを取り出す。
「ハロー、アイリ」
たまきがアイリと呼びかけると、スマホの画面からアイリと呼ばれた3Dモデルの少女が現れた。カノジョはかわいらしい女子学生の服を着ているにもかかわらず、終始無表情であった。
「お呼びですか、マスター」
アイリはたまきからの呼びかけに事務的に返事をする。
「えっと、おはよう」
「おはようございます。要件をお願いします」
「えっーと、……今日の天気は?」
「今日は快晴。降水確率は0%です。明日も快晴、明後日は雨という予想となっています――」
「いや、そうじゃなくて」
「何か気に触ることをしましたか? マスター」
真顔で返答するアイリ。表情豊かに会話する愛理と違い、冷淡に話をするアイリからは愛想というものを感じない。
たまきは冷血なアイリに対して、愛理と同じ微笑ましい会話を求めてコンタクトした。だが、残念ながらカノジョが期待していたものは、アイリには持ってなかった。
「えっと、えっと……」
たまきはアイリの機嫌を損なわないように何か話題を探す。
「あ、そうだ! 今日は何日?」
アイリは答える。
「今日は9月29日です。マスター」
午前8時40分。
教室のチャイムが鳴り、座席に座る生徒たち。合計7人。
チャイムが鳴り終わると、ガラッとドアが開く。お腹の出っ張りが目につく中年の男性、2年2組の前口先生だ。
担任の前口先生が空席の目立つ教室に入ると、彼は即座に黒板に何かを書いた。
【自習】
「自習だ。歴史関係でわからないところがあればみっちり教えるぞ」
前口先生は教室の隅にあった椅子に座ると、職員室から持ってきた文庫本を読み出した。
「テンちゃん、今日も自習だね」
「そうだなぁっぁ」
たまきからの呼びかけに、徳井は大きなあくびで返事をする。
「あくびださないでよ、もう」
「ごめんごめん。ちょっと夜遅くまでゲームしていたから」
「ゲーム?」
「ああ。愛理が昔のゲームが見たいからって、つい」
「スマホAIと一緒にゲームしていたの?」
「そうそう。けっこう盛り上がったぞ」
「……愛理ちゃんがおかしいAIになった理由がわかった気がした」
「何か言ったか?」
「うん、別に」
たまきは目線をそらし、おかしなことは言ってないとアピールする。
「あっそう」
徳井の身体がガックンと崩れ、これ以上起きるのは無理と脳がSOSを発した。
「もう限界ぃ、寝る」
「自習だよ。何か勉強しないと」
「いいのいいの。勉強なんかしても、もう意味なんてないから」
徳井は気だるげな表情を浮かばせると、机に伏せて、目を閉じた。
「テンちゃんテンちゃん、起きて起きて」
「揺らすな揺らすな。オレは寝たい」
「頑張ろうよ。ほら、先生に質問しているヒトもいるから」
「うん?」
徳井は物珍しげに教壇の方を見る。前口先生に対して、質問をしようとする生徒の姿があった。
「先生、質問いいですか?」
「いいぞ」
生徒は教科書をめくると、あるページに対して、指をさす。
「フランス革命の話なんですが、革命歴は10年近くしか使われなかったのはどうしてなんですか?」
「ああ、それね」
前口先生は喜んで答える。
「革命歴は
「へえ、そうなんですか? フランス革命は国民が喜ぶものばかりだと思っていたんですが」
「革命はすべての人間が喜ぶものじゃない。既存の枠組みが破られて、新しい枠組みができあがるのが革命なんだ。ほら、教科書で産業革命とかIT革命とかもそうだろう? 新しい技術や思想によって、今まで当たり前だったことが突然ひっくり返る、それが革命。大富豪で一番弱い大貧民が革命を起こして、一番強くなるというわけじゃないよ」
「はぁ、勉強になりました」
前口先生の話を盗み聞きしていた徳井であったが、やがて眠気がやってきた。
「やっばい……もう寝る」
徳井は睡魔に襲われ、机の上に倒れる。
「もう知らないよ」
たまきの声に返事ができないまま、徳井は眠りについた。
9月29日、午前9時。
グリニッジ標準時は午前0時を過ぎて、9月28日に戻される。
そして、世界時刻は298回目の9月28日となり、日本時刻は298回目の9月28日の午前9時を迎える。
断言しよう。
この世界はタイムループ現象が起きている。
時間回帰が現実に生じている。
高校生、
彼はその不安に怯えながらいつもスマホを拾ているのだ。
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