第八話 絶滅ショッピング

 キャンプってのは退屈なものだ。


 キャンプ場にチェックインしたら、まずはどこにテントを設営するか、いい場所探しから始まる。他のテントから程よく離れていて、ちょうどいい孤独とちょっとだけ自然の音がする静寂を確保できるスペースを見つけたら、せっせとテントを建ててしまおう。基本的に場所取りは早い者勝ちだ。先にテントを設置しておけば、他のキャンプ人は適度な距離を置いてくれてこっちのスペースに侵略してきたりはしない。


 寝る場所を確保できたら、お次は火起こしだ。ソロストーブに種火を作っておく。そこら辺に落ちている折れ枝や乾いた落ち葉で簡単な火を起こしておく。


 そしてここで第一の退屈がやって来る。


 キャンプ中は何をしたっていい。 お昼ごはんがまだだったらランチしてもいい。そこに海があれば釣りをして夜ごはんのおかずをゲットしてもいい。本を読んでもいいし、そこらを走り回ったっていい。何だったらハンモックを吊って寝ててもいい。何をしたっていい。だからこそ、さあ何をしようかと張り切って迷ってしまい、結局何も手がつかずに無為に時間だけが過ぎて行く。何をしようか。何もしないでいいか。そうなっちゃう。それが第一の退屈。そうこうしてる間に、焚き火の準備をしなければ。あっという間に暗くなってしまう。


 本格的に暗くなる前に焚き火を育て始めよう。料理のためのコンロの火とは別物の、見て楽しむためだけの焚き火だ。炎が広がり過ぎず、薪木も高く積もり過ぎず、いかにバランスよく薪を組んできれいな火を育てるか。絵に描いたような焚き火が構築できれば、もうずっと見ていられる。キャンプで一番楽しい時間を過ごすのだ。


 焚き火の炎に温められて、ぱちぱちと薪が燃える音に耳を傾けて、夜ごはんを美味しく食べ終えた頃に第二の退屈がやって来る。


 さて、何をしよう。辺りはもう真っ暗だ。それなりの施設があるキャンプ場なら夜ごはんの後片付けをしたり、シャワーを浴びたり、温泉に浸かったり、寝る前にやる事は結構ある。でも、それ以上に時間はたっぷりある。眠るにはまだ早い。大人の人達はお酒飲んでだらだらとおしゃべりしたりするけど、生憎とあたしはまだ女子高生であり、話し相手もいない。何もしない時間が有り余るのだ。


 退屈しのぎに遊びを開発するのもいいけど、そのまま何もしないで退屈を楽しむ。それがキャンプの楽しみ方だと思う。あえて何もしないで退屈といかに付き合うか。それが出来る人こそが、ソロキャンプを楽しんでる人だ。


 キャンプってのは退屈なものだ。その退屈さが楽しいんだ。


 で、あたしは退屈していた。


 遅めのお昼ごはんのパンケーキを食べ終えて、夜ごはんの分どころか数日分のパンケーキも焼いてしまい、もうフードコートでやれる事はなくなってしまった。


 外の大駐車場を見れば、放置されてる車の影がようやく長くなってきたかなってくらいで、まだまだ太陽が見えている時間帯だ。くるりと振り返り、ショッピングモール店舗内へ目を向けると、やっぱり真っ黒い空間がそこら中に渦巻いている。そこから先はもう黒い夜だ。


 何にもする事がなくなって、あたしは退屈していた。キャンプならではの退屈だ。何かしたいなと思っても、何もする事がない。


「探検、してみようかな」


 あたしは誰に言うとなく、と言うか、そこの真っ暗な空間にいる黒い夜にそれとなく聞こえるように言った。


 この無人のフードコートを今日のキャンプ地とする。そうと決めたのもいいけど、あたしのキャンプ用品はすべて車屋さんのキャンプ地に置いてきているんだ。何もアイテムを持っていない状態だ。とてもキャンプだなんて言える環境じゃない。幸運にもここは荒らされていないショッピングモールだ。何かしらキャンプに役立つアイテムが眠っているはずだ。


 よし、今日の退屈は無人のショッピングモールを探検して過ごそう。夜ごはんのパンケーキを美味しく食べるためにもモール内をたくさん歩き回ってお腹を空かせなくちゃ。


 ハンドライトを二本持って、一本は右手に装備、もう一本はストラップで胸にぶら下げて、あたしはフードコートの奥に渦巻く暗闇の中へ一歩踏み込んだ。


 ハンドライトの明かりの輪の分だけ黒い夜は音もなく退いて、あたしの進むべき道が黒い中にぽっかりと浮き出てくる。あたしの周囲は真っ暗だけど、吹き抜け天井の明かり取りの窓から光が薄っすらと落ちてきて、何とか先が見えるかなってくらいの暗さがずっと続いてる感じだ。うん、この程度の暗闇なら歩き回っても大丈夫そうだ。


 まずは二階から攻めてみよう。当然エレベーターもエスカレーターも動いていないから、止まってるエスカレーターを階段代わりに歩いて登る。こつんこつんと金属板みたいな踏み板を踏んでトレッキングシューズが一際硬そうな音を立てた。丸みのある自然の音とは違って角張った感じの人工的な音も、辺りに響く事もなく暗闇に吸い込まれるようにすぐに消え去った。


 ショッピングモールの二階。黒い夜の中にいると言うのに、不思議と怖くはなかった。


 相変わらず世界はとても静かだ。ふっと息を止めればあたしの小さな心臓が動く音さえ聞こえてきそうな、物音一つしない完全に静止した空間がそこに広がっていた。吹き抜けの天井に近くなったおかげで明かり取りの窓からの光が暗闇の一部を白く薄めていて、この周囲にあるテナントの様子も少しだけ窺えた。女の子向けの洋服ブランドショップか、マネキンがひらひらとしたスカートを身に纏って立ち尽くしていた。




 さすがにテナントの奥まっている部分は真っ暗だけど、メイン通路がこれくらいの薄暗さなら、まだ夜の森でのキャンプの方が暗くて怖いって思う。夜の森はとても静かだけど、何だかざわついている雰囲気がある。ここの動くものが何もない静寂とはまるで違う、ざわめく静けさだ。何が潜んでいるかわからない分だけ夜の森の方が怖い。


 夜の森にテントを張ってその中にこもっていると、静かなはずなのにいろいろな音が聴こえてくる。それらは極ありふれた自然の音なのに、テントの中で一人で小さく丸まっていると、気分がどんどん盛り上がってきて音が変化しだす瞬間がある。


 叔父さんはそれを妖怪達がうろつく時間って言っていた。


 森の中でキャンプ中でもタブレット端末で映画をストリーミング再生して観れる時代に妖怪って。あたしは笑って返した。


「妖怪なんている訳ないよ」


 もしも本当に妖怪なんていたら、スマホで動画撮って速攻YouTubeにアップしてひと稼ぎしてやるわ。


 叔父さんも笑って言う。それもある意味妖怪の見つけ方の一つかもな。スマホで動画を撮る。新しい方法としていけるかもしれないな。


 叔父さんが言うには、古来より人は自らの知識が及ばない事象、既知の範疇を超える現象に出くわすと、それに名前をつけて、自分の知識の支配下に置く事で不可思議現象に理屈を与えて無理矢理納得していたらしい。


 ほら。耳をすませば、森の向こうから聞こえてこないか?


 夜の森、テントに一人でこもっていれば、聴きたくない音が聴こえてくる事もある。あたし以外に誰もいないはずなのに、樹々の合間から誰かがひそひそと囁く声が。テントの周りを抜き足差し足忍び足、ぱきぱきと小枝を踏み折る音が。キャンプにまつわるオーソドックスな怪談話だ。


「テントの周りを歩き回る足音みたいなのはあたしも聞いた事あるかも」


 そいつは妖怪アシオトンの仕業だな。


「急にポケモンみたくなっちゃった。妖怪じゃなかったっけ?」


 何でもいいんだよ。現象にそれっぽい名前を付けてあげればそれっぽい姿をイメージできるだろ?


「まあ、何となくかわいくはなるかも」


 恐怖の対象である不安定な要素が収束安定化してこちらのイメージに上書き修正される。これで怖い要素はなくなるな。


 叔父さんが焚き火で焼いたビスケットにジャムをたっぷりと乗せた。熱いビスケットにジャムがちゅっと音を立てる。それをこぼさないよう上手にバランスを保ちながら叔父さんは言った。


 妖怪ってのはそうやって生み出されたものだと思うよ。


 怖い不可思議現象もかわいい名前を付けてこっちのフィールドに引きずり込んでしまえばいいって事か。あたしは叔父さんがどれだけのバリエーションの妖怪を考えだせるのか試してみたくなった。


「じゃあさ、風が葉っぱを揺らす音に紛れて人のひそひそ声が聞こえちゃう現象は?」


 そいつは妖怪ヒソヒソンだな。


 叔父さんはジャムビスケットをさくさくとやりながら軽く答えてくれた。


「夜中に落ち葉がテントに落ちたと思わせといてテントをさわっと触って逃げる奴は?」


 妖怪テントサワリンだ。あいつはけっこうビビるな。


 とりあえず不可思議現象の語尾に「ン」を付ける法則で何とかなる訳だ。


 あたしは叔父さんに教わった怖いの撃退法を思い出して、目の前の薄霧のような黒い塊に名前を付ける事にした。


「あんたは、そうね。黒い夜だからクロイヨルンでどう?」


 当然返事なんてない。でもそれでいいんだ。もともとそんな事に期待なんてしていないし。それに、もう怖くなんてないし。


 頼りなくおぼろげに光るハンドライトをテナントの奥へ向けてやる。すると黒い夜、改め、クロイヨルンはさっと霧が晴れるように散り散りになって消えて、ショップの壁際に立つマネキンが大きくて濃い影を作った。なかなか良さげなパーカーを羽織った女性型マネキンの黒い影が、あたしのハンドライトの揺れに同期して右へ左へ小さく揺らぐ。まるで怖がりな子供がマネキンの後ろに隠れてこちらの様子を伺っているみたい。


 そういえば、あたしってば、しばらく着替えすらしていなかったような。このパーカー、あたしのカブとお揃いのカラーでいい感じ。あたしは堂々と大股でマネキンに歩み寄った。クロイヨルンはますます色濃く、そして小さくなっていく。


 マネキンから直接パーカーを剥ぎ取って脱がしてやり、身体の前に合わせてみる。ちょっと大きめかも。鏡は、すぐ近くには見当たらない。


「ねえ、これ似合ってる?」


 洋服屋さんでクロイヨルンに似合うかどうか聞いてみたり。


 バッグ屋さんの店先につるっとしたアルミっぽいデザインの雨に強そうなキャリーバッグが置いてあった。カブのリアボックスのさらに上に積めれば、積載量アップだし取り外し可能だし言う事なしだ。でもカブには少し大きいかも。


「このキャリーバッグ、あたしのカブに積めるかな。店の奥にもっとちっちゃいのない?」


 クロイヨルンに買い物を付き合わせてみたり。


 本屋さんでは東京の観光ガイドブックを探した。


「結局あたしって今どこにいるの? あんたわかる?」


 ぱらぱらとページをめくって、クロイヨルンに現在位置を尋ねてみたり。そもそもクロイヨルンの仲間に追いかけられてこんなところまで無免許運転で走って来ちゃったんだし。責任取れ、クロイヨルン。


「ここ、どこなの? カブを置いてきたキャンプ地まで戻れなかったら、あたしどうすればいいのさ」


 クロイヨルンに愚痴てみたり。




 久しぶりに、本当に久しぶりに人と会話を交わした気分になった。渇き切った心に少し潤いが戻った気がする。会話の相手はただそこにある暗闇だけど。それでも、この非日常が当たり前になってしまった世界で、あたししかいない世界で、日常会話ができた事は嬉しかった。


 それと同時に、一人でいる時間が長過ぎたせいか、あたしは自分の頭がおかしくなってきていると実感した。外が暗くなるまで誰もいないショッピングモールで買い物しまくり、あたしはその間ずっとお喋りを続けていた。たった一人で、静かに佇む暗闇にずっと話しかけていた。


 さすがに疲れた。夜ごはんのパンケーキはもう食べなくてもいいや。今夜は寝てしまおう。


 フードコートに帰ってくる。お昼に焼いたパンケーキ。夜の分、明日の分、明後日の分はラップで包んでしまっておいた。クロイヨルンのために焼いた一枚のパンケーキはそのままお皿の上に乗っていた。


 フードコートの四つ脚のテーブルを横に寝かせて、それをさらに二つ連結するように組み合わせる。モールのショップから借りてきた毛布と膝掛けをタープのようにテーブルの脚に引っ掛けてやれば、はい、文字通り即席のテーブルテントの出来上がり。中にも毛布を敷いてクッションを敷き詰めれば、今夜の寝床の完成だ。


 テーブルテントの周りに結界を張るみたいに点けっぱなしのハンドライトを配置する。乾電池は新品を使ったんだし、明かりは朝までもてばいい。


 どうせならキャンプっぽく焚き火がしたかったけど、さすがに屋内で煙を立ち上らせる訳にはいかないし、そもそも薪木の代わりになりそうなものは売り物の家具しかなかった。壊してばらす体力的な事を考えると、とても一晩燃やし続ける量の薪を用意できそうにない。


 火は簡易的なランプでいいか。パーカーのひもを思い切って引き抜く。これが意外と気持ちよかった。普通ならそんな事やる訳ないし。そして大きなボウルにオリーブオイルをたっぷりと溜める。そこへパーカーのひもを浸して充分にオイルを吸わせたら、アルミホイルで補強した割り箸を組んでひもをボウルに固定する。それで大きめのアルコールランプみたいなものが出来上がりだ。これだけのオイルの量なら明日の朝まで火は燃え続けるだろう。


 カセットコンロの火をオリーブオイルランプのひもに移す。ひもの先に小さくて丸みのある火がぽっと灯り、オリーブオイルが焼ける美味しそうな香りがふわりと漂い出した。美味しい夢が見れそうな香りだ。


 寝る前にお風呂に入りたいところだけど、さすがにこのショッピングモールでお風呂は準備できない。何本のペットボトルのお水を運べばいいのやら。お湯タオルで身体を拭くだけでいい。薄汚れた衣服を脱ぎ捨てて、さすがにそこら辺に放置するのも気がひけるのでちゃんとフードコートのゴミ箱に捨てて、カセットコンロで沸かしたお湯で身体を洗う。


 熱いタオルで身体を拭いながら思った。一人でしゃべり過ぎたせいか、今までに感じた事のないタイプの寂しさが込み上げて来ているって。誰かにあたしの名前を呼んでほしいって、心の底からそう思った。


「ねえ、クロイヨルン。あたしの名前を呼んでくれる?」


 あたしは誰もいないショッピングモールの物をあちこち動かすだけの不確定な存在だ。そこには何の意味もなく、人間がいなくなって安定した世界に唯一動き回る不安定なパーツだ。あたしは不確定要素。


 誰でもいい。誰かに名前を呼んでもらいたい。叔父さんが妖怪に名付けていたように、不安定なあたしに名前を付けてもらって、あたしはあたしなんだって確定したい。


「あたしの名前はね……」


 フードコートの一角を真っ黒に染めた黒い夜に言いかけて、少し深く息を吸い込んで、あたしは口をつぐんだ。


「やっぱりやめた。あんたにはまだ教えてあげない」


 あたしの名前を教える時は、あたしがあたしであるって確定する時だ。それはあたしがクロイヨルンよりも立場が上だと、クロイヨルン自身があたしの存在を認めた時にあたしはあたしの名前を叫んでやる。人間を絶滅させた黒い夜の塊ごときに負けてられないからね。


 きれいになった身体が冷えないうちにブランドショップから借りてきたばかりの服に袖を通して、今夜は退屈を楽しまずにもう寝てしまおう。


 横に寝かせたテーブルと借りてきた毛布で作った即席テントに潜り込んで、入り口から膝掛けをそうっと垂らす。テーブルテントの外からは周囲に配置したハンドライトとオリーブオイルランプの明かりがのれんみたいに垂れた膝掛け越しに薄ぼんやりと感じられて、テント内は薄っすらと暗い程度でクロイヨルンは入ってきていないようだ。案外快適に眠れそう。


「おやすみ」


 今夜は夜の森の妖怪達はやってくるだろうか。アシオトンやヒソヒソン、テントワサリンは現れるだろうか。クロイヨルンはテントの側まであたしを覗きに来るだろうか。


 そんな事を考えながら、あたしはすとんと落っこちるように眠ってしまった。




 朝。テーブルテントの入り口に垂らした膝掛けの隙間から、さんさんと溢れる太陽の光が眩しくて目覚めた。のそのそとテントから這い出て、起き抜けの猫みたいにうーんと伸びをする。


 結界のように配置したハンドライトの明かりも点いたまま、オリーブオイルランプの火も控えめにまだ燃えていた。うん、大丈夫。今日も生きている。周囲を見回せば、強い朝陽が斜めに差し込んでいてフードコート内は明るさに満ちていて、影となっている黒い夜の姿はまったくなかった。モールの奥に逃げちゃったのかな。


 それと、テーブルに置きっぱなしにしといたパンケーキは消えてなくなっていて、空っぽのお皿だけがぽつんと残されていた。

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