散開する

韮崎旭

散開する

え、だから何ですか、人の話を聞きました? 人の話を聞きました? って聞いてるんですけど、聞いてないんですか? いえ真摯な態度を必要としているわけではなくてですね、人の話を、あなたの話し方は人を確実にいらだたせる。酔ってんのか? 酔った状態で人前に出ないでください、聞いてます? 人の話に、だから適当に相槌打たないでください、話は反射ではないって、何回言えばわかりますか?


その休日の遊歩道の風景は美しく、遠く見える山並はさながら品位の高い宗教画の背景のようだった。流麗で、気品があり、しかも邪魔にならない慎みを持つ。鳥の声が山並みの美しさを倍加させる。なんと理想的な休日だろう! こんな場所で特にすることもなく、浮浪者同然に虚無的に過ごせるなんて、素晴らしい贅沢だ! こんな優雅な場所でとくに何を視野に入れるでもなく、美しい山並みをまるで無視して下劣なポルノ雑誌をとにかく安いしろくでもない酒を飲みながら読みふけるのは、なんと素晴らしい時間の無駄遣いだろう!


 というわけだから俺は探すのを忘れたんだ。はなはだ差別的に取られたら迷惑だし、ポリティカル・コレクトネスなんてくそくらえだってね! アウゲイアス王の牛舎に埋設されていればいいと思うね、まったくもって! 貴様は人間ですか? えっ? 人間だったんですか、今すぐ滅んでください、人間滅亡手続きはあちらです、はい、住民票の写しと保険証があれば、え? だから滅亡の必要があるって何度言えば? アウゲイアス王の牛舎の礎になればいいのです、お前の名前はペトロです。鍵はない。貴様のごとき卑劣漢にそんなものは用意されない、わかってんだろ、最上の解決策?


日が暮れる青いさなぎの中で私は憂慮する。朝の声を引き裂く蝙蝠が、空を染めるとき、私は、また陰気な叫びを聞くだろう。

日が暮れる青いあわいの中で私は強直する、何物をも、またない駅が、また寒さで震えているのを知る。置き忘れた会話が、井戸の底で渦巻いていることを、私は知っている。知るはずもないのに、どうしてかそれが頭から離れない。

朝焼けは戦争だ。夕焼けがそうであるように。製鉄工場のうめきがまた死体の山を拡張する、ここは見るに堪えない戦闘。

エリスの歌声の聴き取られる夕べに、私はただ立ち尽くす。幻聴だと、あなたは執拗に私を諭すが、わかっている、法規に背く礼節が、この世に存在することを。

腐朽の暮れる薄暮には、私はさ迷い歩いては、私の抜け殻たちのありかを捜す。本当は何物をも探しはしない。私は悲しみ、ここにいるだけ。そう、悲しみに過ぎない。


 雨傘をさして出かけるにはちょっと気が引ける、そんなあなたにおすすめしたい、台無しになった黄色を。

 

 そして、最期を、良い眠りを。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

散開する 韮崎旭 @nakaimaizumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ