悪戯な風が招いた出逢い

「やべぇ、寝過ごした」

今日は1限目から講義がある。それなのに、カーテンから降り注ぐ太陽の光は、早朝の優しい明るさではなく、一瞬僕の視界を真っ白にさせるほど、強い光を放していた。


よりによってこんな日に寝坊するなんて。

今日の講義は外すとやばい!

朝食? そんなもの食ってる暇なんかあるはずがない。


5月半、もうすでに夏の気配がすぐそこまで感じさせられる。

急いでシャツを着て部屋を出て自転車に飛び乗る。

ちらっとスマホの時間を目にして

「ぶっ飛ばせば、電車一本遅れで間に合うかもしれない」

呟く様に口にして、目指すは自転車でおよそ10分先の駅だ。

自転車のペダルに足をかけ、力いっぱい踏み込む。


5月にしては強い日差しが僕を照り付ける。

「がんばれ!頑張れ! ぜったい間に合う」

そう言い聞かせ、懸命にペダルを踏み込む。

近所の公園の大きな木が自然と目に入る。


時に人は道の選択を誤る。いつもは住宅街の中を自転車で駅まで向かう。

しかし、今日はふと目にした公園の別れ道から大通りへと向かった。交通量は多いが大通りの方が幾分早く駅に着く。

その選択が吉と出るか、それとも凶と出るか。それは運命のみが知る。


大通りに出た瞬間僕の目の前に黒い影が飛び掛かる。

「うわっ!」猫だ。

急ブレーキをかけ、バランスを崩した僕の目の前にまた大きな影が、キキーと異様な音をたてながら襲い掛かってきた。

「あ、車だ……。」

それを見た後、僕は真っ黒な闇に包まれた。


終わったな。

一瞬にして駆け巡る記憶の数々。暗闇は何処までも広がり僕の意識は閉ざされた。


耳元で何やら訳の分からない言葉を発しながら、僕を囲むように人の気配がする。

気が付いた時僕の周りにいた人たちの声が専門用語だらけで、その言葉を理解するのに幾分時間がかかった。

ここは病院?

「気が付きました?」

看護師らしい、いや看護師だ。僕に声をかける。

今度は若い男性医師が僕に問いかけた。

「ここどこだかわかりますか?」

「た、多分病院だと思います」そう答えると

「右手動きますか? 左手動きますか?」

と続けて問いかけた。

言われるままに、右手を左手を動かした。

「大丈夫そうですね。あと、どこか痛いところはりますか?」

そう言われたとたん、ズキンと頭が痛くなってきた。

「頭が痛いんですけど」

「そうでしょうね」男性医師はホッとしたように言った。

頭が痛いのに何を安心しているんだろう? この医者は……。

「大丈夫ですよ。検査の結果、頭部には損傷はなかったですから。ああ、痛いのはちょっと頭すりむいていましたからその傷のせいでしょう」

そっと頭に手を添えると、包帯らしきものが巻かれている感触が伝わった。

「あのう、僕はどうしてここに?」

「ああ、記憶飛んじゃったのかなぁ。君、車と接触事故にあったんですよ。と言っても直接ひかれたのは自転車の方で、君は自転車から放り出されて道路に転げ落ちたみたいですけどね」

「そうなんですか?」

「まぁ、詳しい事は警察の方が待っておられるので、お聞きください。それと、念の為3日ほど入院ですよ」

「はぁ……。」と、返事のしようはなかったが、あとで、警察から説明受けた時、間一髪助かった事を訊いて身震いをしたのは嘘ではない。

卒なく一般病棟に移されたが「今空いているのここしかないんだ、ま、3日ぐらいだから寂しくはないだろ」

移された病室は個室だった。あの若い医師が眼鏡越しに僕の顔を見つめ、にこやかに言った。


この人医者にしては、カッコよすぎる。白衣よりも白のスーツでも着て、若い女性をもてなす職業の方がしっくりくるような風貌だ。

ベッドの枕位置の上のプレートにはすでに僕の名が書かれていた。

阿崎達也あざきたつや」脳外。Dr田嶋たじま

用意されたベッドに静かに移ると


「そうそう、もしかしたら、体中痛みを感じるかも知れないから、今日は一日安静にしてくださいね。どうしても耐えられないようだったら、これ押して呼んでください。それじゃお大事に」


この医師は田嶋というのか? 担当は脳外。若いわりにしては丁寧な言葉と対応。僕よりは年上なのは確かだろうけど、そんなに離れている訳でもなさそうだ。いやでも医師として勤務していると言う事は少なくとも僕よりは5歳は年上だろう。でも見た目は僕とほとんど変わらない様な気がする。

そんな事を考えていたら、あの医者が言った様に体中が痛みだしてきた。

窓から差し込む太陽の光が眩しい。

一度横になってしまうと、痛みで体を動かす事も面倒に思えた。

仕方がないから、かけシーツを引っ張りだして頭からすっぽりとかぶって光を遮る。



こういう時の情報の速さは異常だ。

異常すぎる。しかも正確な情報はどこかに飛んでしまう事が多いらしい。

僕はその時それを知った。


駅前近くの交差点で車と自転車との事故


病室のスライドドアがガシャンと大きな音をたて開いた。

「阿崎!」

大声で汗を多量にかきながら息を切らし、そいつはやって来た。

彼奴の目にはシーツをすっぽりかぶり、ベッドに横たわる僕の姿が目に入る。

「馬鹿野郎! 俺らまだ大学2年だろ。まだ大学に入って2年しかたってねぇのに」

その後かそぼい女性の声で「嘘」と呟く様に言う声が聞こえた。

ぐしゃっと何かを落とし、僕のベッドに駆け寄り

「嘘でしょ。どうして? 亜崎君どうして……。」

あふれる涙がシーツの上に落ちた。

うとうとしていたが、あの宮村の大声でその眠気も冷めてしまった。


しかしこいつら、何か大きな勘違いをしているのでは?

勝手に人を殺さないでくれよ! 頼むから。


反応しようにも体中が痛くて思う様に動かない。

もそもそと手を動かし、目の前で泣いている彼女のスカートに触れた。

「う、ひっ! きゃぁ――」

あの宮村より大きな音量で悲鳴があがった。

「どうしたんですか部長?」

「み、宮村君。手、手が……」

「手がどうしたんですか?」

そう言いながら宮村は部長のスカートをつかむ僕の手を見て、その手をつかんだ。


「あのなぁ、お前ら勝手に人を冥途に送られちゃ困るんだけどな」


「その声、亜崎君? い、生きていたの?」

宮村がかぶっていたシーツを剥ぎ取るように奪い取る。

「よ、宮村。見舞いご苦労さん」

「ば、馬鹿野郎! 生きてんだったらそんな恰好で寝てんじゃねぇよ。亜崎」

「仕方ねぇだろ。体痛いからカーテン閉めるのもめんどいし、シーツかぶって眩しさしのいでたんだよ」

「本当に生きているのよね、亜崎君」

「見てくださいちゃんと足あるでしょ部長」

彼女はホッと肩をなでおろし「はぁ―」と深くため息をついた。

この大声のうるさい奴は、宮村孝之みやむらたかゆき。僕とは学部は違うが同期入学の、唯一今の僕の親友と呼べる奴だ。

そして彼女は僕の一つ上の先輩、有田優子ありたゆうこ。僕と宮村が在籍している文芸部の部長。しかもすでに作家としてデビューしている。


正直言って部長まで駆けつけてくれるとは思ってもいなかった。

「宮村はともかく、まさか部長まで来てくれるとは思ってもいませんでした。御心配おかけいたしました」

有田優子は少し照れ臭そうに

「ぶ、文芸部の部長として当たり前でしょ。部員が事故に遇ったって訊いたら駆けつけるのは当たり前でしょ。それに……」

最後に何か言いかけようとしていたが、宮村がそれを遮った。

「あのなぁ、俺はともかくとは何だよ。駆けつけて当たり前だって言うのかよ。こっちだって色々と忙しい身なんだからよ。無事ならお前が連絡位よこせよな」

「あははは、確かにそうだな。すまん宮村お前にも心配かけて。おかげさまで、軽い打撲と頭に擦り傷程度。念のため3日間の入院だそうで、後何ともなければそれで終わりらしい。でも僕の代わりに愛車の自転車は、自ら犠牲になって行ってしまったらしい」

少し気を落として言うと

「なぁに、自転車はまた買えばいい。命あってこそだからな。まったく悪運だけはやっぱり強いは、お前は。わははは」と、声をあげて笑う。

全く此奴の声は特に響くな。



「ねぇ、沙織。隣の部屋誰か入ったみたいだけど、ちょっとうるさすぎない?」

「いいんじゃないの。賑やかそうで」

ベッドの上部を上げて本を読みながら我関知せず。と言った感じで返すその言葉。その言葉にはどことなしか力を感じさせなかった。

「私ちょっと注意してくる」

「あ、ナッキ」

沙織が止めようと声を出したがすでにナッキは部屋を出ていた。

がらっとスライドドアを開け


「ちょっと、隣の病室にいるんだけど、あなた達の声デカくてうるさい! ここは病院。もっと周りに気を使って静かにして」


少し怒鳴り気味に、足を一歩踏み込ませた時。

グシャ……

何かを踏みつけた音がした。

ゆっくりその足を見つめると、ケーキが入っていそうな箱が自分の足の下にあるのを見て。

「あ!」と一言漏らして、そう―とその足を上げた。

僕らはその様子をただ唖然として見ていた。

「ど、どうしてこんなところにこんなものがあるのよ! わ、私のせいじゃないからね」

ゆっくりとドアを閉めて彼女は姿を消した。

「なぁうるさいんだってよ宮村」

「お、おう。すまん」

「ところであの箱は?」つぶれ、床に置かれているその箱を指さして

「あの、これ、私お見舞いで持って来たプリンなんだけど。気が動転しちゃって落としちゃって」

そのつぶれた箱を部長は僕に差し出した。

「あ、ありがとうございます」まぁ、形はどうあれ気持ちだろう。感謝の気持ちは言っておかねばならんだろう。

申し訳なさそうにする彼女に「あ、ほら、二つは無傷だ」4つあったプリンは二つは無残な姿に変わっていたが、奇跡的に二つは何とか原型を保っていた。

「本当にありがとう」

部長の顔を見つめながら礼を言う。

「馬鹿、そんなに見つめれれるとこっちが恥ずかしいでしょ。私もう帰る。亜崎君も大丈夫そうだし、私もこれから講義があるから」

部長の耳たぶが真っ赤になっていたのはなぜだろう? 

「まっ、それじゃ俺も帰るとするか。またあの女怒鳴り込んできそうだからな」

「そうしてくれ! 宮村」

「それじゃ、何かあったら連絡くれよな」

「ああ、分かった。愛奈ちゃんにもよろしく伝えておいてくれ」

「おう!」と片手を上げ、宮村と部長は病室を出た。


静かになった病室に一人残された僕は、また体中の痛みが治まらないでいた。



本編は

【再びあなたを愛することが許されるのなら】

第1章 悪戯な風が招いた出逢い 1話-2 に続く。


カクヨム


https://kakuyomu.jp/works/1177354054889704565

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短編集 さかき原枝都は(さかきはらえつは) @etukonyan

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