第25話 曹叡《そうえい》:「絵に描いた餅」の語源

 曹叡そうえいは字を元仲げんちゅうといい、曹丕そうひの子、つまりは曹操そうそうの孫です。

 

 幼いころから才能があり、曹操に可愛がられていました。

 宴会があるたびに曹叡を同行させるほどでした。


 また心優しく、曹丕とともに狩りに行ったとき、曹丕が母鹿を射殺し、その子鹿を曹叡に射させようとしたところ、涙を流して射ることを拒みました。

 曹丕は息子のやさしさに心を打たれ、すぐに弓矢を投げ捨てたといいます。


 曹丕が献帝を廃してみずから帝位についたのち、曹叡の生母である甄氏しんしは次第に曹丕に疎まれ、やがて自殺させられます。

 

 曹丕亡きあとに帝位についた曹叡は、母の名誉を回復するため、皇后の尊称をあたえました。

 

 また人材登用では公平さを重視し、盧毓ろいく(盧植の子)に、

「名声などというのは、地面に書いた餅のようなもの。うまそうに見えても、じっさい食べることはでない」

 といいました。


 これが「絵に描いた餅」の語源といわれます。


 やがて曹叡は、三十六歳という若さで亡くなってしまいます。


 ところで正史の「三十六歳」という年齢にしたがうと、曹叡は袁紹えんしょうの孫である可能性も出てきます。


 というのも、曹叡の母・甄氏は、もともと袁紹の次男である袁煕えんきの妻。

 美人と誉れ高かったため、袁一族が曹操に滅ぼされたとき、曹丕が側室としてもらいうけたのです。


 それで三十六年前といえば、まだ曹丕が甄氏に出会う前。

 つまり袁煕の子ということになります。


 裴松之はいしょうしの注釈では、「亡くなったのは三十四歳の誤り」としています。


 しかし、もし本当に袁紹の孫だとしたら、曹操に滅ぼされながらも、袁家の血筋が魏を支配したことになりますね。


 ちなみに曹叡の子は若くして亡くなったため、次の天子は親族の曹芳そうほうが就きました。

 仮に曹叡が袁紹の血筋だとしても、残念ながらその支配は曹叡一代だけで途絶えたことになります。

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