ひまわり畑

高野悠

「つい最近、それもこの辺りの出来事です」

 近谷早苗ちゃんはそこで一旦やめて、言い直した。最近コンタクトにしたようで、右手が眼鏡を押し上げるように動く。

 いとこである早苗ちゃんが今年の春、一年生として入ってきたのを見て僕びっくりしたし、彼女はもっとびっくりした顔をして「藤野、真広くん?」と聞いてきた。彼女の驚く顔はとてもよくできていて、少し驚いただけでものすごく驚いているように見えるから、実際は僕の方が驚いていたのかもしれない。

「ある日――」

 彼女が怖い話にぴったりな顔で切り出したので、僕と僕の友人、横山海斗はおもわず頷いた。


 海斗は、高校生になってからの友人だ。こんな元気な奴と友達になったのは初めてなので、どうして仲良くなったのかさっぱり覚えていない。僕と同じ文化部仲間の癖に、体育祭でリレー選手に選ばれるくらい足が速い。うらやましい限りだ。

 今、僕らがいる図書室は涼しいけど、窓の向こうからはセミと、吹奏楽部の楽器の音と、どこかの部活の掛け声で賑やかだ。

 先週の金曜日に終業式があって、今日は水曜日。夏休みが始まった実感がないまま、あと一ヶ月は空白。最高だ。

 僕ら三人は、それぞれの用事で図書室に来ていた。園芸部の僕は水やりの後に本を借りようとして、海斗は宿題を片付けに、早苗ちゃんは図書委員の仕事があるからここにいる。

 毎週水曜日は図書室の開館日。とはいえ、午前中から好んで学校に来る人も少なく、僕ら三人と司書の松井先生以外、ここには誰もいない。だから、早苗ちゃんがカウンターを抜けようが、三人で順番に怖い話を話そうが、松井先生が許す限り大丈夫。

 早苗ちゃんは早速いつもの顔に戻って聞いた。

「学校の近くに小さい美術館があるの、知ってます?」

 彼女の丁寧語は違和感があって、初めはどう反応して良いかわからなかった。僕だけなら普段通りなんだけど、海斗がいるから仕方ない。

 美術館を、僕は頷けるほど知らない。存在は知ってる程度。だから、答えたのは海斗だった。

「美術館って、高校出て左っ側にあるやつだよな? 名前は知らないけど、隣に温室あったよな」

 高校と、美術館は、中州と呼ばれる土地に建っている。中州と言っても小学校区が二つ入るくらいには大きい。目の前の二人はその中に住んでいる。僕も、小学校三年生まではここに住んでいたけど引越してしまった。

 引越した場所と中州は、高校が通えるくらいに近かった。けれど、中州に関する僕の知識、特に地理に関してはちょうどその時までで終わっている。歳が二桁になったばかりの少年の土地勘なんて頼りない。

 美術館みたいに存在だけ知っているとこや、行った記憶はあるのに場所を忘れてしまったところに出くわすと、なんだか懐かしい。

「そうです。隣にあるのはお庭ですけど」

 なんとなく美術館について知った気になったから、僕は適当にふんふんと頷いておく。

 楽器の音が止まって、また始まった。早苗ちゃんに聞くと、マーチングの練習をしているらしい。吹奏楽部である彼女が積極的に夏休みも図書委員の仕事をしているのは、部活をサボる口実だという。委員会活動は部活よりも優先されるから、ちょうどいいらしい。松井先生もこのことを知っていて、委員会活動中なのにこうも自由にさせてくれているのだ。多分。

「夏休みが始まる直前、部活が遅くなった日がありました。日が暮れて真っ暗です」

 その話しぶりから、彼女自身のことを語っている気がした。

「さっきの美術館、そこは彼女の通学路でした。辺りは住宅街。街灯は最低限の、昼間はそう感じませんが、日が暮れると急に暗く感じます。カーテンから漏れる明かりもありますが、道を照らすほどではありません」

 そして息をつく。こういった時、彼女は何かを読んでいるように話す。

「美術館のお庭の前を通っている時です。ええと、進行方向左に美術館とお庭があって」手を動かして、それぞれの位置を説明していく。「前にお庭。その後ろ、すぐ隣に美術館です。彼女は住宅側の歩道を歩いていました。右側ってことです。美術館はとっくに閉まっていましたが、電灯がその壁をぼんやり照らしていて、蛾が飛んでいました」

 説明に使っていた両手をパタンと下げた。

「突然、左側が眩しくなったんです。車やバイクの音が聞こえなかったから、なんだろうって彼女は光のほうを向きました。彼女の耳は正しく、振り返っても何もありません。遠くのほうで車が横切ったくらいです。光っていたのは庭を囲むガラスです。中に植えられてある植物が陰になって、下の方は見えませんでしたが、真ん丸く光っていました。トンネルみたいに半円に、ぼんやり光ってたんです。どこか別の、例えばあの世と繋がる光じゃないかと、思わず立ち止まっていました。止まってすぐ、植物ではない別の影が光から出て、すぐに去っていきました。あの世とのトンネルじゃないか、と考えていた彼女は怖くなって、その日は走って帰りました。それ以来彼女は怖くなって、別の道を通ってるみたいです」

 早苗ちゃんの話しかと思ったけど、違うような気がして、「君の話?」と聞いた。言ってから、聞いてよかったのかどうかと考えた。

「え、違うよ。違いますよ」

 そういう彼女の顔を見てハッキリした。早苗ちゃんの話だ。

 でも、僕の表情から別の何かを感じ取ったようだ。何か言う前に早苗ちゃんは口元に手を当てる。

「真広先輩信じない人だからわからないでしょうけど、ほんとの話なんですよ」

 確かに、彼女の言うとおり僕は幽霊とかそういうものは信じない。でも、話を聞くのは面白いから好きだ。怖いと言うよりは、なぜそれが起こったのに興味がある。だから、いつか幽霊とか不思議な現象の正体を突き止めたいと、ちょっとだけ思っている。

「影かあ」

 海斗が腕を組みながら言う。

「はい、そうです」

「光は庭の中? 向こう?」

 そして首を傾げる。

「うーん、植物の向こうなのは確かですけど、どうなんでしょう。あそこ、すりガラスとガラスでデザインされているから、どっちでもおかしくないんですよね」

「なるほどな」

 まだ質問したいことがあるようだ。

 怖い話に質問されても困るよな。そうメッセージを込めて、僕は早苗ちゃんを見る。

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