第十三話 絶滅百万年後

 稼働していないエスカレーターは一段ごとに微妙な段差があって、ゆっくり降りていても何だか足元がおぼつかずにお腹の中がふわふわとして気持ち悪い。LEDランタンで足元を照らして、硬いトレッキングシューズの靴底でかつんかつんと甲高い金属音を奏でて、停止してるくせに奇妙な浮遊感のあるエスカレーターを降りればそこはもう暗い海の中だ。


 がらんどうのホールのように何もない真っ暗闇の空間があたしを包み込んだ。当然空調なんて効いていないから少し熱がこもった空気が澱んでいる。海がすぐ近いせいか、それとも水槽の海水が蒸発したせいか、ちょっと潮くさい。


 足音を吸い込むように消してしまう柔らかめの床を歩けば、暗闇の中にじんわりと光が溢れ出て、ふわっと人影が浮かび上がった。そこには長い髪をセンター分けにして、少しサイズの大きなアウトドアジャケットを着込んで、巻きスカートから小枝のように痩せ細ったタイツを伸ばしている女子高生がいた。


 手に持ったLEDランタンを高く掲げてみる。真っ直ぐな光がきらっと反射して、あたしの目の前にいる女子高生もランタンを高く上げた。


 これはあたしだ。ガラスに映ったあたしだ。カブの走行風で髪を乾かしたせいか、すっかり長くなった髪がすごい感じでぼさぼさしてた。水槽のアクリルガラスに反射したあたしは、あまりの髪の毛の爆発具合ににやにやと笑っていた。


 あたしの目の前にはアクリルガラスの壁。葛西臨海水族館の目玉展示であるマグロが回遊する円筒状の大水槽がひっそりとあたしを待ち受けていた。


 もしも生き物がみんな絶滅していなかったら、ドーナツ型の巨大水槽を悠然と泳ぐマグロの群れが見れた事だろう。人類だけじゃなくて、植物以外のすべての生き物がいなくなった今や、巨大水槽の中はすごく澄んだ水が真っ黒く溜まっているだけだった。LEDの光に照らされたそれは、まるでものすごく大きな一枚の鏡だ。


 やっぱり水族館のマグロも絶滅していたか。ひょっとして、とほんの少し期待していたんだけど。


 巨大水槽の中は完全に空っぽだった。小魚一匹の死骸すら見当たらない。もしもマグロが生き残っていたら、裸で水槽に飛び込んで捕まえて美味しく食べてやったってのに。さすがに叔父さんからマグロのさばき方まで教えてもらってないけど。お米もある事だし、マグロのお寿司食べたかったな。


 さて、用があるのはマグロじゃない。あたしが求めていたものはこの巨大水槽だ。


 でもその前に腹ごしらえかな。半日もカブを走らせてきていい感じにお腹も空いてるし、何と言っても蒸し野菜とカレーがあるんだ。まずはキャンプ飯にしよう。


 マグロの大水槽の端っこ、何だか周りが真っ黒い水槽に囲まれるってのも気味が悪いから、大水槽ホールの壁際にテントを張ろう。やっぱり壁があると何かと落ち着くし。


 作業用にと持ってきた何本ものハンドライトに新しい乾電池を入れてそこら辺に無造作に転がしとく。何にもなくてだだっ広い大水槽ホールの壁際、そこだけぼんやりと明るいエリアが生まれた。真っ暗な黒い夜に囲まれてはいるけど、あたしだけの生活空間の出来上がり。明かりさえあればこいつらも静かなものだ。仲良くしていこう。


 人類絶滅後、もう何度テント設営してきた事か。それでも、野山にテントを張るのと違って、建物の中でさらに狭い空間にわざわざテントを準備するって非日常感は背徳的な楽しさがある。この少々の後ろめたさを含んだわくわく感はどんな環境でもやめられないわ。


 でも、今やそもそもが非日常か。誰も彼もいなくなった世界で、たった一人で眠る場所を探すなんてどんな日常感だ。それならば非日常の中にかろうじて日常を準備する楽しさとでも言い換えようか。広い建築物の中での狭いテント生活はもはやあたしの日常だ。


 テントの次はカレーの準備だ。キャンプ飯ではカレーは王道中の王道であり、極めれば極める程に省エネルギー、省調理時間となり、そして可能な限りコンパクトにまとめたくなってしまう日常的メニューだ。


 今回のカレーはもうすでに調理済みで、レトルトのように温めるだけでいい。かなり省労働力なカレーなのですぐに完成する。同時進行でアキルノ世界種子貯蔵庫、いわゆる道の駅で借りたお米を炊くだけで準備完了だ。


 まずは大きめの鍋にお湯を作る。大水槽ホールの天井はとても高い。どうせ火災報知器なんて機能していないんだし、木を燃やしても問題はないんだろうけど、焦げ臭い煙がこもっちゃうのも嫌なのでカセットコンロを使おう。この前ショッピングモールから借りてきたものだ。ガスボンベの数は限られてるけど、今使わずしていつ使う。がんがん高火力でお湯を沸かそう。


 お湯が沸くまで、ごはん炊きの準備をする。耐熱フリーザーバッグにお米をひと摑み。あたし一人がお腹いっぱい食べられればそれで十分だ。お米一合分なんてきっちり計る必要なんてない。そこにペットボトルのお水をお米が余裕でかぶるくらい注ぐ。余分な空気を抜いてフリーザーバッグのチャックをきちっと閉めれば、はい、調理作業終了。あとはお鍋の沸いたお湯の中へ投げ込んでおけばいい。


 あらかじめ蒸しといた野菜達のフリーザーバッグと、小分けしといたトマト缶カレーのフリーザーバッグもお鍋で湯煎してやる。そしてここはマグロの大水槽ホールだ。生のマグロはもういないけど、代わりにシーチキンの缶詰を缶のままお湯に入れちゃおう。賞味期限は切れちゃってるけど温めればいけるいける。


 あったかいごはんが出来るまで、湯煎時間は二十分。これで今日の料理はおしまい。フリーザーバッグが鍋の熱で溶けちゃわないようにお箸でお鍋の底に当てずに宙ぶらりん状態にしておくのがコツだ。


 弱火でことことと湯煎している間、あたしはマグロの巨大水槽にほっぺたをくっつけて水槽上部を仰ぎ見た。真っ暗な水槽の中も、LEDランタンやハンドライトのちっぽけな光に照らされて、ずいぶんと上の方で水面がきらりと光を反射させていた。ほんと、ばかみたいに大きな水槽だこと。生き物が絶滅していなければ、この巨大水槽を悠然と泳ぐマグロの群れが見れたのか。見たかったな、マグロ。食べたかったな、マグロ。


 はるか頭上、光が反射して鏡のように見える水面はまったく揺れていない。ずっと遠くに逆さまになってあたしを見つめているあたしがいた。ねえ、あたしは今何を考えているの?


 むにゅっと水槽に押し付けているほっぺたがひんやりとして気持ちいい。このひんやり感はアクリルガラスの向こう側にある水の温度ではない。アクリルガラスの素材としての温度だ。このマグロ大水槽のガラスの厚さは水の温度が伝わるほど薄っぺらいものじゃない。


 くるり、首をひねって今度はセンター分けしてるおでこを水槽に押しつける。あたしの目の前に立ちはだかる透き通った壁。その向こう側は真っ黒で、どこまでがアクリルガラスでどこからが水か、その境い目がわからないくらい透明度が高い。


 あたしはこのアクリルガラスに百万年後へのメッセージを刻む。二千トン以上のものすごい水圧にも耐えられる高さ七メートル厚さ二十六センチのアクリルガラス。この素材なら、絶対に百万年後まで人類文明の痕跡として残っているはずだ。


 葛西臨海水族館は高低差のある地形に建てられたコンクリートの建築物だ。地上三階部分のガラスのドームがエントランスとなっていて、そこから地下に潜る形で二階、一階、そして海岸線へと下っていく。二階部分にあるマグロの大水槽ホールは、まさしく人工の洞窟のような環境だ。壁画を残すのにこれほどぴったりの地形はない。暇だから東京の観光ガイドブックを読みまくった甲斐があるってものだ。


 さて、高さ七メートル厚さ二十六センチの巨大なアクリルガラス水槽の壁に、何を描こうか。って言っても、実はもう決まってる。描くのはあたしが生きる理由だ。今の誰もいない世界であたしが何のために生きているか、その情報を刻んでやる。


 真っ暗闇の大水槽をぼんやりと眺める事、二十分。フリーザーバッグごはんが無事に炊けたようだ。ことこと煮立った鍋の中、フリーザーバッグの中のひと掴みのお米はふっくらもっちりとしてバッグを膨らませていた。同じくカレーのバッグもぱんぱんに膨らみ、蒸し野菜のバッグもいい感じで汗をかいている。


 ソロキャンプなら食器を汚さないようにフリーザーバッグへダイレクトにスプーンを突っ込むんだけど。荒廃した未来社会で廃墟の中からようやく発見した缶詰をかき込む人類の生き残りみたいにがつがつ食べるのが美味しいんだ。実際、人類最後の生き残りである訳だし、上品に振る舞う必要もないんだし、このまま食べちゃいたい。


 でも今日はちゃんとお皿に盛り付ける。アクリルガラスの壁画に描くために。


 フリーザーバッグからお皿にほかほかのごはんを盛る。スプーンでごはんの形を整えて、こんもり丸く山を形作る。少し水が少なかったかな。ごはんはちょっと固めに仕上がっていた。そこへまた別のフリーザーバッグから蒸し野菜の登場だ。かぼちゃ、人参、さつまいも、見事にほくほく系の甘い野菜の揃い踏み。一口じゃ食べられない大きさにカットしてある蒸し野菜をごろごろっとごはんの小山に添えてやる。まともな野菜を食べられるなんて、何ヶ月ぶりの事だろう。


 そしていよいよカレーのおでましだ。最後のフリーザーバッグからとろりとろりと蒸し野菜の上へかけてやる。トマト缶をベースにしているから少しさらさらしたカレーが積まれた野菜の隙間に染み込んでいく。染みたカレーがお皿いっぱいに広がって、カレーの海にごはんの山と野菜の島が浮かんだ一皿になった。


 さあ、油もスパイスも何もかも植物性の食材だけで作った野菜カレーの出来上がりだ。これならヴィーガンなあの子も文句を言わないだろう。そもそも言わせやしないし。


 で、あたしはあの子と違って生き物の命を奪ってでも美味しいのを食べたい派だから、湯煎して温めたシーチキン缶詰をカレーの上に盛り付ける。よし、人類絶滅後から約一年、正確には十一ヶ月と一週間と五日、完全なるカレーがあたしの前に現れた。


 この終末を迎えた世界であたしがたった一人で生きる理由は、まず一つは食べるため。乾ききったお肉だろうがしなびた野菜だろうが、賞味期限が切れた缶詰だろうがそこらに生えてる葉っぱだろうが、何だって美味しく食べてやる。


 もう一つの生きる理由はお風呂だ。あたしはドラム缶風呂に入るために生きている。人間、お風呂に入ってあったかいごはんを食べれば何とかなるよって百万年後のみんなに伝えるんだ。




 太古の昆虫が閉じ込められた琥珀がある。いろんな虫の仲間、クモやムカデ、大きいものではヤモリなんかも樹木から流れ出た樹液に取り込まれて、気が遠くなるほどの長い時間を経て化石になったものだ。


 父さんが言ってた。


 映画では琥珀の中の蚊から遺伝子情報を抽出していたけど、あれはフィクションだからな。あんなに研究者に都合良く事は進まないって。でも、高い密度で情報をパッケージして未来へ伝達するには有効な手段ではあるね。琥珀なら古くは四千万年前から物質として状態を変化させないからな。


 あたしはアクリルガラスでそれをやりたかった。温泉地のお土産屋さんでよく売っている奴みたいな、アクリルの小さな立方体の中に観音様とか動物とかが彫ってあるおもちゃみたいなお土産品。イメージはそれだ。分厚いアクリルガラスの中に情報を閉じ込める。琥珀みたいに何千万年も変わらずに在り続けるかはわからないけど、きっと百万年ぐらいならクリアできるって。


 でも3Dレーザー照射機みたいなアクリルの加工機械なんてそう都合良くそこら辺に落ちていたりしないし、そもそもそんな加工スキルも持っていない。だから古代の原始人のように最も原始的な方法でやってやる。


 準備は万端だ。バイク屋にガソリンを借りに行った時に高価そうなマイナスドライバーとあたしでも振り回せそうなハンマーを勝手に拝借してきた。


 スマホで撮影したカレーの写真とドラム缶風呂に入ってるあたしの自撮り画像をしっかりと見て、厚さ二十六センチのアクリルガラスの大水槽にマイナスドライバーを突き立てて、樹脂製のハンマーを振り上げる。百万年後へのメッセージ、その記念すべき第一撃を、くらえ。


 がきんって、思っていた以上に硬い手応えがマイナスドライバーを通してあたしの左腕を駆け抜けた。ハンマーのヘッドは樹脂製の奴だったから振り下ろした右腕よりも、アクリルガラスに押し当てているマイナスドライバーの左腕の方がダメージが大きいなんて。しかもアクリルガラスにはほんのちょっとしか白い傷が付いていないし。でも、ちょっと心配していたガラスとしての脆さはまったくないって確認できた。安心してハンマーを振るえそうだ。


 それにしても、これは大仕事になりそうだわ。白く濁った筋のような傷しか付かないなんて。もっと深く彫らないと百万年後の未来には届かないな。


 カレーをもりもり食べつつ、ハンマーをぶんぶん振るってやるか。カレーや蒸し野菜にお米もまだまだたくさん作ってあるし、カセットコンロのガスボンベ、乾電池の予備も準備してある。時間だって、どうせ人類はすでに絶滅してて暇なんだし、終わるまでとことん彫ってやる。


 そしてシーチキン野菜カレーを食べながらマグロの大水槽を彫り続け、ハンマーを振るうのに疲れたらハンドライトに持ち替えて無人無魚の水族館内を探検してみたり。グッズショップでマグロのTシャツを見つけて思わずその場で着替えたり。まだ食べられそうなチョコレートやクッキーをちゃんと断ってから借りたり。そうやってアクリルガラスにカレーとドラム缶風呂を彫り続けた。


 マイナスドライバーと樹脂ハンマーを駆使しているうちに、ふと気付いた事がある。何で古代の壁画ってあんなに前衛的で近代芸術とはかけ離れた美的センスの絵ばかりなのか。あたしは理解できた。


 古代の原始人がまだ知能が高くなく器用さも足りなくて、ぶっちゃけ言っちゃえばあんな上手とは言えないような絵しか描けなかったんじゃない。真っ暗な洞窟の中、頼りない明かりで硬い壁に絵を刻むのが異常に難しくってとてもめんどくさい作業だからだ。


 彼らは歴史に残るようなアートとして壁画を刻んだんじゃない。自分の子供達に、次の世代へ情報を伝えるために壁画を描いたんだ。狩りに、植物の栽培に忙しい彼らにとって、壁画作成作業は生きるのにそこまで重要な仕事じゃない。寝る前に子供達に勉強させるための教材だ。だからあんな下手さ具合でも充分伝わるんだ。


 だから、人類史上最後の壁画となるあたしの作品も、こんな前衛的でふざけたみたいにアーティスティックでいいのだ。決して写実的でなく、漫画みたいにデフォルメされてても、伝わればいいんだ。これでいいんだ。あたしの壁画が完成した。


 お皿にこんもりと盛り付けられた、何か。きっと食べ物だって理解できるはずだ。そしてその側に、燃え盛る焚き火の上に円筒状の物体。何かを火で温めているって通じるだろう。その円筒状の物体に、長い髪の毛をセンターで分けて、バンザイするみたいに両手を上げて、大きな目をにっこりと細めている女の子っぽい生き物。ちゃんと生物としてのメスだとわかるように胸をちょっと盛ったりして、普段は存在しない胸の谷間をくっきり見せたりして。


 うん、美術の成績はあんまり良くなかったけど、我ながら良い出来だと思う。歴史に残る壁画が出来た。見様によっちゃ、毛の長い生き物を煮て食べようとしてる絵にも見えなくもないけど。それでもいい。絶対に何かは伝わるはずだ。


 何百万年後の地球上に芽生えた新しい知的生命体達に、旧世代の女神の像として語り継がれたりしないかしら。あたし、人類最後の人間から旧世界の女神へとクラスチェンジしちゃった。


 そしてあたしは疲れたから、カレーの残りを食べて水族館内で眠る事にした。




 翌朝。いや、正確にはもうお昼過ぎだ。あたしがテントで眠ってから八時間後。LEDランタンとハンドライトの頼りない明かりしかない暗闇なので時間の感覚はすっかり失われているけど、スマホのアラームであたしは目を覚ました。寝袋の中でうーんと伸びをして、テントからのそのそと這い出る。


 いやん。真っ暗じゃない。マグロのTシャツだけの姿で四つん這いのまま床に置きっぱなしのハンドライトを手に取る。もう朝かと思ったけど、水族館の中だから暗闇の中で朝かどうかもわからない。


 さて、アキルノ世界種子貯蔵庫に帰ろうか。ドラム缶風呂があたしを待っている。と、その前に葛西臨海公園のお隣、夢の国でお土産に何か食べられるものでも探してみようかな。


 ふと、ハンドライトをアクリルガラスに向けた。昨日の壁画の出来を確かめるために。


 そしてあたしはアクリルガラスの壁画に描き加えられた部分があるのを発見した。


 ドラム缶風呂に入っているあたしの右側。あたしが描いた覚えのない一皿が描かれていた。丸いお皿に、丸い何かが乗っている。こんなのあたしは彫っていない。


 さらに丸い何かを乗せた丸いお皿のすぐ上に、二つの目がにっこりと微笑むように細く描かれている。誰かの顔と言うよりも、お皿の上の空間そのものがにこにことあたしを見つめているみたいだ。


 この目が誰のものなのか。お皿に乗っているものが何なのか。あたしはすぐにわかった。


 クロイヨルンだ。この目は黒い夜のものだ。ずっとあたしの側にいて、ずっとあたしを見ていたんだ。そしてこのお皿に乗っているものは、あたしが焼いてあげたパンケーキだ。クロイヨルンがあたしの壁画にパンケーキの絵を付け加えてくれたんだ。


「あんた、ずっと側にいたの?」


 あたしは大水槽を包み込む暗闇に声をかけた。


「パンケーキ、美味しかった?」


 暗闇からの返事はなかった。

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